お正月は大嫌い
正月明けの月曜日の朝、冴えない会社で雑用係をやっているわたしはひとり、銀行と市役所へ用事を済ませに行く。
わたしは曇天を見上げる。今にも雨が降りそうで、しかし私の心は晴れ渡っていた。
忌々しい正月がようやく明けたのだ。
明けましておめでとうございます
おめでとうおめでとうおめでとうおめでとう
おめでとうおめでとうおめでとうおめでとう
おめでとうおめでとうおめでとうおめでとう
一年でもっとも〈おめでとう〉が飛び交う悪夢の数日間。
リアルでも SNS でも。
それがなんの意味もないただの挨拶で、正月には〈こんにちは〉の代わりに〈おめでとう〉と言う決まりになっているから、誰もが〈おめでとう〉と言っているにすぎない──ということは頭ではわかっている。
わかっているのだが、わたしはどうしても憂鬱になってしまう。さもなくば苛立ち、〈おめでとう〉の洪水から逃げ出したくなり、部屋にこもってしんみりと Radiohead の Kid A なんかを聴きたくなってしまう。
あるいはおめでたくない人ばかりが集う場所へ。
お腹が空いて、かといって自炊する気も起きなかったわたしは、元日の吉野家へ歩いて行った。
周辺の飲食店がすべて正月休みの中、ただ吉野家だけが正月とは無縁だった。
そこには〈おめでとう〉とは無縁の独り身の人たちが長い列をなしていた。若い男も老いた男も、若い女も老いた女もいた。オショーガツを知らずに戸惑う外国人観光客もいた。
素晴らしい空間だった。
わたしは〈おめでとう〉の圧から解放され、やっぱり Radiohead の Kid A を聴きながら牛丼並の弁当を手に家へ帰った。
病院も薬もなく人が簡単に死ぬ近世以前であれば、辛苦を乗り越えた者どうしがお互い年を越せて〈おめでとう〉と言いたくなるのもよくわかる。
でも、今はなにが〈おめでとう〉なのだろう?
なぜ笑顔で〈おめでとう〉と言えるのだろう?
むりやり生かされているだけなのに?
そんなわたしにも朗報が──。
帰省した知人たちから実家の様子を聞くと、老いた親たちはもれなくずっと無表情で、健康不安をあおるテレビショッピング番組をひたすら見ているのだという。
ああ、ここにも〈おめでとう〉と無縁の人たちがいるんだな、とわたしは同志を得た気がした。
そんなふうには絶対になりたくないけど。
裏付けのない〈おめでとう〉は気持ち悪い。
裏付けのない笑顔も気持ち悪い。
そんなことを言ったら〈空気読めない奴〉認定されるから誰も言わないだけで。
そんなことを投稿したらフォロワー数がガクンと減るから誰も言わないだけで。
だだっぴろい世界が一番窮屈で、狭い我が家が一番広々としている。
だが、そんな正月もやっと終わった。
今日はお祝いに仮病で早退して、人のいない神社へ初詣に行くのだ。
そして絵馬に
──なんとかしてくださいよ
と願いを書くのだ。
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