見えない追跡者(前編)
7月。年々気温が上昇していくが、それでも今年は異常なほどの暑さに見舞われている。手に持ったスマホで天気予報を見ると、しばらくは曇りのない晴れが続き最高気温も例年を超える見込みだ。実際、事務所の中にいるというのにうだるような暑さで体力が削られそうだ。俺ーー鷲頭獅子尾は、事務所のソファでだらけながら向こうのデスクでパソコンを操作している探偵に話しかける。
「なぁ、この事務所暑くない?もう少しクーラー効かせても良いと思うんだけど」
パソコンの画面から目を離さずにあいつが答える。
「冷房効かせる前に服装を見直したらどうだ?この季節なら派手な格好じゃなければ半袖でも構わないぞ」
俺のこの身体のことを知っておきながら、よく言う。自分の身体を見る。長袖のタートルネックにジーンズ、白い手袋が覆面の上にかけたサングラス越しに見える。
「へぇ、この探偵事務所がクールビズ採用してるとは知らなかったわ。募集要項とかに書いてあった?」
「社員だったら教えておいたんだがな。暇つぶしで手伝いに来てるお前じゃあ、知らなくてもしょうがないか」
「社員とか言ってるけど、俺が知る限りお前以外の人間がここに務めているところ見たことないぞ」
ソファから身体を動かさず、近くのデスクに置いてあったファイルを手に取り、うちわ代わりに扇ぐ。
「社員だったら教えたって言っただけで、別に社員がいるとは言っていない」
「やっぱりいないんじゃん!それに、なんか俺が勝手にここに来てるみたいな言い方してたけど、最初に仕事を手伝わせたのお前だろ?」
「そうだったか?最近忙しくて覚えていないな」
ファイルなんかでは全く涼しくならないため、諦めて立ち上がり事務所の壁に設置されているエアコンのパネルまで歩いていく。少し歩くだけでも汗をかきそうだ。
「こんなに暑いと冷たい物が食べたくなってくるな。そうだ、知ってる?東北の暑い地域だと冷やし中華ならぬ冷やしラーメンっていう食べ物があるんだぜ」
「冷やしラーメン?うどんやそばのようにスープにつける冷たいつけ麺やざるラーメンは知っているが、冷やしラーメンは初耳だな」
食べ物の話か、それとも自分の知らないことに興味があったのか、あいつはキーボードを操作する手を止めこちらを見る。
「そ。冷やしラーメン。冷やした麺をたっぷりのスープに入れて、その上にメンマとかナルトとか乗せて食べんの」
クーラーの温度を下げたあと、給湯室の冷蔵庫からコーラを取り出してまたソファに座る。
「それだけ聞くと、冷やし中華と似てるようだが」
「いやいや、全然違うから。ラーメンと中華そば位違うから」
「ラーメンと中華そばは呼び方が違うだけで同じものだぞ。今風の物と昔ながらの物で区別するなら、確かに全く別な食べ物と言っていい場合も多くなってきているが」
「冷やし中華は冷たい麺をタレに浸して食べるでしょ?冷やしラーメンは簡単に言っちゃえば、普通のラーメンを味とかはそのままに氷とかで冷やした物。スープも酸味がないから飲みやすいし、暑い日にラーメンが食べたい時は最高よ」
学生の頃、東北地方に旅行へ行った際に食べた冷やしラーメンの味を思い出す。さっき飯を食べたというのに腹が減ってきた。俺の話を聞いて、アイツはパソコンで何かを調べている。
「写真を見る限りだと、確かに普通のラーメンに見えるな。ただラーメンを冷やすだけだと油が固まったりするから、油を濾したりスープを変えたり試行錯誤をして作られたそうだ。お、この近くに冷やしラーメンをやってる店があるみたいだぞ。今度行ってみるか?」
あいつを恨めしそうに見る。
「的確に人の傷を抉ってくるじゃん。俺が人前で食事出来ないことをご存知ない?」
「別に人の目を気にしなければ食べれないこともないだろ。客席で食べれないんだったら厨房に行って盗み食いすれば良いんじゃないか?そういうのは得意だろ?」
「警察とも仲の良い探偵様が犯罪教唆ですか?今度タレコミしてやろうかな。楽しみだな。教唆犯だけで済めばいいけど、銃刀法違反に恫喝、反社会的勢力との付き合いとか、叩かなくとも分かる位にお前は全身ホコリまみれだからなぁ」
冷蔵庫から持ってきたコーラを開けようと、ペットボトルのキャップに手をかける。アイツは椅子を少し引いて、窓の外をちらっと見ている。
「教唆は共犯の一種だから、俺が捕まる前にまず実行犯のお前が捕まるけどな。あと、そのコーラはまだ開けないほうが良いぞ」
「え?って、ウワァッ!?」
キャップを回した瞬間、中の液体が勢いよく吹き出す。避けることも出来ず、自分の身体にコーラがかかる。
「なんで!?」
「サングラスと手袋のせいで気づかなかったみたいだが、ペットボトルがパンパンに膨れていたぞ。どうせ、ここへ来る時にコーラが振られるのも気にしないで、袋に入れたまま走ってきたんだろ」
窓の外から目を離し、上半身がコーラまみれになった俺をアイツが見ている。
「せっかく買ってきたコーラがぁ!」
「いいからさっさとテーブルとソファを拭いて、その服を着替えろ。おい、ここで脱ぐな」
給湯室を指さすアイツを無視して、その場で上着を脱ぎ始める。
「別にいいじゃん、見えないんだから。うわぁ、めっちゃベタベタする」
「見えないからいやなんだよ。何をしでかすかわからないからな。あと、結局脱ぐんだったら、クーラーの温度元に戻しておけよ」
「着替えるだけだから設定温度は変えません。俺だって、服を着てないとこの姿が見えて嫌なんだよ」
そう言って上着を脱ぎ終えるとサングラスとマスクも外す。最後に覆面を脱ぐと、下半身以外俺の姿は完全に見えなくなった。
俺がこの姿になったキッカケは半年ほど前に遡る。当時の俺は彼女と同棲していたのだが、ある朝、夜勤の仕事を終えて家に帰ると彼女が荷物と一緒に消えていた。俺に残されたのは探さないでほしいと書かれた手紙と彼女がいつの間にか作っていた数千万円の借金だけだった。その後は怒涛のような流れで借金取りが家に訪れ、彼女の代わりに借金を返済するよう迫られ、割のいい仕事を紹介すると言われて変な研究施設に連れて行かれた。施設の人間が俺を含めその場に集められた人々に説明していた内容はあまりにも難解でほとんど理解は出来なかったが、何らかの目的で超人を創り出すために俺たちの身体を人体実験していく、ということだけは分かった。ストレッチャーに寝かされた状態で身体を拘束された俺たちは、最初は皆叫んでいたが次第に無駄だということが分かり、順番に誰かが連れて行かれるのを黙って眺めるようになっていった。施設に連れてこられてから数日後、ついに自分の番が来た。恐怖を悟られないように軽口を言っていたのが気に触ったのか、担当の人間に気を失うまで殴られ、意識を取り戻した時にはストレッチャーではなく鉄格子の牢屋の中に閉じ込められていた。生きていたことに感謝したが、すぐに自分の身体の異変に気づいた。服から出ている手や足がその場にあるはずなのに見えない。自分の気が狂ってしまったのかと思ったが、床に放置されていた食事のトレイに映った自分の姿に驚愕した。いや、映らなかった自分の姿というべきだろうか。汚れたトレイに反射したのは着ている人間の姿が見えない服と牢屋の壁だけで、それを見ているはずの俺の顔は全く映っていなかった。俺の様子を観察しに来た研究者の話を聞くと、どうやら俺は実験の結果透明人間になることに成功したらしい。研究者は邪悪な笑みを浮かべていた。
