第2話 『アーシャ・ラ・ヴィルンは復讐したい』
セーナを起き上がらせて、彼女の夏制服に穴が開いていないか、身体にケガはないかを確認する。
……良かった、どうやら暴力は受けていないみたいね。
「不幸中の幸い……。いえ、幸いではないわね。本当に、ふざけてるわ」
ケガがないことに胸を撫でおろしたが、セーナが握りしめている布切れに目がいった。
学園のカバンは布製だ。
だけどセーナのカバンは、もはや布切れ同然だった。
教科書も、ノートも、筆記用具も、カバンも、すべてが原型を留めていない。
どう考えてもやりすぎだ。
「さてセーナ。こいつら、どうしてやりましょうね?」
壁際で震えたままの3人に、軽蔑の眼差しを向ける。
善意には、ささやかながら慈悲を。
悪意には、さらなる悪意を。
この3人に与えるべきは、徹底的な悪意であるべきだ。
いくつもの案を考えていた私に、しかし立ち上がって涙を拭いたセーナは、私には理解できない言語を使った。
「……仕返しは、しませんわ」
「…………何ですって?」
それはもはや善性ですらない。
それは、虐げ続けられる弱者の思考だ。
いじめを止めさせる、最後のチャンスが今なのだ。
甘い処遇で見逃がせば、きっとコイツ等は繰り返す。
下手したら逆上して、もっと酷い攻撃をしてくるだろう。
眉根を寄せる私に、セーナが主犯格のディオラを真っすぐに見据えて、言い放つ。
「やり返したら、その格にまで下がると、……おと、お父様が……っ」
セーナの目は涙で溢れていた。
泣きそうになるのを堪えているのか、口元はプルプルと震え、手はぎゅっと握りしめられている。
しかし涙で波打つ目の奥に、耐えているような意思が見えた。
その目を見て、私は悟った。
他者の気持ちを推測するのが苦手な私にも伝わるほどに、セーナの強い意思が聞こえた。
悪性としての覚悟とプライドがあり、家族の期待に応えたいという気持ちが、私にもあるように。
きっとセーナにも、守りたい線引きやプライドが、自身の根源とすら言える家訓があるのだろう。
「お、お咎めなし……?」
だからディオラの言葉を聞いて、私は静かにブチ切れた。
気が付けば、私はディオラに詰め寄っていた。
「ひっ」
だけどこれは、セーナの復讐だ。
彼女が「何もしない」というのであれば、それを尊重しなければならない。
私の視線から逃げるようにして伏せた顔を、ディオラの顎を掴んで、無理やりに上げさせる。
「分かったわ。処分は、無しね」
ほとんどゼロ距離で、私は目を見開いてディオラの目を覗き込んだ。
私の眼が良く見えるように、怒りが、伝わるように。
瞬きを許さずに、怯える眼を凝視する。
「だから私も何もしない。だけどいつか、私の怒りは爆発する。それが今日か、明日か、来年か。もしかしたら朝、学校に来た時かも、帰る時かも。いつだって気を抜かないでね。私は絶対に、今日のことを許さない」
顎を掴んでいた右手を乱暴に離し、残る2人にも視線をぶつける。
「わたしがどんな人間か、知っているでしょ? 必ずやるわ」
私が言い終えるのと同時、3人は慌てふためいて教室から出て行った。
被害者のセーナには、1度も謝ることをせずに。
ああ、まったく、腹が立つ。
「アイツ等、私に怯えて保身のことばかり。誠意のカケラもなかったわね」
もっとも、誠意ある行動ができるのなら、初めからイジメなどしない。
窮地に陥ったときにヒトの本性が現れるとは、父様の言う通りだった。
セーナに振り返ると、彼女はその豊満な胸の前で手を握りしめ、まだ涙が残る瑞々しい目を輝かせて、私を見ていた。
あまりに弱々しい姿に、やはり私の心には嗜虐の火が灯りそうになる。
だけどそれはきっと、私が女で、こんな性格だからだ。
世の男性はこういう女性をこそ「守ってあげたい。好き」だとか思うに違いない。
……まったく。
