第四十七章 それでも守りたいもの
「……ファラ!」
オーガスさんが、はっと顔を上げた。
夕暮れの光が、岩陰を斜めに照らす。
その岩陰から、一人の少女がよろめき出てきた。
緑の髪を揺らしながら、肩で息をしている。
「お父さん……」
ファラさんの頬には、もう涙の跡が何筋も流れていた。
オーガスさんは、一歩、二歩とふらつきながら近づく。
「ファラ……私は、その……」
声が震える。
「すまな⸻」
と言い切る前に。
「ありがとう!!」
声が、夕空に響いた。
「ありがとう、お父さん!!」
その目から、ぼろぼろと大粒の涙がこぼれ落ちる。
「ありがとう……本当に、ありがとう……!」
言葉が続かなくなるくらい喉が震えた。
その瞬間、オーガスさんの腕が、がばっと伸びる。
ファラさんを、その胸に抱きしめた。
「う、うああああああああっ……!」
何かが決壊したかのように、オーガスさんが崩れ落ちる。
そのまま岩場に膝をつき、娘を抱き締めたまま、子どものように声を上げて泣いた。
それは、十八年分の悲鳴だった。
悔いと、自責と、諦めと、かすかな希望と。
その全部が一緒くたになって、涙が溢れ出していた。
「ファラ……!」
震える声で、名を呼ぶ。
「母さんは……ジーナは、生きてるんだ……!」
「私が……私がこうしている間も、ジーナは……!」
「うん……うん……」
ファラさんもまた、必死に言葉を探しながら、父の背中に腕を回した。
「お父さん、辛かったね……」
「全部、全部一人で抱えて……」
ぎゅっと服を掴む。
「もう、一人じゃないよ!」
夕風が、二人の間をすり抜けていく。
岩場には、父と娘の泣き声だけが、響いていた。
⸻
「……ダメだ、これは」
少し離れた場所で、僕は拳を握りしめていた。
目の端から、静かに涙が零れ落ちる。
「……許さない」
震える声で、ぽつりと言う。
「絶対に……許さない……」
「ファラさんのお父さんをここまで追い詰めて」
「ライゼルさんたちを奪って」
「ホップまで……」
胸の奥が、焼けるように熱かった。
「必ず、報いは受けさせる」
静かに、しかしはっきりと言った。
「必ず」
(……フライ)
器で、パンが小さく言う。
(絶対、全て取り戻そう)
パディットも、唸る。
(俺も、許せねぇ)
(ムーもなのん)
ムーが、ぷるぷると震えながらしょぼんとする。
(ファラの泣き声、もう聞きたくないのん)
横で空を見上げていたホルスさんの目からも、涙がひとすじ溢れた。
「……こりゃ、まいったね」
いつもより、少しだけ掠れた声だった。
⸻
どれくらい泣いただろうか。
やがて、オーガスさんが震える肩をゆっくり落ち着かせ、腕の中のファラさんをそっと離した。
「……なんでも、する」
血走った目で、ホルスさんと僕を見る。
「なんでもする、ジーナを助けられるなら」
「なんでもだ」
「私も」
ファラが、一歩前に出る。
涙の跡をぐいっと拭いながら、まっすぐ父と向き合った。
「私も、お母さんを……」
きゅっと唇を噛む。
「ううん」
「お母さんも、お父さんも、助けたい!」
ホルスさんは、二人をしばらく黙って見ていた。
それから、ゆっくりと口を開く。
「そうだな」
低く、しかしはっきりとした声。
「だが、オーガス⸻」
あえて、昔の名で呼んだ。
「お前がしてきたことは、消えねぇ」
「……」
オーガスさんの喉が、ひくりと動く。
「俺は、まだ許せねぇ」
ホルスさんは、拳を握りしめる。
ファラが、はっと父を見上げる。
「それでいいさ」
オーガスさんは、俯いたまま小さく笑った。
「許せないのは、私も一緒だ」
自分の胸を、ぎゅっと掴む。
「私自身を、許せたことなんて、一度もない」
「だから⸻」
ホルスさんは、一歩前へ出た。
「償うんだ……償いながら生きろ」
静かな叱責だった。
オーガスさんは、肩を震わせながら顔を上げる。
「……いいのですか」
掠れた声で、呟いた。
「シグル……」
「もうシグルはいねぇよ」
ホルスさんは、にやりと笑ってみせる。
「俺はホップの父親」
「ホルスだ」
それは、自分で選び取った名前だった。
「ホルス、ですか」
オーガスさんが、何度かその音を確かめるように呟く。
「いい名ですね」
「だろ?」
ホルスさんが、ふっと口元を緩める。
「俺の本名だ、気に入ってんだ」
そのやり取りに、ファラさんがくすりと笑った。
