見えない追跡者(後編)
自分達からストーカーの相談に来たとはいえ、俺の口からはっきりとその存在を認められたことがよほどショックだったのか、二人とも帰りの車の中では口を開こうとはしなかった。牧を自宅のあるマンションまで送り届けると、みなみの家へと向かう。
「大丈夫?」
ずっと黙っているみなみを心配して声をかける。
「はい。私は大丈夫です。でも今思うとゾッとします。すぐ後ろにいたのに気づかなかったなんて……もしかしたら襲われていたかもしれませんね」
バックミラー越しのみなみが震えを止めるように自分の腕で身体を抱きしめる。こんな子を恐怖で怖がらせてしまうなんて、護衛失格だ。
「護衛するなんて言っておきながらそんな危険な状態にさせてしまって、本当に申し訳ない。俺がちゃんとついて行ってあげていれば……」
「いえ。私がその申し出を断って一人でお手洗いに行くと言ったのですから、獅子尾さんの責任ではありませんよ。それに獅子尾さんが気づいてくれたおかげではっきりしましたから」
「何が?」
弱々しい口調だったみなみが意を決したかのようにきっぱりと言う。
「ストーカーが本当にいるということです。今日までは勘違いやただのイタズラだと思っていましたけど、獅子尾さんが近づいてくるのを見て逃げ出したということは、ストーカーで間違いないと思います」
「おかしな格好の人間が近づいてきたから逃げたということも考えられるけどね」
元気づけるためにあえて楽観的な意見を言う。俺自身がそんなことを微塵も信じていない事が分かっているのか、みなみはその言葉を無視して俺に質問をする。
「ストーカーがどんな人か見ましたか?」
「身長は俺より少し小さい165〜170cm、黒いパーカーにジーンズで体重は70kg以上はありそうかな。フードとマスクで顔を隠していたけど、スクエア型のメガネをかけていた。右手にスマホを持っていたけど操作しているところを見たわけじゃないから、これだけじゃどっちが利き手かまでは分からないかな。服装や身のこなしを見る限りは20〜30代位だと思う」
近づく前に逃げられてしまったため遠目で確認出来た情報になるが、以前に二人が見かけたという怪しい人物の特徴に近い。
「すごいです。隠れている相手を一瞬見ただけでそこまで正確に分析するなんて」
「そんなことはないよ。これがアイツだったらもっと具体的に人物像を絞り込んで行けるんだろうけどね」
みなみに褒められて思わず照れてしまう。
「まぁ、相手の目的がなにかわからないにしても、すぐに逃げたってことは警戒してるだろうから次の行動はまだ取らないはず。安全のために明日は二人共自宅に居てもらうけどね」
頷くみなみ。牧にも車から降りる際に明日は外出を控えるよう伝えておいた。
「でも明後日からは通学に関してはやっぱりまだ心配なところがあります。今までみたいに獅子尾さんに車で送ってもらうのではなくて、普段通り登下校するところを後ろから監視してもらうんですよね?」
今度は俺が頷く。小一時間前、複合施設の駐車場に戻って二人を車に乗せると、俺はアイツに今日起きた出来事を報告した。
『……』
アイツは俺の報告を黙って聞いていた。何も言わないことにしびれを切らして、つい声のトーンが大きくなった。
『おい!話聞いてるか?聞いてたらなんか言えよ!』
『そうだな。それじゃあ相手を見つけた時の状況をもう一度確認させてもらおうか。物陰に隠れたその人物は上坂みなみと三ツ渕牧のどちらを見ていた?』
急に初歩的なことを聞いてきた。みなみの後ろにいたのだから、そんなこと改めて聞かなくても分かるはずだ。
『誰を見ていたって、みなみちゃんを見ていたに決まってるだろ?』
『本当にそうか?お前が近づいて来るのをみて逃げ出したのだろ?上坂みなみを見ていたのなら、なぜお前が近づいただけで逃げ出したんだ?』
アイツからの問いかけにすぐに反論が出来なかった。確かに相手は俺の動きを見てすぐに逃げていた。
『みなみちゃんが席を離れる前から俺たちのことを見ていたんじゃないか?一緒の席にいた人間が近づいてきたら、バレたと思って逃げ出すだろ』
『後半の意見には賛成だな。ターゲットと一緒の席にいた人物が急に立ち上がって近づいてきたら、どんなに素人でも自分のことがバレたと感づくだろう。だが上坂みなみが席を離れた時、お前はその姿が見えなくなるまで周囲を確認していたんだろう?もしその時から監視されていたならお前なら気づいたはずだ。それにお前が視線を感じた時はどうだ?上坂みなみが離れた位置にいたんじゃないのか?』
俺が視線に気づいた時、人混みの中をみなみはこちらに向かって歩いてきていたが、距離は離れていた。知らない人間が見たら俺たちに向かって歩いていると断言することは難しいだろう。だがみなみを見ていたのではなく、俺や俺の周囲を見ていたとなると……。
『じゃあ、ストーカーが見ていたのはみなみちゃんじゃなくて牧ちゃん?』
『お前の危機察知能力を信じるならそう考えるのが妥当だな。上坂みなみが席を離れて、お前と三ツ渕牧が話をしているタイミングで三ツ渕牧をターゲットとした人物が現れたと考えると筋が通る。上坂みなみが目的なら席を離れて一人になったタイミングを見逃すはずはないだろうし、お前を見て逃げるにしても上坂みなみと言葉を交わす前なのはおかしいからな』
俺が二人のことを護衛していると知っていたのでは、と言いそうになったがすぐに言葉を飲み込む。俺が護衛していることを知っているのは俺達二人と当事者二人の四人だけだ。車で送迎するときもシェードを使って俺の姿は見えないようにしているし、誰かに見張られている気配も感じなかった。
『まさか牧ちゃんが狙われていたなんて……。それでこれからどうする?今日はもう自宅に帰すけど、明日からは?』
『とりあえず明日は二人を自宅で待機させておいてくれ。日曜だから両親もいるだろうし、お前が二人まとめて護衛するよりはその方が安全だろう。その間にお前には調べてもらいたいことがある』
そう言ってアイツから出された指示に俺は少し困惑した。
『近くのホテルの聞き込みに学校関係者の調査?怪しい人間が泊まっていないかホテルを調べるのは分かるけど、なんで学校関係者も?』
電話の向こうでアイツが説明を始めた。
『三ツ渕牧がターゲットだった場合、関わりのあるコミュニティが動画投稿サイトか学校に限定されるからだ。一人っ子で習い事をしているわけでもなく金遣いも特に荒い様子もない。友人も多いがそれは学校という範囲内での話で、学校が終わっても放課後に親しい友人と少し遊ぶ位で、遅くならないうちに自宅へ帰っている。上坂みなみと一緒に投稿している動画以外は学校位しか特定のだれかと接触していないんだ』
確かに、牧本人やみなみから聞いた話でも他校の学生との交流はほとんど出てこない。少し前に先輩と恋仲になったらしいが、今は付き合っている相手もいないと言っていた。
『三ツ渕牧に好意を寄せている学生や卒業生、それと教員がいないか調べてもらえると助かる。ホテルへの聞き込みについてはお前の言う通りだ。相手が遠方から来ているファンであればどこか街の近くに宿を取っている可能性がある。仮に近くに住んでいた場合や宿に泊まっていない場合は別の方法で調査するしかないが……』
『分かった。ホテルに関しては数が多すぎて明日だけじゃ調査しきれないと思うから、少し時間をくれ。学校関係について牧ちゃんに特別な感情を抱いているかどうか調べるのにも時間が掛かりそうだ。取り急ぎ、顔と名前が分かる名簿か何かを用意してみる。月曜からはどうする?今まで通り俺が送り迎えをするか?俺がいる以上、相手もそう簡単に手出し出来ないとは思うけど、こっちだって相手が誰か分からないと対処のしようがないぞ』
『それについても一つ考えがある。車で送り迎えをするんじゃなくて、二人だけで登下校させて怪しい人物がいないか尾行してくれ。幸い上坂みなみと三ツ渕牧は同じ路線のバスを使っているだろ?』
その指示を聞いて流石に俺は頭に血が昇ってしまった。
『二人のことを相手をおびき寄せる餌にするってことか?そんな指示従えるわけないだろ!』
『それじゃあ、後は警察に任せるしかないな。俺たち二人だけのリソースでは、今のままでは相手を威嚇することは出来ても捕まえることは出来ないって分かっているだろ?お前に依頼した調査結果から候補を絞ることは出来るが、物的証拠のない現状では現行犯でもない限り捕まえることは難しい。それとも解決する目処がたつまでいつまでも護衛をするか?』
「理屈は分かる。でもお前の方法は二人の気持ちを全く考えていないだろ!みんながみんな、そんな効率的な考え方を受け入れてくれると思うな!」
電話越しにため息が聞こえた。
『分かった。俺から二人に話をする。車の中で待たせているんだろ?電話を二人に渡してくれ。あぁ、渡す時は三ツ渕牧からにしてもらえるか?』
怒りで通話を切ってしまおうかとも思ったが、結局その言葉通りに車に乗っている牧へ通話中のスマホを渡した。アイツからの電話ということで牧は不安そうだった表情が喜びに変わったが、話が進むうちに顔が曇っていった。
『え、いや。……はい……いえそんな……。はい?……本当ですか?なんで……え?ちょっと待ってください。そんな、危険だって分かっているのに……。ちょっと考えさせてください。……はい、わかりました。みなみに代わります』
窓が開いているので牧の声は車の外にいる俺にも聞こえるが、アイツがどんなことを喋っているのか分からない。今度はみなみにスマホを渡した。
『はい、代わりました。……いえ、大丈夫です。……え?何を言ってるんですか?今日の出来事を聞いたんですよね?それでなんで……。はい。……そういうことですか。……わかりました。一度獅子尾さんにスマホを返します』
そう言うとみなみは後部座席の窓からこちらにスマホを渡した。返されたスマホからは何も言葉が聞こえてこなかった。
『おい。どうなったんだ?』
『今二人で相談してもらっているところだ。二人からの回答を待て』
車の後部座席でみなみと牧は小声で真剣に話をしている。
『後ろから隠れて見守ってくれるって言ってもやっぱり不安だよ。今日だって下手したら襲われていたかもしれないんだよ?』
牧が怯えた表情を隠さずに言った。それに対して冷静になろうとしているみなみは自分に言い聞かせるように話した。
『でも、このままだとずっと獅子尾さんの車で送り迎えしてもらうことになるよ。今でも結構不自由な生活になっているし、これからの動画とかにも影響出るのは避けられないと思う』
『警察とかは?流石に今日のことを話せば動いてくれるんじゃない?』
『動いてくれるかもしれないけど証拠が少ないとパトロール位しかしてくれないだろうし、もし犯人を見つけても警告位しかしてくれないかも。それだったら現行犯で捕まえてもらった方が解決が早いかもしれないよ』
そんなやり取りを俺はドア越しに聞いていた。そして電話の向こうにいるアイツは聞こえているのかいないのかわからないがずっと黙っていた。
『獅子尾さん。ちょっとよろしいですか?』
みなみから声がかかり後部座席の窓を覗き込んだ。どうやら話し合いが終わったようだ。
『電話はまだ桑田さんと繋がってるんですよね?それではスピーカーにしてもらえますか?』
スマホを操作しスピーカーモードにしてみなみに渡した。するとそれを待っていたかのようにアイツが声を出した。
『話し合いは終わりましたか?』
『はい。牧と二人で話して、獅子尾さんのことを信用することにしました。桑田さんの言う通り、月曜から二人で登下校するので怪しい人物がいないか監視をお願いします』
『わかりました。お二人に危害が加わらないためにも、鷲頭には気を緩めないよう注意を促します。少しの間不安の思いをさせてしまうかと思いますがご安心ください』
スマホから聞こえてくるアイツの声の調子を全く変わらない。二人がどんな思いで決断したのか分かっているのだろうか?また少し腹立たってきた。恐らくみなみもそうだったのだろう。冷たい声で言葉を返した。
『いえ。私と牧は獅子尾さんのことは信頼しているので大丈夫です。ただ、こんな時なのに電話で指示するだけの貴方には少し不信感はあります』
『ならば私も信用していただけるよう、より力を入れて働きましょう』
そこで会話は終わったのだった。
「アイツのやり方に関しては本当にごめん。二人からしたらアイツは何もしていないように見えるかもしれないけど、実際は俺の話とかを元に色々対処方法を考えてくれてるんだ。怒る気持ちも分かるけど、事件が解決するまで我慢してもらえる?」
