第三話 目覚めと旅立ち
暗闇の中で、誰かの声がした。
(……フライ)
低い声。けれど怖くはない。
胸の奥で聞こえるみたいな、重たくて、あたたかい響き。
(生きろ)
その一言とともに、意識が戻る。
暗闇が、じわじわと薄れていく。
⸻
「フライ、フライ……!」
今度は、聞き慣れた声が聞こえた。
母さんの声だ。
「……ん」
ゆっくりと目を開けると、見慣れた天井が目に入った。
木の梁、窓から差し込む夕方の光。
母さんが涙目でのぞき込んでいる。
「フライ!」
「……母さん?」
自分の声が、少し掠れていた。
喉がからからで、体も重い。
けれど、はっきり分かる。
(生きてる)
自分の鼓動が、鳴っているのが分かった。
「よかった……本当に、よかった……!」
母さんはその場にへたり込むようにして、僕の手を握った。
「……僕、どれくらい寝てた?」
そう問いかけると、母さんは涙を拭ってから、少しだけ息を整えた。
「四日間。丸四日よ」
「四日……」
思ったより、長い。
「熱もないし、怪我もないのに目を覚まさないから……大騒ぎだったのよ」
「ごめん」
「謝ることじゃないの」
「起きてくれた、それだけで十分」
母さんはそう言って笑った。
その笑顔が少し震えているのを見て、胸が痛くなる。
⸻
少ししてから、水を飲ませてもらい、体を起こした。
力は入らないけれど、座るくらいならなんとかなる。
「外、にぎやかだね」
窓の外から、鳥や獣の声が聞こえる。
以前よりもずっと近くに。
森からの気配が、妙にはっきりと感じられた。
「最近、森の方から動物が戻ってきたみたいなの」
「ハンターたちは大喜びよ」
「しばらく獲物が少なかったから」
「動物が、戻ってきた……」
祠での出来事を思い返してみる。
あれは夢じゃない。
何かが、あの祠にはいる。
ふと、左手を見ると、指輪が静かに光を反射していた。
手の甲をそっと撫でる。
皮膚の表面は何も変わっていないのに、その下に何かが刻み込まれているような感覚があった。
「どうしたの?」
「ううん、ちょっと……まだ頭がぼんやりしてるだけ」
リュミエールのことを、口に出しかけてやめた。
自分の中でもまだ整理がついていない。
(……)
僕は再び森に意識を向けてみる。
その瞬間、頭の中にたくさんの気配と感情が入ってくる。
(おなかすいた)
(こわい)
(あたたかい)
(ねむたい)
(つかれた)
気配と感情が、混ざり合ったものが押し寄せてくる。
「うわっ……」
僕は思わず頭を押さえた。
「フライ!?」
「だ、大丈夫、ちょっと声が増えてて」
「……ごめん、変なこと言った。平気だから」
深呼吸をして、意識を引き戻す。
そこから目をそらすようにすると、さっきのざわめきが少し遠ざかった。
前から感じていた気配とは違う。
まるで、世界中の小さな声まで拾ってしまいそうな感覚だ。
使い方を間違えたら、頭がおかしくなりそうな、そんな感覚。
「ホップがね」
母さんの声が聞こえて、思考を戻した。
「フライが倒れてから、ずっと村の見張りも手伝ってくれてるのよ」
「気が気じゃないのよ、あの子も」
「ホップが……」
「知らせてあげるわね」
「きっとすぐ飛んでくるわ」
母さんがそう言って、村の方に歩いて行った。
しばらくすると、勢いよく足音がした。
⸻
「フライ!」
戸が開いて、赤髪が飛び込んでくる。
「ちょ、ホップ……」
「フライ! よかった……!」
ホップはベッドの横まで駆け寄ると、その場にどさっと腰を落とした。
いつもの軽口も出てこない。
それくらい、顔に疲れと安堵が混ざっている。
「心配かけて、ごめん」
「謝んなって言ってんだろ、こういうとき」
ホップはぐしゃぐしゃっと頭をかいた。
「四日だぞ、四日!」
「全然起きねぇから、村長とフェイスさんとで交代で見てて……俺だって」
「ごめん」
「だから謝るなっての」
ホップはそう言いながらも、目は少し潤んでいた。
「……ありがと」
素直にそう言うと、ホップはぼそっと言った。
「友達だろ」