「実験に失敗した方が君としては良かったかもな。これから君は死ぬまで我々のモルモットだ」
思い出すのも嫌になるほど辛い人体実験を繰り返したある日の晩、施設のどこかで爆音が聞こえた。実験に失敗したのか、それとも俺のように改造された人間が暴れているのか、奥の部屋から煙が出て施設の人間が慌てて逃げていく。俺の他に牢屋に捕らえられている人間が研究員に助けを求めた。
「おぉい!俺たちも出してくれぇぇ!」
研究者たちはその声を無視して一目散に向こうのドアへ逃げていく。すると、すぐ隣の鉄格子に閉じ込められていた女性が急に鉄格子の扉に手をかけた。その瞬間、女性の身体が炎に包まれた。誰かから攻撃されたのかと思い、皆が自分の牢屋の隅へ逃げたが、炎を身にまとったまま女性は鉄格子を溶かし、牢屋の外へ出る。
「焼かれたくなかったら頭を下げな」
女性の声に従い俺たちが地面に伏せると、女性は両手を前に出した。その両の手のひらから勢い良く炎が噴き出てきて、まるでバーナーのように鉄格子を焼き切っていった。囚われている人間たちが脱出できるように鉄格子を壊し終えると、全身に炎を包んだまま女性は一足先に逃げていった。牢屋から出た俺たちは施設の人間を振り払いながら走り回り、施設の外へ逃げ出すことに成功した。一緒に脱出した人々も施設の外に出ると、蜘蛛の子を散らすようにバラバラに逃げていった。俺は誰にも見つからないよう服を脱ぐと、透明な身体を活かして人の多い街へと逃げていった。この身体であれば施設の人間に見つかることもなく、生活するのにも苦労しないだろうと思ったが、街でしばらく過ごすうちに自分のこの身体について認識を改めることになった。自分の姿が見えないので道を歩いていても誰も俺を避けず、身体がぶつかったり、足をふまれたりした。身につけた物や手に持った物まで透明に出来るわけではないので、人の目を盗まないと物に触ることすら出来ない。食事にしても、胃に入ると自分の身体の一部になるためか食べた物が見えなくなるが、咀嚼した食べ物が食道を通って胃に辿り着く様子が見えるのは気持ちが悪い。この体ではまともな人生を歩けるとは思っていなかったが、このままでは生きていくことすらできなくなる。困った俺だったが、偶然その街で起きていた事件を解決するために来ていた学生時代の友人である探偵を見つけて接触を試みた。最初は何かの悪ふざけかと疑っていた探偵だったが、俺のこの姿を見せると信じてくれた。
「それでは、研究所の人間から隠れながら生活したいのが、今のお前の望みというわけだな?俺ならそれを叶えてやれるかもしれないが、その代わりこの事件の解決に協力してもらえるか?」
探偵からの提案は願ったり叶ったりだった。すぐに容疑者を片っ端から尾行すると、簡単に犯人を見つけることが出来た。事件を解決した後、俺は今住んでいるこの街へと探偵に連れてこられ、探偵が手配したマンションの一室で暮らすようになった。今の全身を衣類で身に纏うこの服装も探偵からの提案だ。そして、探偵から最後にこう言われた。
「俺は仕事柄いつも偽名を使っているが、お前も本名を名乗るのはやめておけ。追手がいつこの街へ来るか分からないからな。お前も偽名を使うと良い。そうだな、透明人間になった男、グリフィンに因んで鷲頭獅子尾っていうのはどうだ?」
その日から俺は本名を隠して、鷲頭獅子尾という名前で暮らすようになったのだった。
身体に付着したコーラを拭いているとドアをノックする音が聞こえた。
「あれ、今ノックされなかった?」
「そうだな。昼に電話をしてきた依頼人が来たようだ」
「いや、聞いてないんだけど?人来るならそう言っておけよ」
「人が来るかどうか聞かれなかったからな。人前で全裸になったまま突っ立ているのが嫌なら、早く向こうで着替えてこい」
人が来ると知っていながら教えなかったアイツを睨むが、見えないのであれば意味はない。ロッカーから着替えを取り出すと急いで給湯室に走った。カーテンを閉めると、再度ノック音がした。
「失礼。入ってどうぞ」
ドアの開く音が聞こえる。服を着替えながらカーテンを少し開け、どんな人物が訪問してきたのかを確認する。驚いたことに、依頼人は二人の女子高校生だった。どちらも同じ制服を着ており、一人はツヤのある黒髪が鎖骨位まで伸び、切れ長の目は知的な印象を与える。もう一人はゆるいパーマをかけた茶色のミディアムヘアで、パッチリとした目元と合わせると明るい雰囲気を醸し出している。親や他の家族の姿は見えず、学生二人だけでこの事務所に来たようだが、一体何を相談しにきたのだろうか。確かにここではどんな事件でも受け付けていたはずだが、それにしてもあの二人の女の子は場違いに思えた。
「お待たせして申し訳ありません。バイトの人間が飲み物を零して、その片付けをするのに時間がかかってしまいまして」
自分のせいにされてしまってはたまらないので咳払いをするが、アイツは俺のことを構いもせず依頼人達にソファへ座るよう促した。不安げに顔を見合わせていた二人組の高校生だったが、ソファに浅く腰をかける。黒髪の子が肩にかけていたカバンを自分の横に置くのを見て、スカートの折り目を直していた茶髪の子は自分のカバンを目の前のテーブルに置いた。
「そんなに怖がらなくとも、ここには私とバイトしかいないから安心してください。それに、金持ちの有名人だからといって、法外な報酬を要求する気もないからそちらもご安心を」
こちらからアイツの顔は見えないが、どうせいつもの営業スマイルでもしているのだろう。一方の高校生達はアイツの言葉を聞いて驚いたような表情をしている。黒髪の方が口を開く。
「なんで私達のことを知っているんですか?電話で私何も言ってないですよね?もしかして私達の動画を見たことがあるんですか?」
「いいえ。君たちのことを見て推測しただけですよ。まずお二人が着ているその制服はここから少し離れた県立高校の物だけれど、授業が終わってから徒歩で来るにはあまりにも時間が早すぎる。自転車の可能性もない。この暑さなのにお二人とも全然汗をかいてませんからね。となると車でここまで来たことになるが、バスであれば学校からここまで直通の路線はないので一度駅まで戻って、そこから乗り換えてここまで来なければならない。この時間帯だと30分おきにバスが出ているから、どんなに早く学校を出てもあと数十分はかかるはず。自家用車で家族や知り合いに送ってもらった?いや、誰かが一緒に来ていたなら、こんなところに女の子二人だけで行かせるわけない。となれば、残った選択肢の中で一番現実味の高い方法がタクシーです。ただ、お二人の通っている学校は街中から少し離れているので、その近くをタクシーが頻繁に走っているとは考えにくいから、君たちがタクシーを呼んだと考えるのが自然だけれど、初めて使うのであればタクシー会社を調べて連絡したり学校にタクシーが到着するまで時間がかかるはず。それがなかったということは配車までの時間も考慮して、電話やタクシーアプリを利用して事前にタクシーを呼んでいたということ。つまり普段からタクシーを使い慣れていることになる。学生にとってタクシー費用は普段使いするには痛い出費のはずなのに、その出費を気にしないということはお二人が自分たちでお金を稼いでいるのでは?家が裕福ということも考えられますが、もしご家族に相談していたらわざわざ私達に相談しないで警察に相談するはず。その歳で多少の出費を許容出来るほどの金を稼ぐ方法は限られてくるが、お二人の見た目を考慮すると非合法な方法で稼いでいるようには見えませんでしたので、何らかのタレント職に就いていると考えて、曖昧に有名人と呼ばせてもらいました。もっとも、あなたが動画と言ってくれなければ、動画投稿サイトの人気投稿者ということまではわかりませんでしたが。このネットニュースで紹介されているのはあなた達でしょう?タイトルは『今話題の美少女JKみぃとまぁ』」