「こちらこそお見苦しい姿をお見せして申し訳ありません。仰っていることは理解出来るのですが、牧の身に何かあるかもしれないと考えたら、少し頭に血が昇ってしまって……。お恥ずかしいです。それに獅子尾さんへの負担が大きいのに、ご自分はただ指示を出すだけというのも納得出来なくて……」
こんなときでも俺の事を気遣ってくれるみなみに心が癒やされる。
「基本的にいつも実務は俺が担当してるから大丈夫。アイツは俺とか他の伝手からかき集めた情報で推理するのが仕事だから。それにアイツは別として、二人が俺のことは信用してくれてるようで嬉しかったよ」
バックミラー越しにみなみを見た。目が合うとみなみは恥ずかしそうに顔を逸らす。
「いえ。牧は最後まで反対していたんです。でも、この数日の振る舞いで私は獅子尾さんのことを信頼していましたから、何があっても守ってくれるだろうと思って牧を説得しました」
それを聞いて俄然やる気が出てきた。何があっても守ると自分に誓う。
「そこまで信頼してもらえてるなら月曜から頑張らないとな。あ、いや、信頼して貰えてなかったら頑張らないって訳じゃないよ。ただの言葉の綾ってやつ」
慌てる俺を見て笑い出すみなみ。不審者が見つかってからずっと暗い表情をしていたが、久しぶりに笑った顔を見せた。いつものスーパーに着く。
「さて、いつもの場所に着いたけど、流石に今日は家の前まで送っていくよ」
「いえ、大丈夫ですよ。まだ明るいですし、休日で人も多いですから。ストーカーが隣街から急いでこの街に戻ってきていても、流石に人目の多い場所で襲うことはないでしょう」
「それはそうかも知れないけど……」
「それにもし怪しい人物がいたらすぐにご連絡致します。何かあったらすぐに助けに来てくれるのでしょう?」
いたずらっぽく微笑むみなみ。
「はぁ。分かったよ。本当に何かあったらすぐ連絡頂戴。急いで駆けつけるから」
「ありがとうございます。明日はお会い出来ませんけど、もしお時間良ければ電話させていただきますね」
そう言ってみなみは車から降りると、姿が見えなくなるまで手を振っていた。先程のやり取りと共にフードコートでの牧の言葉が俺の頭の中を反芻する。
『みなみは獅子尾さんのこと絶対好きだよ』
つい独り言が出てしまう。
「そう言われてもなぁ。流石に学生と付き合うわけにはいかないだろうよ」
物思い耽っていると後ろからクラクションを鳴らされて現実に引き戻された。後ろで何台も車が詰まっている。急いでエンジンをかけると車を発進させた。
月曜の朝、みなみの家の近くまで来ると門が見える位置に車を停車させた。みなみが出てくるのを待っている間、初めてしっかりとみなみの家を見たが思った以上の豪邸だった。高級住宅街なので周りの住宅も立派な建物が多いが、上坂家は正面から見えるだけでも敷地が周囲の倍以上の大きさがあり、柵越しに整った庭とその奥にそびえ立つ2階建てのおしゃれな家が見える。俺がそのあまりの大きさに圧倒されていると、みなみが門から出てきた。家から10mも離れていないバス停に並ぶのを見て、俺は周囲を見回す。バスを待つ列にはみなみと同じ高校の制服を着た学生やサラリーマンが先に並んでおり、その列の前を自転車に乗って中学生や通勤中の車が何台か通り過ぎていく。怪しい人影や車は見当たらない。しばらくすると時刻表ぴったりにバスが到着する。みなみがバスに乗ったのを確認して車のエンジンをかける。バスが発進したので後ろから来た車を2台ほどやり過ごし、バスの後を追うため車道に入る。急に割り込んでくる車がいないかミラーや横道を確認しながら、2台先を走っているバスについていく。次のバス停が見えてきた。何人か人が並んでいる。バスが停車するのに合わせて、前方を走る2台の車にもブレーキランプが灯る。車道に余裕がないため追い越す様子はない。このバスが通るルートは俺が二人を送迎していたルートと違い、住宅街や学校を通過するためか駅前に行くまでは複数の車線がある大通りは通らず一車線が続くことを昨日実際に走って確認している。信号も少ないためか渋滞も起きづらいので、時間に追われて無理にバスを追い越す車もないようだ。俺としても一定の距離を取りつつ、赤信号でバスに置いていかれる心配が少ないので好都合だ。前の車に合わせてブレーキをかけ、バス停に並んでいる人の列を観察する。みなみが乗ったバス停を同じようにサラリーマンやOL、高校生が並んでいる。視界の隅で誰かがバス停に向かって走っていくのが見えたので急いでそちらを確認したが、坊主姿の男子学生が制服が乱れているのも気にせずバスに向かって走っていただけだった。恐らく寝坊でもしたのだろう。走ってきた学生を乗せるとバスはまた走り始める。前の車のブレーキランプが消える前にブレーキから足を離してしまい、前進とともに衝突防止の警告音が鳴る。急いでブレーキを踏み、前の車が動き出すのを待つ。馴れない車なので使い勝手が悪い。事務所のミニはストーカーにすでに見られてしまっているかもしれないと思い、尾行には別の車を用意した。同じバスに乗ることも考えたが、この格好では相手に気づいてしまう。自分の能力を使うことも考えたが、バスの混雑具合が分からないのでもし乗車率が高く車内で人にぶつかると面倒だ。それに無銭乗車をするのも気が引けた。乗車する人間に怪しそうな人物がいないかは逐一確認しているが、仮にバスの中で不審者を見かけたらすぐに俺に連絡するようみなみと牧には指示をしている。もっとも、一昨日の人物の行動を見ていると同じバスに乗る可能性は低いと考えていた。俺が近づいただけで逃げ出すほど警戒心が強い人間が、近くに人が何人もいる環境で堂々とみなみや牧のことを監視するとは考えにくい。アクションがあるとすれば車を使用してバスを尾行するか、もしくはバスに乗車または降車するタイミングを遠くから観察するか。この2択の可能性が高いと考えている。アイツも同じ考えだったのか、昨日の夕方スマホに入っていたメッセージには乗り降りのタイミングや学校の周辺を注意するように書かれていた。アイツから指示されていた調査については取り急ぎの情報を送っておいたが、ホテルに関してはこの街だけで何件もホテルがあるのでどこまで追いきれるか分からない。だが、ストーカー被害が1ヶ月ほど前から始まったということを考えれば、ある程度怪しい人間も絞れてくるだろう。学校関係者については前日に学校に忍び込み、名簿と写真をある程度確保してきた。もちろん、持ち出したままにするわけにはいかないので一度車に戻って複製したら原本は元あった場所に返しておいた。だが、職員名簿を見る限りでは一昨日見た容姿の人物はいないようだ。年齢層か体格どちらかが一致する教員は何人かいるが、どちらも一致する人間は見当たらなかった。そうなると職員は候補から外した方が良いだろうか。卒業生については卒業アルバムがあるから良いが、例えば範囲を広げて同級生の兄弟なども含むとなると結構な手間になる。たしかにアイツの言う通り、現行犯で捕まえない限り犯人を絞り込むのはかなり時間がかかりそうだ。かと言って、二人を危険に晒すようなやり方には賛成出来ないが。そんなことを考えながら白いセダンを運転していると、いくつかバス停を過ぎていくうちに牧のマンションに近づいてきた。マンションの目の前にバス停があり、乗降スペースにバスが寄っていく。ここから先は追跡がちょっと面倒になる。牧のマンションの近くまでくると一般住宅も増え、交通量も先程よりも多くなる。そのためかここから先は道路の幅が広くなっており、対向車を気にせず路肩に停まった車を抜かすことが出来る。そのままセダンを走らせつつ、列の中に牧がいることを確認した。バスの横を通り過ぎるとミラーから見えなくならない位置で車を脇に停め、ハザードランプを点灯させる。牧がバスに乗るのを見ながら物陰に怪しい人間がいないか観察するが、特にそういった人影は見つからない。俺のように路肩に停車する車もいない。バスが動き出す。バスが通り過ぎるので車内を見ると、椅子に座りきれず通路に立っている人間が何人か見えた。どうやら乗車率が結構高いようだ。バスを利用しなくて良かったと思いながら、車を車道に戻す。数台の車を間に挟み、バスの追跡を再開する。バス停に停車する度に付近に怪しい人影がないか確認するが、街中に近づいていくためか乗り降りする人数自体が少なくなりバス停を素通りすることも増えてくる。偶にバスが停まると、マンションの前で行ったように一度バスを追い越して目視出来る位置まで来たら車を路肩に停め、またバスが追い越すのを待つ。そんなことを何回か繰り返していると、何のトラブルもなく学校の前までバスが到着してしまった。学校脇の横道に入りセダンを停車させると覆面と服に手をかける。アイツからの指示の通り学校周辺を観察する必要があったが、覆面をしたままではこちらが不審者扱いされてしまう。こんなときこそ自身の能力を活かすしかない。脱いだ瞬間を見られないよう注意して衣類を脱ぎ、気づかれないようにドアを人一人がすり抜けられる位開けて外に出る。ちょうど、みなみと牧がバスから降りるところだった。周囲の人にぶつからないよう注意しながら二人に近づく。姿が見えないので当然だが二人共こちらに気づく様子もなく、周りを警戒しながら学校に入っている。正門から校庭横の歩道を歩いていく二人を少し離れてついていく。何人か友人がいたのか二人は挨拶をしながら進んでいく。校舎の玄関先に立っている男性がいた。30代後半位で身長は低いがガッチリとした体格をしている。昨日複製した名簿を思い返す。確か生活指導を担当している教員だったはずだ。教員が挨拶をしたので二人は挨拶を返すと校舎に入っていった。とりあえず今朝は何もなかったなと思い来た道を引き返そうとした時、生活指導の教員が下駄箱で靴を履き替え廊下に向かっていく二人をずっと見ていることに気づいた。素行不良で目でもつけられているのだろうか。いや、そんな話は二人から聞いたことがない。二人が見えなくなり他の生徒が挨拶したことで教員はやっと顔をそちらに向けた。その姿を見て俺もようやく道を引き返した。
午後3時を過ぎたころ、駅前のビジネスホテルの前に俺はいた。ガラス張りのドア越しにロビーを確認し、中へと入っていく。受付にいる若い男性のホテルマンはこちらに気づいていないようで、なにやら手元の端末を操作している。俺が近づく足音が聞こえたのか、ホテルマンが挨拶をしながら顔を上げる。
「いらっしゃいま…」
こちらの格好を目視した瞬間、言葉が止まった。気にせず俺が話しかける。
「どーも」
「ど、ども……」
驚いた表情のまま、受付の青年は俺に挨拶を返す。相手の反応を見て、早口でまくし立てた。
「このホテルに怪しい人間が宿泊していると聞いてきたんだけど、何か知ってるかい?」
「はい?」
思った通り、目の前の青年は困惑している。
「怪しい人間だよ、怪しい人間。20〜30代で、160cm後半の小太り体型、外出する時は黒いパーカーにジーンズで、メガネとマスクで顔を隠している。そういう人物が泊まっているとウチにタレコミがあったんだよね。知っていたら隠さずに教えてもらえる?」
「え、いや、自分はちょっと知らない……」
受付が喋り終わる前に俺は口を開く。
「本当に?もし嘘をついたら、そいつを庇っている人物として君のことも上に報告させてもらうよ?後から何を言ったところで、容赦なくそいつの共犯として処理されることになると思うからよく考えて答えた方が良いよ」
急に物騒な話になったので、青年は慌て始める。
「待ってください!そもそも貴方何なんですか?自分だって怪しい格好してる癖に、急に現れたと思ったら変な事を聞いてきて!一体何が目的なんですか?」
「俺が何者かだって?俺のほうが聞きたい位だね!自分のことをあとほんの少しでも理解出来てればこんなことやってないよ。上の指示に従ってるだけでそいつが何をしでかしたかも知らないし、見つけたとしてそいつにどんな処遇を施すのかなんて恐ろしくて知りたくもない!君がどうしても知りたいっていうなら、今ここで上司に電話してあげるから自分で聞きなよ」
そういって俺がスマホを取り出すと受付の青年は更に慌てて止める。
「ちょっ、待って!そういうことなら僕じゃなくて支配人に聞いてくださいよ!今、裏から支配人を呼んできますから!」
今だなと思い、俺は声のトーンを下げて青年に語りかける。
「良くないなぁ、そうやって時間稼ぎをしつつ俺が見えないところであのクソ野郎に連絡して逃がそうとするなんて。君のその行動のせいで俺と俺の組織がどれくらい不利益を被るのか分かる?あんまり面倒くさいことはしないでもらえるかな?良いんだよ?君がどうなろうが俺の知ったこっちゃないから、とりあえず組織に君のことを報告しても。君の身の安全とアイツを匿うこと、本当に釣り合っていると思うかい?そう思うのなら、回れ右してその支配人とやらを呼んできな。もし釣り合わないと思うなら、この場でアイツが宿泊しているかどうか、イエスかノーで答えるんだ」
