【序章】2.剣を握るということ
「起床ー!起床ー!」
怒声にも似た強く大きな声が、安らいでいた心臓を強く叩き起こす。
「!!」
瞬間的に目を覚ました少年は、気怠い心に鞭を打ち、薄汚れたベッドから飛び起きた。
周りも起床の声に勢いよく起き上がる。三階建て石造りの建物がバタバタと、多くの人間の足音で朝を告げる。
彼は無言のまま自身の琥珀色の髪の毛を手で軽く解くと、周りの同期と競うように足早に着替えを始めた。
「クソッ、あの大声どうにかなんねーのかぁ?」
と、ふと小さく呟く声が聞こえた。それは隣で寝ていた友人だった。
真っ赤に燃えるような赤髪は炎の如く爆発している。すごい寝癖だ。その様子に少年はクスッと小さく笑った。
すると赤髪の少年がこちらに気づいて小さい声で言った。
「ん?なんだよ、ノエル。――って」
ふと、彼は少年――ノエルの顔を見て驚いた声を上げた。
「お前、なに泣いてんだ?」
「え?」
顔を上げた拍子に涙が頬を伝う。その生温かい感覚に驚き、ノエルは慌てて頬を拭った。
それを見て赤髪の少年が笑う。
「家でも恋しくなったか?」
「そ、そんなんじゃないよ。カイじゃあるまいし」
ノエルは泣いていたことを誤魔化すように挑発的な口調で赤髪の少年――カイに言った。
カイはノエルの思惑通り、その言葉に腹を立てる。
「んだと、やるか?」
「あぁ、いいけど?」
瞬間、二人の頭上に重く強い衝撃が走った。
「ってぇー!」
カイが声を上げて頭を抑える。ノエルも一瞬何が起こったのかと思ったが、頭にゲンコツが振り下ろされたんだと理解すると背筋が凍った。
「カイ=フレイゼン。ノエル=フェルディア」
低い声が背後から聞こえる。
カイも瞬く間に顔が青ざめた。そして周りもまた、手を止めて二人を憐れむように見守っている。
「ア……アルベルト副団長……お、おはようございます」
ノエルは震える声を抑えて挨拶をした。それは彼らの上官であるアルベルト=クロイツだった。
身長はノエルの頭ひとつ分高く、体格に至ってはノエルの一回り以上も大きい。彫りの深い顔に刻まれたくっきりとした二重の青い目はこちらを静かに見下ろしている。
「おはよう。2年目になってもう余裕のようだな?朝の訓練が楽しみだ」
言葉とは裏腹にニコリともしないその顔に二人は背筋を正し「はい!」と返事をするしかなかった。
アルベルトはそれだけ言い、踵を返す。こちらの様子を見ていた者たちは皆、何も見ていなかったかのようにそそくさと身支度を始めた。
アルベルトは部屋を出て行くと、またしばらくしてどこか別の部屋から怒号が飛んでる声がかすかに聞こえた。
「ひぇ〜……副団長が部屋に入ってくるなんて、ったくどいつだぁ?寝坊したのは……。おかげでとばっちりだぜ」
限りなく声を低くしノエルに顔に近づけてカイは言う。
ノエルは怒られてもなお会話を続けるカイに呆れたように小さく返した。
「いいから、早く着替えよう」
そうして二人も私語を慎み、黙々と着替えを始めた。
「……っ」
不意にノエルの左胸に鈍い痛みを感じた。
見ると、左のちょうど心臓のあたりに赤黒いアザができている。身に覚えのないアザにノエルは、それをじっと見つめた。
「どこかにぶつけたっけ?」
そう呟き、アザに触れてみるが今度は痛みは感じなかった。先ほどは明らかに痛みを感じたが、それは一度だけだったためノエルは特に気にする様子もなく、上から服を着た。
ノエルとカイが着るのは赤を基調とし、胸元に王国の紋章が刻まれた騎士服だった。同じ部屋にいる他の七、八人も同じ赤き騎士服を身に纏った。
洗顔を終え、パンと薄い肉にスープと言った簡単な朝食を彼らと共に済ませたノエルは、なるべく私語をしないように会話は手短に、宿舎を出た。
宿舎のすぐ目の前は広い訓練場であった。その背後には大きくて雄大な城がそびえ立っている。
朝の少し肌寒い感覚は眠っていた身体を気持ちよく起こしてくれる。鳥が晴れた空を滑るように飛び、訓練場の周りにも花が咲き始めている。ノエルはそれを見て季節が巡ったことを感じ、自然と顔が綻んだ。
「整列!」
しかし、そんな穏やかな気持ちも上官の一声で引き締まる。
赤き騎士服に身を包んだ者たちが皆、1ミリも列を乱すことなく整列する。
目の前には宿舎でノエルたちを叱ったアルベルト副団長がいる。彼もまた赤の騎士服を着こなし、その背には大きなマントを羽織っている。
彼は団員を見ると、静かに、しかし、最後列まで届くよく通る声で言った。
「いいか。お前たちは本日で王国騎士の二年目となる。新人の頃の甘さは通用しない。
このヴェルシオン王国騎士団紅牙団は戦場の最前に立つ。
最前に立つからこそ、自分の剣に理由を持て」
「「はい!」」
全員が返事をする。温かい日差しの中、朝の冷たい風が吹き抜けた。アルベルトのマントが靡く。
その背には大きく剣と狼の紋章が刻まれている。
紅牙団の紋章だ。
ノエルはそっと腰に携えた片手剣に触れる。そして、気持ちを一段と引き締めるようにまっすぐ前を見据えた。
