第6話 『アーシャ・ラ・ヴィルンは姉妹だけでお話したい』
誤字報告ありがとうございます。前話の誤字を修正しました。
別館を出て、ラニャンに車で送ってもらい、私は本館へと帰った。
彼女の仕事はそこまでだ。
ラニャンは信頼もされているし実力が伴っていることもあって、ヴィルン家から重宝されてはいるが……、彼女は『右手』として、まだ本館で勤めることを許されていない。
「おかえりさないませ、アーシャお嬢様」
大理石で造られた広々とした玄関を、高い天井に吊るされたシャンデリアが煌びやかに照らしている。
ピカピカに磨き上げられているせい……――おかげで、床からシャンデリアの光が反射して、とても眩しい。
豪華だし権威を示すにはうってつけだと思うけど、カーペットを敷くか普通の照明にしてほしいというのが、ここに住む私の本音だった。
「ただいま」
私が本館に帰ることを別館から伝えられていたのだろう。
2人のメイドと1人の執事が出迎えてくれた。
彼らは200人を超える『右手』の中から、たった10人だけ選ばれた内の3人だ。
その10人とは、父様のお気に入りにたる実力をもっているか、もしくは学生時代から今日に至るまで、結果を出し続けているエリートたちだ。
彼らの凛とした振る舞いと、家訓に沿う堂々とした姿勢には、私だって舌を巻く。
私が次期当主として名乗るのであれば、そんな彼らを残り2年で超えなければならない。
それは立ち振る舞いだけじゃなく、もちろん能力もだ。
身が引き締まる。
「先にお風呂になさいますか? お夕飯までは40分ほどございます」
40歳になるメイドのアナが、ゆったりとした口調で問う。
私はその問いに、自分の体を嗅ごうとして止めた。
この私が、『右手』たちの前でやる仕草ではない。
それにきっと、ニオイなんて嗅がなくとも汗くさいことは容易に想像できた。
だって、シャワーすら浴びてないんだもの。
「そうね。お湯を頂くわ」
「かしこまりました。第1浴室を使ってください。第2浴室は、ラティ―様が使用中でございます」
ラティ―は5歳の妹だ。
最近になって「ねーね」から「お姉さま」と私のことを呼ぶようになったが、『右手』が私のことをアーシャお嬢様と呼ぶので、ラティ―も最初は私のことを「あーしゃおじょさん」と呼んでいた。
「ありがとう。仕事に戻っていいわ」
メイドと執事が深く頭を下げて、それぞれの持ち場へと戻っていく。
本館は4階建てのお屋敷だ。
最上階には父様の寝室、専用のバー、いくつかの書斎と、亡き母様の部屋がそのまま残っている。
3階には私とラティ―の寝室と勉強部屋に遊び場があり、2階はかつての名残りで、応接室や会議室が何部屋もある。
玄関にいる私の目前には、その上階に上がるための大きなメイン階段が、どっしりと構えられていた。
だけど私が行きたいのは浴室で、それは1階だ。
メイン階段の横を通り抜け、私は屋敷の奥へと足を進ませる。
屋敷はとても広い。かなり広い。
私の先祖様のことだから、どこの誰にもナメられないように、この辺りで1番でかい屋敷を造らせたのだろう。
そう考えれば共感もするし納得もできるけど、行きたい部屋にすぐに行けないというのは、短期気質な私にとっては不便だった。
「うわははは! うわははははあっ!」
横幅の広い廊下を歩いていると、第2浴室につづく曲がり角から、楽しそうな笑い声が聞こえてきた。
ヴィラン家でこんな声をあげるのは、彼女しかいない。
ラティーだわ。
廊下に響き渡る大きな笑い声は、どんどん近く、さらに大きくなっていく。
「おまっ! お待ち下さいラティーお嬢様っ! そんな恰好で、廊下を走るんじゃありませんっ!」