そう言って手に持ったスマホを二人に見せている。恐らく画面には今アイツが言ったネットニュースの記事が出ているのだろう。
「すごいですね。見た目とかだけでそこまで私達のことが分かるなんて、まるでフィクションの探偵みたい」
茶髪の高校生が驚嘆している。
「職業柄、観察眼は鍛えていますからね。おかげで君たちの緊張も少しはほぐれたんじゃないですか?飲み物でも飲みながらこんなところに頼るほど困っているわけを聞かせてもらえますか?」
あの言い方は給湯室にいる俺に飲み物を持ってくるようにということだろう。冷蔵庫を開けるとペットボトルのお茶が数本入っている。茶碗に注ぐのも面倒なので、ペットボトルを2本手に取ると、給湯室のカーテンを開けた。ソファに座っている二人の相談者の前にお茶を置きつつ様子を伺うと、明らかに不審者を見る目でこちらをジロジロと見ている。こんな格好をしている以上はしょうがない。アイツが俺に声をかける。
「ご苦労。俺のお茶は?」
「俺がいつ秘書や給仕になったんだよ。何か飲みたかったら自分で取ってこい」
そう言って、空いてるデスクの椅子に腰掛ける。そう言えば、俺の分の飲み物を持ってくるのを忘れた。
「やれやれ。どうぞお二人さん。こんな格好をした人間から出された飲み物なんて怪しくて飲みたくないかもしれないが、のどが渇いたらご自由に飲んでください」
「おい」
「あ、ありがとうございます……。頂きます……」
茶髪の子がそう言うも、ペットボトルに手をのばす様子はない。チラチラと俺を見ているので、しょうがなく自己紹介を始める。
「そんな怪しまないでって。ここでこの失礼な探偵を手伝ってやっている獅子尾って言います。尾行とかで顔がバレないようにこんな格好をしてるけど、こんな頭でっかちの嫌味なヤツより全然優しいから、こいつに相談しづらかったら俺に言ってくれても良いよ」
「初対面の依頼人に対して人の悪口を言うほうが失礼だと思うがな。さて、さっきも言った通り、落ち着いたらで構わないから君たちの相談内容について詳細を教えてくれますか?電話では誰かにつけられていると言ってましたが」
どちらが話をするのか迷っている二人。黒髪の方が口を開いた。
「実はさっき探偵さんも見ていた記事が出てしばらくしてから、誰かに見張っているような気配がするんです」
「気配?」
「はい。学校が終わって二人で帰る途中だったり、公園とか外で動画を撮っている最中にふと振り返ると物陰から誰かがサッと隠れるんです。最初は気のせいかと思ったんですけど、そんなことが何度もあって……」
黒髪の子がそこで言葉を止める。探偵が口元に手を当てながら俺の方を向く。俺の意見を聞きたいのだろう。
「正直それだけじゃなんとも言えないなぁ。俺だって常に誰かが尾行しているような気になることがあるし」
俺は素直な感想を述べる。怖がっている二人には悪いが、一部の界隈で有名であるという自負が、誰かに監視されていると錯覚させているだけのようにも見える。俺も研究所の人間がどこかで見ているんじゃないかと過剰に意識してしまう時がある。
「それは気のせいじゃないかもな。確認させてもらいたいのですが、物陰から見ていた人の姿ははっきりと見たことはありますか?」
俺への軽口を吐きながら、アイツは相手の特徴を聞き出そうとする。先程と同じように黒髪の子が説明をする。
「顔とかはちゃんと見たことはありません。背格好は170cm位で、少し太っていたような気がします。年齢は多分20代とか30代だと思います」
「170cm前後で小太り、20〜30代。他に何か気づいたことは?」
黒髪の子が思い出そうとしているのを見て、茶髪の子が口を開く。
「私が見た時はメガネをかけていました」
「メガネに関しては変装の可能性もあるが……。二人の周辺で他におかしなことが起きたりしていますか?」
質問に対して二人はしばらく無言だったが、黒髪の子の方が意を決したように話し始めた。
「実は牧に言ってなかったけど、最近私のスマホに非通知で電話がかかってくるんです」
「ほんとに?みなみ、なんで言ってくれなかったの?」
茶髪の子ー今の二人の会話から牧という名前なのだろうーが驚いたように黒髪の子ーこちらはおそらくみなみという名前だーの顔を見る。みなみは牧へ話しながら自分のスマホを取り出す。
「言ったら不安にさせるでしょ?それにただの間違い電話の可能性もあるし……」
そう言った瞬間にみなみのスマホが鳴り始める。みなみはスマホの画面を見ると、驚いた顔で俺達に見せてくる。画面には非通知と表示されている。
「ど、どうすれば?」
「一旦私に貸してもらえますか?もしかしたら電話の向こうにいる人物が何か喋るかもしれない」
指示されたとおり、みなみがアイツに渡そうとした瞬間、着信が切れる。念の為にそのままスマホを渡してもらう。アイツはみなみのスマホの着信履歴を確認している。
「確かに一週間ほど前から非通知の着信が来ているようだ。電話に出たことは?」
「ありません。私の番号は両親や友達しか知らないし、今どきアプリじゃなくてわざわざ電話を非通知でかけてくるなんて、ちょっと怖いですから」
「おっしゃる通りですね。このスマホ少し借りても?いや、別にプライベートを覗き見しようと言うわけではありません。何かウイルスとかが仕込まれていないか確認するだけですよ」
初対面の人間に自分のスマホをいじられるのは嫌だったのだろう。みなみは少し嫌がる素振りを見せるが渋々了承した。アイツはスマホを預かると自分のデスクまで行き、パソコンから伸びたコードに接続する。みなみはペットボトルに手を伸ばしお茶を飲み始める。
「黒髪ちゃんの方が狙われてるような感じがするなぁ。茶髪ちゃん、牧ちゃんだっけ?君は何かおかしなこととかある?」
俺の質問に牧は何かを思い出そうと頭をひねるが、首を横に振る。
「だそうですよ、探偵さん。どう推理しますかね?」
「今ある情報だけでは推理のしようがないな。事件かどうかもまだ決められない状況だ。だが、これだけでは警察が動くとも思えない。だから二人共警察ではなく探偵を頼ろうとしたんじゃないですか?」
スマホに繋いだコードを抜くと、アイツはみなみへスマホを返しながら尋ねる。
「はい。警察に相談してもまともに取り合ってくれないだろうって牧と話をしていた時に、この街に凄腕の探偵がいるって学校の噂を聞いたんです。それでネットで調べたらここがヒットして」
「学生の間でも噂になるとは光栄だな」
言葉とは裏腹にアイツは仏頂面になる。
「お、嬉しいのか?嬉しかったらちゃんと嬉しそうにしろよ。こんな可愛い子たちに褒めてもらえて嬉しいって」
「そうだな。どこかの誰かみたいに噂にすらならないよりは嬉しいな」
「うっさい。俺は噂にならないようにしてるの。俺が本気になったら、この街どころか日本中で俺の話題で持ちきりよ」
