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第三十三話 今できる最善

 治療所の扉の前に立つと、小さく深呼吸してから扉を開けた。


 受付のカウンターには、眼鏡をかけた女性が座っていた。


「おはようございます」


 僕は、カウンターに近づいて頭を下げる。


「昨日、モンスターとの戦闘で運ばれてきた、ホルスさんの……同行者です」


 受付の女性が、手元の帳簿をぱらぱらとめくる。


「ああ、ホルスさんですね」


「はい」


 眼鏡の奥の目が、こちらを見た。


「意識は戻られた、とのことです」


「……!」


 胸が、一気に軽くなった。


「よかった……!」


 思わず、その場で膝から崩れそうになる。


 受付の人が、少しだけ笑った。


「今は、あそこの一番奥の廊下をまっすぐ進んで、緑の札が掛かっている部屋にいらっしゃいます」


 壁を見ると、確かに部屋ごとに赤や青や緑の札がぶら下がっている。


「ありがとうございます!」


 もう一度礼を言って、僕は言われた方へと向かった。



 廊下の突き当たり。


 緑の札が揺れている扉の前で、一度だけ息を整える。


 コンコン。


 軽くノックすると、すぐに中から返事が返ってきた。


「……どうぞー」


 ホルスさんの少し掠れた声。


 僕は、そっと扉を開けた。


 部屋の中には、ベッドがひとつ。


 その上に、上半身を少し起こしたホルスさんがいた。


 脇腹には分厚い包帯、その上から軽く布団がかけられている。


「……ホルスさん」


「おう」


 ホルスさんが、口の端を上げる。


「まいったわ」


 そう言って、空いてる方の手で頭をかいた。


「ちょっと、動けそうにない」


「意外と深手だったみたいでな」


「すまんが、今日だけでも休むことになりそうだ」


 僕は、首を振る。


「本当に心配しました……無事でよかったです」


「傷を治す方が、ずっと大事ですから、今日は休んでください」


「焦っても……多分、いい結果にはならないですし」


 口にしながら、昨日のことを思い出す。


「……ん?」


 ホルスさんが、じっとこちらを見た。


「なんか、落ち着き方が変わったな」


「え」


 思わず、間抜けな声が出てしまう。


「昨日の戦闘と、ホルスさんの怪我を見て思ったんです」


「戦うこと、守ることには、覚悟がいるって」


「全部うまくいくとは限らないし、誰かが傷つくこともある」


「でも──」


 拳をぎゅっと握る。


「今の自分にできる最善で動けていれば」


「それなら、後悔はしないって」


「……そう思ったんです」


 ホルスさんが、目を細める。


 それから、ふっと笑った。


「お前、村を出た頃と比べたら、だいぶ成長したな」


「……そうですか?」


「自分では、あんまり分からないです」


「まぁ、そういうもんだ」


 ホルスさんが、枕に頭を預け直す。


「今は、俺がヘマしたせいで動けねぇ」


「だから、せめてちゃんと休むって仕事だけは、きっちりやっとくわ」


 わざとらしく、肩をすくめる。


「……少し寝る」


「また明日、来てくれ」


「はい」


 僕は、扉の前まで下がってから、振り返った。


「ホルスさん」


「……なんだ」


「その」


「生きてて、よかったです」


 ホルスさんが、ちょっとだけ目を逸らした。


「こんなとこで死ねねぇからな」


「ホップの親父としても、お前の監督役としてもな」


 その言葉を聞いてから、僕は静かに部屋を出た。



(ホルス無事そうでよかったのん)


 治療所を出たところで、ムーの声が響いた。


(まだちょっと痛そうだったけど)


(うん)


 朝の光が、街の石畳を照らしている。


「これから、どうしようか?」


(目立つのはよくないのん)


 ムーが言う。


(フライも休むのん)


(そうだね)


 宿に戻ってゆっくりするのも一つ。


 そう思ったその時──


(その前に)


 パディットが匂いを嗅ぎながら言う。


(その血の匂いだけでも、なんとかしといた方がいいな)


(臭い?)


 思わず自分のローブの袖を嗅いで、顔をしかめる。


(……やっぱり)


(そりゃな)


 パディットが、ちょっと呆れたように笑う。


(野営続き、連日の戦闘、とどめにドラワムの泥と血)


(服ボロボロだし、ローブもあちこち穴あいてる)


(ムーも、血の匂いが気になってたのん)


(……うん)


 改めてローブの裾を見下ろす。


 泥のシミ。

 火の粉で焼けた小さな穴。

 乾いた血の色。


 これまでの旅の凄まじさが、そのまま服にそのまま残っていた。


「じゃあ、装備を整えよう」


 僕は、軽く頷く。


「お金は……」


 腰袋を確かめる。


 ルミナストーンが、いくつか。


「まぁ、大丈夫そうだね」


「ドラワムから出た分もあるし、いざとなったら魔法屋で換金しよう」


(でも、くれぐれも目立たないようにな)


