第四十話 平野の赤い目 後編
平野に風が吹き抜けて行った。
その先に異常な魔力、赤目のキマイラがこちらを睨みつけていた。
「来ます!」
ファラさんの声とほぼ同時に──
(でっかい魔力がくるのん)
ムーの魔力が、一気に膨れあがった。
フライの足元から、むくむくと水の塊がせり上がる。
(〈〈ウォーターシールド〉〉なのん!)
辺りの湿気、川の水面から上がる水蒸気までもがかき集められ、透き通った巨大な水の壁となって目の前に立ちはだかった。
その瞬間、キマイラの獅子の頭が、大きく口を開いた。
赤い目がぎらりと光る。
空気が吸い込まれ、灼熱の炎が、一直線に吐き出された。
熱風の唸りとともに、炎の奔流がムーの水の壁に激突する。
水が一気に蒸発し、水蒸気が視界を覆った。
(炎なら、なんとか止められるのん……!)
ムーの体が、じりじりと熱で削られていく感覚が伝わってくる。
「ムー……!」
(大丈夫なのん!まだいけるのん!)
水の壁は、ぎりぎりのところで炎の奔流を押しとどめていた。
「助かった!」
僕が叫ぶより早く、パディットが地面を蹴った。
(行くぞ、赤目!)
パディットが脚を弾かせ、疾風の如きスピードで、キマイラの懐へ飛び込んだ。
鋭い前脚を振りかぶる。
全体重を乗せた爪の打撃が、キマイラの脇腹に叩き込まれた。
鈍い手応えとともに、黒い血が吹き出す。
「グルァァァァァァ!!」
獅子の頭が咆哮を上げ、体をよじる。
だが、その時──
しなる尻尾の先。蛇の細い目が、赤くぎらりと光った。
「シャアアアアアアアア!!」
甲高い鳴き声とともに、蛇が口を開く。
周囲の風が、蛇の口元に集まり、ぎゅうぎゅうと圧縮され、見えない球体となった。
(むっ)
ネールの目が細くなる。
(させんぞ!)
ネールが空中でくるりと旋回し、素早く器から魔力を引き出す。
(〈〈エクレール〉〉)
空に走る白い雷光が、蛇の口元へ向かって放たれる。
同時に、蛇の口からも圧縮された風が解き放たれた。
目に見えない風の砲弾と、雷の槍が正面から激突する。
爆ぜた衝撃波で砂塵が舞い上がる。
僕のローブがばたばたと煽られた。
(ここにいるファラには──)
ネールが翼を大きく広げ、ファラさんの頭上を覆うように飛ぶ。
(傷一つ、付けさせん!)
「助かりました、ネールさん!」
ファラさんが顔を上げる。
「ありがとう!」
(礼には及ばぬ)
⸻
「支援します!」
ファラさんが両手を前に突き出し、短く詠唱する。
「〈〈ストライクパワー〉〉」
柔らかな光が、パディットの体を包んだ。
(お?力が……乗るな)
筋肉の奥から、さらにもう一段階ギアが上がるような感覚。
「パディットさん、力を引き出せるようにしました!」
「行ってください!」
(いいぞ!これなら!)
パディットが、黒い血が滴る脇腹めがけ鋭い牙を突き立てる。
肉が裂ける感触とともに、キマイラの脇腹の一部が、ごっそりと噛みちぎられた。
「グルォアアアアア!!」
獅子の頭がのけぞり、山羊の頭が狂ったように叫ぶ。
「行ける!」
僕は、すかさず詠唱に入る。
「〈〈スパークフレア〉〉」
噛みちぎられた傷口を狙って、電気を帯びた炎弾を叩き込んだ。
炎だけなら纏わりついて流されてしまったかもしれないが、そこに混ざる雷が、内部から肉を弾く。
「ギャアオオオオオオオン!!」
キマイラの絶叫が、川辺に響き渡った。
(……やっぱり)
歯を噛みしめる。
(炎だけなら、ほとんど効かない)
(でも、雷が混ざると、明らかに通り方が違う)
「すごい連携ですね……」
ファラさんが、思わず呟いた。
「こんな戦闘、初めてです」
(まだまだなのん)
ムーが小さく跳ねる。
(足元、縛るのん)
(〈〈アイシクルバインド〉〉なのん!)