朝のうちは基礎訓練で、すぐに身体は温まり汗が流れ始める。その後、すぐに模擬戦へと移った。
「本日の模擬戦は一対一で行う。盾は使用しない。己の身はその剣一本で守れ。ではまず――」
と、アルベルトは淡々と場を進めた。指名制の模擬戦が行われる。
ノエルは皆の前で戦う仲間たちを見て、額に汗が滲んだ。口元が知らぬうちに歪む。
「次、ノエル=フェルディア。カイ=フレイゼン」
いつの間にかノエルの順番が来ていた。相手はカイ。それがどう言う意味かノエルにはよくわかった。周りもまた、ヒソヒソと声を上げ、期待の眼差しを向ける。
「一位と二位の戦いだぜ」
「今日はどっちが勝つかなぁ」
「実戦で言ったらカイの圧勝だろうけど……」
「ノエルは模擬戦強いからなぁ」
ノエルはゆっくりと前へ出た。心に滲んだ『一抹の不安』を振り払うと、剣を強く握った。カイはノエルを見ると余裕そうな表情で言う。
「今日の俺はお前に勝つ気がするぜ」
ノエルはクスッと笑う。
「なんの自信だよ」
アルベルトは二人の様子を見て、声を上げた。
「――始め!」
「先手必勝だぜ!」
カイは剣を握るとノエルに向かって突進した。ノエルは剣を握る手に力を込める。
「はぁ!」
言葉通り容赦なく剣を振り上げたカイの剣筋をよく見て、それを自身の剣で受け止めた。
ガキン!と鋭い音が響く。ノエルはそのまま剣に力を込めて弾くと、ノエルもカイへ突っ込んだ。
「はぁぁあ!」
剣のぶつかる音が訓練場に響く。
しばらく両者一歩も引けを取らない攻防を続ける。
皆もその様子を見守る。
アルベルトは表情を一度も動かすことなくしっかり二人の戦いを見ていた。
「やぁ!!」
ノエルの一撃がカイの剣を大きく弾いた。そのほんの一瞬に、カイに隙ができた。
「もらった!」
ノエルの視線はカイをしっかり捉え、その剣には迷いがない。アルベルトの瞳はそのノエルの表情をまっすぐ見つめた。
「おりゃあ!」
「!?」
しかし、一秒にも満たないその一瞬でカイは足に力を込めて態勢を立て直すと、間一髪のところでノエルの剣を弾き飛ばした。
「くっ……!」
その衝撃でノエルの身体は地面に倒れる。カイの剣がまっすぐ振り下ろされた。
「そこまで!」
ブン!と剣が空を切る音と共にノエルの鼻先で剣がピタリと止まる。
「勝者、カイ=フレイゼン」
その声と共に、見ていた者たちはカイの華麗な逆転劇に小さな拍手を起こす。そして、口々にカイを称賛する。
「カイのやつ腕を上げたなぁ」
「あいつは実戦でもトップだしな」
「こりゃあノエルも差をつけられな」
最初よりも少し大きな声で皆々が話す声が聞こえる。ノエルは尻もちをついたままうつむいた。そこへカイが手を伸ばす。
「これで俺が家が恋しくないって証明されたわけだな」
ノエルはカイを見上げると、つい吹き出してしまった。
「ははっ、競ってたのそこかよ」
そしてカイの手を取ると立ち上がった。
そこへアルベルトがやってくる。
「フェルディア」
「は、はい!」
ノエルとカイは姿勢を正す。アルベルトは何の表情も見せず淡々と言った。
「お前は何のために剣を振るう」
「え、何のため……ですか」
ノエルは言葉に詰まった。返事を考える隙も与えずアルベルトは言った。
「お前の剣は入団時のままだ」
「え……」
ノエルは顔を上げた。アルベルトは鋭い視線をノエルに向けた。彼はそれ以上言うことはせず、背を向けると「次!」と再び模擬戦の場へ戻っていった。
「気にすんなよ、ノエル。副団長が厳しいのはいつものことだろう」
皆の中へ戻る途中、カイが肩を叩いた。ノエルはそれでもうつむいたまま、自身の剣を見つめていた。ノエルにはアルベルトの言ったことがわかっていたから。
「なぁ、カイ」
「ん?」
ノエルはカイへ問うていた。
「カイは何のために剣を振ってるんだ?」
カイは笑顔を見せる。
「そりゃあカッコいいからだ」
その言葉にノエルは一瞬きょとんとするがすぐに「あぁ、そうだった」と笑った。
「入団した最初の時もそう言ってたっけ」
「あぁ。俺は最初からそうだし、これからもそうだろうな。ヴェルシオン王国騎士団は他にもあるけど、やっぱり紅牙団で騎士やってるのが一番カッコいいだろ」
「まぁ、その理由で言ったら俺は蒼盾団もいいと思うけどな。青き騎士服に盾とグリフォン。カッコいいと思うけどなぁ」
ノエルの発言にカイは苦笑した。
「それ、お前の親父さんが元蒼盾団員だったからだろ」
「別にそういうわけじゃないよ。単純に守護するのってカッコいいなと思ってさ」
「いいや、絶対紅牙団だね。守護騎士より戦闘騎士だ」
すると、ノエルとカイの隣で話を聞いていた一人の少年が口を挟んだ。
「お前らわかってないなぁ」
「お?なんだよ、マルク」
カイが彼を見る。
カイに向かって声をかけたのは二人よりも背が高く体格もいい丸顔の人物だった。黒い髪の毛を『坊ちゃん刈り』のように切り揃えている彼は名をマルクと言った。マルクは二人に言う。
「カッコ良さで言ったら翠影団も負けてないんじゃないかな?