いつもの言い合いを始める俺たちに牧はおずおずと質問してくる。
「あの、それで私達どうすれば良いでしょうか?」
「そうですね。不確実な情報はあるけれど、さっきの電話など気になる点もある。どうでしょう?こいつにお二人の護衛をさせようとと思っているのですが、いかがですか?」
「おい!何勝手に決めてるんだよ!」
「良いだろ別に。昼過ぎまで家で寝て、目が醒めてからはここで暇つぶしをするくらいだったら、誰かの役に立つ仕事をした方が良いだろ?」
「なんで俺一人にやらせようとするんだよ!二人いるんだから、一人はお前がやれよ!」
「あいにく他の案件で明日からしばらく留守にするんだ。大丈夫ですよ二人共。こいつは馬鹿だが使える馬鹿なので」
アイツは俺の方を見もせずに、高校生達に言う。
「わかりました。何もしてもらえないよりはマシですから、護衛をお願いします。牧もそれで良い?」
「みなみがOKなら私は良いよ」
二人が頷くとメモ帳を取り出して二人の名前と連絡先を聞き取っている。俺の意思は関係ないようだ。俺は諦めて三人の話を聞く。黒髪の子の名前は上坂みなみ。見た目や言動を観察する限り、どうやらお嬢様のようだ。茶髪の子は三ツ渕牧。こちらも最初の印象通り明るい女の子だ。
「それでは一週間ほど護衛して、何もなければ一旦そこで再度打ち合わせして調査を続けるかどうか協議を行うようにしましょうか。費用については何か対応した場合に要相談で構いません。それまでの護衛費用については……。そうですね、コイツに飲み物を奢ってもらえれば結構です」
「それじゃあ俺がほとんどタダ働きじゃないか!」
「社会人並に稼いでいるとはいえ、事件かどうかもわからないのに子供へ費用を請求するわけにはいかないだろ?」
「あ、ありがとうございます」
みなみと牧が頭を下げる。自分より年下の女の子に頭を下げられてしまった以上、何も言えなくなってしまった。みなみが残ったお茶を飲む横で、牧がアイツに話しかける。
「ところで、探偵さんはなんてお名前なんですか?事務所にも名前が書いてなかったんですけど」
「私?あまり人には教えないんだが…桑田です」
そう言って偽名を教える。嬉しそうに牧はスマホを取り出す
「桑田さんですね。あの、もし良ければ連絡先交換してもらえませんか?あ、依頼とか関係ないので仕事用じゃなくプライベート用が良いんですけど」
「ちょっとちょっと。これから一週間護衛するのは俺よ。俺の連絡先を聞くのが先じゃない?」
「すみません。牧は面食いでこういう時は遠慮がないんです」
アイツは口元に手をなぞると答えた。
「もし連絡先を交換するのであれば、もう一度打ち合わせを行う時にしましょうか。その時は打ち合わせ内容を録音しないでもらえると助かります」
その言葉に驚くみなみと牧、そして俺。アイツがテーブルの上に置いてある牧のカバンを見続けていることに気づくと、牧は観念したのかカバンの脇ポケットからボイスレコーダーを取り出した。まさか、さっきのやり取りを録音していたとは。
「いつから気づいていたんですか?」
牧の質問に笑みを浮かべたまま、アイツは答えた。
「職業上、観察眼は鍛えていると言ったはずです。制服のボタンをしっかりと留め、ソファに座るときも皺にならないようにヒダを揃えるほどの几帳面な性格なのに、わざとらしくテーブルに置いたカバンの脇のファスナーだけが中途半端に開いていたのでおかしいなと思い、さきほど上坂さんのスマホを預かった時に、着信情報を調べながらこの部屋の装置で熱探知をさせてもらいました。案の定、カバンの中で何かが熱を持っていたのでボイスレコーダーかなにかで録音しているのだと予想しただけです」
牧はバツの悪そうな顔をして謝罪する。
「ごめんなさい。ふざけたわけではないんですけど、探偵さんと話をするなんてネタとして面白そうだったから、つい……」
「気づいていたので、別に構いませんよ。ただ、隠し撮りは相手との信頼関係を壊しかねませんし、時と場合によっては犯罪になるので気をつけた方が良いですね。鷲頭、明日からの護衛の下見も兼ねて、お二人を自宅までお送りして」
そう言ってアイツは俺に事務所の車のキーを渡す。頭を下げて事務所を出ていく高校生たちの後に続いて、俺もドアを出る。ドアを閉めた時、事務所に残っていたアイツはエアコンのパネルを操作していた。
事務所の近くの駐車場に停めているミニクーパーに乗り込むと、後部座席の二人をそれぞれの自宅まで送り届けるため車を走らせる。20分ほどで牧が住んでいるマンションの前に到着した
「人気投稿者って聞いたからもっと良いところに住んでるのかと思ってたけど、なんか思ったより普通のマンションだな」
「人気と言っても家を建てられるほど稼げるわけじゃないですよ。それに私達の場合、収益は二人で分けてますから。今住んでるここは私が小さい頃に共働きの両親がマンションの一室を買ったもので、ローンも全然残ってます」
「へぇ、両親が共働きってことは普段は家に一人でいるの?兄弟とかは?」
「一人っ子なので両親が帰ってくる夜まではいつも一人ですね。晩ごはんを作るのは私の仕事になっています。あ、そうだ。もし良かったら護衛してくれてる間、うちで晩ごはんたべてきません?桑田さんはああ言ってましたけど、働いてもらうのにその報酬が飲み物だけっていうのはさすがに私も心苦しいですし、どうせ私も一人で暇なので」
牧の調理センスがどれくらいかは知らないが、食事をごちそうしてもらえるのは素直にありがたい。だが……。残念そうにため息をつく。
「せっかくの提案だけど、食事制限中なんだよね。それに護衛とは言え女の子一人しかいない家に上がるのは気が引けるし。気持ちだけ受け取っておくよ」
「そうですか……。それは残念です。獅子尾さん、事務所で最初に見た時はおかしな格好をした人で大丈夫かなと思ったけど、話してみたらいい人そうだったので安心しました。明日から……、じゃないですね。今日は送迎ありがとうございました。明日も宜しくおねがいします。みなみもまた明日」
俺の嘘の言い訳に牧は少し残念そうな顔をしたが、すぐに元の明るい表情に戻り、お礼を言うと車から出ていった。マンションへ入っていく彼女を見ながら申し訳なく思う。流石に食事をするとなるとマスクや覆面を取る必要がある。話をしてみた限りいい子のようだが、ただの依頼人に覆面の下の姿を見せるわけにはいかない。牧の姿が見えなくなったので、シフトレバーを手前に引くと車を発進させる。
「さて、じゃあ次はみなみちゃんの家だけど、どこに向かえば良い?」
俺の問いかけにみなみはここから車で10分ほどのスーパーの場所を伝えてきた。とりあえずそこを目指して走ってほしいということらしい。
「OK。みなみちゃんの家もマンション?それとも一軒家?」
「私の家系は先祖の代から土地をいくつか持っていて、そのうちの一つに家を建てて住んでいます。この地域で一番敷地の広い住宅なんですけど、ご存知ないですか?」
そう言われても詳しい住所を教えてもらっていないんだが、と思いながら適当に相槌を打つ。
「あー、見たことあるようなないような、って感じかな。アイツ……桑田は結構前からこの街にいるから知ってるかもしれないけど、俺がこの街に来たのは最近なんだよね」
「そう言えば、桑田さんが最初にしていた推理ですけど、少し間違ってますよ」
みなみの言葉に少し驚く。アイツが推理を外すとは珍しい。