慌てるような声が聞こえて、私は立ち止まって第2浴室への曲がり角を見た。
「うわはははははははははっ!」
そこから現れたのは、すっぽんぽんのラティ―だった。
私の身長の半分にも満たないラティ―は、白いタオルを首にかけて、子供らしい純粋な目を大きく見開き、空気を食べるように口をパクパクさせながらバンザイして走って向かってくる。
すっぽんぽんで。
「あっ! ね――お姉さまっ!」
あ、お姉さま、じゃないわよ。
何してんのこいつ。
ラティ―は髪色と目こそ違えど、顔の造形は当時の私と瓜2つだった。
そんなラティ―が真っ裸で走ってくる光景は、まるで幼少の私が恥じらいのない行動を取っているようで、とても恥ずかしい。
「うわはははあ!」
ラティ―は赤みがかった栗色の長髪を走ってなびかせ、明るいオレンジ色の瞳で私を見てくる。
その髪も目の色も、母様譲りのものだった。
とはいえ、そのまんまるな目のせいか……。
母様から受けた知的な印象は、見る影もない。
オレンジ色の瞳は、ラティ―の元気で活発な性格に、完全に染められていた。
「うひーっ! ぅわはははぁ!」
ラティ―は私の顔をガン見しながら叫び、前を見ずに私の横を走り抜けようとした。
甘いわね。
「うわははは! うっ、わっ!」
ラリアットの要領で、しかし優しく、私は左腕でラティ―の小さな体をすくいあげた。
彼女のお腹を左腕の内側がしっかりと固定し、走ってきた勢いのせいでターンさせられて、私はラティーの小さくて軽い体を自身の胸で抱える。
「捕まえたわよ」
「お姉さま! おかえりっ!」
ラティ―は抱きかかえられたまま、私の胸から顔をあげて屈託のない笑顔をみせる。
「はあっ、はあっ、アーシャお嬢様っ、ありがとうございます」
少し遅れて、50代のメイドのエリアナがやってきた。彼女はメイド長だ。
実質的な『右手』の頂点で、母様が亡くられてから、私とラティーを実の娘のように構ってくれる。
「エリアナを困らせちゃダメよ、ラティ―」
「んふー」
屈託のない笑顔をわざとらしい笑顔に歪ませて、ラティ―が目を逸らす。
ヴィルン家の血か、彼女が独自で身に着けたごまかし方だった。
なんにもごまかせていないけど。
「あなた、お風呂に入ってたんじゃないの?」
ラティ―の体は、髪の毛も含めて濡れていない。
「んふー」
まあ多分、お風呂場から逃げたのね。
「脱衣所で逃げられました」
エリアナが、メイド服のスカートの裾を直しながら言った。
ほらね。
逃げたことには感心しないけど、ちょうどいいかもしれない。
私もお風呂はまだだし。
「私と一緒に入る?」
「お姉さまとッ? やったあーっ!」
「その代わり、もう2度とハダカで廊下を走らないこと。いいわね?」
「うん!」
私の腕と胸のあいだからスルリと抜けて、ラティ―がスキップして第2浴室の曲がり角に消えていった。
そうね、スキップは禁止していなかったわね。
曇らせた顔をしているエリアナに向き直り、ため息まじりに声を出す。
「……姉妹だけで話したいことがあるから、ここまでで良いわ」
「かしこまりました。それでは、湯後の準備をしてお待ちしております」
綺麗なお辞儀をするエリアナに見送ってもらい、私は妹のラティ―を追った。
◆
ラティ―の体を洗ってあげて、自分の体も綺麗にしたあと、私は広々とした石造りの浴槽にラティ―を抱えて入った。
浴槽は車1台分の広さで、私が座るとちょうど肩まで浸かれる深さだ。
ラティ―は座るとブクブクと沈んでしまうので、立って入っている。
「気持ちいいわね」
「……うん!」
ラティ―がちらちらと私を見てくる。
この視線の意味は、すぐに分かった。
