第四十九話 小部屋の取引
ガルディア城の前に立つと、風の強さが一段と増したように感じた。
高くそびえる白い城壁。
(待ってろよ、ホップ)
ホルスさんは、フードを深くかぶり直すと、城門へと歩み寄った。
「止まれ」
鋼の槍が、傾けられる。
「要件は?」
ホルスさんは、門の左側に立っていた兵士の方へ、少しだけ身を寄せた。
そして、低い声で囁く。
「タータス商会の者だ」
「例の件で、バルダン王と会いたい」
その一言で、兵士の目が僅かに揺れた。
「……ッ!」
一瞬、ホルスさんの顔を探るような視線。
だが、すぐに姿勢を正し頷く。
「承った」
「しばし、その場でお待ちを」
兵士は、城壁脇の小さな扉から中へ消えていく。
ホルスさんは、胸の辺りをそっと指先で叩いた。
ローブの内側で、ムーがびくりと揺れる。
(大丈夫なのん、まかせるのん)
ほどなくして、先ほどの兵士が戻ってきた。
「お待たせしました」
声の調子が、さっきより柔らかくなっている。
「お会いになるそうです」
「その前に、ルミナストーンを、確認させていただきたい」
兵士は、ホルスさんの手元に目をやった。
「これだ」
ホルスさんは、布袋から大粒のルミナストーンを取り出した。
兵士は、思わず息を呑んだ。
「……通られよ」
「バルダン様は、王の間ではなく、この控えの小部屋にてお待ちです」
小さな紙片を差し出してくる。
紙には、簡易的な城の見取り図と、赤い印で道順が記されていた。
「感謝する」
ホルスさんは紙を受け取り、城門をくぐった。
⸻
石の廊下は、かつて軍の報告に訪れたころとは、空気が違う。
(……変わったな)
ホルスさんは、足音を最小限に抑えながら歩く。
見取り図の通りに曲がり、階段を上り、さらに細い通路を抜ける。
やがて、目印どおりの小さな扉の前に辿り着いた。
扉の前で一度息を整える。
そして、扉にノックをすると声が返ってきた。
「入るがよい」
中から、落ち着いた男の声が返ってきた。
ホルスさんは、静かにドアノブを回す。
⸻
部屋の中は、質素な造りだった。
会議室とも客間ともつかない、狭い石造りの部屋。
中央に、簡素な机と椅子が一つ。
その椅子に、バルダン王が腰掛けていた。
立派な髭と、威厳のある顔。
だが、その顔には、疲れが浮かんでいるように見えた。
「そなたが、この王国を救う方法があると、申す者か」
「話を聞こう」
ホルスさんは、扉を静かに閉めた。
そして、机の手前まで進むと──
フードを外した。
「お久しぶりです」
まっすぐに王を見据える。
「バルダン王よ」
次の瞬間。
椅子が、大きな音を立てて揺れた。
「……!」
バルダン王は、思わず立ち上がっていた。
「おぬし──まさか……」
驚愕と戸惑いが入り混じった声。
「剣巧シグル、か?」
ホルスさんは頷いた。
「十八年前、命からがら」
バルダン王の喉が、ごくりと鳴る。
「……そうか、生きておったか」
深く目を閉じ、息を吐いた。
「それだけで、兄ライゼルも、少しは救われよう」
その言葉を聞いて、ホルスさんは口を開いた。
「バルダン王」
「まずは、あの件の全てをお話ししなくてはなりません」
「あの件?」
バルダン王が眉をひそめる。
「ライゼル様と、城が落とされた日のことからです」
「ですが、その前に」
「一つ、先にお伝えしたいことがあります」
「……何だ」
「ライゼル様の一人息子、ブラーヴ様は──」
ホルスさんは、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「生きておられます」
「……なっ!?」
バルダン王の瞳が、見開かれた。
「真か!?」
机に手をつき、そのままホルスさんへ一歩詰め寄る。
「今、どこに!」
「この城に──」
ホルスさんは、静かに答えた。
「この、ガルディア城の中に、いらっしゃいます」
「……どういうことだ」
バルダン王の表情に、困惑が混じる。
「ブラーヴ様は──」
ホルスさんは、王の瞳をまっすぐに見た。
「ホップとして、生きておられます」
「……!」
驚愕。
混乱。
そして、納得。