「マジで?アイツ、あんなカッコつけといて推理外してたの?」
「はい。桑田さんの推理だと私達の家は裕福じゃないような言い方をしてましたけど、先程も言った通り私の家系は先祖の代からこの街に何個も土地を持っている地主なんです。不動産屋に任せた賃貸費用だけで生活出来る位には家も裕福です。それに警察を頼らない理由も私があんまり大事にしたくないので家族に相談していないだけです。父は警察の方ともお付き合いがあるはずなので、私が相談すれば警察も動いてくれると思いますよ」
アイツの推理を思い出してみる。別に裕福な家であることは否定していなかったはずだし、俺たちを頼ってくる時点で割と大事なのではと思ったが、口には出さないでおく。一つだけ分かったことがある。どうやらみなみは本物のお嬢様だったようだ。確かにみなみから教えられたスーパーの近くは高級住宅街がある。
「へぇー、それじゃあ、みなみちゃんってガチのお嬢様なのね。今回のこと大事にしたくないって言ったけどなんで?さっきの非通知電話の話や今の家の話を聞くと、君が狙われているような気がするけど、それを知ったらご両親だって心配するんじゃない?」
「それは……」
言葉が止まるみなみ。バックミラー越しに彼女の姿を見ながら、今の質問は失敗だったなと思った。二人を送るようにと言った時にアイツがこちらへ目配せをしたので、その意図を理解し、二人の個人的な情報を収集する為になるべく車内で会話をするようにしていたが、プライベートな部分に踏み込み過ぎたかもしれない。どうやってこの場を収めようか考えていると、みなみが口を開いた。
「大事にしたくない理由については、桑田さんも言っていた通り、まだ事件かどうか分からないじゃないですか?家族を変に心配させると、今やってる動画配信もやめさせられるかもしれません」
「それはそうかもね。まぁ、せっかく相談してくれた二人には悪いけど、俺も今回の件はまだの気の所為だと思うけどね」
話題を変えるために俺の考えを話し始める。
「そうですか?なんでそう思うんですか?」
「ん〜、長年培った感かな?」
「はぁ」
残念な物を見るような目をしている。今の内容ではしょうがない。
「あえて理由をつけるとするなら、犯人の目的が分からないかな。ストーキング中は見つかりそうになると姿を隠すのに、さっきみたいな非通知で電話をかけて自分の存在をアピールするなんて行動に一貫性がないよね。さっきの電話にしても、もし恋愛感情によるものだったら非通知でかけないで自分が誰であるかを相手に知ってもらおうとするだろうし、嫌がらせ目的だったらもっと頻繁に電話をかけてくると思うな」
「次のステップのための観察とは考えられませんか?例えば、誘拐するタイミングを見計らっているとか」
「それもないと思うよ。ストーキングについては単純に下手でみなみちゃん達にバレてしまった、っていう可能性は残るけど、電話なんて相手を警戒させて誘拐の難易度を上げる行動を普通は取るはずないから」
俺の言葉を聞いて考え込むみなみ。
「あくまで俺の考えだからそこまで真剣に考えなくてもいいよ。それにアイツが一週間護衛するように指示を出したってことは、何か考えがあるだろうし」
そうですか、というみなみ。実際のところ、本当にストーカーがいるかは不明だ。アイツから人物の尾行を指示されるようになって分かったが、思ったより人間は他人からの視線に敏感だ。俺が尾行してきた人達も俺の姿が見えないはずなのに俺の視線を感じるのか周囲を気にする人間が結構いた。今回の相談も二人が自意識過剰なだけの可能性もあるが、頻繁に視線や気配を感じるのであれば、本当にストーカーの可能性もある。アイツも言っていたが、今の段階では正直何も分からないのだ。だが、二人を不安にさせるよりは多少の嘘でも安心させたほうが良いだろう。他の質問に移る。
「二人で一緒に動画投稿するほど仲がいいみたいだけど、いつからの付き合いなの?」
「牧とは中学の時、同じクラスになって以来、ずっと友達です。動画投稿を一緒に始めたのは高校に入学した後で半年位前からですね。その前までは私が一人でやっていました」
「みなみちゃんが一人で動画投稿してたの?少し意外だな。どちらかと言えば、牧ちゃんの方がそう言うこと率先してやりそうな雰囲気だったのに」
牧がいる時に二人が動画でやっていることを簡単に教えてもらったが、化粧だったりファッションだったりはまだ分かるが、お菓子を食べたりゲームをしたりするのはお嬢様であるみなみのイメージからは少し想像しづらかった。
「人を見た目で判断しないでもらえますか?私だって流行りの物に興味ありますよ。それに牧だって見た目ほど遊んでるわけじゃないです。一人っ子なのでご両親からの束縛がかなりキツイみたいで、動画に出ているとバレないように顔の一部を隠したりメイクを濃くしたりしてますから。危なかったですね。もし牧の提案に乗って家でご飯を食べてるところをご両親に見られたら、きっと大変な目にあっていたと思いますよ」
みなみの脅しに背中を冷や汗が流れる。
「それじゃあ、俺は命拾いしたってわけだ。君の家族はどうなの?なにか言われたりしない?」
窓の外を見るみなみ。興味がなさそうに言う。
「私の家族は特に何も言いませんね。というよりも、私が何をしているのか分かっていないんだと思います」
含みのある言い方だ。何か理由があるのだろう。そう言えばさっきも家族の話題を出したら言葉が止まっていた。踏み込み過ぎないように注意して言葉を選ぶ。
「へぇー、そうなんだ。まぁ、動画投稿サイトなんて今では一般的になってきているけど、見ない人は全く見ないからね」
「そういう人もいますけど、私の家族は違いますね。私の二つ上の兄が海外のコンテストに出場するほどピアノが得意なんです。それで両親たちの興味は全て兄に向いていて……。私が何を頑張ろうが兄の活躍の前では全部無価値なものなんですよ」
寂しそうな表情をするみなみを見て、彼女を不憫に思った。きっと幼い頃から兄と比較されて育ってきたのだろう。家族の話題だと口が重くなったのもそれが原因に違いない。
「んー、俺はみなみちゃんのご両親と会ったことがないから家族関係については何も言えないけど、方向性が違うだけでお兄さんもみなみちゃんも凄いと思うけどな。お兄さんが海外のコンテストに出ているって言っていたけど、みなみちゃんたちだってインターネットを通して世界中の人たちに自分達の動画を見てもらっているんでしょ?それって、俺みたいな人間からすれば十分凄いけどな」
慰める目的ではなく、本心からみなみ達のことを褒めると、彼女は俺と会ってから初めて笑顔を見せた。
「ありがとうございます。お世辞でも嬉しいです。お兄さんって思ったより優しいんですね」
「どういたしまして。お世辞じゃなくて本心なんだけど、喜んでもらえたならどちらでもいいか。それと呼ぶ時は獅子尾で良いよ」
「わかりました。それでは今後は獅子尾さんと呼ぶようにします。私からも一ついいですか?もし迷惑でなければプライベートでもお話したいのですが……。先程の連絡先は仕事用ですか?それともプライベート?」
みなみからの突然のお願いに思わずアクセルを強く踏みそうになる。連絡先は車に乗り込む時にみなみと牧二人と交換した。事務所で聞き取ってはいたが、明日からの送迎と考えると俺の連絡先も教えておいた方が良いだろうと思ったからだ。そして、みなみの言う通り、アイツから用意してもらっているスマホは仕事用とプライベート用の2台がある。護衛するだけだったら俺も、そしてみなみも仕事用の連絡先だけで良いはずだが、プライベートでも話したいと言われてしまうとどうしたものか。
