影響力の格差
若手が不足し、次々と離農するご年配が増えてきている。
かく言う、自分は今年42歳(厄年!)
この年齢でも、農業界隈では“若手”扱いなのである。
過酷な労働とそれに見合わぬ収入、このイメージが定着しているため、新規で農業を始めようという若者が少ないのだ。
農家の跡取り不足も、それに拍車をかける。
跡取りとなるべき農家の子供も、都会へ行ってしまって、年を食った親だけが田舎にいるという状況。
一方、自分のように大成功を収める例もある。
高収入に加えて、テレビ出演や新聞、雑誌への掲載、果ては知事から直接、労をねぎらわれて表彰されたりもした。
極端な例ではあるが、それだけの可能性があるのもまた農業なのだ。
しかし、農業界隈の衰退は進む一方だ。
なり手がいない上に、行政も真剣にやっているのかと思う事が多々ある。
そもそも、かつての影響力というのが、田舎からは失われている。
一票の格差だなんだと平等を謳う連中は、全員が“都会の人間”だという事だ。
平等を謳いながら、廃れていく田舎には見てみぬフリ。
自分も元は大阪、京都の育ちではあるが、鳥取に来てその衰退ぶりは肌で感じるようになっている。
一票の格差よりも、“影響力の格差”の方が深刻だと思うようになった。
国会議員は人口割り当てで都会にばかり偏り、田舎の議員は減らされる。
これでは田舎の実情を中央に伝える機会が減る一方だ。
都会育ち、都市部選出の議員、あるいは官僚ばかり。
それで“地方創生”だと選挙期間中だけ騒いでいるのだから、こちらとしては冷笑するよりない。
地方を知らない連中が、地方について語るなど、上がって来る数字だけ見て判断しているだけではないか、と。
たまに視察に来たかと思えば、特産品を食って帰るだけ。
現場の空気を感じる間もなく、都会へと帰っていくのだ。
実情把握など出来ようはずもない。
そして、腰を据えることができる地方選出の議員は、平等の名の下に消されていく。
地方の衰退に拍車がかかるのは、これである。