あの時から、城内を騒がせていた、王家の剣を持てた、身元の知れぬ騎士見習い。
「なるほど……村から来たと聞いていた騎士見習いが、兄ライゼルの、息子であったとは」
「其方がここに来なければ、そんなこと考えもしないであろうな」
バルダン王は、椅子に腰を落とした。
瞼を閉じ、静かに息を吐く。
「それで、血が、応えたか……」
ホルスさんは、ゆっくり頷いた。
「ホップが王家の剣を扱えてしまうなんて」
少し遠い日の記憶が、胸の奥でよぎる。
⸻
「しかしだ」
バルダン王は、そこで顔を上げた。
「……だからといって」
王としての顔に戻っている。
「もし城中に、あの騎士見習いは兄ライゼルの息子でした、と告げれば」
「今の王家は、混乱する」
バルダン王の声には、苦悩が滲んでいた。
「今、王城内は次の王を誰にするかで、ただでさえ不安定だ」
「テオを世継ぎに、と動いている最中に」
「突然、実はブラーヴが生きていました、などと言っても、誰が納得しようか」
ホルスさんは、小さく頷いた。
「おっしゃる通りです」
「ブラーヴ様は、政の器ではない」
ホルスさんの声はハッキリと言う。
「村で育ったただの青年です」
「そう育てました」
「今さら、王族のしがらみの中に放り込んだところで、誰も幸せにはなりません」
バルダン王は黙って、その言葉を聞いていた。
「だからこそ、です」
ホルスさんは、静かに言葉を続けた。
「王よ」
「ホップを解放するために」
「そして、この国を守るために、ご提案があります」
「……聞こう」
バルダン王が、身を乗り出した。
ホルスさんは、一度だけ息を吸い込む。
「村の騎士見習いホップを、処刑していただきたい」
「なっ!?何を……!」
バルダン王が、目を見開いた。
「ホップは、ブラーヴであろう! 兄ライゼルの血を継ぐ者だぞ!」
ホルスさんは、それでも表情を崩さなかった。
「だからこそ、村の青年ホップを処刑していただきたい」
「正確には、ホップという名前の騎士見習いは、王家転覆を企んだ大罪人として処刑された」
「そういう形を作っていただきたいのです」
沈黙が、部屋を満たした。
バルダン王が低く問う。
「……詳しく話せ」
⸻
「はい、まず⸻」
バルダン王が、息を呑んだ。
「ホップが振るったのは、精巧に作られた偽物の剣だったことにするのです」
「ほう」
バルダン王は頷く。
「テオ様が振ろうとしても振れなかったのは本物で」
「そして──」
「ホップが軽々と剣を振れたのは、仕込んでおいた偽物を使ったから」
ホルスさんの声が、静かに部屋に落ちていく。
「真相がそうだった、という話ではありません」
「そうだったことにする、のです」
「そして、本物の王家の剣は」
「ホップが王家転覆のために盗み出し、隠し持っていたことにする」
バルダン王の瞳が、細くなった。
「……なるほどな」
「つまり」
「ホップは軽い偽物を用意し、自分だけが王家の剣を扱えるように見せかけ、王家の混乱を招くことが目的だった」
「そういう物語か……」
「その通りです」
ホルスさんは、真っ直ぐに答える。
「ホップは王家転覆を企んだ大罪人として、処刑されたことにする」
「俺は、テオ王子が次の王になることに、賛成します」
「だからこそ、この国を救う方法として」
「村の青年ホップには、悪役になってもらう」
短い沈黙のあと、ホルスさんは続けた。
「その代わり、二つ、お願いがあります」
バルダン王が、手で続きを促す。
「一つ」
「ホップを、預けていただきたい」
「処刑されたことになったら、どの道ガルディアにはいられません」
「こっそりと、引き渡してほしい」
そう言うとバルダン王はまっすぐホルスさんを見据えた。
「二つ目は?」
「王家の剣を、しばらくの間、貸していただきたい」
バルダン王の眉がぴくりと動いた。
「剣を?……何に使う」
「この国を脅かす闇を断つために」
ホルスさんは、王の瞳を見つめたまま、はっきりと言った。
「サラームと戦う力に」
「そして、ガルディアを食い物にしようとしている連中を炙り出すためです」
バルダン王の表情から、僅かに血の気が引いた。