「え〜、どうしようかな?アイツからあんまり依頼人と親しくなりすぎるなって言われてるんだけど……。まぁ、いいか。情報収集の一環としてみなみちゃんと話す位は別にいいだろ」
「ふふっ。そうですね。私と獅子尾さんのやり取りはあくまで情報収集、ということにしておきましょう」
手で口元を隠し怪しげに笑うみなみ。先程までの弱々しいお嬢様とは違い、どこか大人の艶めかしさを感じる所作に気づかないフリをした。タイミング良く目印のスーパーまで着いた。
「あっ、あー、教えてもらったスーパーまで着いたけど、ここからはどんなルート進めば良い?」
「いえ、ここまでで大丈夫ですよ。両親が私に興味がないとはいえ、家の近くで見たことのない車に送迎されてると知られたら、何を言われるかわかりませんから。いえいえ、本当に大丈夫です。ここから家までは歩いてすぐですし、人通りも多いので簡単に襲われたりしませんよ」
そう言って自宅の住所を教える。確かにここからは数分で着く位の距離だ。それでも家まで送ろうとする俺の誘いを、みなみは申し訳無さそうな顔をしながら丁寧に断った。そしてスマホを取り出すと俺のプライベート用の連絡先を尋ねてきたので、その場で答える。みなみは俺の連絡先を更新し終えたのかスマホをしまうと、車のドアを開ける前に俺の手に触れてきた。
「今日はありがとうございました。本当のことを言うとあんな電話が来て実は不安だったんです。でも、獅子尾さんと話をして不安が少しなくなりました。私からご連絡するかと思いますが、獅子尾さんもいつでも連絡してくださって構わないですからね。明日からもどうぞ宜しくお願い致します」
そう言って車から出ていくみなみ。車から少し離れたところで手を小さく振り続ける姿を見ながら、俺は車を発進させる。手にしっとりと汗をかいているのは暑さのためなのか、手袋越しにみなみの体温を感じたからなのか分からなかった。
ミニクーパーを駐車場に戻すと事務所が入っているビルの前の自販機で飲み物を買う。別れ際のみなみとのやり取りを思い出した。急にあんなことをしてくるなんてどういうことだろう。もしかして、俺に気があるとか。いやいや、きっと最近の高校生はボディタッチが多いだけだ。馬鹿げた考えだと自分で否定し、コーラを持って階段を昇る。事務所のドアを開けるとアイツは帰ってきた俺の方をちらっと見ながら、自分のデスクで誰かに電話している。
「……はい。ええ、そうです。凶器に付いた指紋は犯人の偽装の可能性が高いので、被疑者を任意同行する前にその場にいた全ての人間のアリバイの裏付けを行ってください。はい。なにかわかりましたら連絡をお願いします。それでは」
電話を切るとパソコンを操作しながら俺に話しかける。
「お疲れ様。それで?何か分かったか?」
俺は車内での会話の内容を報告する。
「とりあえずは車で尾行されるなんてこともなかったし、家の近くで誰かが待ち伏せしてる様子もなかったかな。どう思う?本当にストーカーがいると思うか?」
「さっきも言ったが情報が少なすぎて判断が難しいな。現時点で考えられる可能性として最も高い物はあまりにもバカバカしくて除外しているが……。だが、お前の予想は良いところを突いている。もしストーカーがいるとしたら、誰が、なぜ、そしてどうやってという要素が重要になってくる。二人の話ではネットの記事で紹介されてからストーキングが始まったようだが、調べた限りそのタイミングでファンと一緒にアンチも増えたようだな。三ツ渕牧は素顔がバレないようにしていたので身元を特定されていないが、上坂みなみについては初期の動画や実家が金持ちということもあって、一部では本名と隠し撮りした顔写真が出回っているみたいだ」
「マジか。それじゃあ本当にストーカーされててもおかしくないじゃん」
「それはどうかな?上坂みなみと三ツ渕牧は二人組の人気グループとされているが、実際はその人気のほとんどは三ツ渕牧が担っているようだ。上坂みなみしか出ていない動画や配信は三ツ渕牧が出ている時と比べて視聴者が三分の一位になっているみたいで、最近の動画では三ツ渕牧だけが出ている場合も少なくないな」
そう言ってパソコンの画面を俺に見せてきた。画面には二人のチャンネルが表示され、動画毎の視聴回数が見える。二人一緒に出演している動画以外にそれぞれソロで出ている動画もあるが、その再生数の差は歴然だ。二人が出ている動画のコメントもみなみの愛称である「みぃちゃん」への応援は少ないのに対し、牧の愛称である「まぁちゃん」に関するコメントがかなりの数を占めている。みなみの寂しそうな顔を思い出す。
「こうして結果が目に見えるのは結構残酷だな」
「視聴回数が多ければその分また人の目に触れやすくなるという仕様上、差が出来るのはしょうがないさ。それに一度人気と不人気のイメージが視聴者の中に植え付けられてしまうと、それを覆すにはよほどのことがないと難しいしな」
ブラウザを閉じて画面から動画投稿サイトを消すと、アイツは言った。
「数が増えればその分おかしな輩に目をつけられる可能性は高くなる。ただ、その可能性を考えるとどちらかと言えば三ツ渕牧がターゲットになるのが自然だ。だが、現状電話の被害を受けているのは上坂みなみだ。ターゲットが上坂みなみとするとその理由は?」
問いかけに対し今日得られた情報を頭の中でまとめる。みなみにあった牧にないものとなると……。
「……実家絡みか?」
「真っ先に考えられるのはそれだろうな。誘拐まで発展する可能性は低い。お前の言う通り、わざわざ自分の存在をアピールする必要がないからな。兄弟関係もほぼないだろう。海外へ行くほど有名人で自宅にいないことの方が多いし、妹ではなく本人をターゲットにするはずだ。上坂家を調べてみたがこの街や近くの山など至るところに土地を持っていて、ある不動産会社にまとめて土地の管理を任せているみたいだ。この不動産でトラブルがないか調べる必要があるな。明日から二人の周辺を監視してもらうが、日中は学校で動きがないだろうから不動産でトラブルがないか調査しておいてもらえるか?」
「OK。それ以外に調べておくことは?」
「警察に知り合いがいるほどの友好関係であれば、家族については俺の伝手で調べられる。今の所は不動産関係の調査と二人が何者からか襲われないように注意を払っていてくれるだけでいい。三ツ渕牧と比べて人気がないとはいえ、悪いファンがいる可能性だって全く否定できないからな」
確かに、相対的にファンの数が少ないからと言って、おかしなファンがいないとは言い切れない。俺はアイツの指示を頷いた。
「了解。何か分かればスマホに逐一連絡する」
すると、アイツは俺の方をジロジロ見てきた。
「今回はやけに素直だな。なにかあったのか?」
「別になにもないって。ただ、あんなに若い女の子が可哀想だなって思っただけだよ」
ため息をつかれた。何だというのか。
「前にも言ったが、あまり依頼人に肩入れするなよ。お前は人を信じすぎるところがあるからな」
呆れたように注意してくるので俺は少しカチンときた。
「肩入れなんかしてないって!なんでそんなこと思うんだよ!」
