第八話 はじまりの日
あれほど濁っていた気配は、今はもうほとんど感じられなくなっていた。
「……行った、のか」
ルドーさんが、槍の柄を握ったまま小さく息を吐いた。
「群れへ帰りました」
僕は、教えた方向を指さす。
「本当に、行かせちまってよかったんですかね?」
バードさんが、弓を下ろしながら言う。
「グラムさんをあそこまでやったやつですからね、危険じゃないですかね」
ホルスさんが、静かに言う。
「フライが言うに、目の前にいたのは、帰りたがってる迷子だったんだろ」
「だったら、斬ることはできねぇだろ」
その言葉に、ルドーさんも小さくうなずく。
「ホルスさんが、そう言うならな……」
少し不思議な感覚だった。
さっき繋がっていたとき、確かに感じた。
ただ飢えて、怖くて、帰り道をなくしていた。
それに少しだけ手を貸しただけだ。
シアンさんが魔杖を片付けながら、その場のすべてを見ていた。
「本当に、こんなことってあるんだね」
「まだ自分でもよく分からないです」
僕は正直に答える。
「声が聞こえて、放っておけなくて……気がついたら、勝手に手が伸びてました」
「繋がってみたら、苦しんでいて、帰りたい気持ちがわかりました」
バードさんが、くすっと笑う。
「いやぁ、でも、いきなりモンスターと心の会話とか、あの狂気を鎮めちゃうとか、世の中わからないこともありますねぇ」
みんな少し笑った。
すると張り詰めていた空気が少しだけ緩んだ。
「ノエル、大丈夫か?」
ホルスさんが後ろを振り返る。
少し離れたところで、ノエルさんは小さくうなずいた。
「はい、大丈夫です」
「みなさんがお怪我されなくて、本当によかったです」
ノエルさんは、ほっとした表情で全員の顔を見た。
「とりあえずここで立ち尽くしてても仕方ねぇな」
「日が落ちる前に森を抜ける」
そうして、ホルスさんが先頭に立ち、僕たちは森を引き返し始めた。
さっきまで胸を圧迫していた、あの濁った気配は、もうない。
僕はもう一度、森の気配を探る。
すると、遠くからうっすら気配が伝わってきた。
(あたたかい におい みんな いた ありがとう)
少しだけ落ち着いた、感情の欠片。
それを最後に、気配は森の向こうに溶けていった。
⸻
アルミ村の門が見えたころには、空は藍色へと変わり始めていた。
「戻ったよぉー!」
バードさんが、手を振りながら声を上げる。
門の上の見張り台から、聞き慣れた声が返ってきた。
「おかえり!」
セラだ。
村の中に入ると、数人の村人たちがこちらに顔を向けた。
治療所の前から、ケールさんが足早にやってくる。
「みんな無事ね」
「その顔だと、何かあったみたいだけど」
「色々とな」
ホルスさんが苦笑する。
「とりあえず、詳しい話はあとで村長も交えてする」
「そう」
ケールさんは、すぐにうなずいた。
「ホルスさんとフライさんは、一度休まれた方が……」
ノエルさんが静かに言う。
「いや、村長のところに行く」
ホルスさんが首を振った。
「こいつも一緒にな」
「僕もですか?」
「当たり前だろ、報告の主役だ」
そう言われてしまっては、断れない。
「じゃあ、わかりました」
「私も行くわ」
ケールさんが手を上げた。
「治療所として、ちゃんと聞いておきたいしね」
「あたしは、グラムさんの様子見てるね」
セラは少しだけ唇を噛んでから、笑って言った。
「じゃあ、ちゃんと寝てるように言っといてね」
「あいつ、すーぐベッドから出ようとするから」
「あたしの言うこと、聞けばいいですけどね」
セラは手を振って、治療所へと戻っていった。
誰も傷つかなかった。
その事実だけが、足取りを少し軽くしてくれていた。
⸻
おじいちゃんの家の奥の部屋に入ると、昨日と同じ顔ぶれが揃っていた。
おじいちゃん、ホルスさん、ケールさん。
そこに今日は報告に、ハンターたちも加わっている。
「戻ったか」
おじいちゃんが、僕とホルスさんを見てうなずいた。
「まずは、おかえり」
「ただいま、おじいちゃん」
椅子に腰を下ろすと、さっそくおじいちゃんが口を開いた。
「で、本題に入るが、どうだった?」
その問いに、ホルスさんが苦笑した。
「赤目のモンスターは、いなくなったと言っていいだろう」
「どういうことじゃ?」
視線が、自然と僕へ向く。
ホルスさんが、僕に合図した。