「ほら。そんな顔しないの。あなたは笑顔が可愛いんだから」
セーナに近づいて、目元から垂れた涙を左手でそっとふき取る。
「か、可愛い? わたくしの笑顔が? アーシャ様にとって、わたくしの笑顔は可愛いですか?」
私の行動を受け入れたまま、セーナが驚いたように尋ねてきた。
だけど私にだって、可愛いものとそうでないものの判断はつく。
泣くセーナが小動物だとすれば、笑うセーナは聖女そのものだ。
改めてセーナの容姿を見れば、女同士だからこそ分かるものがある。
黄金色の髪の毛は、その毛先までサラサラなストレートだ。
良く手入れされていなければ、こうはならないだろう。
それに、白くきめ細やかな肌と、長いまつ毛。
純粋さを感じさせる子供みたいな白目に、知性を思わせる琥珀色の瞳。
セーナの眼は、同性の私から見ても美しい。
鼻筋が通っているから顔だってハッキリしているし、血色の良さそうな薄桃色のリップは、とても柔らかそうで小さい。
天性の顔立ちの良さはあれど、努力を怠っていれば、この容姿は維持できまい。
そんな子が向ける笑顔だ。
私が見てきた笑顔のなかでも、ダントツに可愛いに決まっている。
本当に羨ましい。
「何言ってんのよ。あんたが1番可愛いわ」
私の手を離して、セーナが目元を手のひらで拭う。
数秒して……、背の低い彼女はきらめく目で、私を見上げるようにして言った。
「……アーシャ様が、1番ですわ」
もう冗談が言えるほどに立ち直れたのかと、思わず感心した。
しかし、床を見れば彼女の勉強道具は無残な死体だ。
「あなた、予備の教科書はあるの?」
明日は木曜日で、まだ授業がある。
おまけにこの学校は、基本的に自己責任が原則だ。
破かれたからといって、教科書を貸し出してくれるサービス精神などない。
セーナは顔を曇らせた。
「いいえ。予備の教科書だなんて……。明日は、隣の席の子に見せてもらうしかありませんわね」
なるほど。
私の場合はきっと恐喝になってしまうけど、セーナなら教科書を見せてくれる人はいるだろう。
もしかしたら男子がわらわらと集まって、誰がセーナに教科書を貸すかで揉めるかもしれない。
「だけどそれじゃあ、予習ができないじゃない」
この学校の原則は、勉学においても当てはまる。
教え方こそ1流だが、勉強についてこられない者に基準を合わせるほど、ここの教師は甘くない。
付いてこられないなら更に勉学に励め。そうでないなら転校するなり退学するなり好きにしろ――というのが学校のスタンスだ。
私はおもむろに自分のカバンを拾い上げ、その中からノートと筆箱を回収して、カバンを丸ごとセーナに渡した。
「新しく注文する教科書とカバンが届くまで、使ってなさい。私は、家に予習用の教科書があるから」
「良いのですか……?」
「もちろん。友達なら、助け合わなきゃ」
そう言って、私なりに笑顔を作ってセーナに向ける。
セーナが勉強に負けて退学するなど、あってはならないのだ。
彼女にはたくさん笑ってもらい、順調な学園生活を送ってもらわなくては。
そして私は悪のイメージを薄れさせ、素敵な男性を射止める。
単純で完璧な、打算のある、ただの助け合いだ。
「……ありがとうございます。大切に、使いますね」
私の策略などには気づかない様子で、セーナは私のカバンを大事そうに抱えた。
「それで……特に思い出の品がなければ、床にあるものは処分しようと思うのだけど」
ああしまった。
片付けもアイツ等にやらせるべきだった。
すぐに逃がしてしまったことを悔いていると、セーナは嬉しそうに首を横に振った。
「思い出の品なら、ここにありますわ」
「いや、それ返してもらうからね?」
セーナは涙で濡れた顔面のまま、白い歯を覗かせて笑顔を見せてくれた。
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