第4章:王国契約、全面見直し
財務局の最深部、日の光も届かぬ地下資料室。そこは王国が数百年かけて積み上げてきた「既得権益」の墓場だった。
カビ臭い空気の中に、恒一が吐き出した溜息が白く混じる。連日の徹夜作業により、指先はインクで黒ずみ、眼鏡の奥の瞳は慢性的な寝不足で充血していた。だが、その視線は獲物を狙う鷹のように、羊皮紙に綴られた古びた文字の列を射抜いている。
(……予想を遥かに超えているな。これはもはや『契約』と呼べる代物ですらない。単なる国家予算の、特定一族への垂れ流しだ)
恒一が見つけ出したのは、王国が上級貴族、特にラグナス・ベルク侯爵の領地から建設資材や食糧を調達する際の「慣習契約」の実態だった。
価格は市場相場の二倍以上に固定され、品質基準は「例年通り」という極めて曖昧な文言で誤魔化されている。極めつけは契約期間だ。そこには『王国が存続する限り永久に継続する』という、現代日本の独占禁止法に照らせば一発でアウトとなるような、呪いにも似た条項が平然と刻まれていた。
「神崎、あまり深く踏み込みすぎないで。それは、あなたが思っている以上に危険な領域よ」
背後から響いたのは、凛とした、だがどこか焦燥を含んだエレナの声だった。彼女は恒一の無謀なまでの掘り下げを案じるように、資料室の重苦しい空気に立ち尽くしている。
「踏み込まなければ、この国は数年以内に財政破綻します。それも、他国との戦争という外的な要因ではなく、身内の無能な契約によって、内側から腐り落ちるようにです。エレナ様、あなたはそれを指をくわえて見ていろと言うのですか?」
恒一の冷徹な、だが熱を帯びた言葉に、エレナは息を呑んだ。彼女もまた、この不合理を「伝統」として片付けてきた一人だったからだ。
決戦の場は、王城の円卓会議室。
窓から差し込む威厳に満ちた光とは対照的に、室内には陰湿な権力闘争の気配が満ちていた。重厚な椅子に深く腰掛け、傲慢な視線を投げかけてくるのは、既得権益側の筆頭、ラグナス・ベルク侯だ。
「調達課に現れたという、異世界からの『招喚官』か。小役人が、我が一族と王国の数百年に渡る絆にケチをつけようというのか。前例がない。伝統を壊すことは、王国の安寧を乱す反逆行為だと知れ」
ラグナスの声は低く、物理的な重圧を伴って恒一を押し潰そうとする。
並の官吏なら震え上がる場面だが、恒一は無表情のまま、手慣れた仕草で三枚の巨大なグラフを会議机の中央に広げた。
「ラグナス侯。私は伝統の話をしているのではありません。算数の話をしています」
「……何だと?」
恒一の指先が、急勾配を描く赤い線をなぞる。
「現在の『永久契約』を維持した場合、王国の赤字は福利で増大し、三年後には兵士たちの装備更新費用すら捻出できなくなります。その一方で、あなたの領地から納品される木材の品質は、民間の相場よりも二割も低い。ラグナス侯、あなたが守りたい『伝統』の対価として、王国の防衛力が削られている。これはあなたの言う『安寧』ですか? それとも、自分の懐さえ温まれば城壁が崩れても構わないという意思表示ですか?」
「貴様……! 無礼な……!」
ラグナスの顔が屈辱で燃えるように赤く染まり、拳が机を叩く。しかし、恒一は瞬き一つせず、さらに言葉を重ねる。
「感情を排し、構造を見てください。私が提案しているのは、契約の破棄ではなく『再設計』です。市場価格に連動した変動相場制への移行、および品質によるインセンティブの導入。これにより、王国の支出は三割削減され、浮いた資金をあなたの領地の産業支援に充てることも可能になる。これはあなたの利権を奪う話ではない。沈みゆく泥舟から、全員で最新の救命ボートに乗り換えるための、極めて合理的な提案です」
会議室は、水を打ったような静寂に包まれた。
恒一の声は、事務屋のそれとは思えないほどの確固たる意志を帯びていた。彼は「伝統」という名の幻想を、「数字」と「論理」という魔法よりも確かな武器で、一枚ずつ剥ぎ取っていったのだ。
沈黙を破ったのは、王の裁定だった。
一部の契約改定と、試験的な相場連動制の導入。それは、絶対的な壁だった「前例主義」という砦に、恒一が初めて楔を打ち込んだ瞬間だった。
去り際、ラグナス侯が恒一の耳元で、凍てつくような声を残した。
「……後悔することになるぞ、神崎恒一。正しさだけでは、この世界は動かんのだ」
恒一はその言葉を、最高の賛辞として受け流し、一礼した。
しかし、この理詰めの勝利の影で、制度改革がもたらす「予期せぬ副作用」が、静かに、そして確実に首をもたげ始めていた。