「皆さん……」
丁寧に頭を下げる。
「本当に、本当に、ごめんなさい」
「それと、ありがとうございます」
「違う、悪いのは全部、サラームの奴らです」
僕は、ファラさんを見つめて言った。
「ああ」
ホルスさんが頷く。
「サラームの、その外道だ」
空気が、少しだけぴんと張り詰めた。
「いいか、まずはこの国の危機を救う」
ホルスさんは、指を折っていく。
「それが第一歩だ」
「オーガスは⸻」
と言いかけて、ホルスさんが首を振る。
「いや」
「今はヴェンドって名乗ってんだったな」
「色々と都合がいい」
ヴェンドさんが頷く。
「なので、今はヴェンドで呼んでください」
「了解だ」
ホルスさんは、少し肩を回した。
「慣れねぇけどな」
「それはこちらも同じです、ホルス」
ヴェンドさんが、わずかに口元を緩める。
「これからも、私はヴェンドとして日常を生きる」
「ギルドの仕事も、今まで通りにこなす」
「サラームから何か指示が来たら⸻」
深く息を吸い込む。
「ホルス、あなたに内密に知らせる」
「だが、接触はできねぇぞ、俺はバレない方が有利だ」
ホルスさんが念を押す。
「向こうからしたら、俺はとっくに死んだ奴だ」
「死んだままの方が、何かと都合がいい」
「分かっています」
ヴェンドさんが頷いた。
「連絡は……」
ホルスさんの視線が僕とファラさんに移る。
「ファラを通して、フライに頼む」
「いいか?」
「大丈夫です」
真っ直ぐ頷いた。
「あと、赤目の件だが」
ホルスさんが眉をひそめる。
「指輪は、もう使うな」
「命令だろうが何だろうが、二度とだ」
「いや、使えないのです」
ヴェンドさんが首を振る。
「正確には、しばらくは使えない」
「指輪は、魔力を溜めるのに時間がかかる」
「魔力を吸収するには、魔力を持ったモンスターとの接触が不可欠です」
「だから大型モンスターの討伐を見張ってたんですね」
「そうですね、その件ではフライ君を探るような真似をして、申し訳なかったです」
ヴェンドさんは素直に頭を下げた。
「いえ、いいんです」
僕は手を振って応えた。
ホルスさんは、少しだけ肩の力を抜いた。
「なら、その間にこっちも動く」
「奴らに勘づかれねぇよう、慎重にだ」
「ホルスたちは、どう動くつもりなのですか?」
ヴェンドさんが問う。
「そこだ」
ホルスさんが僕を見る。
「ヴェンド」
「これから起こることを、できるだけ細かくサラームに報告してくれ」
「全部だ」
「起こること……?」
「ああ」
ホルスさんは、ゆっくりと言う。
「まず、今王家を騒がせてるホップは⸻」
「ブラーヴ様……なんだな」
ヴェンドさんが言葉を継いだ。
その瞳の奥に、一瞬だけ複雑な感情が揺れる。
「そうだ」
ホルスさんの声が、少しだけ柔らかくなる。
「俺たちの目的は、ホップの救出だ」
「僕たちは、そのためにガルディアに来ました」
拳を握りしめながら頷く。
「旅してる理由って、ホップさんのことだったんだね」
ファラが、納得したように息を吐いた。
「こんな形で、打ち明けることになってごめん」
僕は小さく頭を下げる。
「いいの」
ファラが首を振る。
「フライのこと、信じてたから」
真っ直ぐ僕を見る。
「あなたは、嘘つかないから」
「ありがとう」
僕は、照れくさそうに笑った。
⸻
「これから、ホップの救出作戦を実行したら」
ホルスさんが、改めて口を開く。
「サラームは、黙ってねぇ」
「騎士団が動けるようになれば、必ず何かしらしてくると思う」
「まず、ヴェンドに指令が飛ぶはずだ」
「その時に⸻」
「俺たちも、一気に奴らを炙り出す」
「……なるほど」
ヴェンドさんが、静かに頷く。
「まず、こっちの目と耳の問題だが⸻」
そこで、目が合う。
僕は、こくりと頷いた。
「もう、隠す必要はないかもですね」
「ああ」
ホルスさんが笑う。
「ネールを呼んでくれ」
「はい」
「お父さん」
ファラがヴェンドざんに目を向ける。
「ここからのこと、びっくりしちゃダメだからね」
僕は、器から杖に向かって魔力を流す。
「〈〈テイムバンク〉〉」
足元に、白い魔法陣がふわりと浮かび上がる。
「ピィイイイイイイイ!!」
その中から、甲高い鳴き声とともに、ネールが現れた。
茶色い羽に、雷を思わせる青い模様。
翼の先から、ぱちぱちと小さな火花が散る。
(我は雷鳥! 空の支配者!)
