第7章:勝利の代償・契約の完成
数日後、王都の広場にはかつての活気が、より健全な形で戻りつつあった。
新設された「プレミアム保守プラン」の受付には、もはや怯えた顔の若者はいない。彼らは自らのリスクをコントロールできる「安心」を買い、再び自信を持って迷宮へと足を踏み出していく。ドグマの工房からも、故障を恐れずに極限まで出力を高めた改良型魔導具が次々と納品され、そのたびに現場からは歓喜の声が上がっていた。
だが、その喧騒を遠くに聞く財務局の一室で、恒一は一人、最後の手続きを進めていた。
デスクの上に積み上げられたのは、彼がこの一年で書き上げた「王国調達運用マニュアル」の全容である。異常な価格変動の検知フロー、定期的なSLA(品質保証)の見直し手順、そして利権の再発を防止するための相互監視体制。それは、彼がこの異世界に刻み込む、最後にして最強の「契約」だった。
(制度は完成した。あとは、この仕組みが『神崎恒一』という個人の資質に依存することなく、誰が担当になっても自動的に、永続的に回り続けるプロセスを定着させるだけだ……)
ペンを置き、インクを乾かしていると、扉が静かに開いた。入ってきたのはエレナだった。彼女の瞳には、かつての冷徹な「氷の財務官」の面影はなく、共に戦い抜いた戦友への深い信頼と、それゆえに隠しきれない悲痛な色が滲んでいた。
「……神崎。ラグナス侯たちは沈黙したわ。あなたの構築したロジックは完璧すぎて、彼らにはもう反論する術がない。でも、彼らは卑怯な手段を選んだ。仕組みを壊せないのなら、仕組みの『創作者』を排除しようとしているのよ」
エレナが震える手で差し出したのは、国王の紋章が刻印された特命親書だった。
『神崎恒一。その功績は多大であるが、王国の伝統的な秩序を著しく乱し、貴族社会に無用の混乱を招いた責任を問い、本日を以て調達全権を剥奪。辺境の未開地への視察、事実上の無期限追放を命ずる』
恒一は親書の内容を淡々と読み下したが、眼鏡の奥の瞳は驚くほど静かだった。
「想定内です。大きな仕組みを書き換えるとき、古い組織は必ず摩擦熱を発する。その熱をどこかに逃がさなければ、制度そのものが燃え尽きてしまう。……その熱を引き受ける『生贄』が必要なら、私がその役割を担うのが最も合理的だ」
「どうして……! あなたがいなければ、この改革はすぐに骨抜きにされてしまうかもしれないのよ! 私が、陛下に直訴してでも……!」
エレナが感情を露わにして叫ぶ。そんな彼女を、恒一は窓の外の風景を見つめながら静かに制した。
「エレナ様、あなたはまだわかっていない。俺が作ったのは、俺がいなくても回る『仕組み』です。誰か一人の英雄の資質に支えられた制度は、その英雄が倒れた瞬間に崩壊する脆弱なものです。俺が追放されることで、この制度は『異世界人の遺物』ではなく、王国の血肉となった『当たり前の法』として完成するんです」
恒一は窓の外、笑顔で談笑するミレイユや、新人の面倒を見るカイルの姿を指差した。
「見てください。彼らはもう、規約という見えない鎖に怯えていない。ドグマは未知の技術に目を輝かせている。彼らの中に『正当に守られるべき権利』という意識が芽生えたなら、俺の仕事はすべて完了したと言えます」
エレナは唇を噛み締め、溢れそうになる涙を堪えるように視線を逸らした。
「……最初から、そのつもりだったのね。自分を唯一の『コスト』として計上して、この国全体の利益を買い取ったというわけ。あなたはどこまでいっても、救いようのないほど優秀な調達官だわ」
「調達官ですからね。最後は帳尻を合わせるのが仕事です」
恒一はデスクを片付け、最小限の私物だけを鞄に詰めた。去り際、彼はミレイユとドグマが連名で贈ってくれた、安価だが手入れの行き届いた古い魔法灯を一つ、お守りのように鞄の底に忍ばせた。
王都を去る馬車。遠ざかっていく壮麗な王城を、恒一は一度だけ振り返った。
そこには、彼が命を削って組み上げた「契約」という名の魔法が、目に見えない光となって国中を覆い、確かに人々を支え始めていた。