テンパっている相手に対しては勢いで丸め込む。アイツの仕事を手伝うようになって学んだ聞き込みのテクニックの一つだ。もし冷静になって誰かを呼びに行くようだったら裏に行ってるうちにデータだけコピーして逃げ出そう。そう思いながら相手の反応を待っていると、悩んだ末に青年が口を開く。
「ノ、ノーです……」
もし怪しい人間が泊まりに来たら連絡するように。そう青年に言い聞かせ、使い捨て用の電話番号を伝えてビジネスホテルを出る。この街で値段が手頃なホテルはいまので最後だが、本日4件目の調査を終え昨日の聞き込みも含めても、今の所成果全くなしだ。他に調査するとなるとシティホテルや民宿などになる。または周辺の街まで範囲を広げるか。そもそもストーカーが車中泊などホテルを利用していない場合もあるし、アイツが懸念していたように遠方ではなくこの近辺に住んでいて宿泊する必要がない場合だって考えられる。全く無意味な調査をしている可能性がどうしても頭の片隅から離れず、現行犯で捕まえるという探偵の提案がいかに効率的か分からせられる。こんな考えじゃいけないなと思い、頭を振って顔をあげるとちょうど目の前にあるビルのテナントの看板が見えた。『H24』と書かれたコンビニやファミリーレストランの看板と並んでネットカフェの看板が出ている。24時間営業のネットカフェか。俺も学生の頃は暇つぶしによく使っていたな。学生時代の思い出が蘇ると同時に、ある考えが浮かぶ。ビルの入り口まで歩いて行き料金表を見る。夜間の10時間パックでも先程調査したビジネスホテルより全然安い。それにシャワーやコインランドリーも完備しているようだ。先程頭に浮かんだ考えがより具体的な形となっていく。二人のことを狙う人物がこの街で宿を取るとして、はたしてどれくらいの期間を想定しているのだろうか?1週間か、1ヶ月か?いや、二人の行動パターンに左右される以上、ストーカーが決められることじゃないはずだ。そうなった場合、わざわざずっとホテルに泊まるだろうか?金額の問題もあるし、ホテルの宿泊状況によっては連泊を断られることだってある。ホテルの従業員に顔を覚えられる危険性も増える。デメリットに対してメリットがあまりない。それなら、ホテルを利用するよりもネットカフェを宿として利用する方が使い勝手が良いのではないか?ポケットのスマホが鳴る。スマホに届いたメッセージを見て思わず笑ってしまった。アイツも自分と同じ考えだったようだ。メッセージには『もし宿に関する調査が行き詰まったら24時間営業の店も対象に加えてくれ』と書かれていた。ビルの入口にあるテナント案内を見る。1階はコンビニ、2階はファミリーレストランで、その上の3〜6階はネットカフェとなっている。受付は3階にあるようだ。スマホをポケットに仕舞いビルの入り口にあるエレベーターに乗ると、受付のある3階のボタンを押す。エレベーター内の広告を読んでいると目的の階に到着した音が聞こえ、ドアが開く。エレベーターを降りるとすぐ目の前に受付があるが従業員はどこにもいない。受付台まで行くと、『御用の方はこちらを押してください』という案内と飲食店などによくある呼び出しボタンが置いてあった。ボタンを押しつつ、今回はどのように聞き取りを行おうか頭の中で考え始める。受付の奥にある従業員専用ドアが開き、人が出てきた。
「らっしゃっせ。って、あれ?獅子尾っちじゃん。どったの、こんなところで?また事件?」
店員の癖に馴れ馴れしく話しかけてきた男が自分の名前や事件の調査をしていることを知っていることに驚いてしまい、直前に考えていたシチュエーションは頭から吹っ飛んだ。思わず普通に質問してしまう。
「いや、君誰?っていうか、なんで俺の名前知ってるの?」
「こっちが質問してるんだけど……。まっ、いっか。服装は違うけど顔覚えてない?あの時一緒に泥棒捕まえて、獅子尾っちが自分で教えてくれたじゃん?」
「泥棒?確かにその顔と喋り方に見覚えはあるけど……誰だっけ?」
「ツラッ!チョッ、まじでツラいわ〜。なんか俺が一方的に友達ヅラしてるみたいじゃん!花畑よ、は・な・は・た!お花畑で、はなはた」
そう言って男はネームプレートを見せてくる。その名前を見て、ようやく相手のことを思い出した。以前に携わった連続窃盗事件で犯人の逃走ルートが分からず取り逃がしそうになった時、近くのコンビニで怪しい人影を見たと言って犯人逮捕に協力してくれたバイトの青年だ。
「思い出した。あの時のバイトくんか。まさかまた会うことになるとは思わなかったわ。なんでここにいるの?」
「前にバイトしてたコンビニなんだけどさぁ、給料安いのに仕事や覚えることが多いし、客も酔っ払いとか変なクレームつけてくる人がめっちゃ多くて。おまけにあの事件で泥棒捕まえる為に店を空けたら店長には怒鳴り散らされるし。嫌になってやめちゃったんだよねぇ〜」
そう言うと何が面白かったのか花畑は大笑いする。なんだか相手のペースになってきている気がする。
「そ、そうか。なんか後半は俺の責任みたいな気もするけど……。それにしてもよく俺のこと分かったね」
「いや、こんな暑い日にそんな格好してる人間、生まれてこの方獅子尾っちしか見たことないし。ケッコー奇抜な格好してんよ、アナタ?それにこう見えて俺、記憶力は良いほうなんだよね」
「俺だって好きでこの格好してるわけじゃないけど、奇抜な格好っていう言葉については否定しようがないな」
「そんで?獅子尾っちはなんでこんなとこに来たの?まさか普通にネットサーフィンしに来たわけじゃないっしょ?また何か面白そうな事件でも追ってるの?」
組んだ両腕を受付台につけて寄りかかると、楽しそうに聞いてくる。喋りたい人間にはとことん喋らせた方が良い。これもこの仕事を始めて学んだことの一つだ。
「別に面白いってほどじゃ……。事件の調査をしてるってことは正解。ちょうど良かった。聞きたいことがあるんだけど良いかい?」
「全然OK〜。もう少ししたら学校終わりの学生とかが来始めるけど、この時間は暇ちゃんだし。何聞きたいの?」
先程のホテルと同じ質問をする。
「人を探していて、そいつがこのネットカフェを宿代わりに利用していないか知りたいんだ。年齢は20〜30代、160cm後半の小太り体型。メガネやマスクで顔を隠している可能性が高い。1ヶ月位前から頻繁に夜間で利用している客の中にそういう特徴のヤツはいる?」
「ん〜、ウチもいろんな人が利用しているからね〜。その特徴だけちょっとざっくりしすぎてるかなぁ」
「特徴に完全に合致しなくても良いんだ。怪しい人物ってだけでも構わない」
花畑は少し考えたが首を振った。
「俺も常にこの店いるわけじゃないから断言出来ないけど、少なくとも夜間の利用客にはいないかな?そもそも、夜間に来る人達って近所に住んでる常連か、ホテルの予約が取れなかった旅行者位なんだよね。そんなに頻繁に宿代わりに使用されてたら従業員の中でも噂になってると思う」
「そうかぁ…」
アテが外れ肩を落とす。しかし、花畑は言葉を続ける。
「でも、昼の時間帯だったら昨日から怪しい客がいるよ。10時とか11時とかに来て1時間位しか利用しないんだけど、最初にまず何をすると思う?」
日中にネットカフェへ来て一時間しか利用しない客がそんなに珍しいだろうか?いや、わざわざ怪しいと言っているから何か理由があるんだろう。
「何って、パソコンで調べ物とか?それかすぐ下にファミレスがあるのに食事をしに来てるとか?」
両方の人差し指をクロスさせて花畑は言う。
「それが全然違うんだなぁ。受付済ませたら、なんとシャワー室に直行。お風呂代わりに使ってるんだよね。まぁ、この近くに銭湯はないし、この暑さで凄く汗かいてるのか知らないけど昨日も今日もそのお客さんケッコー汗臭かったんだよね。で、シャワーで汗を流したら、そこの充電スポットでスマホ充電させながらドリンク飲んで、終わったら他に何もしないで帰ってくの。しかもマスクしたままストローで。ちょっと怪しいよねぇ」
マスクをしたままストローで飲むという行為に既視感を感じる。俺が人前で飲み物を飲む時と全く同じだ。それに今、昨日と今日と言っていた。
「昨日からってことは2日連続で来たってこと?」
花畑は今度は両方の親指と人差し指で丸を作る。
「そ。流石に2日連続で来て、シャワーと充電しかしないから気になってたんだよね。しかもこんな暑いのに長袖のパーカー着てるし。年齢は顔をちゃんと見れてないから分からないけど、身長とか体格はさっきの条件にも合ってると思うよ。目測だから不確かだけど」
「ビンゴかもしれないな。その客の情報を知りたいんだけど、登録情報とか教えてもらえる?」
「えぇ〜?流石にそれはなぁ〜。怪しいからってそう簡単にお客さんの情報を教えちゃったら不味くない?」
急に真面目なことを言い出し始めた。
「その客の利用状況とか散々言ったばかりでしょ。今更そんなコンプラ意識高くしたって無駄だから」
「いやいや〜。さっきまでのはただの雑談ですから?俺が言ったっていう証拠もないし?登録情報を教えるとなるとハードルが上がっちゃうよね。それに話を聞く限り、獅子尾っちが探している人は宿泊場所が不明なんでしょ?別にその人はウチに泊まりに来てるわけじゃないし」
そう言って渋る花畑を何とか説得しようとしたが、スマホに連絡が入った。スマホを見るとみなみからのメッセージで、学校が終わったから牧とこれから帰り支度をして帰宅するとのことだった。近くの駐車場に車を停めているが、急がないと二人の帰宅時間に間に合わない。今は情報を聞き出すのを諦めるしかないようだ。
「とりあえずこれから用事があるから、この話はまた今度で。連絡先教えるから後で連絡くれ」
「あ、今日は夕方までバイトなんだよね。連絡するとしても遅い時間になるけど良い?」
時間がないためポケットにあった事務所の連絡先が書かれたしわしわのカードを渡す。カードを仕舞い手をひらひらさせて別れを言う花畑に軽く礼をすると、俺は急いでエレベーターに飛び乗った。
今朝車を停めた脇道には子供を迎えに来たのであろう車が何台か停まっていたため、学校の正門が見える位置に車を停めるとみなみに到着した旨を連絡する。車の時計を見るとバスが学校の前に来るまであと5分しかなかった。街中で何度か信号に捕まったせいもあるが、聞き取りに夢中になり過ぎた。ネットカフェの話はとりあえず明日また行くか、いや、明日も花畑が受付にいるとも限らない。休憩時間に電話すると言っていたしそれを待つのが良いだろう。スマホに連絡が入る。みなみからの返信で、これから急いでバス停に向かうと書かれていた。追伸に遅れたことに対し今度何か埋め合わせしてほしいと冗談めかして書かれている。みなみとは日曜の夜に電話が来て一時間ほど話をした。内容自体は他愛もない話だが、ところどころこちらの趣味や趣向を尋ねるような質問が混ぜ込まれていた。嘘をつく必要もないかと思い言える範囲内のことは正直に答えたが、ここまで露骨だと流石に意識するなと言うのも無理だ。事ある毎に頭の中で牧に言われた言葉が反芻する。仮に、万が一、本当に、みなみが俺のことを好きだとして、どうやって接してあげるのが正しいのだろう。未成年であるし、俺のこの身体のこともある。正直に話したところで、それでも好きだと言ってくれるだろうか。それに、たとえ自分のこの異常な身体を受け入れてくれたとして、いつ追手が来るかもわからない。追手が来れば自分と関わりのある人間が真っ先に狙われるだろう。あんないい子をそんな危険な目に合わせるわけにはいかない。やはりはっきりと自分の立場を伝えるべきだ。だが……。もし彼女が大人になった頃、それらの問題を解決することが出来たなら……。そこまで考えて、苦笑いをした。我ながららしくない、意気地のない考えだ。とりあえず目の前の問題を解決することだけに集中しよう。そう思った時、ちょうどサイドミラーにバスが映った。学校に目を向けると、みなみと牧が正門から走って出てきた。なんとかバスに乗り遅れなくてすんだようだ。もし遅れていたらみなみは別として牧になんて言われるか分かったものじゃなかったな。そう思っていると、脇道から一台の銀色の車が出てきてバスのすぐ後ろに入り込む。一瞬正門まで子供を迎えに行くのかと思ったが違和感に気づく。