【幕間】どれだけ遠くに居たとしても
酒場で1人、私は答えの出ない疑問をずっと繰り返していた。
考えれば考えるほど、自分のことが嫌いになる。
そんな思考を、ただひたすら。
私は竜人族と呼ばれる種族として生まれ、ラヴィンの名で生きて来た。
ヘルマとは幼い頃からずっと一緒で、ずっと隣で生きて来た。
そんな日々が今日、消えてしまったのだ。
私自身が、終わらせるべきだと思ってしまったのだ。
ギルドで3人を待っている時はまだ、ここまでの劣等感を抱くことはなかった。
綺麗な顔立ち、美しい立ち姿。
一目惚れする人は数えれば数えるほど居るだろう。
でも、魔物狩りには不慣れだと思っていた。
そこが私の、勝機になると信じていたのだ。
私は竜人族である以上、他の種族よりは体が丈夫だ。
自堕落な生活を送っている者でさえ、そんじょそこらの冒険者には負けないような、それほどにまで強い種族。
私は魔物狩りにも何回か出たことがある。
他に優先する事があったため、続ける事はなかったが、この街周辺の魔物であれば困る事はないだろう。
それぐらいの自信はあった。
…それすらも、打ち砕かれる事になるなんて。
(何…アレ…)
見た事もない剣閃。大した用意もなく、あれほどの規模の攻撃ができる人なんて、聞いたこともない。
「竜狩りをしたことがある」という言葉は嘘ではないんだろう。
それどころか、格の高い竜すらきっと倒せるんだろうと思えるほどだ。
私みたいに破壊するしか脳のない竜人と違って、魔導にも精通しているのだという。
私は何も、何一つ持ち得ていなかったと、そう痛感させられた。
そのままギルドに歩いて帰っている最中も、何も考えられなかった。
ただ敗北感を感じているだけで、騙されているんじゃないかとか、そういう次元の話じゃないんだとようやく気がついた。
ギルドの人たちは温かく、私たちの…彼女の成果を盛大に祝ってくれたが、少しも気分は晴れなかった。
寧ろ暗く、「ドラセナへと献上するのが正しいんだ」という思考が強くなるばかり。
「少し話したいことがあるのですけど。良いですか?」
酒場に着くと、何の気まぐれかドラセナの方から話しかけて来た。
日暮れまでは私が牽制で話しかけ続けていたから、それの仕返しとでもいうのだろうか。
もう、私にはヘルマの顔を見るだけで辛いというのに。
「ラヴィンは、随分とヘルマに入れ込んでいるように見えますけれど」
「…そうだね。数年の間、私の生きる意味みたいなものだったよ」
そんなこと聞いて何になるんだ。
鬱陶しかったかい?邪魔だったかな?仕方ないじゃないか。そんなの。
ふむ、と少し考えていたドラセナは、次の質問を投げかけて来る。
「今日のあなたの話の上だと、手紙については何も聞いていないように感じるのですが」
「手紙?」
手紙がどうした。
殺害予告の1つでも寄越していたのか?
「ええ。何年前からでしょうか、私はヘルマと文通をしているのですけど…」
「は、は。そうだったんだ。私はっ、何も知らないで、何年も。そっか」
呼吸が苦しくなる。
何でも話してくれてると思ってた。
私を一番信頼してくれてると思ってた。
ヘルマは、そうだったんだ。
乾いた笑いを漏らすだけの私を、よくもそんな哀れんだ目で見てくれるじゃないか。
たかだか今日話しただけだと、そう思っていたのに。
彼の魅力的な部分を、これは知らないだろうと話していたのは。
昨日今日の話しか彼女が出してこないのは。
なんだったんだろう。
少しの沈黙に、ドラセナが小さくため息を吐く。
「…この国の、あなた方の価値観がどうかは知りませんが、私は正妻と側室、という考えもありだと思っていたんですが」
「側室…?」
お貴族様みたいな事を言う。
平民が貴族の真似事をしたところで、ただの浮気でしかない。
「いたんですが…あなたがそのような状態では」
「どういう事さ。顔かい?地位かい?それとも力?全てを持ち得ているだろうね。君は」
今度は遠慮もなくため息を吐くドラセナ。
首を小さく横に振る。
「初めて見た時は、心が向いているんだろうと思っていたんですが…今のあなたを見ていると、ただ私に対する劣等感しか手元に無い様に見えますわ」
「何が言いたいんだよ。はっきり言いなって」
「ええ、ですから」と一呼吸置いて、私を強く見つめて来る。
「負けている要素があるからと、諦めてしまう様な、そんなものだったのかと思いまして」
「…ぁ」
嫌だ。気付かされたくなかった。
よりによって、こいつに。
そうだ。私は今日、ヘルマに想いをぶつけるために店を出て。
1日中ずっと。
ただドラセナに勝って安心できる何かを探していた。
「ヘルマが誰に心を向けようと、何に注目しようと、構わないと思っていたんですけどね」
一つ一つが心に刺さる。
自分という浅はかな人間が、勝ちや負けなどという土俵に上がれてすらいなかった自分が。
思い上がって自分のことしか考えていなかった事を、教えられた。
「…彼は外に出たみたいですから。私は彼を探しに行きますわね」
そう言い残してドラセナは店を出た。