ホップがようやくいつもの調子を取り戻して、少し笑った。
その顔を見て、ようやく安心した。
⸻
「で?」
「で、って?」
「祠の奥で何があった?」
ホップは単刀直入に聞いてきた。
さすがに誤魔化せない。
でも、全部を話せるほど、自分でも整理できていない。
しばらく黙ったあとで、僕はゆっくりと言葉を選んだ。
「……竜がいた」
「竜?」
「でっかい竜が眠ってた」
「名前は、自分でリュミエールって言ってたよ」
ホップの目が丸くなる。
「マジかよ……竜なんて、昔話か伝承の中にしか出てこねぇと思ってた」
「僕もそう思ってた」
リュミエールの気配を思い出す。
あの静かで、深い声、あたたかい気配。
「そいつに、何かされたのか?」
「よく分かんないけど……ただ“血が繋がった”って言ってた」
「つまり、フライは竜と何かしら繋がったってことか?」
「うーん、はっきりとは言われなかったけど」
そう口に出すと、現実味が増してくる。
僕自身も、自分の言葉に少しぞっとした。
「……怖いか?」
ホップが不意に尋ねる。
少し考えてから、首を振った。
「怖いより、よく分からないって感じかな。でも……あの声は……」
リュミエールが最後に言った「生きろ」という響きが、胸の奥で引っかかっていた。
「そうか」
ホップは小さく息を吐いた。
何か言いたげに口を開きかけて、やめる。
「ホップ?」
「いや……今言うのはやめとく」
「なにそれ、気になるんだけど」
「そのうち話す」
「俺も、ちょっと考えなきゃいけねぇことがある」
珍しく歯切れの悪いホップに、僕は首をかしげた。
⸻
フライが祠から戻り、倒れたその夜。
アルミ村の中心にある村長の家では、別の会話が交わされていた。
「ホップ、来たか」
囲炉裏の前で、村長が待っていた。
「……話って、なんですか」
「うむ、ホルスから聞いておらんか」
「親父からですか? いえ、何も」
「これを見てくれ」
村長は、古びた木箱をそっとテーブルの上に置いた。
蓋を開けると、中には黄ばんだ紙束と、黒ずんだ金属の小さな札が入っている。
「最近……閉じたままだったこの箱が、封印が解けたみたいに開いとった」
「封印……?」
村長は紙束の一番上の紙を取り出すと、目を細め紙面をなぞった。
「竜が目覚めに入る時、竜の加護はなくなる」
「加護……?」
ホップの背筋が伸びた。
「この地にどうしてモンスターが出ないか」
「それは、竜が守っていたからなのじゃ」
村長は真っ直ぐホップを見た。
「……どういう意味ですか」
「詳しいことは、まだわしにも分からん」
「なんせ何枚も昔の文字で書いてある。解読しようにも時間がかかるのじゃ」
ロイは肩をすくめた。
「ただ、解読した場所に、はっきりと書いてある」
別の紙を取り上げ、そこに指を置く。
「竜の目覚めに入る時、この地にモンスターが溢れるだろう」
「この村にもモンスターが?」
「そうじゃろうと思っておる」
「そこでなのじゃ、ホップ」
村長はゆっくりと続ける。
「お前にはガルディアに行って、剣術を修めてきてほしいと思うておる」
「ホルスもいつかはガルディアに、と言っておった」
「わしはこのタイミングで、行くべきじゃと思う」
「時間がないのじゃ。竜が目覚めこの地にモンスターが溢れる前に」
「村で師範の弟子、この村を背負って立つであろう戦力のホップが力をつけるには、このタイミングしかない、そう思う」
「ガルディア……」
ガルディアは、難攻不落の王都の城塞都市。
高い壁と大砲で守られた、人間の最大の拠点。
王を中心に、ハンターや騎士が集まり、この大陸の最前線でもある場所。
「なぜ、ガルディアに?」
「俺、騎士にはならないです」
ホップは素直に聞いた。
「お前がホルスの息子だからじゃよ」
「親父とガルディアに、何か関係が?」
「あやつも、お前と出会う前に、剣をガルディアにて修めてきた過去がある」
村長は静かに言う。
「だから、お前が何かを守りたいと本気で思うとき、その選択肢があるということじゃ」
ホップは唇を噛んだ。
「この地も、変わりつつあるかもしれないということは確かじゃ」
