第四十二話 探すべき道
翌朝。
窓から差し込む朝の光で、眠りから覚めた。
顔を洗い、荷物を簡単に整える。
ホルスさんの部屋の前まで行って、ノックしようとして、手が止まった。
扉の前には、すでに不在を示す小さな木札が下がっている。
(……ホルスさん、もう出かけてるのか)
小さく伸びをした。
「よし、僕も行こう」
⸻
朝のガルディアは、昨日と同じようでいて、どこか違う様子だった。
市場では、魚や野菜を積んだ台車が行き交う。
城へ向かう兵士たちの列も、いつも通りに見える。
けれど。
(……なんか、ざわついてる気がする)
ハンターギルドへ近づくにつれ、そんな感覚が強くなっていった。
ギルドの建物の前には、いつも以上にハンターたちがたむろしている。
入口付近からは、声がいくつも重なって聞こえてきた。
「いったい誰が……」
「状況からして、数名のベテランだろうな」
「でも、そんなパーティーあったか?」
「だよなぁ」
(これって、たぶん……)
恐る恐る、その輪に近づいていく。
「あの、すいません」
近くにいたハンターに声をかけた。
「何か、あったんですか?」
「ん?」
振り向いたハンターが、僕の顔を見る。
「おー、昨日の魔杖使いじゃねぇか」
隣のハンターが、腕を組みながらこちらを見る。
「いやな、実は昨日話した赤目キマイラが、誰かに討伐されたんだとよ」
「……っ」
僕は、動揺しないように意識した。
「状況から察するに、ベテランの凄腕少なくとも五名以上」
「ルミナストーン目当てじゃねぇかって噂だ」
(もう、噂になってる……)
僕は、無理やり笑顔を作る。
「そ、そうなんですね、すごいですねー……」
「すごいなんてもんじゃねぇよ」
ハンターが、真顔で首を振る。
「まずキマイラってだけで、この辺りで戦おうってバカなハンターはいねぇ」
「その強化個体だぞ?」
「魔法で首が吹っ飛んでたそうだ」
「凄腕だろうな」
「いや、五人でも厳しい、十人以上かもな」
隣の男が続ける。
「並のハンターじゃ、そんな威力の魔法は打てねぇ」
僕は、返事に困って口をぱくぱくさせた。
その時だった。
二階の方から、やけに通る声が響いた。
「フライさーーーーーん!!」
ギルドの中に、少し切羽詰まったような声が響く。
「ちょちょちょちょっと、来てください!」
「は、はい!」
僕は、思わず背筋を伸ばして返事をした。
周囲の視線が一瞬だけ集まり、すぐに散っていく。
慌ててギルドの外へ出ると、建物の脇の少し人目の少ない場所で、ファラさんがそわそわと足踏みしていた。
「やばいです」
僕を見るなり、ファラさんがズイッと距離を詰めてきた。
「口が滑りそうです」
「それは困ります!」
僕が即答する。
「でも、いつも滑ってます!」
ファラさんが、僕のツッコミに頭を抱えた。
「キマイラ討伐がベテランパーティーってことになってるのはいいんですが」
「私、話誤魔化すの実は意外と苦手なんです!」
「知ってます」
「へ?」
一瞬きょとんとしてから、すぐに首を振る。
「正直、知らんぷり決め込むつもりでいたんです」
ファラさんが、ギルドの方をちらりと振り返る。
「でも、事がだんだん大事になりつつありまして」
「たしかに、中がざわざわしてましたもんね……」
「ええ」
ファラさんが、眉をひそめる。
「私だから、あんまり本気で信じてもらえないとは思うのですけど」
「お父さんは、別です!」
「色々聞かれると、私──」
両手で自分のお腹を押さえる。
「……吐いちゃいます!」
「!?……は、吐かないでください!」
思わず叫ぶ。
(ファラさんの正直者が、こんなところで……)
「お父さん、実はここの勤務で」
「それのお手伝いでヒーラーが足りないと言われて、ハンターのお仕事をしているんです」
ファラさんが、少しだけ誇らしげに胸を張る。
「名前は……」
その瞬間。
僕の胸の奥で、嫌な予感が鋭く響いた。
聞きたくない、知ってはいけない、そんな感覚が背筋を駆け上がる。
