星屑のバス停で、君と。
この物語を手に取ってくださり、ありがとうございます。雪代深波と申します。
夜空にきらめく星と、何気ない日常の中にあるバス停。その二つが交差する時、もしも運命の出会いが訪れたら――そんな想像から、この『星屑のバス停で、君と。』は生まれました。
主人公の九条柚南は、ある冬の夜、かけがえのない出会いを経験します。しかし、その出会いは、突然の別れへと繋がり、彼女は募る想いを抱えながら、ただ彼を待ち続けることになります。これは、会えない時間の中で育まれた一途な恋心と、その先に訪れる奇跡のような再会、そして二人が共に困難を乗り越え、確かな未来を築き上げていく物語です。
当たり前の日常の中に潜む、切なさや寂しさ。そして、それらを乗り越えた先に待っている、温かい希望と、かけがえのない愛の輝きを、この物語を通して感じていただけたら幸いです。
夜空の星が、あなたの心にも温かい光を灯しますように。
登場人物
九条柚南:主人公。バス停で出会った黎弥に恋をする。
一ノ瀬黎弥:クールに見えて情熱的な男の子。
駅前のロータリーから少し離れた、人通りの少ないバス停。古い木製のベンチは風雨にさらされて色が褪せ、かろうじて残る時刻表の文字も読みにくい。けれど、私にとってそこは、何よりも大切な場所だった。
あの日の夜も、こんな風に星が降るようにきらめいていた。冬の澄んだ空気は肌を刺すほど冷たくて、吐く息はすぐに白くなっては消えた。制服のポケットに手を突っ込み、ひたすらバスが来るのを待っていた私に、ふいに声がかけられたのだ。
「あの、すみません。終バス、もう行っちゃいましたよね?」
顔を上げると、そこにいたのは、少し困ったような笑顔を浮かべた君だった。
それから、他愛のない会話を交わすうちに、私たちはあっという間に時間を忘れて話し込んだ。たった数時間の出来事だったのに、君の言葉は凍えていた私の心に、じんわりと温かい光を灯してくれた。星屑が降り注ぐような、奇跡的な夜だった。それからというもの、私は毎日、あのバス停に通うようになった。
終バスが行ってしまった後、冷え込むベンチに一人座り、空を見上げる。きっと君も、どこかでこの星を見ているだろうか。そんな他愛もないことを考えながら、通り過ぎる車のヘッドライトや、遠くで点滅する街灯をぼんやり眺める。
けれど、君は二度と現れなかった。
何日経っても、何週間経っても、あの夜のようにふいに声をかけてくれる人はいない。携帯の待受画面にした星空の写真は、色褪せることなく輝き続けているのに、私の心の中には、少しずつ冷たい空気が入り込んでくるようだった。
それでも私は、行くのをやめられなかった。
あの日、君と座ったベンチ。君が話してくれた、他愛のない冗談。耳の奥に残る、温かい声。まるで、このバス停が、君と私を繋ぐ唯一の場所に思えたから。雪がちらつく日も、風が強い日も、私は一人、星屑のバス停で、君を待ち続けた。バス停に通い始めた頃は、ただもう一度、君に会って話がしたい。それだけだったはずなのに。
冷たいベンチに座り、吐く息が白く消えるたびに、君の言葉が蘇る。他愛のない冗談、少しだけ困ったような笑顔、そして、まっすぐに私を見つめてくれた瞳――。
いつの間にか、私は君に恋をしていた。
もし、このバス停で君と再会できたら。今度こそ、勇気を出して連絡先を聞いてみようか。それとも、もう一度、あの夜のように他愛もない話をするだけで、私の心は満たされるだろうか。星が瞬くたびに、そんな「もしも」が頭の中を駆け巡る。君とまた会えたら、きっとこの冷たいベンチも、凍える夜風も、全部温かく感じられるのに。
