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ゼンゼロ雅と悠真の短編集  作者: 古歌義
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ep.02 あんぱん配達事件

 特異ホロウ・メリノエの白亜の空間は、長居しているとうっかり意識がどこかに飛んでいきそうになる。


 弓を使う者の職業病なのか、遠くを眺め焦点を合わせる癖のある悠真は、距離感も何もなく違和感しかない真っ白な街で構成されたホロウを、若干忌々しく思っていた。このホロウだけはストレス値がマッハで上がっていく気がする。


 とはいえ、すでに仕事はほぼ終了した。曜変コアは片っ端から星見雅と月城柳、それにプロキシが回収していき、つつがなく雑用もエーテリアス掃討も完了していった。となると、対ホロウ六課としてはもうやることはなく、あとのことはホワイトスター学会や治安局に任せてしまえばいいようだ。


 悠真は柳にもらったあんぱんをかじりながら、無意識に視線を向けていた白に近い空から目をそらす。ついでに近くに袋を捨てるゴミ箱がないか、周囲を見回そうとしていたそのときだった。


 右に振り向いた途端、星見雅がいた。しかも、悠真をじっと見ていた。思わず悠真は短い悲鳴を上げる。


「ひぇえ!? はーもう心臓に悪い! いるんならいるって言ってくださいよ!?」


 ほんの十センチ先にある雅の真顔に何の含意もなくドキドキさせられれば、驚きを通り越して命の心配をしなくてはならない病身である悠真は、他意はないと分かっていてもツッコまずにはいられない。たとえ上司であろうとも、部下の心臓を止めにくるとはおふざけがすぎる。


「先ほどからいつ気付くかと待っていたが」

「僕の体が弱いこと知ってるでしょ!? 心臓が止まったらどうしてくれるんですか!」

「心配するな。そのときはすかさず心肺蘇生を試みる」

「課長と蒼角ちゃんにそれやられたら、僕のひ弱な体がぺちゃんこに押し潰れちゃいますよ! せめて副課長を呼んできてください!」


 雅に抗議しようとも、まさしく糠に釘である。雅としては至極真面目な返答なのだが、なぜか非常識でてんで的外れとなり、主に悠真に降りかかる徒労感が凄まじい。


 そんな悠真の話を聞いていたのかいないのか、雅はあっさりと話題を変える。


「ところで、柳が配っていたあんぱんだが、余っていないか?」


 あんぱん、という単語が出てきた途端、二人の視線が悠真が持つかじりかけのあんぱんへ注がれる。


 本来、人類はホロウに長居をすべきではない。しかし、調査等でやむをえず食事の摂取が必要となるほど長時間滞在することもあり、奇妙な空間において適切な時間感覚を保つためにも腹時計は意外と重要だった。柳はそれを見越して、他職員たちの残業を未然に防ぐためにも、ホロウ・メリノエ調査拠点にあんぱんを差し入れとして持ち込んでいた。あんぱんが食べたくなるほど腹が減っている——つまり、長時間ホロウ内に滞在しているぞ、という意識喚起の警告になるのだ。すると、調査や戦闘ハイになっている職員たちは一旦外に出ようと自発的に健康管理を行うようになる。うまく考えたものだ、と悠真は感心しきりだ。