「ヴェンドって言います」
ファラさんは、何気ない調子で言った。
僕は、絶句し、息を吸うのも忘れて、ファラさんを見つめる。
「な……」
そう言いながら数歩後退りする。
「フライさん?」
ファラさんが首をかしげる。
「ボケた顔……いえいえ、ボケーっとしてどうしたんですか?」
「いえ」
僕は、かろうじて言葉をひねり出した。
「ちょっと、すいません……帰ります」
「へ?今のこの状況どうするんですかー!?」
「本当に、すみません」
それだけ言って、僕はくるりと背を向けた。
ファラさんの戸惑った声が、背中越しに追いかけてくる。
ちらりと振り返ると、ファラさんが不安そうな顔でこちらを見ていた。
胸元の小袋、キマイラのルミナストーンを、ぎゅっと握りしめながら。
(ごめん)
心の中でだけ呟いて、僕は足を速めた。
⸻
宿へ戻る道の途中で、足が自然と止まった。
ホルスさんの部屋を覗いてみたが、やはりそこに姿はない。
落ち着かない気持ちのまま、僕は宿を出て、近くの小さな広場へと歩いていった。
石畳の中央には、古い噴水。
その周りを囲むように、木製のベンチがいくつか置かれている。
そのうちの一つに腰を下ろした。
(ほんとうに……)
パンの声が、胸の器で小さく響く。
(とんでもないことになっちゃったね)
パディットが、続いて言う。
(とんでもない、どころじゃねぇ)
(フライ、大丈夫なのん?)
ムーの、不安そうな声。
「……」
僕は、目の前の景色を見ているようで、何も見ていなかった。
頭の中が、真っ白になる。
ファラさんと並んで戦った川辺。
命の重さを語った、ファラさんの真っ直ぐな目。
(ファラさんは、優しい)
(命を重んじるヒーラーで、ちゃんと怖がれるハンターで)
(あの子が、守りたいって思ってる家族が──)
ヴェンド。
今最重要で調べないといけない人。
ホルスさんが疑っている人。
(ホップのためにも……僕は……)
ホップの笑顔。
ファラさんの笑顔。
全部がぐちゃぐちゃになって、胸の中で渦を巻く。
(今、このベンチから立ち上がって)
(全部投げ出して、アルミ村に帰っちゃえば)
(どれだけ、楽なんだろう)
そんな考えが、一瞬だけ頭をよぎる。
すぐに、自分でその考えを打ち消した。
「……誰か」
僕は、かすれた声で呟いた。
「嘘だって、言って」
この先に待っている未来は、うすうす分かっている。
どうあっても、ヴェンドと向き合う流れになる。
その先にあるのは、ファラさんとの対立かもしれない。
残酷すぎる。
でも、ホップは。
噴水の音が、やけに大きく聞こえた。
その時。
「フライじゃねぇか」
聞き慣れた声が、ふいに聞こえた。
顔を上げると、フードを深くかぶった男が立っている。
ホルスさんだった。
「ギルドへは行ったのか?」
「……」
僕は、何も言えずに俯いた。
「おい、何があった?」
ホルスさんの声が、少しだけ低くなる。
「ヴェンドが」
僕は、唇を震わせながらようやく言葉を絞り出した。
「ファラさんが……」
喉の奥が、きゅっと締めつけられる。
「……ここじゃ、まずいな」
周囲を一度見回し、僕の肩に手を置く。
「宿に行くぞ」
そのまま、半ば引っ張るようにして歩き出した。
⸻
宿のホルスさんの部屋。
ホルスさんは、フードを外して椅子に腰を下ろすと、僕に向き直った。
「で」
じっと目を見つめる。
「何があったんだ、しっかりしろ」
僕は、握った拳に力を込めた。
「ファラさんのお父さんが……」
一度喉が詰まり、それでも続ける。
「ヴェンドって名前でした」
「……そうか」
「じゃあ、あの時のガキは……」
ホルスさんは、目を閉じて深く息を吐いた。
膝の上で握った拳が、わずかに震える。
しばらくしてから、静かに目を開いた。
「そうか、じゃありませんよ!」
思わず声を張り上げた。
「そんな、簡単に言うんですか、ホルスさんは!」
ホルスさんが、次の瞬間には、椅子をきしませながら立ち上がっていた。