伸ばしていた足を山状に曲げて、ラティ―を膝の上に乗せてあげる。
ラティ―がにへらと笑って私を見上げる。
「アーシャお姉さま、優しくて好き!」
「……ありがとう。私もラティ―のこと好きだよ」
そう答えると、彼女は嬉しそうにニコニコと笑った。
ラティ―は私の可愛い妹だ。
彼女になら、こんな私でも優しくなれる。
この調子のまま、異性に接することができたら楽なんだろうけど……。
ラティ―への優しさを他人に向けることは、どうにもできなかった。
なにせ、かつての私にとって優しさとは弱さだった。
つけ入る隙そのものだ。
だから私は他人にキツく当たってきたし、自分を厳しく律してきた。
そもそも、子供のラティ―を可愛いと思えるだけだ。
妹に対する優しさは、善性というよりは母性や家族愛に近いだろう。
私と同じ年齢になっても裸でうろちょろしているようなら、ぶん殴る自信しかないもの。
……立派に成長してもらいたいわね。
ばしゃばしゃとお湯の中で手遊びをしているラティ―を見ていると、私を見上げていた彼女と目が合った。
「あのね、お姉さま。今日ビリビリマンが負けて泣いちゃったの。なでなでして?」
ビリビリマンとは、最近ラティ―がご熱心なアニメのやられ役だった。
主人公ではなく敵役を応援するのは、私たち姉妹の宿命なのか……。
だけどビリビリマンは、1度も正義の味方に勝ったためしがない。
泣いたっていうのは、きっとウソね。
「負けちゃったの? それは残念だわ」
だけどラティ―の目は、うるうるしていた。
彼女は賢い。
どういう表情をすれば相手を思い道理に動かせるか、それを理解している顔だった。
私の場合は恐怖と暴力だったが、ラティーは私とは違うやり方で、ヒトを動かす方法を5歳にして身に着けている。
さすが私の妹だ。
現に私の左手は、すでに柔らかなラティ―の髪を、優しく撫でていた。
「んへーぇ」
「そういえばラティ―。『幸せな魔女』は観た?」
「んー? 観たよぉ。でもラティ―はやっぱり、『おってけてー』が好き!」
『幸せな魔女』も『おってけてー』も、勧善懲悪なアニメの話だ。
ラティ―には異性への興味が出てきたときに、過去の自分が弊害になるようなことにはなってほしくなかった。
ヴィルン家を継ぐのは私だ。
ラティーじゃない。
彼女には私と違って、普通の女の子として生きるという選択肢がある。
アニメではあるけれど、こんな生き方もあるのだと、私が気づいた年齢よりも早く気づいてほしかった。
だから定期的にアニメ映画を見せているのだけど、『おってけてー』は不動の1位だった。
中でも好きなのは、主人公でもボスの悪役でもなく、主人公を誘拐する小太りのわき役だった。
ラティ―はいつか、小太りのちょい悪が自分をさらいに来て、ラブラブでダラダラな暮らしができると本気で信じている。
完全に私のせいだった。
「……『幸せな魔女』のお姫様も、可愛かったでしょ?」
「『おってけてー』の良さが分からないお姉さまは本当に可哀そう」
私にこんな言葉を使って無事でいられるのは、妹と父様だけだ。
4歳のころに、生意気な口をきいた幼馴染の男の子を風呂に沈めたことがある。
何秒耐えれるかな? という疑問の解消もかねて、頭を鷲掴みにして沈めたのだ。
6秒だった。
一緒に入っていたエリアナに、こっぴどく叱られたのを覚えている。
それを妹にしないだけ、私もマシな人間になったものだわ。
……この調子で、私も、普通の女の子みたいになれたらいいのに。
ヴィルン家にあるまじき、そんな考えを抱きながら、私たちはお風呂をでた。
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