 パディットが念押しする。


(分かってる)



 商業の通りは、朝から活気があった。


 物を売る行商人の声が飛び交う。


 武具屋の前では、鎧姿の者たちが剣を試し振りしていて。


 道具屋の軒先には、見慣れない道具やポーション瓶がずらりと並んでいる。


 やがて、少し地味な木の看板が目に入る。


 杖と、本と、魔法陣が簡単に描かれたマーク。


「……魔法屋、かな」


 ガラス越しに中を覗くと、魔杖らしきものや巻物、本、ルミナストーンが雑多に並んでいるのが見えた。


「行こうか」


 そっと扉の取っ手に手をかける。


「お邪魔しまーす」


 中は、少し埃っぽい匂いがした。


 天井からは古びたランプがぶら下がり、棚には所狭しと魔杖や本が詰め込まれている。


 壁際には、色とりどりのルミナストーンが、小さな箱に分けて置かれていた。


 店の奥から、若い女性が顔を出す。


「いらっしゃいませー」


 ゆるくまとめた緑髪。

 ローブの裾にはところどころインクの染み。


「ハンターさんですか? 最近、お客さんが増えてめんど……」


 と言いかけて、慌てて口を両手で押さえた。


「じゃなくって!」


「いや、ほんと、助かってます!」


 無理やり笑顔を作る。


(なんか……)


 パンが、ちょっと苦笑した。


(大丈夫かな、この人)


(つい口が滑ってるのん)


 ムーも少し不安そうに言う。


「あの」


 僕は、腰袋から小さな布包みを取り出す。


「ルミナストーンの買取って、可能でしょうか?」


「できますよ!」


 女性は、ぱっと目を輝かせた。


「査定は、てきと……」


 また危ないところで言葉を飲み込む。


「じゃなくって、しっかりやりますよ、しっかり!」


「……そ、そうですか」


 ちょっと不安になりながらも、布包みを差し出す。


 中には、ルミナストーンがいくつか。


「ふむふむ」


 女性は石を手にとって、光にかざしてじっと覗き込む。


「質がいいですね、これ」


「結構高くいけそうです」


「よかったです」


 僕が胸を撫でおろすと、女性はカウンターの奥から小袋を取り出した。


「それじゃ、これが買い取り金額になります」


「ありがとうございま──」


「こらぁぁぁぁぁ!!」


 突然、店の奥から怒鳴り声が響いた。


「ファラぁぁぁ!!」


 カウンターの後ろの扉が、勢いよく開く。


 中から、小柄なおばあちゃんがずかずかと出てきた。


 背は低いけれど、目がやたら元気で、腰にはどっしりした革のポーチをぶら下げている。


「アンタ、また適当に見積もってんじゃないだろうね!?」


「え、えーと」


 ファラさんが、あからさまに目をそらした。


「てきと……」


「ちゃんとやりました……?」


「すぐ適当なことするんだから、この子は」


 おばあちゃんは、僕の持ってきたルミナストーンに目をやる。


「で、どれだい?」


「これ、です……」


 ファラさんが買い取ったルミナストーンを指さす。


「ふむ」


 おばあちゃんは石を摘み上げ、光に透かして見た。


「おー、結構いいじゃないか」


「で、ファラはこの値段で出そうとしたのかい?」


「は、はい」


「バーカでねぇか!」


 おばあちゃんが、軽くファラさんの頭を小突く。


「あと二倍は渡しな!」


「店の信用に関わるだろが!」


「だってー」


 ファラさんが、頭を押さえながら文句を言いかける。


「じゃなくって、ごめんなさいぃ!」


 僕は、思わず笑いそうになるのをこらえた。


「ごめんねぇ」


 おばあちゃんが、僕の方を向く。


「この子、ただの手伝いでね」


「店に立つのに慣れてないんだよ」


「客が来たら呼べっつったのに」


「あ、いえ、全然」


 僕は、慌てて首を振る。


「大丈夫です、そんなに気にしてないので」


「そうかい? 悪いねぇ」


 おばあちゃんがにかっと笑う。


「ところで、あんた」


「ハンターかい?」


「いえ」


「ガルディアまで旅する予定で」


「ほう」


 おばあちゃんの目が、じっと僕を見た。


「じゃあ、通行証も持ってるのかい?」


(あ、そういえば)


 ホルスさんが言っていたことを、ここで思い出す。


『通行証は手配してある』


 確か、そんな風に。


「……持ってます」


「そりゃ、信用できるね」


 おばあちゃんが、ポンと手を打った。


「この子を、ガルディアまで送ってやってくれないかね?」


「え」


 ファラさんが、手を振った。


「おばあちゃん!?」


「いくらなんでも、こんなボロ──」


 ちらっと僕を見る。


「……見ず知らずの方に、悪いですよ」


「最近は、街道でも物騒でね」


 おばあちゃんは、静かに言葉を継ぐ。


「前は、キャラバンが通ったらお願いしてたんだけどさ」


「もうキャラバンもガルディアに向かうのが少なくってね」


「安全なんてありゃしない」


「無事に帰れるなら、命より大事なもんはないよ」


 その言葉には、冗談の色が一つもなかった。


(まずいな)