先程脇道を通った時は二人を送迎していた時にも見た覚えのある車しか並んでいなかったが、いま脇道から出てきた車はそのどれでもなく、見覚えのない軽自動車だった。セダンのエンジンをかけ、軽自動車の3台ほど後ろに車を滑り込ませる。遠目に二人が他の学生と一緒にバスに乗り込んだのが見えた。バスの発進に合わせて、車列が動き始める。周囲にも注意を払うが、意識はバスのすぐ後ろを走るあの銀色の軽自動車に向いていた。次のバス停が見えてきた。老人が何人か並んでおり、バスが停まる。住宅街と違い道幅も広く、反対車線からは車も来ていない。普通であればバスを追い越していくところだ。しかしその車はバスと同じようにブレーキをかけるとすぐ後ろに停まった。予想通り、乗り降りに時間がかかっており、後続の車両が2台ほど安全を確認してバスと軽自動車を追い越していく。バスのブレーキランプが消え発進すると、それについていくように銀のボディの車も走り始める。やはりあの車、なにかおかしい。車列への割り込み方を見るに、バスの追い越しを怖がっている運転初心者には見えない。何か意思を持ってバスについて行っている。三個ほどバス停を過ぎると病院の目の前にあるバス停でバスが停まる。どうやら先程乗った老人達が降りるようだ。運転手が降車を手伝っている。先程と同じようにいつでも追い越していけるのに不審車は動く素振りを見せない。前の車に合わせてバスと不審車を追い越す。追い越す瞬間顔を見ようとしたが、顔をこちらとは反対方向に向けており確認できない。朝と同じく少し先で車を停めバスが動き出すのを待っている間、みなみにメッセージを送る。すると直ぐに返信があった。みなみからの回答を確認し、スマホをポケットに入れず助手席に放るバスと不審車が横を通り過ぎていく。不審車の運転手を見ようとしたが、不審車のすぐ後ろの車が俺を割り込ませまいと急にスピードを上げたのに気を取られ、顔を見ることが出来なかった。2台ほど車を通したあと、車列に戻る。牧が本来降りるマンション前は4つ先のバス停だが、みなみを通して牧には一つ前のバス停で降りるようさきほど指示を出した。もし、あの車が牧が降りるのを見て何らかの行動を取るのであれば、牧のストーカーである可能性が高い。そのままバスを追うようであれば、横にあるスマホで牧の安全を確保しつつ追跡を続けるつもりだが、アイツの言葉を信じるのであればおそらく……。そう考えつつ車を走らせ目的のバス停に着いた。牧がバスから降りてくるところが見える。少し不安そうにも見える。すると不審車は牧がそこで降りると思っていなかったのか、一瞬ブレーキランプが消えその反動で車が小さく揺れた。バスが発進するとその車も一緒に走るが、一区間行かないうちにその小さな車体は路肩に寄り始めハザードランプが点灯した。他の車に追従しながら軽自動車を追い越す瞬間に運転席を見たところ、何かを取り出そうとしているのか後部座席の方に上半身を乗り出している。まずいと思い、車を走らせながら左手でスマホを掴み牧に通話をかける。牧がすぐに出た。
『あ、もしもし、獅子尾さん?言われた通り一つ手前のバス停で降りたけど、このまま歩いて帰って良……』
「少し先に不審車が停まっている!銀色の車だ!俺が見張りに行くから君はその場で待機!」
電話の向こうで小さく驚いたような声をあげる。何も言ってこないところを見ると、いまので緊迫感は伝わっただろう。俺はちょうど目の前にあったコンビニに入ると、その駐車場に車を停めてプライベートのスマホでみなみにメッセージを送った。そして、急いで来た道を戻る。銀色の車両が見えてきた。少し先のバス停ではおそらく牧だと思われる人影も見える。もしあの車から人が出てきて牧に襲いかかろうとしても対処出来るように物陰で服を脱ぐ。スマホも置いていく必要があるが、その前に牧への指示だ。
「おまたせ。近くまで来たからそのまま歩いて家に向かってもらって大丈夫だよ」
『大丈夫だよって、本当ですか?獅子尾さんの言う通り、銀色の車は少し先に停まってます。でも、私からは獅子尾さんの姿がどこにも見えませんけど』
状況が状況なだけに、牧はいつものタメ口ではなく敬語になっている。
「車に乗っている人物にバレないように隠れてるからね。すぐ近くにはいて、もし何かあればすぐに助けに入れるから大丈夫」
『……わかりました。それじゃあこのままスマホで話をしたまま……』
「残念だけどそれは難しい。スマホで話をし続けているとその声が相手に聞こえてしまう可能性がある。指示を出せるのはここまでなんだ。一人で怖いだろうけど頑張ってほしい」
『そんな!』
悲痛そうな声に心が痛くなる。だが、スマホだけが宙に浮いているという不可思議な現象を誰か周辺の人に見られたら変な騒ぎを呼んでしまうし、そんな騒ぎになれば車の運転手を尾行するどころではなくなってしまう。
「大丈夫!何があっても必ず助けるし、相手には指一本出させない」
しばらく無言が続くが、意を決したようにはっきりとした声が聞こえる。
『わかりました。ただ、車とは反対の歩道を通っていいですか?できるだけあの車には近寄りたくないです。私が運転手の顔を見なきゃいけないなら別ですけど』
「それでいいよ。むしろ、車の横を通るとなったらどうしてもそっちを意識してぎこちなくなってしまうだろうし。それに幸い、牧ちゃんの家は反対の歩道の方だしね」
安心したようなため息が聞こえてきた。俺は言葉を続ける。
「どうしても危なくなったら大きい声で叫ぶから、俺の声が聞こえたら全速力で近くの住宅か店に駆け込んで。身の危険を感じた場合も同じように。俺の声が聞こえなくて身の危険を感じなければ、そのまま家まで歩いて。さっきみなみちゃんに連絡して、すぐバスを降りてマンションで牧ちゃんを待っているようにお願いしておいたから。大丈夫、3分も歩けばマンションに入れる。なにも問題がなければこちらからまた通話するよ」
俺からの指示を黙って聞く牧。何か確認したいことはあるか聞くが俺の指示を守るのに精一杯のようだ。一呼吸置いて牧の声が聞こえた。
『それじゃあ……。また後で』
通話が切れると、みなみにも周囲に注意しておくようメッセージを入れておく。脱いだ服のポケットに2台のスマホを入れ近くの植木に隠した。歩道に尖った物が落ちていないか確認しつつ車に近づいていく。道の向こうでは牧が反対側の歩道へ渡っていくのが見えた。ここで降りるよう指示したのは牧のマンションから距離的に近いという点もあるが、見晴らしの良い道路であることも理由の一つだ。牧のマンションまではカーブや交差点もない直線道路となっており、バス停からマンションの入り口まで遮るものもなく見通すことが出来る。牧を励ました時に言った通り、2〜3分も歩けばマンションに辿り着くだろう。車道を走る車の数はバスなどで混雑しなければあまり多くなく、今は反対車線を含めても数台しか走っていない。歩道も腰くらいの植木とガードレールが車道との間にあるだけだ。道路に沿うように立ち並んでいる建物も一軒家やアパート、先程の店舗とは系列の違うコンビニが2軒に自転車屋など、いざとなったら逃げ込めるような人気のあるものが多い。この場所であればストーカーもそう簡単に手を出すことは出来ないだろう。そんなこちらの思惑通り、牧が向こう側の歩道を歩いていくのに車は特に動く様子もない。近づいていくとフロントガラスから運転手の姿が見えた。どうやら後部座席から取り出したのは、遠くからでもターゲットを確認出来るように持ってきた双眼鏡のようだ。ちょうど双眼鏡で歩いている牧を見ている。双眼鏡とそれを持つ手で顔がよく見えない。だが、どこかで見たような顔の気がする。一体どこだったか。もっと近くで顔を見ようとした時、すぐ近くの住宅から人が出てきたのでそちらに顔を向ける。腕に何かを抱えているのでソレをよく見ると、思わず舌打ちをしそうになった。子犬だ。この姿になって苦手になった物の一つが犬や猫などの動物だ。俺の姿は目に映るはずないのに、気配を察知出来るのかこちらへ向かって威嚇の為に吠えたり、好奇心の為に走って近寄ってきたりするので、尾行や監視の際に妨げになることがある。飼い主に抱かれたままこちらに近づいてくる。騒がないでくれよ、と思い軽自動車から離れて歩道の端に寄る。その黒い目がこちらを見ているような気がするが、暴れたり吠えたりする様子はない。そのまま飼い主が俺の横を通り過ぎていった。ホッと一息をつき、すぐに不審車へ向かおうとしたが、急なエンジン音が鳴り驚く。運転席を見ると、双眼鏡を後部座席に戻しながらスマホを持って誰かと話をしている。牧の方を見るが、遠くでまだ歩いているのが見えた。まさか共犯?そう思ったが、どうやら元きた道を戻るために、Uターンさせようと車を切り返している。急いで車の近くまで向かう。後数mのところまで近づいたところで、Uターンしきって反対車線を走り去っていく。運転席側の窓ガラスからチラッと横顔が見えた。俺は立ち止まり、去っていく車を見送る。銀の車体が見えなくなると、服を隠した場所まで戻り、着替えを済ませるとスマホで牧に通話する。ワンコールで出た。
『どうしました?何かあったんですか?もうすぐそこですけど、まだマンション着いてませんよ?』
早口で質問してくる。先程の指示した内容と違い、マンションに着く前に電話がかかってきたため焦っているようだ。
「そのまま帰って大丈夫だよ。とりあえず、やらなきゃならないことはおわったから」
『それってどういう……。もしかして犯人が分かったんですか!?』
「見間違いじゃなければ、ね。とりあえず、車で君の家の前まで行くからみなみちゃんも合わせて、一度合流しようか。でも、行かなきゃならないところが一つ出来たからすぐに出ちゃうけどね」
『行かなきゃならないところ?』
「うん。君たちの通ってる学校」
少し前までグランドで部活をしていた生徒が日が暮れて帰宅している。仕事が終わり他の教員も帰った職員室で天王寺生汰は一人残って生徒からの投書に目を通していた。仲の良かった友人が最近他の子とばかり仲良くしている、好きな後輩に部活でぶっきらぼうな対応してしまい嫌われたかもしれない、テストの成績が悪かったため親から塾に通うよう言われている、担任の先生とデートしたいのでおすすめのデートスポットを教えて下さい、などなど。お悩み相談所と勘違いしていないだろうか?いかに生活指導の教員と言えど、個人的な悩みまではこちらではどうしようもない。いや、最後のヤツは冗談でなければ中々まずい内容だが……。相談事の書かれた紙をデスクに置いて伸びをする。今日は中々疲れた。仕事も溜まるし、馴れないことはあまりするものじゃないなと思う。パソコンを操作してフォルダから一枚の画像を開く。画像の日付は一昨日土曜の午後になっている。画質は悪いが、画像の中央には二人の人物がクレープを片手に持ちフードコートで楽しそうに話をしている姿が小さく映っている。一人は背格好から男性だと思うが、正直不明だ。画質や映りの悪さも影響しているが、全身に衣類を身につけて肌が全く見えず、顔も覆面の上にマスクやサングラスをしているようで素顔はおろかどんな表情をしているのかすら分からない。そのおかしな格好のせいで、本当に男性なのか、それとも女性なのか、年齢はいくつ位か、全くもって謎だ。一方、もう一人はこの画質の悪さでも分かる。この高校に通う2年生の三ツ渕牧だ。明るい性格のため友人も多く悪い噂は今まで聞いたことがない。少なくとも表向きは。素性を隠してやっている動画の事が頭の中を掠める。天王寺は低く唸ると腕を組んだ。今朝校舎前で挨拶をした時から気づいたが、やけに周りをキョロキョロと見ていた。授業が終わって下校する時も友人とのんびりしていたかと思ったら、急に身支度をして帰りのバスに乗るために急いで走っていた。バスに乗った後も自宅前にバス停があるにも関わらず一つ前のバス停で降りて歩いていた。車から監視していたが、ちょうど教頭から呼び出しがあったため学校に戻ることになったが、何かおかしい事は確実だ。もしかして俺のことに気づいたのか?
「やっぱり本人に直接……」
「直接、何をするんですか?」
背後から急に声がして驚いて振り返る。そこに立っていた人物はこの暑い時期だと言うのに黒い長袖のタートルネックにジーンズを履いており、頭は黒い目出し帽も身につけ目はボストンのサングラス、口元はマスクで隠れている。ちょうどパソコンの画面に映っている人物に似ている。いや、こんな格好している人間がそんな何人もいるはずがない。目の前に立っているこの人物こそ、画像に映っている本人だと分かった。ドアが開いた音など聞こえなかったが、いつこの部屋に入ってきたのか?いや、そんなことよりもこの人物はなぜこの学校にいるのか?