「ほんとうか?さっきの報告の時、上坂みなみの話だけ熱が入っていたように感じたぞ?何か隠していることはないか?」
その言葉にギクッとする。自分でもなぜか分からないが、みなみとの別れ際のやり取りは黙っていた。学生の頃からそうだが、コイツに嘘や隠し事をしてもいつの間にかバレてしまう。今も覆面で俺の表情が読めないはずなのに、見つめられると全てを見透かされているような錯覚に陥る。誤魔化すために大声で反論した。
「そんなわけないだろ!俺が嘘や隠し事をしているように見えるか?」
「そう見えるから言っているんだがな。表情が読めない代わりに態度に出すぎなんだよ」
そんなに態度に出ていただろうか。
「うるさいなぁ。言われた仕事はきっちりこなすから良いだろ?」
「俺は注意したからな。しっかり頼むぞ」
目線を俺からパソコンの画面に戻した。俺は先程の話で気になる点を質問した。
「そう言えば、さっき言っていた可能性として高いのに除外している物ってなんだ?」
「そうだった場合はただの笑い話だ。気にしないで護衛を頼んだぞ」
話は終わりとばかりにキーボードを操作している。情報が少ない時はいつもこうだ。曖昧な予測で捜査に制限を設けたくないから必要なことしか教えない、と以前に言っていたが、俺からすれば意味深に言葉だけ言われた方が気になって集中できない。まぁいいさ。コイツがそういうやり方で隠し事をするなら、俺だって必要な事しか喋るつもりはない。自販機で買ってきたコーラを飲み干すと事務所から出ようとドアノブに手をかける。
「あ、そうだ」
何かを思い出したようにアイツは俺を呼び止めたので、俺はドアを開けたまま振り返ってアイツの方を見た。
「何だよ」
「護衛期間中のガソリン代と駐車場代は立替えておいてくれよ。領収書も忘れずに」
そう言ってまたパソコン作業に戻るのを見て、俺はドアを勢いよく閉めて出ていった。
二人の護衛を始めてから2日が経過した。車での送り迎え中は特に異変はなく、みなみへの電話もあれからかかってこない。不動産会社のトラブルも調べているが今の所なさそうだ。何もなさすぎてやはり二人の勘違いだったのではないか。そんなことを思い始めた土曜の午後、俺はなぜか護衛対象であるみなみ、牧と共に隣街にあるショッピングモールのフードコートにいた。二人が複合施設内にある移動販売車でおしゃれなクレープを購入して食べているのを、俺は恨めしそうに見ながら近くのカフェで買った飲み物をストローで飲む。少し前に昼ごはんを食べたばかりだと言うのに、よく食べる余裕があるなと思うと共に腹が鳴りそうになる。人前だから昼飯を抜いたが流石に腹が減ってきた。どこかに隠れて何かを食べてこようか。いや二人から目を離すわけにはいかない。そんな俺の葛藤も知らず、二人は美味しそうにクレープを頬張っている。どうしてこんな思いをしながら、人の多いこんな場所に来たのか。前日の帰宅途中の会話を思い返す。
『隣街でデート対決?』
『そう。明日の休み何をしようかみなみと相談してたんだけど、せっかく獅子尾さんがいるんだからそれを活かした動画を取りたいなって話になって』
牧のマンションに向かいながら二人からの突然の提案を聞き返すと、牧が後部座席から少し身を乗り出しながら答えた。牧はこの2日ですっかり敬語が抜けタメ口で喋るようになっていた。
『色々考えたんだけどみなみの意見を採用して、私とみなみがそれぞれ獅子尾さんとデートしてどっちが良かったかを判定してもらうっていう企画をやろうかなって思ってるんだ。ここから隣街まで電車だと乗り換えも入れて片道二時間かかるけど、車だったら往復一時間くらいで済むし』
『それって俺を足代わりに使いたいだけで、本心はただ隣街で遊びたいだけじゃないのか?』
俺の質問に牧は遠慮なく笑う。
『あ、バレた?でもでも、動画にする以上デートはちゃんとやるからさ。車を運転するだけでこんな可愛い女子高校生二人とデート出来るなんて役得じゃない?それに、地元より顔見知りの少ない場所の方が護衛もしやすいと思うなぁ〜。私達は動画は撮れるし隣街で遊べるし、獅子尾さんは可愛い女の子とデート出来るし仕事も出来る。win-win2倍で良い事づくしじゃない?こういうのなんて言うんだろ?呉越同舟?』
『それを言うなら一挙両得。呉越同舟じゃ、仲が悪いのに一緒に出かけることになるだろ。それに隣街へ行くのは良いことばかりじゃないんだよ。この街と比較にならないくらい人が多いから誰かに見張られていても簡単には分からないし、もし人混みから襲われるようなことがあっても反応が遅れる可能性だってある。そもそも、なんで俺が動画に出なきゃならないんだ?遊びに行きたい気持ちは分かるけど、しばらくは大人しくしててくれよ』
『でも、護衛して頂いたこの2日間、特に異変はありませんでしたよね?電話も全然かかってこなくなりましたし、きっと獅子尾さんが近くにいるから相手も警戒しているんですよ。それでしたら、休みの日も獅子尾さんと近くにいた方が良いと思うんです』
みなみが牧の加勢に入った。みなみは牧と違い未だに敬語だが、以前のような刺々しさはなくなっていた。むしろ、牧を家に送り車内で二人っきりになると、甘えたような声色になっている気がする。それにプライベートのスマホにも頻繁にメッセージが送られてくる。ここまでアクションがあると、やっぱり俺に気があるんじゃないかと勘違いしそうになるが、その度に相手が学生ということを思い出し、気のせいだと自分に言い聞かせた。
『いや、休みの日も俺の目が届くところにいてもらった方が良いのはそうだけど……。わざわざ人通りの多いところに行く必要もないだろ?』
『人の少ない場所よりも多い場所の方がカメラを回したりしても目立ちませんよ。この街でどこかに行こうとすると場所も限られますし。それに言いづらいですが……、獅子尾さんの格好が奇抜と言いますか……』
『そうそう。この街でそんな格好で出歩いたらすぐに目立っちゃうよ?その服脱いでくれるなら話は別だけど、仕事の都合で素顔は人前に出したくないって前に話してくれたでしょ?隣街に行った方がオシャレだったり奇抜な格好の人もいるし、多少は目立ちにくくなるって。ねぇねぇ、良いっしょ?護衛が始まってから家と学校の往復だけで退屈なの。息抜き位させてよ〜』
二人の言うこともそこまで的外れではない。それにこの2日間は送迎するこの車内を除けば、家にいるか学校で授業をするかの二択だった。いくらストーカーがいるかも知れないといっても、遊びたいざかりの年齢でそんな窮屈な生活は堪えたのだろう。しょうがない。アイツには後で連絡しておこう。
『わかった、わかりました。お嬢様方の暇つぶしにお付き合い致しましょう。ただし条件は飲んでもらうぞ。一つ、少しでも異変を感じたらすぐに帰ること。気晴らししたいだろうが身の安全が第一だからね。二つ、動画を撮っても構わないが俺は映さないこと。文句を言うな。企画だかなんだか知らんが、俺を巻き込まないで二人でやってくれ。三つ、これが一番重要だが……』
ちょうど牧のマンションの前に着いたので、車を停めて後部座席へ振り返る。
『金に余裕がないから、パーキング代はそっち持ちで頼む』
そんなやり取りの末、土曜にも関わらず早起きを行い、欠伸をしながら女子高校生二人を迎えに行くと、後部座席でおしゃべりをしているのを聞きながら隣街までやってきて、下手くそと言われつつ渡されたカメラを片手に動画撮影をさせられながら、二人があちこちの店を見て回るのに連れ回されたというわけだった。