 胸の奥で、僕が呟く前に、パディットが言った。


(同行者なんて、ホルスが聞いたら絶対やめろって言うやつだ)


(でも、この人も困ってるのん)


(帰れないのは……可哀想なのん)


 ムーが、遠慮がちに言う。


「この子、ヒーラーでな」


 おばあちゃんが、さらっと付け足す。


「回復の腕は、確かなんだよ」


「悪い話じゃないと思うけどねぇ?」


「ヒーラーさん……なんですか?」


 思わず、声が大きくなる。


「はい……」


 ファラさんが、小さく手を挙げた。


「あの、まぁまぁ……いや、得意です……」


 ローブの袖口からちらりと見える、白い治癒の魔法陣の刺繍。


 僕の頭の中で、ぱちん、と何かが弾けた。


(ヒーラーがいれば)


 パンの声が響く。


(ホルスを、ガルディアまでの道中、診てもらえる)


 パディットが続ける。


(フライ、どうする? リスクは、どっちにもある)


(やらないで後悔するより、やって後悔する方が、まだいい)


 そんな気がした。


「……分かりました」


 僕は顔を上げる。


「では、ガルディアまで一緒に行きましょうか」


「本当かい!」


 おばあちゃんの顔が、ぱっと明るくなる。


「助かるよ!」


「はい」


「あ、でも出発は多分明日になりますが、大丈夫ですか?」


「明日でいいじゃろ」


 おばあちゃんが頷く。


 僕はファラさんの方を向いて、手を差し出した。


「よろしくお願いします、ファラさん」


「よ、よろしくお願いします」


 ファラさんが、少し戸惑いながらも手を握り返す。


「じゃあ、また明日、ここまで迎えに来ます」


「頼んだよー!」


 おばあちゃんが、大きく手を振る。



(よかったのか?)


 店を出てから、パディットが言う。


(勝手に約束して、ホルスに聞きに行ってからでもよかったんじゃないか?)


(うん)


 僕は空を見上げた。


(でもやっぱり、ヒーラーは、いた方がいい)


(もし昨日みたいなことが、もう一度あったら──)


 僕は、ぎゅっと拳を握った。


(今できる最善を積み重ねるしかない)


(そういうところ、ホルスに似てきたね)


 パンが、小さく笑った。



 その足で、僕は裁縫屋に向かった。


 店先には、布や糸の束が積まれていて、奥からはミシンの軽い音が聞こえる。


 ボロボロになったローブを見せると、店主らしき年配の女性が目を丸くした。


「こりゃまた派手にやったねぇ」


「戦場でも転げ回ってきたのかい?」


「まぁ、似たようなものです」


 と苦笑すると、女性は肩をすくめた。


「時間はかかるけど、明日までに丁寧に繕っといてやるから」


「ありがとうございます」


「ついでに匂いも落としておくよ」


「助かります」


 そう言って、ローブを受け取ってくれた。



 次に向かったのは、装備屋だった。


 鉄の看板には、剣と盾の絵。


 中には、鎧やブーツ、冒険者用の服がずらりと並んでいる。


 僕は、動きやすくて、そこまで目立たない色の服をいくつか選んだ。


 袖を通してみると、新しい布が肌に新鮮だった。


 旅に出てから、こうして新しい服を買うのは初めてかもしれない。


(似合ってるよ)


 パンが、くすっと笑う。


(旅の魔杖使いって感じになってきた)


(そうかな)


 少し恥ずかしくなった。


 ホルスさんの服も見定め、無難な皮装備を購入しておいた。



 その日の夕方。


 宿の部屋に戻ってきたころには、さすがに足も頭も疲れていた。


 ベッドの端に腰を下ろし、荷物を壁際にまとめる。


 窓の外では、今日もトックの街の人たちが、それぞれの生活を続けている。


 僕は少しアルミ村のことを思い出した。


(……)


 ふと、指を折って数えてみる。


 村を出てからの日数。


「今日で、二十五日」


 小さく呟く。


 たった一ヶ月弱。


 でも、アルミ村で穏やかに過ごしていた時間とは、まるで違う濃さだった。


(ゆっくりしてる暇なんて、本当はないのかもしれない)


 そんな焦りが、少しだけ引っかかる。


(でも、今は)


 ベッドの上で、目を閉じる。


(ホルスさんの傷が治るまでは動けない)


(そこで、今できる最善の準備をして)


(ガルディアまでに備える)


 それからまた、歩き出せばいい。

読んでくださり、ありがとうございました。

旅を通して少し成長したフライを書いてみました。

次話も読んでいただけると嬉しいです。

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