第二話 リュミエール
森の中は、薄暗かった。
足元では、乾いた枝がぱきぱきと折れていく。
「五年ぶりだな」
前を歩くホップが、ぽつりと呟いた。
「覚えてる?」
「覚えてるに決まってんだろ」
「親父とフェイスさんにめちゃくちゃ怒られたよな」
僕が黙り込むと、ホップは振り返ってニヤリと笑った。
「まぁ、今日も怒られるだろうな」
「もうバレてるかな?」
「帰ったら親父とフェイスさんのお説教だよ」
想像できすぎて、苦笑いがこぼれる。
歩いていくにつれて、呼ばれているような気配が濃くなる。
指輪が、さっきからじんわりと熱を帯びてきている。
(近づいてる)
十三歳のときに感じた、あの気配を今はもっと強く感じた。
「フライ」
「なに?」
「さっきから黙ってるけど、落ちつかねぇのか?」
「……落ち着かないよ」
「だよな」
僕たちはそれ以上は何も言わず、森の中を歩いた。
⸻
やがて木々が途切れ、視界が開ける。
小さな山のふもとに、石造りの祠が建っていた。
五年前と変わらない、重たそうな石の扉。
中央には、丸まった龍の紋章が彫り込まれている。
(ここだ)
指輪が、さっきよりもはっきりと熱を発していた。
「来ちまったな」
ホップが呟く。
「本当に、行くんだな?」
「うん」
扉の前まで行くと、フライは紋章にそっと左手を近づけた。
その、瞬間。
指輪が、眩しいほどに光を放つ。
「うっ……!」
ホップが思わず目を細める。
光は紋章の溝をなぞり、石の表面をぐるりと一周した。
ゴゴゴゴ……と、響き、扉全体が震え、ゆっくりと内側へ開いていく。
「マジかよ……」
「俺たち、ほんとにとんでもねぇもん開けてんじゃねぇのか」
「……かもね」
僕の鼓動は、早くなるばかりだった。
前を見ると、扉の向こうには、奥へ続く石の階段が見えた。
「行こう」
「おう」
僕たちはその階段の中へ足を踏み入れた。
⸻
石の階段は、とにかく長く、下りても下りても終わりが見えない。
ホップが持ってきたランタンの灯りが、周囲を照らしている。
二人はひたすら下りていく。
やがて、先の方に平らな床が見えた。
天井の高い石造りの空間。
その正面に、もう一枚扉がある。
びっしりと文字か模様かが刻まれていて、中央にまた龍の紋章が見えた。
「……なんだ、この字、模様か?」
ホップがランタンをかざして顔をしかめる。
「……」
僕は扉をじっと見つめた。
見たことのないはずの文字なのに、意味が自然と頭に流れ込んでくる。
「『血の資格を持つもの、ここから先に進むことを許す』って書いてある」
「マジかよ。読めんのか、それ」
「なんか……分かった」
ホップは苦笑いしながらも、すぐに真顔に戻った。
「ってことは?」
「ここから先は、僕一人かもね」
「……どうすんだ」
「行くよ」
答えは、とっくに決まっていた。
指輪をもらってから、この扉が呼んでいるような感覚、その正体を知りたかった。
「無茶はしない、危ないって感じたら戻ってくる」
ホップは頭をかきながら、扉の脇に腰を下ろした。
「じゃあここで待ってる、戻ってくるまでな」
「うん、ありがとう」
僕はうなずき、扉の紋章に左手を重ねた。
指輪が、再び強く光る。
重たい音を立てて、扉が開いた。
中は、真っ暗だった。
「フライ」
背中から、ホップの声が飛んでくる。
「本当にヤバいと思ったら…」
「分かってる」
最後に振り返ってホップを見てから、僕は中へ踏み込んだ。
扉が、重く静かに閉まる。
僕の周りは、途端に闇に包まれた。
(……真っ暗だ)
息を飲んだ瞬間。
(なるほど)
声がした。
耳からではない、胸の内側に直接響いてくるような低く深い声。
(では、ゼインは……)
「……誰?」
僕は思わず声を出していた。
返事はすぐに返ってくる。
(約束は護ったぞ、ゼイン……)
どこか遠くを見つめるような響きだった。
「ゼインって……?」
ふっと、闇がわずかに明るくなった。
輪郭だけ、ぼんやりと浮かび上がっていく。
長い胴、広げられた翼、とぐろを巻いた尾、うずくまるように丸まった巨体。
閉じた瞼のあたりに、淡い光が見える。
それは、竜だった。
威圧感はあるのに、不思議と恐怖はなかった。
それは、どこか穏やかな気配だった。
「あなたが……?」
(問う前に、まずは名前を)
声は静かだったが、従おうと思う何かが、その声にはあった。
「……フライ」
(フライ、か)
竜は、その名を一度だけ繰り返す。
(ゼインの子、手を前へ)
「え?」
言われるままに、僕は指輪がはまっている左手を前に差し出した。