私は、しばらく何も考えられなくて。
ただ1人、食べ終わった皿を見つめていた。
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会計が終わって酒場を出る。
カリヤとチョコは2人を探しに行くみたい。
合流しに行こうと言ってくれたけど、私にそんな気力は残ってなかった。
(なんで生きてるんだろう、私)
今までの人生が、全て無駄だった様なものだ。
とぼとぼと暗い道を歩く。
公園のうっすらとした灯りが、今の自分には丁度良かった。
うすら寒い冬の夜。
この肌が冷える感触のまま、眠りに就こうかと目を閉じていた。
「…ィン!…ヴィン!ラヴィン!おい!」
カリヤの大きな声で目が醒める。
体を起こすとカリヤとチョコが私をみて、何やら焦った顔をしている。
「ラヴィン!何かおかしい!あの2人、どこにも居やしねぇんだ!」
「外に出るにしても見つからずに、っていうのは無理がある。色んなところを回ったけど誰1人として見てないって。」
ひどく納得感があった。
あの2人のことだ。きっとうまく行くだろう。
こんな緊急事態だというのにも関わらず、私の頭はあまりにも他人事で、何も問題を感じていなかった。
「おい!なんとか言えって!聞こえてるか!?なあ!」
「大丈夫。聞こえてるよ。うん、大丈夫なんじゃないかな。あの2人だし」
「お前、何言って…」
カリヤは言いかけて、何かに気付いたのか、はっと息を呑む。
「まさか、諦めんのかよ」
「…諦める?何を?」
聞くまでもない。
1つしかないだろう。
心臓が痛み、眉間に力が入るのを感じる。
顔を上げられない。見せられる顔じゃないだろうから。
「ラヴィン、お前…たかだか貴族の女が来たからって、今までの想いを!」
「うるっさいなぁ!!黙ってなよ!最初からずっと上手くいってさ!!2人が私に言える事なんか!これっぽっちも無いじゃんか!!」
話しているだけで幸せだった。
安らかな関係でよかった。
そんな小さな願いすらも踏み潰された人の気持ちを知らないから、そんな残酷な主張を押し付けることができるんだ。
「ラヴィン…」
「時間が無いんじゃないの?探しに行きなよ!私はもうどうだっていいさ!」
カリヤは何も言えず、黙りこくっている。
何かを言おうとして顔をあげ、その度に苦い顔をして下を向く。
「…本当に、本当にそれでいい?」
今度はチョコが口を開いて来た。
どうだっていいって言ったのが聞こえなかった?
「いいよ。私は。もう、何だって構わない」
「じゃあ、何で武器屋で…」
武器屋?武器屋で何が。
チョコは苦しそうな顔をして、それでも私に何かを言おうとしている。
「武器屋でヘルマに、料理の味を褒められた時、あんな穏やかな笑顔をしたの?」
チョコの手が、力強く私の肩を掴む。
「あれが、あれが本心なんじゃ無いの!?」
叫び慣れていないチョコの声が掠れている。
私は、何も言えずに目を逸らすことしか。
「私と同じだよ!ラヴィンだって、ヘルマを想う気持ちが!あったんじゃんかぁ!」
なんで、どうしてチョコが泣いているんだろう。
関係ない事でしょ。
私の気持ちなんて、私以外。
「私、私の…」
「そうだよぉ…!ヘルマと一緒に居たいんじゃないのぉ…」
そう、そうなんだろうか。
でも、私は、今日…
「私、ヘルマの事…」
「好きじゃあん…絶対好きだから…なんでそんな事言うんだよぉ…!」
私は、ヘルマを想えているのだろうか。
私にも。
…。
「なあ、そのさ。ラヴィン」
「いい。もう大丈夫だから」
「えぇ…?」
抱きついていたチョコが顔を上げる。
鼻水と涙で顔がぐしょぐしょだ。
「ヘルマを探す。集中するから少し離れてて」
歩む方向は決まった。
まずは、2人に会わないと。
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頭の角に全神経を集中する。
竜人族の角は、多くの役割を持つ。
この力で私は、ヘルマがどこにいても探すことができる。
周囲には見当たらない。
国のどこかか、どこだろうか。
…
……
………あれからどれだけ経っただろうか。
今ここがどこなのか分からない。
ただ、導かれているような感覚に身を任せているだけ。
まだ、彼の存在は感じない。
それからしばらく、ようやくヘルマの存在を感じる場所を見つけた。
でもそれがどこなのか、どうやっていくのか、皆目見当もつかない。
(行けなくたって、行くんだよ…!)
その想い1つ。
全力で宙に武器を振り下ろした。
世界は割れ、高く聳え立つ建築物が高さそれぞれに整列する、未知の世界が姿を見せる。
迷うことなくその世界に足を踏み入れ、世界を見渡す。
「お、おい!ここに居るのか?あいつらはよ!」
「間違いない。近くに、感じてる」
…見つけた。下に居る。
何を思うよりも早く、足が動いていた。
空高くから飛び立ち、そのまま地上へと落下する。
ズン!と着地し、正面で驚いた顔をしているヘルマへと走る。
「どこにも、行かないでよ」
今はただ、それだけを伝えるために。