君のいないバス停は、ただただ静かで、まるで私の心を表しているようだった。それでも、私はこの場所に来るのをやめられない。だって、ここだけが、君と私が確かに存在した証だから。
夜空を見上げ、一番明るい星にそっと願う。もう一度、君の隣に立てる日が来ますように。この星屑のバス停で、君と。
あれから、どれくらいの月日が流れただろう。 私はもう、星屑のバス停には通っていなかった。諦めたわけじゃない。ただ、私の日常は、寂しさばかりに支配されてはいけないと、そう、ほんの少しだけ前を向こうとしていたのだ。
その日、私は友人と、少し遠出したショッピングモールに来ていた。慣れない人混みの中、賑やかなBGMが流れるフードコートで、ふと、視線の先に釘付けになった。
見慣れた背中があった。 いや、見慣れていた、というにはあまりにも突然で、夢でも見ているようだった。あの時と同じ、少しだけくしゃっとしたシャツのしわ。スマートフォンの画面を覗き込む、少し猫背気味の姿勢。そして、すらりと伸びた首筋。
まさか。そんなはずは、ない。
心臓が、ドクンと大きく鳴った。一瞬、呼吸すら忘れて、その背中をじっと見つめる。いや、違うかもしれない。ただの空目かもしれない。そう、何度も自分に言い聞かせた。けれど、足は勝手に動き出していた。人混みを縫うように、まるで磁石に引き寄せられるみたいに、その背中に近づいていく。
あと、数歩。あと一歩。 「あの……」
声が、喉の奥でつかえる。枯れた声では、きっと届かない。もう一度、大きく息を吸い込み、震える指先で、そっと彼の肩に触れた。
「あの……黎弥くんだよね?」
恐る恐るかけた私の声に、その背中はゆっくりと振り返った。
振り向いた黎弥くんの顔は、一瞬、驚きに目を見開いていた。数秒の沈黙。その間に、私の心臓は喉元まで飛び出しそうだった。ああ、やっぱり人違いだったのか、と絶望しかけた、その時。
彼は首を傾げ、少し困ったような、それでいてどこか芝居がかった表情を浮かべた。
「えっと……どちら様でしたっけ? 人違いじゃないですか?」
予想外の言葉に、私はあんぐりと口を開けたまま固まった。脳が、その言葉を処理しきれない。覚えてくれていない? いや、そんなはずは……あの、星屑のバス停で、確かに、私たちは――。
「あ……」
口から出かかった言葉は、そのまま空気に溶けていく。ショックで、足元の地面がぐらりと揺らいだ気がした。
すると、黎弥くんは、そんな私を見てフッと小さく笑った。その笑みは、あの夜、私の隣で星空を見上げていた彼と、確かに重なった。
「なーんて。冗談だよ。覚えてるに決まってるだろ、九条柚南ちゃん」
彼の口から自分の名前が出た瞬間、私の目から、止めどなく涙が溢れ出した。一瞬の絶望から、一気に解き放たれるような安堵。そして、ずっと会いたかった人に、やっと会えたという、どうしようもないほどの喜びが、胸いっぱいに広がった。
「黎弥くん……!」
溢れる涙を拭うこともせず、私はただ、彼の名前を何度も呼んだ。目の前の黎弥くんは、少し困ったような、それでもどこか優しい笑みを浮かべて、私を見つめている。ショッピングモールの喧騒が遠くに聞こえる中、二人きりの空間だけが、まるで時間が止まったかのようだった。
「ごめん、驚かせたな。まさか、あんなところで君に会えるなんて思ってなかったから、つい、いつもの癖で……」
黎弥くんはそう言って、照れたように頭をかいた。いつもの癖? そんな言葉が、彼の「いじわる」の裏に隠された何かを示唆している気がした。涙が少し落ち着いたところで、私は震える声で尋ねた。
「あの……どうして、ずっとバス停に来なかったの? 私、毎日……毎日、待ってたんだよ?」
私の言葉に、黎弥くんの表情から笑顔が消えた。彼は少し視線を伏せ、口元をきゅっと引き結ぶ。沈黙が降りてきて、胸の奥が再びきゅっと締め付けられる。
