第4話 『アーシャ・ラ・ヴィルンは心配したい』
「あら。『左手』ね。どうしたの?」
放課後。
帰り支度をしていた私に、セーナのクラスにいる手下が急ぎ足でやってきた。
『左手』とは、自ら私の手足となってくれる者の総称だ。
『左手』はすべからず学生で、私の意思で、好きなように使って良いことになっている。
見返りは、卒業後の仕事の保証と斡旋。
ヴィルン家に仕えるのであれば、我が家の後ろ盾と、高給取りを約束している。
そうなれば晴れて『右手』の仲間入りだ。
もっとも『右手』はヴィルン家に、つまり当主に仕える身だ。
今の私には、父様の許可なくして『右手』に命令を下す権利はない。
が、『左手』は私の自由だ。私のものだ。
私はその『左手』に、おおむね情報を集めさせていた。
彼が来たのであれば、伝えるべきと判断した情報を入手したのだろう。
……もしかして、セーナがまたイジメられたのだろうか。
そう不安がっていた私に、『左手』の同学年の少年は、膝をついて喋りだす。
「セーナ嬢が、なにやらおかしいです」
と。
「……何が、どういう風に、おかしいの?」
どうやら杞憂だったが、じゃあ何だというのだろう。
「本日の朝より、ディオラの休学によってセーナ嬢が気を病まないか見張れと、ご命令下さいましたよね」
確かに、そう命じた。
私とは違って人の気持ちに寄り添える『左手』の女の子が、そういう可能性もあり得ると、助言してくれたからだった。
「では、どういう風におかしいか、順にお伝え致します」
そう言って『左手』の男の子は、今日1日どういう風にセーナがおかしかったかを教えてくれた。
「まず早朝。学校に来るなりコスモスの花壇に向かい、片足を上げて5分ほど、葛藤しているように見えました。その後、『やっぱり出来ませんわ!』と叫び、花に水をやって教室に入りました」
「次は2時限目の数学の授業でした。貸してと言われた消しゴムを、言った本人に投げつけるような姿勢を取り、やはり数秒停止。『やっぱり投げれませんわ!』と授業中にも関わらず大声を発し、謝罪の意があるのか、2つの消しゴムを渡していました」
「次は4時限目の体育です。セーナ嬢は――」
手下の伝える情報に、どこか既視感があった。
みんなが誰しも1度はやったことがあるだろうし、勘違いということもあるだろうけど……。
セーナがチャレンジして『やっぱり出来ませんわ!』と叫ぶ行為は、私がやったことのある、小さな悪行の数々だった。
「……教えてくれてありがとう、ご苦労様。もう帰っていいわ」
「残る1日が、良き時間でありますよう!」
手下はお決まりのセリフを言って、そうして教室から出ていった。
「…………はぁ」
なんだか少し、頭が痛くなった気がした。
これは……どういうことか、問い詰めなければならない。
教室を出ると、帰る生徒の波はいくらかマシになっていた。
寮に帰る者は、裏門へ。
帰宅する私は正門に続く廊下を歩き、階段を降りると、セーナは私のクラスの靴箱の前で立っていた。
「あっ、アーシャ様!」
手下の情報を聞いていて、少し遅くなった。
きっと私がまだ校舎にいることを知って、ここで待っていてくれたのだろう。
「ごめん。お待たせ」
靴箱からローファーを取り出して地面に放り投げ、横に転がってしまったローファーをニーソックスの足先で正しい位置に戻す。
「そんなに待ってませんわ! それで、アーシャ様が教えてほしいことって何ですのっ?」
昇降口を出て歩きながら、セーナがわくわくしたような顔で尋ねてきた。
本当は、善性とは何かを教えてもらうつもりだったけど、それよりも疑問が勝った。
「あなたもしかして、私の真似してない……?」
そう尋ねたときのセーナの顔は、見ものだった。この表情の意味は知っている。
私は鏡で見た。
やばい、バレた。そういう顔だった。
「えっ。な、なんで知ってるんですかッ?」
セーナは驚いた様子で、いつものですわ口調も忘れて頭を抱える。
だけど頭を抱えたいのは私の方だ。
「なんで私の真似なんかしてるのよ」
詰問にならないよう、できる限り優しい口調を心掛けたけど……。
セーナは歩きながら、顔をそむけた。
迎えの車が待っているロータリーまでは、もうあと、ほんの少しだ。
帰るまでには疑問を解消したい。
そう思っていると、セーナは勘弁して下さいと言わんばかりの小声で、白状した。
「……アーシャ様のように、なりたかったのですわ……」
………………うん?
