【序章】終.揺らぐ世界に絶望を
罰……もとい、延長訓練を終えたノエルたちは午後の市街地巡回のための準備をしに西詰所へやって来ていた。
「それじゃあ、俺は別組だから」
そう言ってマルクは紅牙団の軍衣のマントを羽織るとノエルたちと別れた。ノエルも同じようにマントを羽織り、肩で留めると、剣を携えた。
「それじゃあノエルとユニスは俺の小隊な」
「カイがリーダーなのはイマイチ不安だな」
胸を張って自信満々にしているカイにユニスがチクリと釘を刺す。そこへノエルが小さな声で注意する。
「二人とも、無駄話してるとまた怒られるよ」
そうして準備の済んだ三人は詰所を出ようとした。その時、詰所の備品棚の周りで作業をしている数人の騎士を見つけた。
皆、白き騎士服を身に纏っている。一人だけ上官と思わしき人物がユニコーンとオリーブの葉が描かれたマントを羽織っている。どうやら白紋団のようで、詰所にある医療器具や薬、魔法補助具などが不足していないか確認しているようだ。
昨年、自分たちも備品の補充など雑務をこなしていたことを思い出す。彼らも新人のようだ。その中で目を引いて指示を出している人物がいた。
「飲用タイプの回復薬が少ない。もっと必要だと思うよ」
それは一人の新人のようだった。白い肌に華奢な身体、癖の多い猫毛で全体的に色素の薄い少年。しかし、放つ言葉は威圧的だ。もう一人の新人がムッとしたように彼に言う。
「指定分補充したさ。もっといるってんなら上官に頼むんだな」
すると、彼は少し離れた場所で見ていたマントを羽織った上官へ堂々と歩み寄って言った。
「ここの区画は地域住民だけでなく、外からやってくる商人や旅人も多い、人の行き交う場所です。最悪の想定をするならこの倍の回復薬が必要と考えます。それに伴い、応急処置具も一定量増やすべきとも考えます」
上官は彼の言い分をじっと聞いたあと、低い声で「用意しろ」とだけ告げた。彼は「ありがとうございます」と右拳を胸に当て一礼すると持ち場に戻っていった。
「あれか、噂の新人」
コソッと小さな声でユニスが言った。ノエルは彼を見た。ロシュア=ユリアーク。ノエルとカイの幼馴染であるが、今はノエルたちも任務中。また白紋団も仕事中のため互いに言葉を交わすことはできないだろう。
ノエルはカイと視線だけ合わせて小さく笑い合う。三人が白紋団のそばを通ったとき、ロシュアがノエルたちに気づいて顔を上げた。ほんの少し驚いたような顔をしたがすぐに彼も自分の仕事に戻った。
「ロシェは昔から地元でも優秀だと言われてたけど、まさか上官に意見するほどだなんてな」
詰所を出たカイは感心したように言った。ノエルも頷く。
「そうだね。昔は泣き虫だったのに、もしかしたら俺たちよりも早く出世するかもよ」
「げぇー、それだけは絶対嫌だな。あいつに下に見られるのは腹立つ」
「じゃあ俺たちも負けないように頑張らないとな」
「ああ。とりあえずは目の前の仕事をきっちりこなそうぜ!」
張り切るカイにノエルとユニスは肩をすくめて苦笑いをした。
紅牙団が街の巡回にあたるのは数の多いことではない。本来は守護騎士である蒼盾団の仕事である。そのため、街には常に蒼盾団の団員が巡回している。今回は二年目騎士が自分たちの守るべき街をよく把握しておくための、教育の一環として設けられた任務だった。
「おや、今日は赤い騎士さんもおるのかい」
西の詰所を出た三人は西門前通りを過ぎ、商業通りと歩いていると一人の老婆に声をかけられた。カイが元気に応える。
「はい!何かお困りのことはないですか?」
「ううん、この通り元気にやらせてもらってるよ」
「それは何よりです」
カイは右拳を胸にあて頭を下げる敬礼をすると先を進んだ。
