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異世界サブスク調達課、開設します。 〜魔法は便利だけど契約が地獄なので、俺が全部整備する〜  作者: 言諮 アイ


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第1章:異世界サブスク調達課、爆誕

 まどろみの淵で、神崎恒一は硬い机の感触を頬に感じていた。

 意識の断片が、深い闇の底からゆっくりと浮上してくる。鼻腔を突くのは、二十四時間稼働するオフィスの空調が運ぶ乾燥した埃っぽさでも、コンビニの安価なドリップコーヒーが酸化した饐えた臭いでもない。もっと古びた紙の、乾いた植物と動物の革が混じり合ったような、微かに甘く、どこか懐かしくも決定的に異質な香りだった。


(……また、デスクで落ちたか)


 重い瞼の裏側に、昨晩まで格闘していた忌々しいスプレッドシートの残像が明滅する。

 外資系クラウドベンダーから突きつけられた、一方的なライセンス更新料の値上げ通知。保守サポート料の不透明な算出根拠。そして「全社一括導入」を人質に取った、実態の伴わないオプション機能の抱き合わせ販売。それら理不尽な要求の隙間を突き、一円でも多くコストを削り取るためのロジックを組み立て、契約書の修正案を精査しているうちに、意識が途切れたはずだった。

 恒一は溜息を飲み込み、鉛のように重い頭を無理やり持ち上げた。


 だが、視界に飛び込んできたのは、見慣れた液晶モニターの冷たいブルーライトではなかった。

 開け放たれた窓から差し込む、暴力的なまでに鮮やかで透き通った陽光。埃が金色の粒子となって舞う部屋の中は、石造りの重厚な装飾に縁取られている。


「……ここは、どこだ?」


 呟いた声が、高い天井に空虚に響いた。

 自分の手を見る。キーボードを叩き続けた指のタコも、二十八年間付き合ってきた細身の肉体も、確かに自分自身のものだ。

 しかし、身に纏っているのは愛用の安スーツではなく、肌触りの良い上質な麻のシャツと、どこか軍服の機能美を思わせる、濃紺の官吏制服だった。

 デスクの上に置かれた一枚の書類が、恒一の視線を吸い寄せた。

 羊皮紙特有のざらついた質感の上に、流麗なインクの文字が躍っている。


『辞令:神崎恒一。本日付を以て、王国財務局・調達課への配属を命ずる。……王国宰相代行』


(調達課……? 異世界にまで来て、またあのアホみたいな交渉と調整の毎日を繰り返せってのか?)


 恒一の口端が、自嘲気味に歪んだ。どうやら自分は、伝説の聖剣を抜いて魔王を討つ勇者でも、塔に引きこもって世界の真理を解き明かす賢者でもないらしい。ただの、王国の買い出し係――組織の歯車に過ぎないというわけだ。

 だが、絶望よりも先に湧き上がってきたのは、職業病とも言える冷徹な観察眼だった。

 壁際に並ぶ膨大な羊皮紙の棚。それらは分類すら満足になされず、紐で縛られたまま無造作に積み上げられている。床に転がった空のインク瓶。羽ペン。それらから漂う「組織としての機能不全」の匂いに、恒一の胃のあたりがじりじりと焼けるように痛んだ。

 部屋の扉が、遠慮のない音を立てて開いた。


「お、起きたか、新入り。……いや、異世界からの『招喚官』様だったな。お前の仕事は、もう山積みだぞ」


 現れたのは、無精髭を蓄えた初老の男だった。案内されるまま、恒一は「王国調達課」の本室へと向かった。

 そこは、戦場だった。

 怒号が飛び交っているわけではない。しかし、漂っている空気は、恒一が日本で嫌というほど見てきた「終わっている現場」そのものだった。

 山積みにされた請求書の山。その前で、真っ青な顔をして算盤のような道具を弾く職員たち。受付カウンターでは、かつては可憐だったであろう若き受付嬢ミレイユが、死んだ魚のような瞳で、武装した冒険者からの執拗な苦情を受け流している。


「これを見てくれ。今月の『魔法灯』の維持費だ」


 案内役の男から手渡された一枚の羊皮紙。そこに並ぶ数字と項目を見た瞬間、恒一の眼鏡の奥の瞳が、獲物を定めた猛禽のように鋭く細められた。


「……何だ、この請求は。魔法灯一個につき、毎月銀貨三枚? 維持費という名目にしては、市場価格の相場から乖離しすぎている。それに、この『魔力供給ライセンス料』とは一体何だ? 物理的な魔石の補充費用は別建てになっているじゃないか」