「お前には、お前の役目があるかもしれん」
「……」
村長は囲炉裏の火を見つめながら、ぽつりと言った。
「離れて違う場所から力をつけるのも、守るということには変わりはない」
その言葉は、ホップの胸に深く刺さった。
「決心がついたらキャラバンを手配する」
「それでガルディアへと向かうがよい」
「キャラバンなら、モンスターの地も越えられよう」
「少し……時間をください」
⸻
それから五日が経った。
僕はまだ本調子ではないが、起きて歩けるようにはなっていた。
夕方の空を見上げた。
鳥の声が、前よりもずっと細かく聞き分けられるようになった。
一羽一羽の気配が伝わってくる。
(……慣れれば、きっと)
そう自分に言い聞かせていると、聞き慣れた足音が近づいてきた。
「フライ」
「ホップ」
赤髪の幼なじみが、少しだけいつもと違う顔で立っていた。
「調子はどうだ」
「まだ走ったりは無理だけど、鍋くらいなら作れるよ」
「それはやめろ、回復してからにしてくれ」
「そうだね」
いつもの軽口を交わしたあと、ホップはふっと真顔になった。
「フライ」
「うん?」
「俺、ガルディアに行こうと思う」
その一言に、時間が少し止まった気がした。
「なんで急に……騎士になるってこと?」
「近いようで、ちょっと違うかもな」
「でも、城で剣を学んで、ちゃんと力を手に入れたい」
ホップは真っ直ぐに言った。
「村長から話を聞いた。俺にも役目があるかもしれない」
「役目……」
「まだ全部分かったわけじゃねぇけど、あの祠のこと、竜のこと、お前のこと……見てたらさ」
ホップは拳を握った。
「俺も、自分が何を守りたいのか、ちゃんと選びたいって思った」
僕はしばらく黙ってホップを見ていた。
心のどこかで、こういう日が来る予感はあった。
ホップは元々、村だけに収まるタイプじゃない気がしていた。
「……いつ、行くの?」
「二日後だな」
「すぐだね」
「考えてたら、余計に迷いそうだからな」
ホップは笑った。
その笑顔は、少しだけ寂しそうで、少しだけ誇らしげだった。
「僕は、ホップが決めたことを応援するよ」
ホップが行ってしまうと思うと、胸の奥は正直苦しい。
でもそれ以上に、ホップの背中を押したい気持ちの方が強かった。
「戻ってきてね、ちゃんと」
「ああ、フライがとんでもねぇ竜使いになって、世界をひっくり返すその前くらいには、な」
「そんな予定、立ててないんだけど」
「わかんねぇだろ?」
ホップはそう言って笑った。
⸻
二日後の朝。
村の門の前で、ホップは背中に荷物を背負い、腰に剣を下げて立っていた。
村を出て大きな街へ向かうキャラバンに、乗せてもらうことになっている。
「じゃ、行ってくる」
「うん」
門のそばには、見送りに来ていた人たちがいた。
「フライ、ちゃんと食って、ちゃんと寝ろよ」
「ホップこそ」
「フェイスさん、フライの料理の実験台はしばらくお願いします」
「あら、それは心配だわね」
母さんが冗談めかして言うと、三人の間に少しだけ笑いが生まれた。
「村長」
「気をつけて行け、ホップ」
村長は真剣な眼差しでホップを見た。
「……はい」
ホップは深く頭を下げ、それからもう一度僕の方を向いた。
「フライ」
「なに?」
「元気で待っててくれよ」
「ホップも元気で帰ってきてね」
「おう」
ホップは笑って見せた。
僕も、はにかんだ笑いをした。
その後に、父親のホルスさんが声を掛ける。
「ホップ、強くなれ」
ホップは少し笑みを浮かべると、
「親父、そのつもりだよ」
と答えた。
ホルスさんは満足そうに頷いた。
キャラバンの列が動き出し、砂埃が舞う。
赤い髪が、少しずつ遠ざかっていく。
やがてホップの姿が森の向こうに消えていった。
(行っちゃったな)
(……僕も、ちゃんとやらないと)
指輪は、静かに光を返していた。
読んでくださり、ありがとうございます。
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