 もっとも、ホロウ内での飲食はエーテルの体内摂取に繋がるためなるべく避けたほうがいいのだが、それは言うまい。皆、あんぱんを欲するほど疲れているのだから。


 それは雅も同じであり、しかし、どうも彼女はあんぱんをゲットできていないようだ。


「そんなの、副課長に……あ、そういえばプロキシを送ってくるって言ってましたっけ。課長は食べて——ない?」

「つい先ほど帰還した調査隊が空腹を訴えていて、残っていたあんぱんをすべて譲ってしまった」

「その結果、課長はあんぱんを食べていない、と?」


 こくり、と雅は頷く。なるほど、雅ならばたとえ極限まで疲れていても、補給物資を他の者へ譲るだろう。


 となれば、悠真はかじりかけのあんぱんの、まだ優馬の唇が触れていない部分をちぎる。ざっと五分の二ほどだろうか。袋に入れて、雅へと差し出した。


「じゃあ、これでよければ食べてください。僕は半分食べたんで」


 ちぎった残りを口へ放り込み、悠真は雅の反応を窺う。


 意外なことに、雅は目をぱちくりさせて、恐る恐る渡されたあんぱんを食べていた。


 これがのちに多大なる面倒を引き起こすことになるとは、さすがに悠真も想像していなかった。








 早朝、ルミナスクエアの雑貨店141の前で、店員ボンプたちが客寄せの声かけをしていた。


「ンナンナ!(いらっしゃいませ!)」

「ンナ、ンナナ!(本日はボンプ用品がセールです!)」

「ンナナ!(今なら半額!)」


 朝から晩まで、むしろ二十四時間、コウニュウ、アンナイ、オツリは健気に働いている。酔っ払いに蹴飛ばされたり、苛立った客に殴られても、彼らは接客という労働から逃れられない。そう思うと、通勤で通りすがりの悠真は切ない気持ちになる。


(何か買っていくか……そうだ、あんぱん。どうせ副課長が大量に買ってくるだろうけど、ちょっとばかし増やしておきますか)


 普通のあんぱんは柳に任せるとして、悠真は変わり種のあんぱんでもないものかと雑貨店へ足を踏み入れようとした。


 その瞬間、時速二百キロの加速で現れた雅が三匹のボンプたちを足場の台ごと吹っ飛ばした。


「ンナ〜〜〜〜(ぎゃ〜〜〜〜)!?」

「ンナナナーッ(何事ーッ)!」

「ンナアアアッ(ひええええッ)!?」


 店員ボンプたちはンナンナ叫びながら飛んでいき、歩道に落ちて散らばる。幸いにして、被害を受けたのは店員ボンプたちだけで、店頭の商品はギリギリ難を逃れた。


 もっとも、悠真は吹っ飛ばされかけて雅に背中のベルトを掴まれ、左右からの激しい衝撃に頭も体もシェイクされて耳鳴りに耐えている有様だ。何とか意識が飛ばなかったのは訓練の賜物である。


 悠真が口を開けるようになるまでに、雅は勝手に話しはじめた。


「間に合ったか。悠真、先日のあんぱんの件だが、星見家御用達の菓子店で作らせたあんぱんを用意した。だが、お前の好みが分からなくてな、つぶあんとこしあんの両方を用意したぞ」


 ほら、とベルトから手を離した雅は何事もなかったかのように悠真の手にあんぱん入りの紙袋を握らせた。一個や二個ではない、十個くらいは詰め込まれていそうな大袋だ。


 ちなみに、耳鳴りのせいで雅の話は一切悠真には聞こえていない。


「それと、非常時とはいえお前の食べかけのあんぱんを食したと柳に話したところ、なぜか険しい顔をされてな。さらに父上にもその話が知られてしまっていて、経緯を詰問された。なぜだ?」


 繰り返すが、今の雅の発言は悠真の耳に届いていない。


「課長おおお! 何で往来で最高速度ダッシュするんですか!? いたたた、まだ鼓膜が痛い、ってあんぱん!?」


 悠真はやっと耳鳴りが治まって雅へ抗議の声を上げながら、まるで時間が止まっていたかのごとく物事が進んで混乱の極みだ。いつの間にか手渡された大量のあんぱん入り大袋は、まだほんのり温かかった。


 雅は荷物の受け取りを確認すると、満足げに踵を返す。


「うむ。では、以上だ」

「何が以上なんですか!? ちょっ、待っ、何事!?」


 颯爽と立ち去る雅、追いかける悠真、散らばる店員ボンプたち。


 一部始終を目撃したにゃんきち長官から報告が上がり、雅と悠真が柳からきつくお叱りを受けるのは本日昼前のことで、悠真が『食べかけのあんぱんを雅に押し付けた事件』について星見宗一郎から電話で事情聴取を受けるのは夕方のこととなる。

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