胸を張って、ネールが空に向かって宣言する。
「ネールさん! お久しぶりです!」
ファラの顔がぱっと明るくなる。
(うむ、久しいなファラ)
ネールが誇らしげに頷いた。
「ファラに挨拶してるよ」
僕が、少し笑いながら通訳する。
「え?」
ヴェンドさんが、きょとんとした顔になる。
次の瞬間、ようやく現実が追いついたらしい。
「……雷鳥、だと……?」
目が飛び出しそうなほど見開かれる。
ホルスさんが、なぜか誇らしげに言った。
「そうだぞ、雷鳥だぞ?」
(うむ、私は雷鳥だ)
「いや、そうだぞ、じゃないですよ……!」
ヴェンドさんが頭を抱える。
「フライ、説明してやれ」
ホルスさんが目で合図する。
「えっと……僕、テイマーなんです」
僕は、少し照れながら頭をかいた。
「モンスターの心が、分かります」
ヴェンドさんが、ぽかんと口を開ける。
「冗談は寝て言えって言いたいところですが……」
さっき聞いた話と、目の前の光景が繋がる。
「何を言っているのか、本当に分かりません……」
「私も、最初はそうなったよね」
ファラが、くすっと笑う。
「でもフライは、嘘は言わないよ」
「この子たちは⸻」
僕の胸元から、ぷるん、と青い塊が飛び出した。
(ムーもいるのん!)
ぷるぷると揺れながら、ムーが挨拶する。
「フライの、仲間だよ」
ファラが胸を張る。
「従わせてるんじゃなくて、一緒に戦ってる」
ヴェンドさんは、しばらく何も言えなかった。
ただ、僕とネールとムーを交互に見つめる。
「……そうか」
やがて、何かを諦めたように、ぽつりと呟いた。
⸻
「さてと」
ホルスさんが、改めてネールの方を向く。
「ネール」
(聞いているぞ)
ネールが、翼を軽く広げる。
「サラームに飛んでほしい」
「城の様子でも、港でもいい、遠くからで構わねぇ」
「奴らの動きを、できる限り見てほしい」
(承知)
ネールが、真剣な声になる。
(船でもなんでも、サラームから出るものは全部報告しよう)
「少し長い飛行と滞在になるかもしれねぇが、大丈夫か?」
(ふっ、問題ない)
(我が翼にかけて、必ずや果たそう)
(動きがあれば、その都度フライに伝える)
「だそうです」
僕は、ネールの言葉を通訳する。
「ネールさんなら、山も海も越えられます」
「距離は問題にならないはずです」
「心強いな」
ホルスさんがうなずいた。
「ヴェンド」
「お前は、サラームから何かあれば裏の動きを知らせろ」
「ネールは、外から奴らの手を探る」
「ファラとフライは、ギルドでいつも通り、ハンターとして振る舞ってくれ」
「俺たちの連絡係も兼ねてだ」
「はい」
僕とファラがきゅっと拳を握る。
「ホップを助けるためなら、なんでもやります」
「よし」
ホルスさんが、全員を見回す。
「俺の感が正しけりゃ、奴らは必ずガルディアへ動いてくる」
「この十八年の借りは、必ず返す!」
夕陽が、完全に山の向こうへ沈もうとしていた。
僕たちは、それぞれの胸に灯った覚悟を抱えながら、その日に向けて準備を始めた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
次話も読んでいただけると嬉しいです。