「……サラーム」
「十八年前、ライゼル様を葬ったのは、サラームとその手足となった者たちでした」
ホルスさんは、じっと王を見据える。
「今も、それは続いている」
「この国のモンスターが、不自然に強化されている」
「大型モンスターや赤目のモンスターが現れ始めている」
「王家の剣は、その闇を断つ鍵になる」
ホルスさんは、静かにそう告げた。
⸻
バルダン王は、長く息を吐いた。
「……正直に言おう」
椅子に深く腰掛け、天井を仰ぐ。
「ワシには、どうすることもできなかった」
「騎士見習いが王家の剣を持てたとき」
「城内は、次の王はテオではない、ホップかもしれぬ、と騒ぎ立てた」
「だが、ワシには、血筋もなにも分からぬ若者を王に据えることなどできん」
「かと言って、剣を振れた者を無理やり押さえ込めば、王家の信頼はガタ落ちだ」
「なんとか城外への漏洩は防ごうと動いたが、全て裏目にでた……八方ふさがりだった」
その悔しさは、言葉の端々から伝わってきた。
「だが、ブラーヴだと分かった今」
バルダン王は、ホルスさんを見た。
「本来なら、ワシは喜んで王位を譲りたいところだ」
「兄ライゼルの息子なら、次の王に相応しい」
「……だが、確かに今さらよな」
首を横に振る。
「ブラーヴに政を背負えと言っても、それは酷というものだろう」
ホルスさんは、黙ってそれを聞いていた。
「ふむ」
やがて、バルダン王は小さく笑った。
「テオは愚かではない」
「剣はダメだがな」
ほんの少し、柔らかい笑みが浮かぶ。
「だからこそ、王としてはテオを継がせたい」
「兄の忘れ形見には、王ではなく、生きていてほしい」
「……それが、ワシの本音だ」
ホルスさんは、その言葉に僅かに口元を緩めた。
「では……」
バルダン王は、まっすぐホルスさんを見た。
「二つの願い」
「ホップをそなたに預けること」
「そして、王家の剣を貸し与えること」
「……どちらも、飲もう」
はっきりと言った。
「ただし、処刑を演じる段取りは、綿密に詰めねばならん」
「ええ」
ホルスさんは深く頷いた。
「そのあたりは、細かく手順を決めましょう」
「ホップが王家を裏切った、という筋書きを成立させるために」
バルダン王は、ふっと笑う。
「まさか、そなたとこんな芝居の相談をすることになろうとはな」
「……人の縁とは、不思議なものだ」
「すみません」
ホルスさんは、少しだけ視線を落とした。
「ブラーヴを──ホップを自分の息子だと思って育てました」
バルダン王の目が、わずかに丸くなる。
次の瞬間、ふっと目を細めた。
「よい……よいではないか」
「ブラーヴがここまで生きてこれたのは」
「そなたが、父親として守ってきたからだ」
「シグルよ」
王は、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「礼を言う」
「兄の息子を、生かしてくれて、ありがとう」
その言葉に、ホルスさんは目を伏せた。
胸の奥で、十八年分の悔しさと安堵が、入り混じる。
(ライゼル)
(お前の弟は、ちゃんと、お前の息子の味方でいてくれてる)
「……こちらこそ」
ホルスさんは、頭を下げた。
「この機会を、ありがとうございます」
「バルダン王よ」
「……では、すべてが整い次第、決行に移す」
小部屋の簡素な机越しに、バルダン王がゆっくりと手を差し出した。
「準備ができたら、あらためて連絡を寄越そう」
「よろしくお願いします」
ホルスさんは、その手をしっかりと握り返した。
固い握手。
十八年前に失われたものを、ようやく取り戻しにいくための約束だった。
ホルスさんは深く一礼すると、小部屋を後にした。
⸻
ホルスのローブの隙間からムーが小さく震える。
(フライ、聞こえたのん?)
僕は胸のあたりをぎゅっと握りしめていた。
ムーを通じて伝わる言葉。
(ホップは、死んだことにされる)
(でも、その先に……)
胸の奥が熱くなった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
次話も読んでいただけると嬉しいです