「もしかして驚いて声も出ない?まぁ、そうですよね。探していた人物が急に目の前に現れたら誰だって驚くよね」
「な、なんだお前ぇ!?」
俺は思わず大声を出しながら、立ち上がって目の前の人物から距離を取る。覆面をした相手は落ち着いた様子で俺が立った拍子に倒れた椅子を直し、その上に座るとパソコンの方に顔を向けた。
「教師が休みの日に学生を盗撮するとはやばいんじゃないですか?他の先生方は知ってます?」
「動くなッ!警察を呼ぶぞ!!」
胸ポケットに入ったスマホを取り出そうとした。
「警察を呼ばれたら困るのはどっちですかね?不法侵入した俺?それとも教え子を尾行している教師?」
相手の言葉に俺は動きを止めてしまった。なんで知っているんだ?
「……何のことだ」
しらを切ろうとしたが、相手はとぼけた声色で言葉を続けた。
「あれ?今日の放課後に三ツ渕牧さんのことを車で尾行してませんでした?おかしいなぁ〜。彼女が乗ったバスを追いかけてる車に乗っていたの、生活指導の天王寺先生だと思ったんですけどねぇ〜。それにバスを降りたら車を停めて彼女のこと見ていませんでした?」
俺の名前を知っていることにも驚いたが、何よりも今日の行動をズバリ言い当てられたことに衝撃を受ける。
「なぜ知ってるんだ?見ていたのか?でも、車から三ツ渕を監視していた時は周りに人はいなかったはず……」
「なんだ。やっぱりアナタだったんじゃないですか。変にしらばっくれようとするなんて、何かやましいことでもあるのかな?」
「いや、別にしらばっくれようとしたわけでは……。そう、最近不審者が多いから生徒が無事に帰れるか見守っていただけだ」
苦しい言い訳だが、それでも言わないよりはマシだろう。
「へぇ〜、この学校では隠れて双眼鏡で覗くことを見守るっていうんですね。明日から他の先生方にもそうやって見守ってもらいましょうよ」
俺が三ツ渕の事を見ていたのを知っていたのでもしかしたらと思ったが、まさかそこまで見られていたとは。あの時近くには誰もいなかったはずなのに。しらを切っても無駄だと観念し、相手へ嘘をついたことを謝る。不審者に謝るというのもおかしな話だ。
「それはやめてくれ。驚いて嘘をついた俺が悪かった。他の職員には黙っていてくれ。あんたは誰なんだ?三ツ渕の彼氏とかか?」
「その質問に答える前に、まずこちらの質問に答えてもらえますか?なんで彼女の事をストーキングしたんですか?」
椅子に座った相手から有無を言わせぬ威圧感を覚える。正直に話をするしかないようだ。
「ストーキングは誤解だ。パソコンに映っている写真を見て分かる通り、あんたと三ツ渕が付き合っているのかと思って今日一日三ツ渕を見張っていたんだ」
「それはなぜ?アナタが彼女に好意を抱いているからですか?」
「違う!……いや、申し訳ない。今のは少し嘘だ。好意ではないが特別気にかけてはいるな。三ツ渕が隠れて動画投稿していることは?」
俺の質問に男は頷いた。
「やはりそうか。それじゃあ、彼女が中学時代不登校だったことも?」
「はい。彼女から直接聞きました」
そこまで三ツ渕のことを知っているとなると、かなり親しい人間のようだ。
「それなら全部話しても大丈夫そうだな。中学で不登校歴があったから入学した時から三ツ渕のことは気にかけていたんだ。この学校は地元の中学生がそのまま入学してくることが多いが、それでも中学と高校では大きく環境が変わる。もしかしたら高校生活に馴染めずにまた不登校になってしまうんじゃないかと思ってな。だが、すぐに杞憂だと気づいたよ。明るくて新しい友人もたくさん作っていたからね」
覆面の男は黙って俺の話を聞いているように見える。覆面のせいで表情が全く読めず、実際ちゃんと話を聞いているのかは分からない。
「ただ、定期的に気にかけるようにはしていた。友人が多いと友人関係で悩む学生も多いのは経験で知っていたからだ。それでも問題なく一年を終えようとしていた頃、匿名でタレコミがあったんだ」
「タレコミ?」
「あぁ。差出人不明のメールで三ツ渕に関するタレコミが届いた。とある動画投稿サイトで同級生と一緒に動画を作って投稿している、と。メールに記載されたURLから投稿者のチャンネルに行って動画を見た。最初、動画に映った二人の人物のどちらが三ツ渕か分からなかったが、しばらくして話し方で本人だと分かったよ。そして三ツ渕本人だと知って、俺は怖くなった。今どき人目を引く為に炎上目的の動画を作ったり、自分の素性を簡単に晒してしまうことなんて珍しくない。普段の三ツ渕を見ていてアイツがそんな人間だとは思えなかったが、人となりを完全に理解しているわけじゃないからな。だが動画を見終えて杞憂だと気づいたよ。三ツ渕達の動画はそういった点には気をつけていたからな」
チャンネルに投稿されている動画をいくつか見たが、いずれも健全な内容で三ツ渕の事はよく知っていなければ本人だとは気づかないだろう。それを知って、俺は本当に安心したのだ。
「だが、教師として止めるべきかどうか悩んだ。ネットについてあまり詳しくないが、それが原因でいじめやトラブルに巻き込まれるというニュースを聞いたことがあったのはもちろん、三ツ渕達は未成年だ。問題が起きた時に自分達で正常な判断を出来るとは限らない。かと言って本人が頑張っているのに問答無用でやめさせるのが良いとも思わない」
悩んだ末、結論を出すのを先伸ばしにするという判断を下したのだった。学校では三ツ渕の様子に気を配るようにし、裏では動画の内容が問題ないか投稿されたら早めに視聴するようにした。他の先生に相談することも考えたが、大事になれば学校中に知られてしまう可能性もある。ファンや不特定の人間であれば気にならないだろうが、学校の人間に好奇の目で見られればまた不登校になることだって考えられる。俺に出来たのは問題が起きないように黙って見守ることだけだったのだ。それまで黙って俺の話を聞いていた目の前の男が腕を組みながら俺を咎めるように話を始める。
「かと言ってストーキング行為はどうかと思いますがね?アナタに悪気がないのは分かりますけど、当の本人達はだいぶ怖がってましたよ」
「今日一日だけでそんなに怖がらせてしまったか……悪いことをしたな。三ツ渕には明日正直に話をするとしよう」
男は首を少し横に振るとスマホを取り出す。
「それなら心配ないですよ。二人にはアナタの事を話しておきました。さっきまでアナタのことを調べさせてもらいましたけど、生徒の悩みを親身になって解決してくれるって、同僚の方や学生からかなり評判良かったですよ。これから二人に改めて連絡して、悪意ではなく心配した上での行動だったと言いますよ。ただ、後ろめたいからといってまだ嘘をつくのは関心しないですね。二人の話では一ヶ月位前からストーキングしてますよね?」
男の言葉に俺は眉を潜めた。
「一ヶ月前から?何を言っているんだ?最初から言ってる通り三ツ渕のことを尾行したのは今日が初めてだぞ。それに二人って、三ツ渕の他に誰のことを言ってるんだ?」
俺の言葉を鼻で笑いながら目の前の男は質問をしてくる。
「いやいやいや。しらばっくれないでくださいよ。少し前からみなみちゃんにも無言電話をかけたりしてたでしょ?」
予想外の名前が出てきて驚く。
「みなみ……?三ツ渕の友人の上坂みなみのことか?なんであの子の名前が出てくるんだ?それに無言電話?担任でもない俺は個人どころか自宅の電話番号すら知らないぞ」
この場に現れてから常に余裕そうな振る舞いだった男だが、今の俺の言葉が信じられなかったのか初めて動揺した姿を見せた。
「は?何を言って……。これは!?このパソコンに映っている写真のことは!?土曜に隣街のショッピングモールで遠くから俺たちの事を見てたでしょ?」
デスクの上にあるパソコンに映った画像を指差す。メールに添付されていたあの画像だ。
「映ってる場所は隣街だったのか。奥の方に見える店に見覚えがある気はしていたが……。この写真についてだったら俺があんたに聞きたい位だ。どんな場面の写真なんだ?以前に動画のことを連絡してきたメールと同じアドレスから突然送られてきたんだ。添付されている写真を見て、てっきりあんたと三ツ渕がデートをしているんだと思ったんだが……」
覆面をしているため表情は分からないが、息を飲む音や身体の硬直具合から相手がもう動揺を隠していないことがひと目で分かった。
「ちょっ、ちょっと待って。話を整理させて。まず、牧ちゃんを尾行していたことは認めるんですよね?」
「あぁ、今日の帰り道に後をつけたのは事実だ」
男の質問に正直に答える。
「尾行していたのは今日だけ?この間の土曜とかそれより前に監視していたりしていない?」
「さっきから何を行っているんだ?学校内で気にかけたりはしていたが、流石に休日に学校の外で見守るほど時間は取れないぞ」
「それじゃあ、なんで今日は尾行したんですか?」
「不純異性交遊のタレコミと一緒にその画像が送られてきたからだ。怪しい格好をしたヤツと二人で楽しそうにしている写真を見て、何かトラブルに巻き込まれたかと思ってな。動画投稿をしていて変な輩に目をつけられるなんて、よくニュースでもやっているだろ」
その言葉を聞いて男は覆面をした頭を抱える。すると、男が手に持っていたスマホが鳴り出した。男はスマホの画面を見ると、こちらに気にせずすぐに電話に出る。
「もしもし、俺だ。なんで電話出てくれなかったんだ!……え、ネカフェの店員から電話?いや、そんなことより送ったメッセージを見てくれ。俺、もしかしたらとんでもない勘違いをしてしまったかもしれなくて……。あぁ、今は学校で本人と話をしている。……このまま代わった方が良いのか?……分かった」
男は立ち上がってこちらに近づいてくるとスマホを手渡してくる。通話が繋がっているから話してほしいと言われ、俺はスマホを預かると顔に近づける。
「もしもし?」
『もしもし、私、この街で探偵を営んでいる桑田と申します。三ツ渕牧さんからストーカーのご相談があって調査をしていたのですが、私の部下の早とちりで天王寺先生に大変無礼を働いてしまい誠に申し訳ありません。本人に代わって謝罪させていただきます』
落ち着いた声でそう言う。どこかを走ってでもいるのか偶に吐息が聞こえる。
「え?あ、はい。大丈夫です。こちらも紛らわしい真似をしてしまったので。ところでストーカーの相談?それは一体……」
『それについてお話する前に一つだけ伺ってもよろしいですか?』
電話の向こうで桑田と名乗った人物が呼吸を落ち着かせて尋ねてきた。
『三ツ渕牧さんの自宅の部屋番号を教えていただけますか?』
三ツ渕牧は自分の部屋のベットの上で目を覚ました。寝ぼけた頭で眠る前のことを思い出す。マンションの前でみなみと二人で獅子尾の話を聞き、学校に向かった獅子尾を見送ると、久しぶりにみなみを家に上げて自室で話をしていた。だが獅子尾がストーカーの正体を突き止めてくれたおかげで気が抜けたのか、それとも獅子尾達を騙していたという後ろめたさや誰かに監視されているというストレスのせいでここ数日よく眠れなかったためなのか、みなみと話をしている最中に眠くなってしまった。帰ろうとするみなみを玄関まで見送ろうとしたが、あまりにも眠そうな自分を気遣ってかこの部屋までで良いというみなみに別れを告げると、部屋着に着替えもせずいつの間にか眠ってしまっていた。制服を見ると皺が出来てしまっている。後でアイロンをかけないと。部屋にある時計を見ると夜の7時を過ぎていた。今日は両親共に帰りが遅い日のはず。この時間だし冷蔵庫にある物を適当に食べようか。ベットから起き上がり、自室を出て廊下を通りキッチンに向かう。まさかストーカーが生活指導の天王寺先生だとは思わなかった。確かに学校でもよく話しかけてくれたが、ストーカー目的だったなんて。優しい先生だと思っていたのになんだか騙された気分だ。いや、獅子尾は何か理由があるはずだと言っていた。理由を聞き出してストーキングをやめさせるとのことだったので、獅子尾からの連絡を待とう。そう言えば寝てる間に何か連絡は来ていないかな?ポケットを探したがどうやらスマホを部屋に置きっ放しにしてしまったようだ。スマホを取りに戻るのも面倒なので、そのままリビングからキッチンへ入る。冷蔵庫を開けると庫内のライトの光で自分の影がリビングの奥の方へと伸びた。中の食材を見る。この食材をどう調理しようか考えていると、廊下の方から音が聞こえてきた。いつの間にか両親のどちらかが帰ってきたのだろうか?冷蔵庫を閉め、リビングのドアを開けて暗い廊下に出る。その瞬間、おかしなことに気づく。暗がりだが、廊下の向こうにある玄関には自分の分の靴しかない。それに父親でも母親でも、帰ってきているのに廊下や部屋の電気をつけないままにしているなんて不自然だ。廊下の明かりをつけようと近くのスイッチに手を伸ばそうとしたその時、両親の部屋のドアノブが勝手に回り、ドアが独りでに開き始めた。驚いてスイッチに伸ばした手ごと身体の動きが止まる。