王国騎士団の中でも一番謎の多い団で、僕たち同期の中でもそこに入団できたやつはいなかったらしいよ。黒蛇の紋章も、秘密の団って感じで憧れあるなぁ」
マルクの言葉に呼応したのはノエルでもカイでもなく、マルクとは反対側、ノエルの隣にいた小柄で顔にそばかすのある茶髪の少年だった。
「馬鹿でー。翠影団になんか入ったら名前も身分も隠さなきゃいけないって話しだぜ。危険な仕事ばっかだから人数がいつも少ないって言われてるんだぞ」
「なんだよ、ユニス。じゃあお前はどこがカッコいいと思うんだよ」とカイが言うと、小柄な少年――ユニスは鼻を鳴らした。
「カッコ良さで言ったら紅牙団がずば抜けてるぜ」
「お、これで二票〜♪」とカイが笑う。
「ただ俺、入団の時白紋団と迷ったんだよなぁ」
「え、白紋団?それはまた真逆な団だな」
ノエルが言うとユニスは「ちっちっち」とわざとらしく指を振った。
「白紋団は騎士団の要だぞ。戦闘支援に医療班等! 魔法部隊もいるし、あそこがなくちゃ俺たち紅牙団は暴れられない。いわば白紋団は騎士団の土台を支えている存在だな」
「いいや、翠影団さ」
「蒼盾団もいいと思うけどなー」
と、各々が口々に話している中、カイは一人呆れたように「お前ら、自団への尊敬はないのか……?」と言った。
瞬間、鋭い声が飛んできた。
「そこ!私語は慎め!」
「「は、はい!」」
四人は咄嗟に口をつぐんだ。
結局、話は逸れてしまったが、仲間と会話をしたことでノエルの心は多少なりとも軽くなるのだった。
「あ、そうだ」
怒られた直後であるにも関わらず、ユニスが思い出したように小さく声を上げた。三人はユニスを見る。
「そういえば白紋団に超有能な新人が入ったって、知ってるか?」
「へぇ、誰なんだろう」
マルクが言う。ユニスは思い出すように空を見上げながら言った。
「えーと、なんて名前だっけな。あー……そうそう、ロシュア=ユリアークってやつ。入ったばっかなのにもう上官候補なんだってさ」
ノエルとカイは顔を見合わせた。その名前は聞き馴染み過ぎていたから。そして二人は同時に言った。
「「だろうな」」
「え、ノエルとカイは知り合いなのか?」
マルクが驚いたように聞くとノエルが応えた。
「昔馴染みなんだよ、俺とカイの」
「あー、二人は同じ村出身なんだよな」
するとカイが両手を頭の後ろで組んで応えた。
「そうそう。あいつ、騎士団に入るなんて言ってなかったくせに。やりやがったな……」
「まぁ、俺やカイもいなくなって寂しくなったんじゃないかな」
「あいつそういうとこあるよな」
カイが「へへへ」と笑う。三人も釣られて笑った。
その瞬間。
「お前たち」
ヒュッと四人が息を呑む音がした。いつの間にかアルベルトは四人の目の前に立ち、冷たく見下ろしていた。
午前中のすべての訓練が終わったのち、隊員たちは宿舎に戻って昼食をとっていた。彼らは訓練場に取り残され、延々と素振りをしている四人を憐れむように見る。
「馬鹿だなー、あいつら」
「知ってるか?紅牙団って一番馬鹿が集まりやすいんだぜ」
「副団長も大変だな」
「まぁ……素振り二千本させられるあいつらも大変だけど」
訓練場では身体が溶けているのではないかというほどの大量の汗を流しながら四人はがむしゃらに剣を振るっていた。四人は疲労と空腹と終わりの見えない罰に声を出す余裕もなかった。
ノエルは朦朧とする意識の中で目の前で上下する剣を見据えていた。
「俺の、剣を振るう理由……」
ただ一言、それだけがわずかに唇を伝って漏れ出る。誰も聞こえなかった。
ノエルにさえ、聞こえなかった。
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