「……しっかりしろ」
低く、けれどはっきりとした声。
「お前の気持ちも分かる」
ホルスさんは、言葉を選ぶように続けた。
「ただな、これは現実だ、目ぇ逸らすな」
「時に事実は、残酷さを突きつけてくんだよ」
「それも覚悟しねぇと、守りてぇもんは、守れねぇんだ」
ホルスさんは、拳を握りしめた。
「分かってます……分かってます、でも……」
僕は、震える声で答える。
「ファラには、どこまで言った?」
「何も、言ってません」
僕は、首を振った。
「頭が真っ白になって、気がついたら宿に戻ってました」
「……そうか」
ホルスさんは、小さく頷いた。
「できることは、一つだ、フライ」
まっすぐに名前を呼ぶ。
「確認する、真実を、その先に何があるか」
僕は、ホルスさんを見つめた。
「ホルスさんも、分かっているでしょう」
「ああ」
短く答える。
「分かってる上で、それでも進まなきゃいけねぇんだ」
ホルスさんは、僕の目を見て言う。
「無理ですよ、僕には、そんな……」
掠れた声で言う、その瞬間⸻
パンッ、と乾いた音が部屋に響いた。
ホルスさんの平手が、僕の頬を打っていた。
「……っ!」
視界が、一瞬揺れる。
「しっかりしろっ!」
ホルスさんが、怒鳴った。
「お前がふにゃふにゃしてる間に、ホップはどうなんだよ!?」
「……」
僕は、頬に手を当てたまま俯いた。
「理不尽を、乗り越えろ」
ホルスさんの声は怒りを含みながらも、どこか震えていた。
「どんな結果になるかは、分からねぇ」
拳を握りしめる。
「それでも、お前はホップを助けに来たんじゃねぇのか!」
「ホップ……」
ホップが笑っていた日々。
同時に、ファラさんの笑顔が頭に浮かぶ。
川辺で震えながらも、火傷を治してくれた手。
死なせたくないです、と言ってくれた声。
「僕は……」
ゆっくりと顔を上げた。
「守りたい」
唇を噛みながら、はっきりと言う。
「ホップと」
少し間を置いて。
「それに、ファラさんと……」
ホルスさんは、黙ってその言葉を聞いていた。
「今は、それでいいんだよ」
低い声で、ぽつりと言った。
「俺たちは突きつけられた状況に、真剣に向き合って、その中で最善を選ぶしかねぇ」
ホルスさんは、窓の外に目を向ける。
「道は、どこに続いてるかは分からねぇけど、きっとある!」
「……ありますかね」
小さく呟く。
ホルスさんが、きっぱりと言い切った。
「探すんだよ、足掻いて、もがいて、それでも息して、歩いてくんだ」
その言葉が、胸の奥にじわりと広がっていく。
「探す……」
繰り返すように呟いた。
「ああ」
ホルスさんは頷く。
「今は探るしかねぇ」
「ファラに、もう一度会えるか?フライ、お前にしかできねぇぞ」
「……」
器の中から、いくつもの声が響いた。
(フライ、その通りだと思うよ)
パンの声。
(ああ)
パディットが、静かに続ける。
(道はある、救いもある)
(オレがそうだったようにな)
(ムーは)
ムーが、小さく跳ねる。
(フライについていくのん)
(みんな……)
僕は、目をぎゅっと閉じた。
(ありがとう)
ゆっくりと目を開く。
「……会います、探します、道を」
胸に手を当てる。
「大好きなみんなが、笑える未来を」
ホルスさんの口元に、わずかな笑みが浮かんだ。
「それでいい、今動かないと一生後悔する、そんな局面だぞ」
「はい、大丈夫です」
僕は、大きく息を吸い込んだ。
頬の痛みを、改めて感じる。
それが、覚悟の印みたいに思えた。
「“最善”を、選びに行きます」
⸻
部屋を出ると、廊下の窓から朝の光が差し込んでいた。
まだ時間は、ある。
けれど、のんびりしている余裕はない。
「行こう」
小さく呟いた。
宿の階段を降り、外へと向かう。
最善を探しに、ハンターギルドへ。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
次話も読んでいただけると嬉しいです。