「お父さん?それともお母さん?帰ってきてるの?」
私の呼びかけにドアが開くのが一瞬止まる。が、またすぐに開いていく。両親だったら返事をしないなんておかしい。ゆっくりと開くドアから目を離さずに後退りをするが、リビングのドアに手が触れる前に、開いたドアの隙間からこちらを覗く男の顔が急に現れた。あまりのことに尻餅をついてしまう。ドアから覗くその顔は口角を異常なほど上げ、メガネの奥の瞳は狂気的なまでに光っている。ドアを更に開けて両親の部屋から出てくる。スーツを纏ったその身体はやや肥満体型で獅子尾よりも少し身長が小さい。獅子尾が土曜に見かけた人物と特徴が一致する。いや、そんなはずない。ストーカーは天王寺先生だったはずだ。小太りな男が身動きできない私に近づいてきながら話しかけてくる。
「こんにちは、まぁちゃん。本名は牧ちゃんって言うんだっけ。まぁちゃんにピッタリの可愛い名前だね。やっぱり画面とかで見るよりも本物のまぁちゃんの方がすごく可愛いなぁ。それに動画では全然着たところを見せてくれなかったけど、制服姿も似合ってるよ。あ、こないだショッピングモールで着ていた服ももちろん可愛かったよ。こないだもメッセージを送ったけど、まぁちゃんって本当にオシャレだよね。僕も今日は初めてまぁちゃんに会うから街でおしゃれな服を買ってきたんだ。どうかな?似合ってるかな?」
「何を言ってるの?あなた誰?」
いつもの口調で男に話しかけようとしたが、私の口から聞こえたその声は恐怖に震えていた。怯えた私の言葉を聞いていたのか、聞いていなかったのか、男は勝手に一人で盛り上がっている。
「うわぁ〜、まぁちゃんとおしゃべりしちゃった!やばいやばいやばい!嬉しくて死んじゃうよ〜!ねぇねぇ!もっといっぱい話をしたいな!まぁちゃんもそうだよね?だって、まぁちゃんから連絡して来てれたんだもんね!あぁ、大丈夫だよ?まぁちゃんの気持ちはちゃんと分かってるからね!」
近づいてくる男の顔が見える。駄目だ。完全に自分の世界に入り込んでしまっている。
「さっき出てきた部屋がまぁちゃんの部屋?じゃ、じゃあさ、まぁちゃんの部屋で、ふ、二人でお話しようよ!いいよね?僕とまぁちゃんの仲だもんね!お、女の子の部屋に入るなんて初めてで緊張するなぁ!しかもその初めてがまぁちゃんだなんて!ふ、フフフッ、ね、ねぇ?部屋まで手を繋いでいこうよ?ね?ね?ね?ほら、手を出して!」
目の前にまで来てしまった男がこちらに手を伸ばしてくる。私は恐怖のあまり目を閉じてしまう。
「あ、あれ?どうしたの?もしかして恥ずかしいとか?可愛いぃ!そんなところもすごく可愛いよ!でもこのままじゃ動けないしどうしよう?あ、そ、それじゃあ、お、お姫様抱っことかしちゃおうかなぁ?色々ステップを飛ばしちゃうけど大丈夫かな?僕とまぁちゃんの二人だから良いよね?うん!大丈夫だよね!」
「大丈夫なわけないだろ」
突然聞こえた別の声に目を開けると、ちょうど目の前のストーカーが後ろを振り返ろうとしていたところだった。しかし、背後の人物に襟の後ろを掴まれその丸みを帯びた身体が宙に浮く。男の表情が驚きから恐怖に変わっている。そのままその大きな身体を後ろに投げ飛ばされ、いつの間にか開いていた玄関を通り過ぎて、玄関の外の手すりに叩きつけられた。崩れ落ちた男は身動き一つ取れないようで、ただただ痛みで呻くような声を発している。男を投げ飛ばした人物がこちらに振り向く。桑田だった。
「大丈夫ですか?お怪我は?」
目の前で起きていることが先程からあまりにも突然過ぎるため、桑田の問いかけに答えることが出来ない。桑田が壁のスイッチを操作すると廊下の電気がつく。片膝をつくと、尻もちをついている私と目線を合わせる。よく見ると額から汗が流れている。
「もしもし?大丈夫ですか?この家に入った時には襲われそうだったのでとりあえず遠ざける為に家の外に放り出しましたが、私が来る前にあのストーカーに何かされたりしませんでしたか?」
「……ぅうわあぁぁああんん!」
私は号泣しながら桑田に抱きついた。桑田が優しそうに話しかけてくれたことに安心したのか、それとも目の前のことにようやく感情が追いついたのか、どちらなのかは私も分からない。桑田は私を落ち着かせるためなのか片腕で強く抱き返してくれた。そして、空いているもう片方の手を耳に装着しているイヤホンへ伸ばした。
「聞こえているか?こちらは何とか間に合ったようだ。……あぁ、そうだ。……いや、お前には別の場所へ向かってほしい。後でまた連絡する。じゃあな」
通話が終わったのか桑田は私に話しかける。
「鷲頭に護衛をさせておきながら、こんな目に合わせてしまい申し訳ありません。アイツにしっかりと指示をしていなかった私の責任です。狂言のストーカーがここまでの事態に発展するとは想定外でした」
桑田の胸の中でひとしきり泣いたため落ち着いてきたが、最後の言葉を聞いて驚いて顔をあげた。
「狂言って……。もしかして最初から気づいていたんですか?」
「別に気づいていたというわけじゃないですよ。確信したのは数時間前ですし。ただ、最初私達のところへ相談に来られた時その内容を聞いて、話題作りのためにストーカーをでっち上げているんじゃないかと考えていただけです」
私が泣き止んだことを確認して、桑田は私の肩に回していた腕を離した。
「あぁ、怒ってはいないので気にしなくて良いですよ。それに、最初に報酬の話をしなかったり、警察へ協力を依頼しなかったのもその可能性を考慮したためですし」
ここ数日、獅子尾へ何度か本当の事を話そうとしていたが、桑田は最初から私達の考えなど分かっていたんだ。謝罪の言葉は口からあふれる。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい。最初はただファンを驚かせようと思っただけだったんです。まさかこんなことになるなんて……」
「先程も言ったでしょ?私は別に怒っていませんよ。謝るんだったら何も知らない鷲頭に言ってあげてください」
頭を下げる私に桑田はそう言って微笑んだ。
「でも、それならあの人は誰?なんでここにいるの?」
私はそう言って玄関の向こうで倒れている男を見る。桑田は立ち上がると私に手を貸してくれた。身体を起き上がらせて、二人で玄関の外へと向かう。
「さっきほどの言葉を聞く限りでは、アナタのファンでしょうね。それもだいぶ熱狂的な」
桑田はストーカーに近寄ると、自身の服の内ポケットから出した結束バンドで男の両腕を拘束し、身体や服を探っている。財布とスマホ、コインロッカーの鍵、駅前のファミリーレストランのレシートなどが出てきた。ストーカーのスマホをしばらく操作すると、私に聞こえないくらいの小声で何かを呟いた。何を言ったのだろう?男の所持品を自分のポケットに仕舞うと、桑田は私の方へ振り返った。
「それで、どうします?」
桑田から質問されたが、何を聞かれたのか分からない。
「え?どうするって何がですか?」
「この男の処理についてです。警察を呼んで連れて行ってもらいますか?」
「それはもちろん!こんな危ない人、早く逮捕してください!」
むしろそれ以外の選択肢があるだろうか?放って置いたらまた何をされるかわかったものじゃない。当然警察を呼ぶべきだ。だが、私の考えに反して、桑田は考えるように手を口元に持っていく。
「何を迷っているんですか?桑田さんが来てくれなかったら襲われるところだったんですよ!」
「いえ、それはそうなので彼には然るべき処遇を与えるべきだとは思います。ですが、ストーカーで捕まえるのがベストかどうかを考えていて。この男を逮捕するとなると私がここにいる理由、狂言のストーカーの話もしなければならないかなと。大事になれば学校にも話が行くでしょうから、現在行っている活動についても制限、場合によっては休止しなければならなくなると思いますよ。皆がみんな天王寺先生のように学生の自主性を尊重するわけじゃないですからね。なにより……」
そこで一旦言葉を区切る桑田。私は沈黙に耐えきれずに聞き返した。
「なにより?」
「なにより、大切なお友達も一緒に捕まることになりますよ」
上坂みなみは自身の部屋でスマホを握りしめ、連絡が来るのを待っていた。スマホの画面に映る時刻を見るとちょうど20時になったところだ。思惑通り天王寺をストーカーと勘違いした獅子尾か、襲われて助けを求める牧か、それとも好意を持ちすぎて狂ってしまったあの男、誰から連絡がくるだろうか。今の所、全て自分が思い描いたように物事が進んでいるとはいえ、どうにも気分は落ち着かない。今更、獅子尾や牧への罪悪感に苛まれているのか?もしくは状況を支配しているという全能感による高揚なのだろうか?自分の気持ちが分からない。いや、そもそも自分が本当は何をしたかったのか分からなくなっていた。最初はただの嫉妬だった。小さい頃から優秀な兄と比較され中学を卒業する頃には両親から何も期待されなくなり、学校では金持ちという理由で周りから敬遠された。そんなどこにも居場所がなかった自分がやっと見つけたのがあの自分のチャンネルだ。拙い内容でも見てくれるファンが居てくれたので、ようやく自分の存在意義を見出すことが出来たのだ。それなのに。それなのに半年前からその唯一の場所さえ数少ない友人の牧に奪われてしまった。伸び悩んでいた為に牧を誘った自分がいけなかった。私は自分に出来る限りのことをやってきたつもりだったが、牧は私が今まで積み重ねてきた努力がまるで無駄だったとあざ笑うかのようにすぐに人気者になっていた。憎しみのあまり、匿名で牧のことを告発した。だがメールを受け取ったはずの天王寺は牧を止めるどころか事ある毎に気遣うようになっていた。どうして牧ばかり認められるの?私が先にやっていたのにどうして認めてくれないの?そんな思いがどんどん心の奥底に溜まっていった。そしてあの記事だ。動画投稿サイトで話題になっている人物を順番に記事で紹介しているらしく、私達二人のことも記事に書きたいとライターが申し込んできた時、ようやく私にチャンスが来たと思った。この機会を逃すわけにはいかない。インタビュー中は牧を差し置いてたくさん受け答えをした。ライターのつまらない冗談にも一生懸命笑った。だが、事前確認で送られてきた原稿を読むと大部分が牧の受け答えで占められており、私の話した内容は削られた挙げ句かなり編集されていた。ライターへ記事の修正を依頼しようと連絡したところ、半笑いでこう言われた。
「だって君の話、長いわりにつまらないし、こっちのご機嫌取りばかりなんだもん」
ほとんど修正されることなく掲載された記事は他の記事よりも好評だったらしく、私達、いや牧のファンも急激に増えていった。今回の計画を思いついたのは2週間ほど前に、記事によって急増した視聴者の期待に答える為に何をしたら良いかと牧から相談を受けた時だ。
「せっかく新しい私達のファンがこれだけ増えてきてるんだから、何か企画とかをして盛り上げたいよね」
私達のファン?違う。アイツラは牧のファンだ。私に相談せず、自分で考えてくれ。そう言おうかと思った時、頭の中である考えが浮かんだ。ファンから牧の信用を奪いつつ、牧もファンを嫌いになるように仕向ける方法。牧にある提案をする。
「ストーカードッキリ?えぇ〜、そんなことして大丈夫かな?しかもヤラセってバレたらやばくない?」
渋る牧に対し、ドッキリは他の投稿者もたまにやっているから心配ない、それに架空のストーカーをでっち上げるだけで誰かを傷つけるわけじゃないからヤラセだとバレさえしなければ笑い話で済むと嘘を吹き込む。私の圧に負けたのか牧が折れた。
「OKOK。そこまで言うならみなみを信じるよ。それでどうやって進めるの?」
牧とストーカードッキリの計画を練る裏で、コメントやSNSで牧の熱狂的なファン達を調べ、その何人かに牧を装ってメッセージを送った。