「何だって言われてもな……。魔法道具ってのは、そういうもんだ。魔法工房が作った道具を、俺たちが月額で借りる。壊れたらまた追加料金。昔から、王国ではこう決まってるんだよ。文句があるなら工房の親方に言ってくれ」


 恒一は書類をさらに読み進め、指先で紙の縁をなぞった。

 手がかりを探すうちに、ある致命的な、そして致命的すぎる欠陥に気づく。


「契約書は? 貸与の期間、責任の所在、故障時の対応時間、そして中途解約の条項が明文化された書面はどこにある?」


 男は、恒一が未知の言語でも喋ったかのように、不思議そうに首を傾げた。


「契約書? そんなものはない。基本は工房の親方との口約束だ。信用が第一だからな。お前、さっきから細かいことばかりうるさいぞ」


 恒一の頭の中で、パチンと何かが弾ける音がした。

(口約束で月額課金……? つまり、サービス提供側が一方的に価格も条件も変更できる、完全にノーガードのSaaS運用じゃないか。しかも責任分界点すら不明確……。これを数十年も放置していたのか?)


 眩暈がした。これはもはや「不条理」という言葉ですら生ぬるい。ただの略奪だ。

 絶句する恒一の前に、カツカツと硬い靴音を響かせて一人の女性が歩み寄ってきた。

 燃えるような赤い髪をタイトにまとめ、冷徹なまでの美貌を誇る女性――王国財務官、エレナ・ヴァルシュタイン。彼女が纏う空気は、周囲の喧騒を凍りつかせるほどの威圧感に満ちていた。


「あなたが、日本から来たという神崎恒一ね。呆けている暇はないわ。この国は、魔法道具の維持費だけで国家予算の三割を食いつぶされているのよ。原因は明白。魔法使いや工房への支払いが多すぎるの。……私は、彼らの報酬を一律で二割削減するつもりよ」


 エレナは数字至上主義者らしく、手元の帳簿を指して冷たく言い放った。彼女もまた、赤字という名の怪物と孤独に戦い、出口の見えない迷宮で現場を追い詰め続けていたのだ。

 恒一は彼女の射抜くような視線を、真っ向から受け止めた。


「エレナ様。原因は魔法の代金そのものじゃありません。この『制度』という名の、穴だらけのバケツです」

「制度?」

「ええ。契約書もなく、条件も整理されず、ただ相手の言い値で月額を払い続けている。壊れれば現場の責任にされ、冒険者は賠償金で首が回らなくなる。その一方で、工房側もまた、不透明な請求を繰り返すことで現場の信用を失い、長期的には首を絞めている。……この負のスパイラルが、予算を食いつぶしている正体だ」


 恒一の声が、静まり返った部屋に低く、だが確かな説得力を伴って響いた。


「……それ、誰が損してる?」


 その問いに、エレナは言葉を詰まらせた。


「王国は予算を失い、現場は不当な責任を押し付けられ、冒険者は搾取に喘いでいる。全員が損をしている。得をしているのは、この『曖昧さ』という泥沼の中に隠れている、整備されていない仕組みだけだ。……俺は、それが一番嫌いなんです」


 恒一は、デスクに置かれた請求書を、まるで宣戦布告のカードのようにエレナの前へ押し出した。  彼の脳内では、現代日本で培った泥臭い調達・契約の知識が、凄まじい速度で回転を始めていた。魔法の才能など、この世界に来ても一欠片も目覚めていない。だが、言葉一つ、条項一つで世界を書き換える力なら、自分は持っている。


「エレナ様。俺をこの課の担当にしてください。……俺が、この地獄を整備してやる。魔法より強い武器は、正しく整備された契約だと、この世界の連中に教えてやりますよ」


 呆然と立ち尽くす職員たちと、興味深げに眼鏡の奥を覗き込むエレナを背に、恒一は自分のペンを手に取った。

 異世界SaaS調達課、爆誕。

 ここから、神崎恒一による「契約という名の魔法」が、王国の理不尽を塗り替えていく戦いが幕を開ける。

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