商業通りから徐々に人の声が増え、雑踏が生まれる。行き交う人が増え、街に活気があふれる。
「さぁ!寄ってらっしゃい!ラオニスの特産品、揃えてるよー!」
客引きの声が響く。子どもが街を走り回る。ノエルは次第に頬が綻んでいった。
ヴェルシオン王国城下町ラオニス、ここは国の中央都市であり他国との玄関口となっている。そのため国内外関わらず多くの人で賑わっている。
「相変わらずいつ来てもここは活気付いてるな」
ユニスが言った。小柄なユニスはノエルたちとはぐれないよう、無意識のうちに身体を二人に近づけていた。ノエルも言う。
「あぁ。ヴェルシオンの中央都市だもんね。蒼盾団の人もいるみたいし、俺たちの出る幕はなさそうだ」
「とりあえず、ここは大丈夫っと。じゃあ次に行こうか」
三人は街の様子をどこか楽しい気持ちで見ながらまわった。
続いて南の住宅区へと向かう。中央広場の活気さとはまた違って、賑やかではないものの人々の息がよく感じられる場所だった。
住宅区では五階建ての石造りの集合住宅が密集しており、午後にもなるとずいぶんと道には陰が落ちている。そんな狭い道でも元気に走り回る子どもや、外に吊るされている洗濯物を取り込む婦人、買い物から帰ってきた婦人が外階段を登る様子が伺える。またどこからか、料理をする香りが漂ってきて、ノエルはふと人々の生活の中へ入って来たような、どこか安心した気持ちを覚えた。
「ここを通るとどうしても遠方にある家を思い出しちまうなー」
カイが行き交う人々の様子を見守りながら何気なく言った。それにユニスも頷く。
「だよな。俺んち兄弟いねーから、逆に親が心配で帰りたくなる気持ちもあるけど」
「そっか。ユニスは一人っ子か。羨ましいぜ、俺のところは細かいのがいっぱいいるから」
「え、カイんちって兄弟いたんだ」
ユニスが半ば驚いたように言った。日々の生活の中で私語は避けるよう指導されているため、彼らはこう言った時でないとなかなか身の上を知ることができない。特に新人時は厳しく指導されるため、一年間寝食を共にしていても知らないことも多いのだ。
「あぁ。妹二人に弟が一人。騎士団入ってもう全然会ってないからなぁ。手紙は頻繁に送ってるけどさ」
「だよな。ノエルんとこは?」
ふと、ユニスはノエルに会話を振った。少しだけノエルは肩を揺らした。ノエルにとって、家族の話は積極的にしたいものではなかった。ノエルは笑顔を取り繕って言う。
「俺もユニスと同じ、兄弟はいないよ。父さんも忙しい人で、長いこと家に帰ってないから」
「まぁ、騎士団の統括責任に王家直属の近衛騎士も兼任してるならそりゃあそうか。でもそうなると母ちゃん一人で心配だな」
脳裏に父の背が浮かぶ。こちらを見ず、まっすぐに自分の道を突き進む父の背中が。
「うん、そうなんだ。手紙で近況がわかるからいいけど」
ノエルは手短に返事をする。ユニスにはノエルの感情の揺らぎに気づくことはなかったが、その小さな違いにカイだけは気づくことができた。カイは違和感を持たれないよう、自然に会話を別の方へと逸らす。
「ほら、もうすぐサムサリナ堂だぞ。私語は慎むように」
先頭に立ってカイは言った。ユニスは「カイが話し始めたんだろうに」と小さく呟いた。ノエルは父を思い出し、一人密かに拳を握った。
やがて三人はあるドーム状の建物までやって来た。
「ここはいつ見ても綺麗だな」
カイはそこに建つ建物を見上げて言った。それは美しい石造りの建築物であり、聖堂のような輝きを放っている。しかし、それとは違い建物の装飾は限りなく少なく、シンプルで洗練された見た目をしている。
「サムサリナ……ヴェルシオンの始まり……」
ノエルは父に連れられてここへ訪れた日を思い出す。
――まだ幼かったノエルの前を大きな背がゆっくりと歩く。