次の瞬間、指輪が急に熱を帯びる。
「っ……!」
じりじりと焼けるような熱さと同時に、胸の奥もまた熱くなった。
左手の甲のあたりで、何かが刻まれていくような感覚が走る。
見えないのに、そこに紋章が浮かんでいくのが分かった。
(これでいい)
竜の声が、少しだけ柔らかくなる。
(血が、再び繋がった)
「繋がった……?」
僕は息を整えながら問いかけた。
(持って生まれたものを、目覚めさせた)
竜はあくまで穏やかに言う。
(ゼインは守りたいもののために、契りを交わした)
「ゼイン?守りたいもの?」
何か聞こうとしたとき、世界がぐらりと揺れた。
(私はリュミエール)
その名を聞いた瞬間、膝から力が抜ける。
(私が目覚めるその時まで、生きろ)
足元の石の感触が遠ざかっていき、耳鳴りのような音がして、視界が白く霞んだ。
⸻
「フライ!!」
暗闇がほどけたときには、もう祠の前だった。
石段の上に、体が投げ出されている。
その肩を、ホップが必死に揺さぶっている。
「フライ! おい、フライ!」
呼びかけても、反応がない。
ただ、鼓動は感じた。
「……どうしたんだよ」
ホップは息を吐き、フライを背中に回した。
全身の力を使って、なんとか背負い込む。
(何があったか分かんねぇけど、とにかく出ないと)
そう決心しながら、ホップは祠の外へ向かった。
背中越しに伝わる体温は、生きている証拠だと言い聞かせていた。
⸻
祠の扉を抜けると、森の空気がさっきまでよりやけに、にぎやかだ。
ホップは足を止めた。
頭上で、鳥の鳴き声がする。
枝から枝へ何かが飛び移る音。
茂みの中を、小さな生き物が走る気配。
「こんなに動物いたか……?」
五年前、初めてここに来たときの森は、もっと静かだった。
その後も、村の周りの森は年々、動物の姿が少なくなっていった。
だが今は、足元を小さなリスが走り抜けていく。
ちょこんと立ち止まり、ホップと目が合うと、首をかしげてから木の陰に隠れた。
妙に生き物の気配が濃くなったように感じられた。
ホップは首を振った。
「……考えてる暇なんかねぇ、まずはフライだ」
背中の重みを背負い直し、村へと続く道を急ぎ足で戻り始めた。
⸻
夕暮れ時のアルミ村の門が見えてきたころ、ホップの息は荒くなっていた。
「フライ!」
「ホップ!」
門の近くにいた見張りが、目を丸くする。
「フライはどうした!」
「森で倒れました! とにかく家まで運びます!」
ホップが言うと、近くの大人たちが慌てて駆け寄ってくる。
「担架を!」
「フェイスさんと治療所に知らせろ!」
村は一気に慌ただしくなった。
その騒ぎを聞きつけて、細い路地から一人の女性が飛び出してくる。
「フライ!?」
フェイスだった、顔色がさっと変わる。
「ホップ、フライは――」
「息はあります! でも、全然起きなくて……」
ホップが言うと、フェイスは震える手でフライの頬に触れた。
「冷たくはない……熱も、ない……」
胸元に耳を当てる。
しっかりとした鼓動を確認して、ほんの少しだけ肩の力を抜いた。
「とにかく家へ運びましょう」
フェイスがそう言うと、
「俺がそのまま運びます!」
ホップはそう言って、再び背負い直した。
その様子を、少し離れた場所から村長が見つめていた。
「お前もずいぶん疲れておるだろう」
「よう、背負ってきてくれた」
村長はそう声をかけると、静かに言った。
「フェイス、先に戻って準備を」
「ええ」
フェイスは袖で目元を拭い、早足で家の方へ向かう。
ホップはフライを抱えたまま、ゆっくりと歩き出した。
その背中を、村長は黙って見つめる。
村長の横顔は、どこか覚悟を決めたような、しかしどこか安堵したような複雑な表情をしていた。
「……村長」
呼びかけたが、何を言えばいいのかわからない。
ただ、自分の知らない何かを、村長が知っている気がした。
「ホップ」
少し歩いたところで、村長が声を掛ける。
「あとで、わしの家に来なさい」
「……はい」
短くそう返事をして、ホップはフライの家の方向を見た。
夕日が完全に沈む前に、村の灯りがぽつぽつと灯り始めていた。
フライは何も知らないまま、静かに眠り続けている。
この日を境に、アルミ村とフライの世界は、少しずつ変わり始めていた。
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ここから、物語が動いて行きます。
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