「私のように……?」
困惑して問いかけると、セーナは顔を隠してコクリと頷いた。
私のようになりたいって、どういうこと?
世界は善意で溢れていますといわんばかりの花のような彼女が、悪性に満ちた私のようになりたい……?
ヒトはないものねだりをする生き物だとは知っているけど、それは短所もそうなの?
いや。
私は別に、自分の足が短くなってほしいとは思わない。
となれば、セーナにとって私の悪性は、きっと短所ではないのだろう。
……一体セーナには、私がどんな人間に見えているのか……。
だけどどうやら、彼女は私の真似をした。
それはつまり、私の小さな悪行を調べたということだ。
そのうえで、私の過去を知っても友達でいてくれる。
なんだかそれが、私はとても嬉しかった。
それでも、私のようになりたいという思いは否定しなければならない。
私の異性ゲット作戦のために。
なにより、セーナのために。
悪意には必ず、悪意が返ってくるから。
ロータリーまで着くと、どうやら私の迎えの車はない。
立ち止まって、セーナの小さな顔を見る。
「あなた、自分がどんなに素晴らしい人間か、分かってないの?」
「へ?」
「セーナはとても優しい女の子よ。私なら、ディオラに容赦なんてしなかった。だけどあなたは許して、あまつさえ関係の改善を求めてさえいた。誰にでもできることじゃないわ」
セーナの顔が赤い。
体調が悪いのだろうか。
「それにね、困っている人を助けることも、ヒトが嫌がる面倒な仕事に、自ら進んで取り組んでいることも知っているわ。本当に素晴らしい人間性だと思う。セーナにはセーナの良いところがあるんだから」
私のようになる必要なんてないわ。
そう続きを言おうとして、セーナの顔が真っ赤になっているのが見えた。
いや、顔どころじゃない。
黄金色の髪から見え隠れする耳や、柔らかそうなほっぺ、果てには白い夏制服から出ている鎖骨まで真っ赤っかだ。
体調が悪いどころか、とても高い熱があるように見えた。
「大丈夫? ……うーん。ちょっと失礼するわね」
「ひゃいッ?」
奇妙な声を無視して、左手でセーナの前髪をかき上げる。
そしてそのまま、私は自分のおでこをセーナのおでこにくっつけた。
幼少のころ、母様が私にやってくれていた測り方だった。
「ひゃ、ひゃのッ?」
うん。これは絶対に熱があるわね。
だって熱い、熱すぎるわ。
「あなた、熱があるのに隠していたわね?」
おでこを離してセーナの顔を見れば、ほとんどリンゴの色をしていた。
おまけに目の焦点が合っていない。
いけない、これは重症だ。
こんなに熱があるセーナを待たせていただなんて。
「迎えの車は来ているの? 早く帰って、寝た方がいいわ!」
「は、はふぅ」
ついに意識がもうろうとしてきたのか、セーナは人間の言語を使うのをやめた。
顔を下に向けたセーナが、震える腕を持ち上げて1つの黒い車を指さす。
車には疎いから車種は分からないけど、黒くてボンネットが長い、ピカピカの車だった。
そう、確か父様が言っていた。セダン型とか言うやつだ。
「私の体につかまっていいわ。……歩ける?」
「いっ、いえいえいえ!」
尋ねると、セーナは下を向いたまま顔をぶんぶん振った。
そんなに頭を振って、体調が悪化したらどうするのかしら。
でもそうよね、歩けないわよね。
貸している学生カバンを持ってあげようとセーナの手に触れると、セーナはそれを全力で拒否した。
「あるけっ、歩けますわっ、大丈夫です、ご心配なくっ!」
「そう? 強がってない?」
セーナはコクリと頷いて、ふらふらした後取りで指さした車へと歩き出す。
……まあ確かに、歩いてはいるけど……。
もしかしたら自分のペースで、ゆっくり歩いた方が楽なのかもしれない。
結論付けてセーナの背中を見ていると、その運転席から執事らしき男がでてきた。
執事は後部座席のドアを開けて、セーナが乗ったのを見計らって優しくドアを閉める。
そして振り返って、私を見た。
「なによ」
私はやはり、人の感情の推測は苦手だ。
だけどそんな私でも、明確な意思が目に宿っていれば、推測はできる。
そいつの眼は、明らかに私を敵視していた。
「…………」
執事の男は何も言わずに運転席に戻り、すぐに車を出して去っていった。
いやな感じ。
あの優しいセーナの執事が、あんなんでいいの?
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