中は広く、白を基調とした純潔高貴な雰囲気をしていた。そして、その壁沿いに五本の台座が置かれている。その台座にはそれぞれ魔力が込められており、西側には南方向から炎、水を象徴したものが台座に浮いている。東側は南方向から風、土。しかし、入り口とちょうど正面になる中央の台座には何もなかった。
「父さん、ここだけ何もないのはなぜですか?」
幼き頃のノエルが父へ問う。すると、父は天井を見上げた。幼きノエルもまたそれにつられて天井を見上げる。そこには何かの大戦を描いた天井画があった。
「ヴェルシオン王国は大災厄から生まれた国だ」
低い声が幼きノエルの耳に届く。
「その戦いから人々を救ったのが、サムサリナ堂にいる聖律の継承者と、この国の最初の王だ」
「せいりつのけいしょうしゃ?サムサ……?」
幼きノエルが首を傾げると、父は台座をそれぞれ一つ一つ静かに見ながら言った。
「サムサリナは循環。聖律はこの国の土地に根付く力。それを文明に落とし込んだ者たちを聖律の継承者と呼ぶ。ヴェルシオンの国の人々が武術と魔術の両方と生きてきたのは彼らに由来する」
淡々と語る父の言葉の半分も理解できなかった幼きノエルは「へぇ」とだけしか応えられなかった。そんな彼を父はチラリと見遣ったが、深く説明してやることはなかった。代わりに「ノエル」と口を開く。
「道に迷いそうになった時はここへ来なさい。きっと、彼らがお前を導いてくれるだろう」
幼きノエルは父を見上げた。身長に差があり、彼がどんな表情をしていたかわからない。しかし、幼きノエルは父の見つめる先の五つの台座を見つめ「はい。父さん」と応えた。
そんなことを思い出していると、不意にユニスが言った。
「そう言えば知ってるか?去年だか今年だか来年だか、ちょうど大厄災が起こった年から1000年目になるんだぜ」
するとカイが呆れたように言った。
「バカ、お前今がエリューネ歴何年だと思ったんだよ。そこから逆算すりゃいつが1000年目かわかるだろうが。えーと、確か大厄災が起こったのは、えーと……」
と言い、口をつぐむカイにユニスも呆れて言った。
「おめーもバカだ」
「ちっげーよ!忘れちゃっただけだろうが」
「それをバカだって言ってんだよ」
「はぁ?バカにバカだと言われたくねーな!」
赤き騎士服に身を包んだ二人が年甲斐もなく言い争っている様子を見てノエルが口を挟んだ。
「もう、二人とも馬鹿な喧嘩するなって。仕事中だぞ?こんなところ見られたらまた副団長に叱られるよ」
その言葉に二人は口を閉じると一瞬だけ睨み合った。口喧嘩が収まったところを見届け、ノエルは二人に言った。
「すまないんだけど、ちょっとだけ中行ってきてもいいかな?」
すると今度は二人は驚いたように言った。
「えぇ、誰だよ仕事中って言ったやつは」
「ノエル、お前が馬鹿なことすんなよ……」
ユニスとカイは心配と呆れを含んだような視線をノエルに向ける。ノエルはそれを振り払うと二人に懇願する。
「ほんと少しだけだから。それに騎士がサムサリナに入っちゃいけないとは言われてないだろう?」
ユニスは腕を組み、半眼でノエルを見る。
「そうだけど、何か用でもあるのか?」
「ちょっとだけ、中を見たいんだ。見てなかった場所があったことを思い出して」
カイが頭を掻く。
「一分だけな」
「ありがとう!」
カイが言い終わらないうちに即返事をしたノエルはマントを翻し、サムサリナ堂の白い石階段を急いで上った。
サムサリナ堂の北側にそびえ立つヴェルシェイド城と比べてしまうとそれは小さな建物だが、近づくほどにやはりしっかりとした大きさがある。出入り口の大きな青銅の門は基本的には常に解放されており、この国に住む者であれば基本誰でも入ることができる。