キン、と冷たい音がして、キマイラの足元から一気に氷の柱が伸びる。
地面を割って飛び出した氷が、キマイラの脚を絡め取った。
氷が締まり、キマイラの動きが止まる。
しかし──
今度は山羊の頭の赤い目が光った。
「メェエエエエエエエ!!」
甲高い咆哮が、地面を震わせる。
次の瞬間、足元の大地がぐらり、と大きく揺れた。
「うわっ!?」
足がとられる。
地面にひびが入り、氷の柱が音を立てて砕け散った。
キマイラは、その隙を逃さず翼を広げ、空へと羽ばたく。
強烈な風圧が地上に叩きつけられた。
「飛んだ……!」
ネールが、くいっ、とクチバシの端を上げる。
(空を飛ぶか)
(では、空中戦と洒落込もう)
翼に雷光を走らせながら、ネールがキマイラを追うように空へと舞い上がる。
「ネールさん!」
ファラさんが、即座に杖をかざした。
「〈〈ストライクパワー〉〉」
「物理強化です!」
(承知!)
ネールの爪先に、力が満ちる。
(魔法に強い)
(ならば、叩き落とすまで)
空中で、キマイラの大鷲のような鉤爪と、ネールの鉤爪がぶつかり合った。
火花が散る。
(ほう)
ネールが、目を細める。
(力はあるとな)
(だが──)
「ピィイイイイイイイイ!」
ネールが高く鳴いた瞬間、体中に電撃が走る。
(これではどうかな?)
(〈〈エレクロー〉〉)
ネールの鉤爪から放たれた雷が、キマイラの鉤爪を伝って、そのまま翼へと走った。
竜の羽根に雷光が走り、筋肉を焼く。
羽ばたきが一瞬止まり、キマイラの巨体が、重力に引きずられて落ちていった。
「やっぱり弱点は雷か!」
ネールは高度を保ちながら、冷静に見下ろす。
(他愛もない)
凄まじい音を立てて、キマイラが地面に落下した。
砂煙が舞い上がる。
⸻
僕は、砂煙の中へ目を凝らす。
すでにパディットは、着地したキマイラの頭の近くに回り込んでいた。
(まだ動くか……!)
キマイラの山羊の頭が、ぎょろりとパディットを睨む。
真っ赤な目がぎらぎらと燃えていた。
その刹那。
獅子の頭が、大きく口を開き獄炎が放たれる。
「っ──!」
ムーのウォーターウォールは、先ほどの一撃でかなり薄くなっていた。
(やばいのん!)
再び水を集めて壁を作るが、さっきほどの厚さはない。
それでも、ムーは必死に広げた。
(〈〈ウォーターシールド〉〉なのん!)
炎と水がぶつかり合い、今度はわずかに炎が勝った。
ビュッと細くなった炎の一部が、フライの腕をかすめる。
「っ……!」
熱が走り、皮膚が焼ける匂いがした。
「フライさん!」
ファラさんが、すぐさま駆け寄る。
「見せてください!」
「大丈夫です……これくらい──」
「ダメです!」
ファラさんが、ぴしゃりと言い切る。
「戦闘中の小さな傷が、一番命取りになるんです!」
顔を近づけて腕を確認し、すぐに詠唱に移る。
「〈〈リール〉〉」
淡い光が、フライの腕にふわりと触れた。
じんわりとした温かさが傷口を包み込み、ひりつく痛みが和らいでいく。
赤くなっていた皮膚が、少しずつ元の色を取り戻していく。
「……ありがとうございます」
「痛みが、ほとんどなくなりました」
「もし傷ついたら、すぐ回復します」
(助かった)
パディットが、ちらりとムーに礼を送る。
(ギリギリだった、助かった)
(ムーも、がんばるのん)
⸻
砂煙が晴れていく。
キマイラは、確かに大きなダメージを受けているはず、だった。
「……なんだ?」
パディットが、目を細める。
さっき噛みちぎったはずの脇腹の肉が。
ずるずる、と逆流するように盛り上がっていく。
黒い血が、傷口へと戻っていく。
裂けた肉が、ぬるりと塞がっていく。
「再生まで……するのか……」
僕は驚きの表情で言う。
(やばいのん)
ムーが小さく震える。
(これ、普通じゃないのん)
「……かもしれない」
ファラさんが、ぽつりと呟いた。
(む?)