『わたしと会いたくはないですか?』
返信をよこさない者や偽物だと疑う者がほとんどだったが、唯一疑いもせずに会いたいと言ってきたのがあの小太りの男だった。牧が私のチャンネルに出た時から動画にコメントを残すほどのファンだが、ひと目を憚らずあまりにも強烈な愛を牧に示すために最近はコメントを非表示に設定しているほどだ。なぜ私のことを牧だと疑わないのかそれとなく聞いてみた。
『だって、僕はまぁちゃんを愛してるからね。いつかまぁちゃんが気づいてくれると信じていたよ』
私と牧の違いも分からない癖によく言えたものだ。だが、これで牧を襲わせる本物のストーカーは用意出来た。あとはこの男を牧に襲わせつつ、牧がヤラセをしようとしたという情報をネット上にばらまくだけだ。だがその前に牧の警戒心をなるべく下げなければ。このまま普通に襲わせても急に変質者が現れたくらいにしか思われない。どんな方法が良いだろうかと考えていた時、学校の噂でこの街に探偵がいることを知った。ドッキリの裏付けにも使えるし、この探偵をなんとか利用できないだろうか?連絡先を調べて電話すると、低い声の男が電話に出た。電話口で男にストーキングされていると嘘の相談をすると、少し考えたのちに直接話をすることになった。学校から探偵事務所へ向かう途中でスマホのアプリを起動させる。着信を偽装させるアプリで、相談中に非通知の電話がかかってきたように見せかけられるよう設定しておく。こちらの思惑通り、二人の男は狂言とは気づかず騙されてようで、一週間ほど護衛してくれることになった。しかも護衛を行う獅子尾は格好こそ奇怪だが話をしてみればいかにも騙されやすそうな軽薄な男だ。これを利用しない手はないだろう。次の計画をたてる。この護衛を逆手に取ってブラフのストーカーを用意し一度警戒心を高めさせ、そしてその人物を捕らえさせれば安心して警戒心も緩むはずだ。ブラフのストーカーはどうするか?生活指導の天王寺の顔が思い浮かんだ。牧を贔屓する最悪な教師。別に本当に捕まったところで構いはしない。牧が不純異性交遊をしていると連絡すれば、きっと何かアクションを取るだろう。どこかで証拠の写真でも撮る必要がある。牧と話をして土日の休みに獅子尾と三人で隣街に出かけるよう仕向けた。ストーカーの男にも連絡しておこうかとメッセージを入力してたが、その途中で本当にこのまま計画を進めて良いのだろうかという後悔の念が生まれてきた。確かに憎しみはあるがそれでも牧は私の友人だ。いくらなんでも、友人の牧を危険な目に合わせて良いのか?目に見える傷だけでなく、心に一生の傷を負ってしまったらどうする?それに獅子尾についてもだ。単純そうな人間だが初対面の私のことを励ましてくれて、上手く手駒にするため私が媚を売っても紳士的な対応をする良い人だ。もしかしたら、獅子尾だったら他の人と違って私のことを認めてくれるかもしれない。そんな人をこの計画に巻き込んで良いのか?そんな考えが頭の中をぐるぐると回る。今思えば、この時が立ち止まる最後のチャンスだったのかもしれない。結論を出せないまま、ストーカーの男には詳しい場所は教えず隣街に行くことだけを教えた。そして当日、朝から獅子尾の車で隣街に向かい、三人で色々な店を回ったり食べ物を食べたりした。久しぶりにとても楽しい時間を過ごせた。やっぱりあんな計画なんて実行するのは辞めよう。桑田にはストーカーは勘違いだったと言って調査を打ち切って貰えば良い。獅子尾とはこれからもプライベートで連絡ができる。そう思った。だが、フードコートで私のことを気にせず楽しそうに話をしている二人を見るうちに、暗い感情が沸々と湧いて出てきた。そして牧がまるで恋人ごっこのように獅子尾にクレープを食べさせようとした時、その感情が爆発した。二人から離れるとストーカーにフードコートの場所を教える。しばらくすると男が現れ、遠くから牧のことを見ていた。何かあった時脅せるように男の姿を盗撮しておく。そして、牧と獅子尾へ向かって歩いていきながら二人の写真を撮る。この写真はあとでメッセージと共に天王寺へ送っておこう。獅子尾がこちらに気づいたのかこちらを見て近づいてくる。盗撮したことがバレたかと思ったが、どうやら後ろで隠れていたあの男のことに気づいただけのようだった。その後、男は上手く逃げたが本当にストーカーがいることが想定よりも早く気づかれてしまった。早めに計画を進めないと、いつあの男が不注意で捕まってしまうかも分からない。やや焦りのある中、ショッピングモールの駐車場で電話の向こうの桑田から言われた言葉が私の焦りをさらに加速させた。
「お二人の熱狂的なファンの方に最近怪しい人物から接触があったようです。もしかしたらストーカーを焚き付けている人物がいるかもしれませんね」
心臓の鼓動が早まる。まずい。初対面の時から思っていたが、この人は優秀過ぎる。このままではあの男にたどり着いてしまうだけでなく、私が裏で暗躍していたことがバレてしまう。焦りが募った私にとって、その次に出てきた桑田からの提案はあまりにも魅力的だった。
「お二人をお守りしつつ調査を進めていけばいつかはストーカーを見つけられると思います。ですが、なるべく早く捕まえたいのであれば、護衛ではなく尾行に切り替えて犯人の行動を誘発させるという方法もあります。お二人で相談して決めてください」
私は本当にストーカーがいると知り怖がっている牧を何とか説き伏せた。帰宅するとすぐに匿名で天王寺に写真を送った。この連絡を見るのは月曜になるだろう。何とか早く天王寺を動かさなければ。以前の行動を見る限りだと恐らく直接牧に尋ねることはないはずだ。となると牧が怪しい行動をしていないか隠れて監視すると思うが、果たして獅子尾が尾行する中で上手く動いてくれるだろうか。場合によっては天王寺ではなく、他のファンを利用するしかない。あの探偵にバレる可能性が高くなるのでなるべくやりたくはないが……。だが、今日の帰りに獅子尾からの連絡を受け、天が私に味方してくれていると分かった。しかも、獅子尾がその日のうちに天王寺だと気づいてくれるとは。牧のマンションの前で自信満々に話をする獅子尾を見て、思わず高笑いするところだった。獅子尾が学校に向かったのを見て、計画を実行するには今日しかないと思い、話がしたいと言って牧の部屋まで行くと、牧が目をそらしたすきに私が常用している睡眠薬を牧の飲み物へ入れた。
「本当にストーカーがいると分かった時はどうしようかと思ったけど、こんなに早く見つかって良かったね。今更にはなるけど桑田さんと獅子尾さんには今度本当のことを言っておこうよ」
そう言っている牧の目は睡眠薬のせいか虚ろだ。これなら鍵を盗む必要もなさそうだ。長居しては邪魔になるからと言って部屋を出るとすぐ外で聞き耳を立てる。どうやら眠ってしまったらしく、物音は聞こえない。鍵が開いたまま牧の家を出ると、自宅に向かいながらストーカーへメッセージを送った。
『へー、さっきまでみぃちゃんと一緒にいたんだ。え?今からまぁちゃんの家に行っていいの?しかも二人っきり?あ、そういうことだね。わかったよ』
欲望を隠す素振りもない男の返信に正直気持ちが悪くなった。数日前と同じように自分の行動を後悔し始める。だが、もう後戻りは出来ない。あの男がやりすぎないことを祈るだけだ。
スマホが震えているのに気づき、テーブルに突っ伏していた顔をあげる。時計を見た。連絡を待っているうちにいつの間にか30分ほど眠ってしまっていたようだ。スマホを見てぎょっとする。非通知で電話がかかってきている。この番号を知っている人は家族以外に限られている。こんな夜遅くに非通知でなんてかかってくるはずがない。きっとアプリの誤操作でフェイク着信がかかっているだけだ。そう思いつつ、恐る恐る着信をとる。すると電話が繋がり、向こうから何かこすれるような音が聞こえる。フェイクなんかじゃない。
「だれ?」
震えるみなみの声が聞こえたのか聞こえていないのか、電話の主は何も言わない。そしてそのまま電話は切れてしまった。今のは何だったのか?考えてもしょうがない。きっとただの間違い電話だ。そう自分に言い聞かせたが、またスマホが震えたので驚いて落とすところだった。スマホを見ると今度は着信ではなくメッセージが届いている。宛先を見るとあのストーカーの男からだった。なんてタイミングで送ってくるのかと怒りが湧いてくる。だが、メッセージを見ると怒りは疑問に変わった。
『声可愛いね』
なんのこと?牧のところにいるはずのこの男が、なんで急にこんなメッセージを送ってくるの?先程の非通知の電話が頭の片隅にちらつくが、すぐに否定する。この男には捨てアカウントの連絡先しか教えていないから、電話番号を知っているはずがない。メッセージに返信する。
『何を言っているの?』
するとすぐに回答が来た。
『さっきのみなみちゃんの声のこと』
頭を殴られたかのような衝撃が脳内を走る。先程の電話がこの男からだったと分かったからではない。牧のフリをしていたはずなのに、自分の名前が書かれていたからだ。なぜ知っているのか問い詰めようとスマホを操作しようとするが、手が震えて上手くいかない。こちらの返信を待たずにまた向こうからメッセージが届く。
『牧ちゃんと会ったけど、何も話してくれなくてイメージと違った。ちゃんと話してくれるみなみちゃんの方が好きになっちゃった』
次々と連絡が届く。手だけではなく体全体がガタガタと震え始める。
『みなみちゃんもあれだけ連絡くれたんだから僕のことが好きだよね』
『牧ちゃんのフリをしたのは恥ずかしかっただけだよね』
『牧ちゃんのスマホを貸してもらったら頻繁に連絡している子がいたからすぐにみなみちゃんだと分かったよ』
『明日とか会えるかな?今日は疲れたみたいで寝ちゃってたから、今度はちゃんと顔を合わせて話がしたいな』
最後のメッセージを見て身体の震えが止まる。今日は疲れて寝てた?どうして寝ていたことが分かったの?呼吸を整えゆっくりと文字を打ち、相手へ送る。
『なんでさっきまで寝てた事を知っているの?』
送ってから後悔した。なぜこんなことを聞いてしまったのか。スマホの電源を消して放置してしまえばよかった。スマホが震えた。返信を見る。
『さっきまで一緒にいたからね』
写真が送られてくる。どこかの部屋でデスクに頭と腕を乗せて眠っている女の子が映っている。見慣れた部屋だ。震える手で写真を拡大して女の子の顔を見る。紛れもなく私の顔だった。
「それで?その後はどうしたんだ?」
アイツはデスクでパソコンを操作するのを止めて俺に尋ねる。エアコンのスイッチを操作し設定温度を下げながら答えた。
「何も。俺が送ったメッセージはそれで終わり。みなみちゃんが恐怖で気を失っちゃったからね。そのまま物音を立てないようにして部屋から出たよ」
「そうか。それで懲りてくれれば良いがな」
ため息混じりに言うアイツの言葉を聞きながら、冷風に当たろうと俺はソファに戻った。
「心配なのか?それなら警察に連れていけば良かったのに」
「三ツ渕牧から警察沙汰にしたくないと依頼されたからな。それが正しいか間違っているかは別として、依頼人の要望は可能な限り守るさ」
アイツはデスクから立ち上がり、エアコンの操作パネルをイジった。冷風が弱くなる。設定温度を上げたのだ。
「今温度下げたのになんで上げるんだよ!」
「前にも言ったろ。この事務所はクールビズだ。暑ければその暑苦しい服装を見直すことだな」
「そう言っておきながら客が来ること黙ってるんだろ。性格悪いよな、お前」
「聞かれたらちゃんと答えるさ。それに今日は来客の予定はないな」
それを聞いて俺は服の袖をまくり始める。そこにあるはずの腕は透明で見えない。アイツは自分のデスクに戻らず、俺の向かいのソファに座った。
「それにしてもその身体と言い、上坂みなみを脅したセリフと言い、お前はストーカーの素質があるんじゃないか?」
「失礼なことを言うなよ。俺はお前からあの男のスマホを預かって、みなみちゃんと男のやり取りを参考にしただけ。そもそも、ストーカーのフリをしてみなみちゃんのことを脅してこいって言ったのはお前だろ」
「俺が言ったのは、三ツ渕牧にこれ以上危害が加わらないよう上坂みなみに注意してきてくれということだけだが?別にそこまで高い再現度は求めていなかったぞ」