神聖で、けれど市民と距離の近い、ヴェルシオン王国の文化遺産だ。
「久しぶりだな」
一歩足を踏み入れてノエルは呟いた。石の冷たい空気が巡回で熱った身体を心地よく冷ます。ノエルは行き交う市民に注意しながら天井を見上げた。
「あぁ、そうだ」とノエルは呟く。
幼き日のノエルには天井画の意味がわからずはっきりとは記憶されていなかった。それを思い出したノエルはここへ立ち寄ったのだ。
「四人の聖律の継承者と、最初の国王」
ノエルは天井画をそっと指差しながら見る。ヴェルシオンの大厄災を描いたその中心には、大きな黒い人物と、それに対抗するように一人の男性を中心に四人の男女が立っている。大地は荒廃し、彼らの周りでは、人間の姿とはかけ離れた異形の姿の者と、それと戦う人間たちの様子が描かれている。
「なんか、思ったより暗い絵だな」
ノエルは苦笑した。その時、天井ばかりを見ていた彼は一人の人物と肩がぶつかってしまった。
「あっ。すみません……!」
ノエルは慌てて言い、その場を避ける。ぶつかった人物は旅人用のフードを深く被り、顔は見えなかったが「失礼」と頭を下げてそのまま去って行った。
「しまったな」
ノエルは自身の立場や仕事中であることを思い出し、足早にサムサリナ堂を出ようとした。その時――。
「うっ……!?」
突如、左胸に締め付けられるような痛みを覚えた。それは鈍痛に似た痛みも含んだ、重い痛み。
肩で息をしながら、周りに異変を悟られないよう壁沿いに身体を預けてうつむいた。左胸を抑える。熱を持って脈打っている感覚がする。ノエルは痛みの原因を頭の中で考え、ふと、あることを思い出した。
「あのアザか……?」
すると、偶然か必然か、ノエルが痛みを理解した途端その痛みはスッと収まった。呼吸も元に戻る。熱もなくなり、何事もなかったかのようだ。
「何だったんだ……」
痛みの正体がわからないまま左胸に手をあてる。アザのあった箇所だ。今は服の上から触れても痛みは感じない。ノエルは多少の疑問を覚えながらも、今は任務を優先すべきことを思い出し、駆け足でその場を出た。
穏やかな午後。
日が傾き始める少し前の、一日の中で最も人々が落ち着く時間。
夜に向けて新たに準備を始める、その手前の時間。
静かな中に、笑い声が増える、そんな時間。
あぁ、今日も平和な日だ。
言葉としてそう考えなくても、ノエルの心はこの一日になんの引っ掛かりも覚えなかった。
「カイ、ユニス、お待たせ」
石階段を駆け降りながらノエルは二人に声をかけた。二人もこちらに気づいてノエルを見た。
「おーい、五分もかかったぞー」
カイが言う。ノエルは「遅くなってごめん」と言い、笑った。
その瞬間、ノエルは目を見張った。
「え――?」
それはまるで、行き交う人々の間に突然現れたかのように見えた。
一瞬、子どものように見えたそれは、しかし、よく見るとおおよそ人間の姿とは呼べない『化け物』だった。化け物はユニスの真横に立ち、その手には錆びたナイフを握っていた。
「危ない!!」
それは刹那の出来事だった。
化け物の持っていた刃物が、ユニスの脇腹に突き刺さる。真っ赤な鮮血が飛び散り、ノエルの頬にべっとりと絡みつく。生温かさを感じ、嫌悪感が生まれた。
その瞬間、その場にいた者たちには何が起こったのか理解できなかった。
「ぇ……?」
ユニス自身も、何が起こったのか理解が及ばないまま、彼はぐらりと力無く地面へ倒れた。
ノエルの顔から一気に血の気が引き、目を見開くと、あらん限りの声で叫んだ。
「ユニス!!!」
最後までお読みくださりありがとうございました!
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