ネールが、空からその声に反応する。
しかし、その前に──
「グルォオオオオ!!」
再び体勢を立て直したキマイラが、低く唸りながら僕に向かって突っ込んできた。
「く、来る!」
(行かせるか!)
パディットが、即座に飛び出す。
両者の巨体がぶつかり、土が大きくえぐれた。
爪と爪がぶつかり合う。
鍔迫り合いの中で、キマイラの鉤爪がパディットの肩を掠めた。
「ガウッ!」
血が飛び散る。
「パディット!」
ファラさんが、目を見開く。
「すぐ行きます!」
駆け寄りながら、再び杖をかざした。
「〈〈リール〉〉」
淡い光が、今度はパディットの肩を包む。
みるみるうちに傷口が閉じていく。
(……さすがに強いな)
パディットが息を吐く。
⸻
「フライさん!」
ファラさんが、ぱっと顔を上げる。
「キマイラは、多分頭を同時に攻撃しないと倒れません!」
「……え?」
「キマイラと戦ったことがあるベテランハンターが言っていたのを思い出しました!」
息を整えながら続ける。
「必ず大人数の編成で行ってましたし確かかと!」
「獅子と山羊、蛇」
「全部同時に叩かないと、何度でも起き上がるのか……!」
「だから、再生を……」
背筋に、冷たい感覚が走った。
「みんな!」
僕は器に声を飛ばす。
(キマイラを同時に攻撃する!)
(ネールは尻尾の蛇!)
(僕とムーは獅子!)
(パディットは山羊だ!)
(了解)
パディットの目がぎらりと光る。
(わかったのん)
ムーが頷く。
(承知!)
ネールも頷く。
「ファラさん、みんなで同時に攻撃します!強化魔法おねがいします!」
ファラさんは辺りを見回した。
「わかりました、任せてください!」
その場の空気が、一瞬静まり返った。
互いに間合いを取り合いながら、それぞれ魔力を溜め始める。
それを察したかのように、キマイラの三つの頭も、同時に魔力を溜め始めた。
獅子の喉に炎。
山羊の足元に大地のうねり。
蛇の口元に風の渦。
「……っ」
やり取りする時間は、もうない。
「ファラさん!」
僕が叫ぶ。
「魔力、もう一段階──!」
「分かってます!」
ファラが、息を吸い込む。
「〈〈マイトマインド〉〉」
温かい光が、全員の胸に、すっと入り込んでくる。
さっきまでとは比べものにならないほど、魔力の流れが滑らかになる。
「魔力強化のバフです!」
ファラさんが叫ぶ。
「全員にかけました!」
ムーが、目を丸くする。
(魔力がわいてくるのん)
パディットが唸る。
(体が……熱い)
ネールが大きく翼を広げる。
(我が最大の雷)
(受けてみるがいい──)
キマイラの三つの口が、同時に大きく開いた。
「グッォオオオオン!」
「メエエエエエエ!」
「シャアアアア!」
炎。
土塊。
風。
三属性のブレスが、一斉に溜め込まれていく。
「──行くぞっ!」
僕が叫ぶと──
(〈〈アイシクルブレス〉〉なのん!)
ムーが、獅子の顔全体を覆う勢いで、青白い冷気を吐き出した。
獅子の頭が、瞬く間に氷に覆われていく。
「〈〈スパークフレア〉〉」
それを見て僕が、すかさず雷を帯びた炎弾が、獅子の頭めがけて放つ。
(〈〈ハイ・エレク〉〉)
パディットが、山羊の頭に、最大級の雷撃を叩き込む。
山羊の角から体内へ、全身を駆け巡る雷。
さらに──
(もう一丁!)