「ごめん。来たくても、来れなかったんだ」
絞り出すような彼の声は、どこか諦めに似た響きを帯びていた。そして、彼はゆっくりと顔を上げた。その瞳の奥には、私が知らなかった、深い疲労と、痛みが宿っているように見えた。
「あの夜、君と別れた後、俺、倒れて……」
彼の言葉に、私の心臓が凍りついた。信じられない、と叫び出しそうになる私に、黎弥くんは苦しげに言葉を続けた。
「少し、厄介な病気でさ。あの後すぐに入院することになって。バス停に行くどころか、しばらくは動くこともままならなかったんだ。だから……連絡することも、できなくて」
彼の口から語られる真実に、私の頭は真っ白になった。毎日、ただ彼を待っていたあのバス停の時間は、彼にとっては、もっと厳しい闘病の日々だったなんて。彼の「いじわる」の裏には、想像を絶するような「残酷な」現実が隠されていたのだ。私の心は、彼の苦しみを理解すると同時に、どうしようもない切なさでいっぱいになった。私が言葉を失って立ち尽くしていると、黎弥くんはまっすぐに私を見つめ、静かに、けれどはっきりとした口調で続けた。
「でも、もう大丈夫。柚南ちゃんが心配するようなことは、何もない。治療も全部終わって、体もすっかり元通りだ」
彼の言葉に、私の瞳から、再び熱いものがこみ上げてきた。今度の涙は、悲しみでも、絶望でもない。ひたすらに、安堵と、彼が隣にいることへの喜びと、そして、彼が一人で乗り越えてきた途方もない時間に、言葉にならない敬意が入り混じっていた。
「ほんとに……?」
震える声で尋ねると、黎弥くんは小さく頷き、初めて、優しい笑みを浮かべた。その笑顔は、クールな彼の奥に秘められた、揺るぎない強さと温かさそのものだった。
その日の私たちは、ショッピングモールを出て、近くのカフェへと向かった。賑やかな店内の一角で、私たちは会えなかった時間を埋めるように、ゆっくりと話し始めた。
「あのバス停、毎日通ってたんだってな」
黎弥くんは、カップに手を添えながら、少し照れたように言った。彼の言葉に、頬がカッと熱くなる。
「うん……だって、もしかしたらって、思って」
絞り出すような私の言葉に、彼は静かに耳を傾けてくれた。そして、あの夜、私と別れた後に倒れ、すぐに病気で入院したこと、治療が長引いて誰とも連絡を取れない状況だったこと、そして、退院して元気になってから、真っ先に私のことを思い出したこと。彼の口から語られる真実に、私の胸は締め付けられた。
「……ごめん。あの時、ちゃんと連絡先とか聞いておけばって、何度後悔したか分からない」
俯く私に、黎弥くんは優しい声で言った。
「俺もだよ。でも、こうして再会できたんだ。それだけで十分だろ」
その言葉に、私は顔を上げた。彼の瞳が、あの星屑の夜と同じように、優しく私を映していた。クールな彼の奥に、私と同じように会えない時間を寂しく思っていた情熱があることが、今はっきりと感じられた。
カフェを出た時、空にはいつの間にか星が瞬き始めていた。 黎弥くんはふと立ち止まり、夜空を見上げた。
「柚南ちゃん」
彼の声に、私は首を傾げる。
「もしよかったら、今から、あそこに行かないか?」
彼が指差したのは、星が降り注ぐ、あのバス停の方角だった。私の心臓が、大きく跳ねる。まるで、あの日の奇跡をもう一度、二人で確かめるかのように。
冷たい夜風が吹く、星屑のバス停。あの夜と同じ、古い木製のベンチに、私たちは並んで座った。凍えるような寒さも、今は温かい。隣には、ずっと会いたかった黎弥くんがいる。
「あの時は、突然で、何も言えなかったけど」
黎弥くんが静かに口を開いた。彼の視線は、まっすぐに夜空の星を捉えている。
