第3章:ギルド利用規約の罠
冒険者ギルド「白銀の盾」の広間は、熱気と怒号、そして不吉な鉄の匂いに包まれていた。
エントランスの床には、幾千もの魔力を吸い込み、淡く輝いていたはずの高価な『魔力感知水晶』が、無残な破片となって散らばっている。その中心で、二十代前半の血気盛んな戦士カイルが、鉄錆の浮いたカウンターを拳で激しく叩きつけていた。
「ふざけるな! モンスターの奇襲で、仲間を逃がすために盾を投げ出したんだ。その拍子に壊れたんだぞ。なんで俺たちが、一年分の報酬に相当する額を全額弁償しなきゃならないんだ!」
カイルの背後に控えるパーティーメンバーたちの顔にも、絶望と怒りが張り付いている。彼らにとって、この水晶は命を繋ぐための「貸与品」だったはずが、今や自分たちの未来を縛り上げる「借金の鎖」へと変貌していた。
カウンターの向こう側では、受付嬢のミレイユが、幽霊のように青ざめた顔で頭を下げ続けていた。その指先は小さく震え、言葉を紡ぐ唇は渇ききっている。
「……申し訳ありません。ですが、ギルド規約第十四条に基づき、貸与品の損壊はいかなる理由であれ、借用者である冒険者側がその全額を負担すると定められておりますので……。例外は、認められていないのです」
ミレイユの瞳には、かつての明るい輝きは微塵もなかった。あるのは、規約という名の「抗えない不条理」を、最前線で他人に押し付け続けなければならない者の、深い諦念と精神的な磨耗だった。
その光景を、恒一は広間の隅にある石柱の影から、氷のように冷徹な眼差しで観察していた。
彼はミレイユの笑顔が消え、冒険者たちが疲弊していく原因を突き止めるべく、ここ数日、ギルドの壁に無造作に貼られた「規約」の正体を読み解いていた。
(……やはりな。現代日本の悪質なサブスクリプションサービスの規約よりも質が悪い。文字は意図的に細かく、用語は定義されないまま多用され、すべてのリスクは『冒険者』という最末端のユーザーに帰結するよう、悪意を持って設計されている)
恒一は静かに歩み寄り、カイルの怒号を遮るように、ミレイユの隣に立った。
「カイルさん、落ち着け。……そしてミレイユさん、君が謝る必要はない」
突然現れた黒髪の事務官に、広場が静まり返る。カイルが怪訝そうに恒一を睨んだ。
「あんた、誰だ? 王国の役人が、俺たちの苦労の何がわかるってんだ」
「王国調達課の神崎だ。カイルさん、あなたが戦うべき相手は、目の前で困り果てている受付嬢じゃない。この、誰も読まず、誰も理解できず、それでいてあなたの人生を容易く破壊する『欠陥だらけの規約』だ」
恒一は懐から、一通の羊皮紙を取り出した。それは、彼がギルド幹部との面会を強引に設定するために用意した「現状分析報告書」だった。現れたギルド幹部は、贅肉のついた顎をさすりながら、面倒そうに鼻で笑った。
「改定だと? 冗談はやめてもらおう。この規約は、冒険者ギルドが設立された数十年前から一言一句変わっていない『神聖なルール』だ。読まなくても問題なく回っているものを、なぜわざわざ変える必要がある?」
「『問題なく回っている』? 笑わせないでください。現場ではトラブルが頻発し、優秀な冒険者は理不尽な賠償金で引退を余儀なくされ、受付嬢は精神をすり減らして辞めていく。それは『回っている』のではなく、ただ『壊れている』のを、あなたたちがメンテナンスを怠って放置しているだけだ。……これを、ビジネスの世界では『不作為の過失』と呼ぶんです」
恒一は、幹部の反論を待たずに「規約改定案」を突きつけた。
「提案は三点。第一に、『不可抗力による損壊』の免責条項の追加。戦闘中、生命の危機に瀕した状況での損壊は、ギルドが共済基金から補填する。第二に、ギルド側が提供する魔物情報の『正確性』に対する責任の明文化。間違った情報を掴まされた冒険者の損失を、なぜ冒険者が被る必要がある? そして第三に、専門用語を廃した、誰でも三分で理解できる『重要事項説明書』の作成です」
「そんな、責任をこちらが持つなどと……予算が……」
「予算なら、トラブル対応にかかっている人件費と、引退した冒険者の再教育コストを削減すれば、十分に捻出可能です。それとも、このまま優秀な稼ぎ手を全員失って、ギルドごと沈む道を選びますか?」
恒一の突きつける「数字」と「論理」は、魔法よりも鋭く、幹部の慢心を切り刻んだ。
試験的に導入された新規約は、劇的な変化をもたらした。責任の所在が透明化されたことで、冒険者たちは再び「挑戦」のリスクを計算できるようになり、無意味な衝突は激減した。
数日後。
窓口に立つミレイユの顔には、かつての柔らかな笑顔が戻っていた。
「神崎さん。規約というものが、人を縛り付けるだけじゃなく、私たちを守ってくれる盾になるなんて……。私、考えたこともありませんでした」
感謝を伝える彼女に、恒一は「それが本来の契約の姿だ」と短く応え、背を向けた。
規約が人を守ると証明した今、彼の次なる戦場は、より巨大な既得権益――王国そのものが抱える「慣習」という名の不透明な契約へと移ろうとしていた。