パディットが、雷の勢いをそのまま前脚に乗せる。
鋭い爪で、山羊の頭を横から弾き飛ばした。
(〈〈ネオ・エクレール〉〉)
ネールが空中から叫ぶ。
それまでの雷とは比べものにならない、太い稲妻の柱が、蛇の頭めがけて真っ直ぐ落ちた。
蛇が溜め込んでいた風の魔力ごと、黒焦げにする勢いで。
その瞬間──
時間が、ひと呼吸だけ止まったように見えた。
まず、獅子の頭が。
ムーの氷にすっぽりと包まれたあと、内部から僕の雷炎に貫かれ、一気に爆ぜる。
氷と肉片と炎と雷が、同時に弾け飛んだ。
同時に。
パディットの雷と爪の一撃を受けた山羊の頭が、骨ごと砕けて吹き飛ぶ。
そして──
ネールの稲妻が、蛇の頭と尻尾を貫いた。
焼け焦げた匂いとともに、蛇の身体が黒く炭のようになっていく。
川辺の空気が、一瞬、静まり返った。
次の瞬間。
キマイラの巨体が、ぐらりと傾いた。
地面に、ゆっくりと、しかしどうしようもない重さで倒れ込む。
砂煙が、空高く舞い上がった。
⸻
静寂。
「……」
僕は、自分の肩で上下する呼吸を意識しながら、その場に立ち尽くした。
キマイラは動かない。
赤く狂っていたはずの目も、もうどこにも見えなかった。
「やりましたね」
かすれた声で、呟く。
「ふぁぁぁぁ……」
隣で、ファラさんが膝に手をつきながら深呼吸した。
「こわかった……」
小さく言ってから、すぐに顔を上げる。
「いえ、やりましたね!」
今度は、しっかりと笑っていた。
(ありがとう、みんな)
パディットが、ゆっくりと息を吐く。
(本当に……よかった)
(赤目は)
少し間をおいて。
(苦しすぎる……)
その声には、かつて自分もそこにいた者の重みがあった。
(ファラが倒し方教えてくれなかったら)
ムーが、ぷるぷるとその場で飛び跳ねる。
(倒せなかったのん)
(そうだな)
ネールが、誇らしげに翼をたたむ。
(今日の立役者は、ファラといったところ)
「みんな」
僕が、少し笑いながらファラさんの方を向く。
「ファラさんのおかげだって、言ってますよ」
「え?」
ファラさんが、きょとんと目を瞬かせる。
「そんな……」
頬が、少し赤くなった。
「みんな、本当にフライさん中心になって、仲間なんだなって思いました」
「私、テイマーのこと、誤解してたかもしれない」
「誤解?」
僕は首を傾げる。
「だってテイマーって」
ファラさんは、少し言いにくそうに視線を泳がせた。
「悪い奴……いえ」
「なんていうか、仲間っていうより従わせるって感じだと思ってたから」
「僕たちは」
胸元に手を当てた。
「主従っていうか、友達なんですよ」
「みんながみんなのために、力を貸して」
「ここまで来ました」
「……素敵ですね」
ファラが、小さく笑う。
「いえ」
「本当に、素敵です」
⸻
「ファラさん」
ふと思い出したように、口を開いた。
「ところで、このことって……」
「報告、しますか?」
「このこと?」
ファラさんが、首を傾げる。
「赤目キマイラ討伐の件ですか?」
「はい」
「さぁ……勝手にいなくなったんじゃないんですかね?」
ファラさんが、わざとらしく目をそらした。
「知りませんよ?」
「……」
僕は、一瞬だけ固まってから、ふっと笑った。
「ありがとうございます」
「助かります」
「どういたしまして」
ファラさんは、小さく肩をすくめる。
「こんな話、誰かに言ったって」
「ファラがまた変なこと言ってるって言われるだけですし」
「それは……」
僕は、ちょっと申し訳なさそうに笑った。
「それだと、助かります」
⸻
長い戦闘の末。
僕たちは、ガルディアの平野に出現した赤目のキマイラを倒した。
「戻ろうか」
僕は、川辺を一度振り返ってから、ファラさんに向き直った。
「はいっ」
ファラさんが頷く。
「ガルディアに、帰りましょう」
パディットとネールを順番にテイムバンクで牧場に戻してから、ガルディアの方へと歩き出した。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
久しぶりのボス戦闘でした、これまでよりモンスターを多く登場させられて書いていて楽しいです。
次話も読んでいただけると嬉しいです。
キマイラ(BOSS)
大きさ:5m
三位一体の合成獣:獅子頭(炎)、山羊頭(地)、蛇尾(風)
生息:平野、森、丘
魔力:炎、地、風
属性ブレス:フレイムブレス、ダートブレス、ウィンドブレス
前脚の鉤爪と黒翼での飛行攻撃を行い、高い再生能力を持つ




