第2章:魔法道具は無料じゃない
石造りの廊下に、恒一の革靴が鳴らす規則的な音が冷たく響く。
脇に抱えた資料の重みは、そのまま王国が抱える不合理の重みだった。配属から数日、恒一が真っ先に取り組んだのは、現場で起きている事象の「可視化」である。王国中から集まった過去数年分の断片的な記録を、現代日本のビジネスフレームワークで整理し直す作業。それは、混沌とした異世界の事務作業に、初めて「論理」という光を当てる行為だった。
(魔法灯の故障率が月間十五パーセントを超え、その全てにおいて修理費用が都度請求されている。その一方で、魔法が供給されようがされまいが『ライセンス料』という名の固定費は一分たりとも止まらない……。これでは現場が疲弊し、予算が底を突くのは当然の帰結だ)
窓の外では、陽光を浴びた騎士たちが訓練に励み、空には優雅に飛行魔獣が舞っている。だが、そんな情緒的な光景も、恒一の冷徹な網膜を通せば「莫大な維持コストの塊」にしか映らない。彼が向かったのは、王都の場末、煤煙と魔力の残滓が漂う一角に位置する「ドグマ魔法工房」だった。
建物の隙間から漏れ出す、金属を叩く不規則な打音。扉を押し開けると、噎せ返るような熱気と共に、煤で顔を汚した大柄な男が姿を現した。魔法工房長、ドグマ・リッツ。太い腕を組み、不機嫌を隠そうともしないその佇まいは、技術への自負と、それゆえの選民思想を煮詰めたような職人気質を体現していた。
「……また王国の役人か。集金なら後にしてくれ。こっちは魔石の仕入れ代すら滞ってるんだ。これ以上、支払いを急かされても出すもんはないぞ」
ドグマの言葉には、慢性的な赤字に喘ぐ者の刺々しさが混じっていた。
恒一は無言のまま眼鏡のブリッジを押し上げ、傍らの雑然とした作業台に、一枚の分厚い羊皮紙を広げた。
「集金に来たのではありません。ドグマさん、あなたの工房が、なぜこれほど『赤字』なのか――その病根を特定しに来たんです」
「なんだと?」
ドグマの眉が跳ね上がる。恒一は構わず、自身の書き込んだグラフを指し示した。
「あなたの価格設定は、あまりに感覚的すぎます。魔法道具一個あたりの製作原価に、魔力充填の手間、さらには素材の市場変動リスク……。それら全てを精査せず、『先代からの慣習』という名の、根拠なき月額銀貨三枚に丸め込んでいる。これが全ての元凶です」
「……根拠がないだと? これは職人の誇りを込めた適正価格だ!」
「誇りでは飯は食えません。見てください、現在の素材相場は先代の頃の二倍に跳ね上がっている。つまり、あなたは作れば作るほど、王国に奉仕するボランティアをしているに過ぎない。だから保守点検に回す予算がなくなり、結果として故障が増え、現場から罵声を浴びせられる。そのクレーム対応でさらに職人の時間が削られ、新しい技術開発を阻害している……。違いますか?」
恒一の淡々とした、だが逃げ場のない指摘に、ドグマの喉が震えた。作業の手を止めていた周囲の職人たちからも、動揺のざわめきが漏れる。 「責任分界点が、あまりにも曖昧すぎるんです。どこまでが工房の品質保証範囲で、どこからが利用者の過失による故障か。それが決まっていないから、あなたは無理な無償修理を強いられ、現場は『いつ直るんだ』と一方的に怒鳴り散らすことになる」
恒一は懐から、もう一枚の書面を取り出した。それは、この世界で初めて「サービスレベル」と「責任」を定義した、『魔法道具貸与及び保守に関する基本契約書(案)』だった。
「これは……?」
「対等な取引を行うためのルールです。提案はこうだ。基本ライセンス料は、あなたの利益が出る適正価格まで引き上げる。その代わり、故障時の対応時間を明文化し、それを遵守できない場合は減額対象とする。ただし――」
恒一の声に力がこもる。
「――砂嵐での使用や魔物による物理的な損壊など、利用者の過失が明白な場合は、修理費用を全額利用者に請求できる権利を保証する。これで、あなたは正当な労働の対価を得られ、不条理なクレームから解放される。どうです、悪くない話でしょう?」
ドグマは震える手でその書面を受け取った。並ぶ専門用語の意味は完全には理解できなくとも、そこには確かに「自分たちの技術を安売りさせず、守るためのロジック」が血肉となって通っていた。
数週間後。
王国調達課の窓口では、ミレイユが信じられないものを見るように帳簿を凝視していた。
「神崎さん……! 魔法道具の不具合報告が、先月の半分以下に減っています。それに、ドグマ工房からの納品スピードが以前の三倍に……。一体、どんな魔法を使ったんですか?」
「魔法じゃありません。単に『適正な価格設定』と『責任の明確化』を行っただけです。双方が得をしない契約は、いずれ必ず破綻しますから」
恒一は淹れたての渋い茶を啜り、眼鏡の奥で静かに微笑んだ。
だが、安堵の時間は短い。彼の視線はすでに、次の「膿」――冒険者ギルドが長年放置してきた、一方的で難解な「利用規約」へと向けられていた。