「俺、あの夜、君に会えて、本当によかったと思ってる」
彼の言葉一つ一つが、私の心にじんわりと染み渡る。
「病気で動けない間も、バス停で会った君のこと、ずっと考えてた。また、会いたいって。こんな形で再会できたのも、きっと運命なんだろうな」
黎弥くんは、そこでゆっくりと私の方を向いた。彼の瞳は、星の光を宿したように輝いていた。
「柚南ちゃん。もう、あんな風に、君を一人にさせたりしない。だから……俺と、もう一度、ここから始めないか?」
彼の言葉は、まるで星屑が降り注ぐ音のように、静かで、けれど確かな響きを持っていた。それは、曖制な誘いではなく、過去の空白を全て埋め、未来を共に歩もうと願う、彼なりの精一杯の告白だった。
私の目から、再び温かい涙が溢れ出した。ずっと抱き続けていた想いが、今、目の前の彼の言葉によって、確かな形を与えられた。冷たいベンチの上で、私は彼の言葉を噛み締めるように、深く、何度も頷いた。そして、震える声で、私も精一杯の気持ちを伝えた。
「黎弥くん……私、ずっと、ずっと君に会いたかった。毎日、このバス停で、君を待ってたんだよ」
言葉にすると、胸の奥が熱くなる。黎弥くんは、静かに私の言葉を聞いてくれた。その優しい視線に、私は勇気をもらう。
「あの夜、君と出会ってから、私の世界は変わった。君がいない間も、君のことばかり考えてた。もしかしたら、もう会えないのかもしれないって、何度も諦めそうになったけど……それでも、諦められなかったのは、君のことが、好きだったから」
声が震えて、途切れそうになる。それでも、私はまっすぐに黎弥くんの瞳を見つめた。
「黎弥くんの病気のことも、一人で乗り越えてきたことも、全部知って、もっと、もっと黎弥くんのことが好きになった。だから……私、黎弥くんと、一緒にいたい。これからも、ずっと、黎弥くんの隣にいたいよ」
私の告白に、黎弥くんは一瞬、目を見開いた。そして、そのクールな表情が、ゆっくりと、けれど確かに、喜びと安堵に満ちたものへと変わっていく。彼は何も言わず、ただ、私の手をそっと握りしめた。冷たい夜風が吹く中、彼の掌の温かさが、私の心を深く満たしていく。
星屑が降り注ぐバス停で、私たちは、互いの気持ちを確かめ合った。もう、一人じゃない。ここから、二人の物語が、本当に始まるのだ。
『星屑のバス停で、君と。』を最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
この作品は、私にとって初めての、そしてとても大切な物語となりました。九条柚南と一ノ瀬黎弥という二人の主人公が、出会い、別れ、そして再会を経て、やがて互いの心を深く理解し、困難を乗り越えていく過程を紡ぐ中で、私自身も多くの感動と学びを得ることができました。
特に、作中で黎弥が抱える「病気」という要素は、単なる悲劇としてではなく、二人の絆をより強く、深くするための試練として描きたいという思いがありました。そして、その試練を乗り越えたからこそ見えてくる、日常のささやかな幸せや、共に歩む未来の尊さを表現できたなら、これ以上の喜びはありません。
物語の舞台となる「星屑のバス停」は、二人の思い出の場所であり、そして未来を誓い合う場所として、この作品の中で最も象徴的な存在です。出会った奇跡、そして再び巡り合えた運命が、永遠に輝き続けることを願って、この物語を締めくくらせていただきました。
この物語が、あなたの心に少しでも温かい光を灯し、何かを感じていただけたなら幸いです。これからも、心の奥に響くような物語を紡いでいけるよう、精進してまいります。
再び、この作品を読んでくださった全ての皆様に、心からの感謝を。
雪代深波