「お前なぁ……。まぁいいや。ストーカーの男はその後どうしたんだ?俺がみなみちゃんの家から戻ってきた時にはもう姿がなかったけど」
「紳士的に交渉して実家に帰ってもらった。あの男が今後三ツ渕牧と関わることはないな、絶対に」
最後に力強く付け足した絶対という言葉に、嫌な想像を掻き立てられる。あまり詳しく聞かない方が良いだろう。
「牧ちゃんの方は大丈夫だったのか?俺には翌日にヤラセの件で謝罪の連絡が来てたけど」
「上坂みなみがストーカーをけしかけたと知った時は流石に冷静じゃなかったな。何度も俺の推理が間違いじゃないかと尋ねられたよ。だが、両親が帰宅する頃にはだいぶ落ち着きを取り戻していたな」
「みなみちゃんのことを信じていたのかぁ。あぁ、だから警察を頼らないで俺たちだけで対処するように依頼したわけか」
「そういうことだ。もっとも、上坂みなみを脅すように指示したのは俺の考えだ。三ツ渕牧の両親からこれ以上危害が加わらないよう依頼されたからな。三ツ渕牧の身の安全を確保するには上坂みなみをどうにかするしかないが、大事にしたくないと三ツ渕牧の要望もある以上、ああいった手段が一番手っ取り早い」
「お前の独断かよ!どうりでたちの悪い指示だと思ったよ」
俺の言葉にアイツは悪びれる様子はない。
「上坂みなみとはそれから連絡は取っているのか?毎日連絡が来ていたんだろ?」
「事件の後は来てないな。今にして思えば、あれも自分が疑われないように俺のご機嫌を取っていただけだったんだろ?それじゃあ、今後連絡来ることはないんじゃないか?」
俺はソファの背もたれに身体を預ける。
「本人と話をしたわけではないから、どこまでが本心でどこからが計画のためかはわからないがな。だが、家族や数名の友人にしか教えない連絡先を会った初日からお前に教えたっていうことは、最初から利用する気ではあったはずだ」
「そうかぁ……。あぁ〜、いい子だと思ったんだけどなぁ。っていうか、知ってたなら忠告しておいてくれよ。すっかり騙されるところだったぞ」
「必要以上に肩入れするなと言っておいたはずだぞ。それに仕事以外で連絡していたことを黙っていたお前が悪い」
「それで思い出した。なんでみなみちゃんとプライベートで連絡していたって知ってるんだ?さっきも毎日連絡来ていたことを知っていたし……。もしかしてお前、俺のスマホに!?」
自分のスマホを見る。一見何の異常もない普通の機種に見えるが、捜査用にガジェットを依頼することもあるアイツが用意したということは、スマホになにかを仕込まれていてもおかしくない。
「お前の事を信用していないわけじゃないが、主観というフィルターを通してしまうとどうしても情報は脚色されてしまうからな。正確な推理には正確な情報を。この仕事をする上での鉄則だ。実際、警察ではなくわざわざ探偵を頼る癖に、怯えた様子もなく休日に遊びに行こうとするなんて普通だったらおかしいと思うはずなのに、女の子に言い寄られているお前はそんなこと考えもしなかったようだしな」
反論しようとしたが言葉が出てこない。確かにあの時は三人で一緒にいる方が護衛しやすいと言われ納得してしまったが、外出するよりもそれぞれが自宅に居てくれた方が安全だ。俺が交互に自宅を見張ったとしても車だったら往復しても数十分で済む。息抜きや動画撮影にしたって、わざわざ隣街に行く必要はない。
「それじゃあ、あの時に二人の相談は嘘だって確信したのか?」
「その段階ではまだ確信はしていなかったさ。だが、二人への疑惑が強くなったのは確かだ。」
「強くなった?じゃあいつから疑っていたんだ?あ、そう言えば二人が相談しに来た日、俺が帰ってきたらなんかおかしな事を言っていたよな?可能性が高い物は除外しているとか、笑い話だとか。もしかしてそういうことだったのか?」
俺の質問にアイツは頷きながら答えた。
「二人の言うストーカーが本当は存在していないんじゃないかとは最初から思っていた。だって、この事務所で相談した時から二人の話はおかしかっただろ?」
突然の質問にその日の会話を思い出してみる。
「俺も一緒に聞いてたけどおかしなところなんてあったか?あれか?見た目だけで正確な年齢を判断していたところか?」
身長や体格は見れば分かるが、年齢となると見た目だけでは判断し辛い。顔もちゃんと見ていない二人がそれを特定出来るのはおかしいと言えばおかしい。
「疑う理由としてはそれだけじゃ弱いな。20代後半、というように年齢の幅を絞っていたわけじゃないからな。あの言い方だったら、自分たちのファンの年齢層から推測したと言われても否定できない」
確かに20〜30代という言い方だったら範囲が広いから特定とまではいかないか。そうなると何がおかしかったのか?
「メラビアンの法則って知っているか?人間は他人の情報を視覚、聴覚、言葉遣いの順で判断するという概念で、視覚からの情報は半分以上を占めているそうだ。例えば、怒った表情でごめんと言われても、相手が本心から謝罪しているとは思わないだろ?あくまで心理学の一説で、それが絶対に正しいというわけではないが……。あぁ、すまん。要するに俺が言いたいのは、それだけ外見の情報っていうのは人間にとって重要だってことだ。そこで二人の説明を思い返してみてくれ。視覚から得られる情報で重要な項目が抜けているだろう?身長や体型、小物のメガネまで言及しているのに、一番目に入るはずの服装について全く触れてないんだ」
二人の話を思い出す。そう言えば、服装については何も言っていなかった。俺や花畑がストーカーを目撃した時は黒い大きめのパーカーが印象として残っている。それに最近の気温であんな服装をしていたら嫌でも記憶に残るはずだ。
「あの時点では、面白半分や動画のネタ目的の愉快犯というのが俺の考えだった。二人の話すストーカーの特徴もそれだけで人物を特定するには具体性がかけていたし、非通知の電話もあまりにタイミングが良すぎたからな。もちろん、本当にストーカーの可能性もあるからお前や他の情報筋を使って調査はしたが、具体的な行動についてはお遊びに付き合う気もないのでお前をしばらく護衛につけておけば良いだろうと思った。案の定、ストーカーに怯えている様子が二人の言動から微塵も感じないので、一週間ほど切り上げさせるつもりだったから、土曜にお前から連絡を受けた時は正直驚いたぞ」
「狂言の可能性が限りなく高いと思っていた時に本当のストーカーが現れたってことだもんな。でも、なんであのストーカーがみなみちゃんの差金だって分かったんだ?」
「状況証拠ばかりにはなるが、上坂みなみが怪しい点は色々あった。取り急ぎ三つあげようか。一つ、非通知の電話は上坂みなみにかかってきているはずなのに、実際にストーキングされているのは三ツ渕牧であること。二つ、ストーカーの男がお前たち三人が隣街に行くことを知っていたということ。三つ、お前からメッセージで送ってもらった天王寺教諭宛の写真には上坂みなみが映っていなかったこと」
右手の指を三本立てて言う。
「ネットカフェの店員からお前宛にかかってきた電話で、怪しい人物がスーツに着替えて急いで店を出ていたと聞いて、三ツ渕牧の身に危険が迫っていると直感した。護衛しているはずのお前は犯人を勘違いして学校にいたからな。急いで三ツ渕牧のマンションに向かってあの男の携帯端末を取り上げた時、三ツ渕牧を騙った連絡先と男のやり取りを見て全ての黒幕が上坂みなみだと確信した。やり取りでは上坂みなみが帰宅して一人きりだからと家に招待していたが、上坂みなみが直前まで三ツ渕牧の家にいたことは三ツ渕牧か上坂みなみの二人しか知らない情報だ。三ツ渕牧があの男を自宅に招待するとは思えない以上、連絡したのは上坂みなみしかありえない」
「招待するとは思えないってどういうことだよ?」
「彼女の男性の趣向は知っているだろ?見た目の良い男性が好みである以上、残念だがあのストーカーでは勝負の舞台には立てないな」
みなみの家に行く途中で男のスマホを預かる際にその顔を見たが、確かに牧の好みからは外れていた。
「なるほどねぇ。そういう細かい証拠を積み重ねていった結果、みなみちゃんが犯人だって分かったわけね」
「他にも、ここで話をした時に緊張していたのか異常に喉が乾いたようだったり、隣街からの帰り道にストーキングされているのが三ツ渕牧だと断言したりと、理由はたくさんあるがな。だが、上坂みなみを疑った一番の理由はお前だ」
突然俺に指を刺してくる。どういうことだろう?
「俺?なんで?」
「お前に近づく女性はなんでか知らんが一難ある人間だからだよ。お人好しのお前の人物評は信用出来ないが、お前のその女運については色んな意味で信用しているさ」
「おいおいおい、もしかして喧嘩売ってるか?売られた喧嘩は買うぞ。それに人のこと馬鹿に出来るのか?お前なんか彼女どころか女っ気が全くないじゃないか!」
アイツの失礼な言葉に俺は食って掛かる。アイツは両手をあげる。
「おっと、もしかして傷つけてしまったか?それは申し訳なかった。素直に謝るよ。まさか、いい大人が学生相手から言い寄られて本気になるとは思わなかったな」
そのセリフに俺は言葉が詰まってしまった。みなみに対して、少し本気で惚れかけていた自分がいたからだ。
「いや……、それは……。そ、そうだ!そんなことより!牧ちゃんはみなみちゃんを警察に捕まえてほしくないと言っていたらしいけど、二人の仲はその後どうなるんだろうな?」
「さぁな?三ツ渕牧は上坂みなみと話をすると言っていたが……」
「そんなことを言ったって、あんなことがあった以上はどっちも今まで通りの付き合いは出来ないだろ?動画とかももう投稿しなくなるのかな。ここ数日見てたけど、結構面白くて好きだったんだけどな」
俺の言葉を聞きながらアイツは自分のスマホを操作している。少しすると手を止めてフッと笑った。
「どうやらその心配は杞憂だったようだぞ」
そう言ってこちらにスマホの画面を見せてくる。牧とみなみのチャンネルに二人の姿が映った新しい動画が投稿されている。
「どうだろうね?しばらくしたら休止したりするかもしれないぜ?」
「それならそれでしょうがないだろ。人間関係なんて当事者同士が折り合いをつけていくしかない。他人が口出しすることなんて出来ないさ」
ドアをノックする音が聞こえた。探偵と二人で事務所の入り口を見る。ドアの向こうから声がした。
「どうも〜。出前お届けに来ました〜」
思わずアイツの方を見る。
「おい、なんで出前が来るんだ?」
俺の言葉を聞きながらアイツは立ち上がって入り口に向かう。
「もう昼だからな。さっき出前を頼んでおいた」
「結局、人が来るんじゃねぇか!」
俺は急いでまくった袖を戻すと、アイツがドアを開けた。出前が事務所に入ってきて、入り口のそばのカウンターにどんぶりを二つ置く。
「冷やしラーメン2つで1800円で〜す」
「冷やしラーメン?」
「前にお前が言っていただろ。今回の件について、早とちりやミスもあったがお前の情報がなければ犠牲が出るところだったからな。報酬代わりに奢ってやるよ」
財布からお金を出し、出前に料金を支払っている。出前はどんぶりを後で回収するからドアの外に出すように言うと出ていった。アイツはどんぶりを両手に持って一つを俺の前のテーブルに置く。
「報酬にしては安すぎだろ!?でも、店で食うわけにはいかないからなぁ。気が利くじゃん。サンキュー……って、なにこれ?」
目の前に置かれたどんぶりを見て思わず声を出してしまった。どんぶりの中には縮れ麺の上にきゅうりやハム、錦糸卵などが盛り付けられており、スープはどんぶりを傾けてやっと液面が見える位しか入っていない。
「ちょうど俺も聞きたかった。冷やしラーメンを注文したはずだが、冷やし中華にしか見えないな」
「……店のメニューとかあるか?」
スマホを俺に渡してくる。画面には店のHPが表示されている。
「メニューには冷やしラーメンって書かれているけど……ちょっと待った。札幌ラーメンのチェーン店?おい、これ北海道の冷やしラーメンじゃねぇか!」
冷やしラーメンと呼ばれる麺類は実は複数ある。以前に話をした東北地方が発祥とされるラーメンがメジャーではあるが、北海道で冷やし中華を冷やしラーメンと呼ぶ場合がある。
「……それじゃあ、これは普通の冷やし中華ってことか。どうする?食べたくなければそのままにしておいていいぞ」
「……良いよ。せっかくだから食べるよ」
そう言って割り箸を手にすると、二人は冷やし中華を食べ始めた。