僕は一度息を整えてから、森での出来事を順に話していった。
森の様子。
赤目の登場。
狂ったような赤い気配。
声が、はっきりと聞こえたこと。
それを鎮めて、群れに返したこと。
「そして……ただ、帰れなくなってただけでした」
言い終えたとき、部屋の中は静まり返っていた。
「帰れなくなっていた、か」
おじいちゃんが、繰り返す。
「獣やモンスターを可哀想と思いすぎるのは、危ない考え方じゃ」
「だが、今回に限って言えば、フライのやったことは間違いでもないんじゃろうな」
「俺もそう思う」
ホルスさんが、はっきりと言った。
「出会ったときの赤目と、フライに接触してからの赤目は、もう別物だった」
「凶暴な獣から迷子になってた」
ルドーさんも、ゆっくりとうなずく。
「ホルスさんがおっしゃる通りで、殺気の圧が、明らかに薄まってました」
「槍を構えていても、こいつを仕留めるのが正しいのかって、迷うくらいです」
「バードは?」
「うーん、俺は」
バードさんは、肩をすくめる。
「危険だとは思うし、射抜けって言われたら射抜けます」
「ただフライくんがアレをやったあとで、矢はあまり射ちたくはなかったですかね」
「シアンは?」
シアンさんは、はっきりと口を開いた。
「フライが間に入らなかったら、きっともっと長い戦いになってましたね」
「それこそ、誰か怪我してたかも」
「だからフライがやったことは、ちゃんと意味のあることだったって思います」
「ノエルはどうじゃ?」
最後に、ノエルさんに視線を向ける。
「私には戦いのことは分かりませんが……」
「誰も傷つかなかったのは、間違いなくフライさんのおかげです」
部屋の視線が、自然と僕に集まる。
「フライ」
おじいちゃんが僕の目を見て言う。
「昨日、わしが言ったテイム」
「今日、お前がやったのは、それなのか?」
「モンスターの声を聞き、迷いと恐れを知り、帰り道を見つけてやる」
「それは、特別な力でもないとできんことじゃ」
「わからない……」
「でも、心の声が、赤目の声が聞こえたんだ」
思わず、そうこぼしていた。
「なるほどのぉ」
おじいちゃんは静かに言う。
「見て、聞いてしまったから」
「倒す以外にもできることがあるって、知っちゃったから、やらなきゃって思って」
僕はしっかりとした口調で言った。
「そうか」
おじいちゃんは目を細める。
「とにかく、生きて帰って来てくれてよかった」
「生きていれば、そうすれば、次にできることが増えるじゃろうからな」
「うん」
⸻
話し合いが終わり、皆が部屋を出ていく。
ホルスさんは、廊下で僕の肩を軽く叩いた。
「よくやったな」
「ホップにも、いつか話してやらねぇとな」
「フライは、モンスターテイマーになりつつあるぞってな」
「やめてくださいよ、そんな大げさな」
「まだ、なりつつある、だからな」
ホルスさんはそう言って笑い、夜の村へと消えていった。
⸻
家に戻ると、母さんが台所で何かを煮ていた。
「おかえり、フライ」
「ただいま」
「今日はたくさん歩いたでしょ」
「スープ、いつものより多めにしておいたからね」
「お腹ぺこぺこだよ」
「じゃあ、作った甲斐があったわね」
そんなやりとりをしながら、椅子に座る。
「そういえば、文鳥が昼間来ていたわよ」
「……文鳥?」
「お手紙だわ、あなたに」
母さんから手紙を受け取る。
筒を外して中を見ると、見慣れた癖のある文字が目に飛び込んできた。
『フライへ』
最初の一行だけで、誰からかすぐに分かった。
ホップだ。
椅子に腰を戻し、手紙を広げる。
『ガルディアについた』
『騎士見習いとして、剣の稽古をつけてもらってる』
『ここの先輩は、親父より厳しい』
『でも、力もめきめきと付いてきている、と思う』
『村はどうだ?』
『みんな元気だといいな』
『あと、実験料理はほどほどにな』
『お前はお前で、村でのこと、頑張れよ』
『いつか、どっかで肩を並べれたらいいなって思う』
『ホップより』
手紙を読み終えると、心が少し暖かくなった。
「テイム、か」
呟きながら、窓の外の夜空を見上げる。
ホップがいるガルディアの方向は、どっちだろう。
リュミエールが眠る山の上には、いつもより星が多く瞬いているように見えた。
読んでくださり、ありがとうございます。
少しずつフライも成長して行きます。
次話も読んでいただけると嬉しいです。