「さっきあれだけ喰ったのによくそんなカロリーの高そうな物を頼むよな」
空腹を紛らわせるためにドリンクを飲みながら目の前でクレープを食べる二人に対してつぶやくと、牧が指を俺の前に出しながら言った。
「スイーツは別腹なの。それと女子に向かってカロリーの話をするのは嫌われるよ。まぁ、私達は食べてもあんまり太らない体質だけどね」
俺は椅子に座る二人の姿を改めて眺めた。牧に関しては今日はゆったりとしたTシャツを着ているので上半身のシルエットは出ていないが、袖から覗く腕やスキニーパンツを履いた足のシルエットを見ると、確かに健康的な印象を与えるスタイルの良さだ。先日聞いたところによると中学の頃にバスケをしていたらしい。牧の性格や表情、髪型と合わせて明るい雰囲気を形作っているのだろう。一方みなみはカジュアルなTシャツにフレアスカートという出で立ちだ。その白腕は少しの力で折れてしまいそうなほど細く、体全体で見ても風が吹いたら飛ばされてしまいそうな姿はお嬢様然としているが、少し痩せすぎて心配になるほどだ。
「ちょっと、今私達の身体を確認したでしょ?そんな怪しい格好で女子高校生のことをジロジロ見てたら捕まるよ、オジサン?」
「オジサンって歳じゃねえよ。名前で呼ばないならお兄さんと呼べ」
「えぇ〜、お兄さんって呼び方だと逆になんか如何わしい感じがしない?」
そう言って牧はわざとらしく怯えたフリをして自分の身体を抱きしめる。
「牧、からかい過ぎだよ。ところで、獅子尾さんは飲み物だけで大丈夫なんですか?お昼も食べていらっしゃらなかったですし……もし持ち合わせがないようでしたら私がごちそうしますけど」
みなみが心配そうにこちらを見てくる。
「そんな心配しなくても大丈夫。今朝は久しぶりに朝飯を食ってきたから腹が減ってないんだよ。それに金がないとは言ったけど、流石に学生から奢ってもらうのは気が引けるからね」
「そんなこと気にしなくとも良いのに……」
「そうそう。私達は全然気にしないよ。獅子尾さんが年下の女の子にご飯を奢ってもらうほど万年金欠のオッサンだったとしても全然気にしない。せいぜい今後はそれをネタにイジってやろうかなと思ってるくらいだよ」
まだ心配そうにしているみなみに対して、牧は笑ってそんなことを言う。
「護衛してもらっておいて扱いが随分ひどくないか?良いんだぞ?明日からお前を護衛対象から除いて、みなみちゃん一人に絞っても」
「わぁー、うそうそ。冗談だって。獅子尾さんって良い反応するから、年上の友達みたいな感じになっちゃうんだよね」
ごめんごめんと言いながら、牧は食べかけのクレープを差し出す。
「はい。どうせお腹へってるのに我慢してるだけなんでしょ?これ食べて良いよ」
「いや、別に良いって。メニュー見たけど、コレ結構値段してたぞ。牧ちゃんが自分で注文した物なんだから、自分で食べな」
「後からその分はお金頂戴とか言わないから大丈夫。それに私が注文した物なんだから、それを誰かに食べさせたって構わないでしょ?別に食べ物を無駄にするわけじゃないんだしさ」
そう言ってテーブル越しに身を乗り出し、クレープを持った腕を更にこちらに近づける。食べかけのクレープが目の前まできた。
「気持ちは嬉しいんだけどな……。それに、なんだ、そのクレープは君の食べかけだろ?それで食べるのはあんまり気乗りしないな」
俺の言葉に牧は意地悪っぽく口角を上げた。
「え?もしかして間接キスとか気にしてる?なんだぁ〜、可愛いところあるじゃん。私は別に気にならないけど、嫌なら一口分ちぎってあげようか?それともこのまま食べさせてあげる?ねぇねぇ、どっちが良い?」
「牧」
黙って俺達のやり取りを見ていたみなみが口を開いたので、俺と牧はみなみの方を見る。みなみは微笑を湛えてこちらを見ているがその目は笑っていない。
「あんまり獅子尾さんを困らせないで。獅子尾さんが優しいから怒らないでくれているけど、本当だったら家に居てくれた方が護衛しやすいところを、私達が無理を言ってこんな街中まで連れてきてくれて、人が多い中でも周囲に怪しい人がいないか気を張ってくれているんだから」
「そ、そうだね……。ごめんね、獅子尾さん。ちょっと調子乗りすぎちゃった」
「いや、こっちこそ、もっとはっきりと断れば良かったのにごめん。本当に腹は減っていないし、なんなら気持ちだけでお腹いっぱい」
言葉自体は丁寧だが、その言葉では隠しきれていない威迫に俺と牧は互いに謝罪する。それを見届けるとみなみは席を立った。
「一段落したところで、私はちょっとお手洗いに行ってきます。あぁ、付いてこなくて大丈夫ですよ、獅子尾さん。歩いてすぐのところにありますので。それに、近くで待っててもらうのは、ちょっと気持ちが落ち着かないというか……。代わりにこのクレープを持っていて貰っていいですか?」
俺にクレープを預けると、みなみはテーブルに置いていた帽子をかぶり向こうの方へ歩いていってしまった。ブランド物のショップの角を曲がると姿が見えなくなる。みなみがいなくなると、牧は大きく息を吐いた。
「あぁ〜、やっちまったなぁ。あとでなんて謝ろう……」
「そんな落ち込む事ないだろ。確かに怒っているように見えたけど、別に諭しただけで本気で怒っているわけじゃないだろうし」
「いや、今のは結構ガチで怒ってた。楽しくなって気にせず喋りすぎちゃったなぁ。他の人からもよく言われるんだ。他人との距離感が近すぎるって」
それは俺も感じていた。いつの間にか俺に対してフランクに話しかけてくれるようになっていたが全く嫌な感じはせず、むしろ敬語で喋っていた時よりも自然な振る舞いなので話しやすい。それに表情もコロコロと変わるので話していて楽しいが、遠慮がないので相手によっては失礼な発言も多々あり、その度にみなみからたしなめられている。牧のこの他人との距離感の近さは動画でも同じでなので、なぜ人気が集中してしまったのかその理由が少し分かった気がした。
「そうだとしてもさっきのやり取りは俺が悪い部分があるし、牧ちゃん一人が悪いことにはならないでしょ?」
「ん〜、それは違うかな。みなみの気持ちをなんとなく知ってるのに、目の前で獅子尾さんにちょっかいかけちゃったし」
「みなみちゃんの気持ち?何のこと?」
とぼけて聞き返してしまったが、牧が言おうとしていることはなんとなく分かっていた。
「いや、獅子尾さんも気づいてるでしょ?みなみは獅子尾さんのこと絶対に好きだよ。今日の駐車代を賭けても良い」
この2日間のみなみとのやり取りを思えば確かにそうなのだが、いざ第三者から言葉にして聞かされると衝撃があった。認めるわけにはいかないので否定する。
「気の所為だろ?こんな歳の離れたオッサンに好意を抱くとは思えないけどな」
「またまたぁ〜。そんな鈍感主人公みたいなこと言っちゃって。本当は態度とかで分かってる癖に。みなみからスマホの連絡先を聞いたんでしょ?みなみは同級生とかから連絡先聞かれても、いつもは自宅の電話番号しか教えないんだから」
「それは護衛するのに必要だからとかじゃないの?」
「ないない。それだったら私みたいにフリーメールとか通話アプリで捨てアカウントを作ればいいし」
「え!?俺に教えてくれたアプリの連絡先って、捨てアカウントだったの?」
「そうだよ。こんな怪しい格好をした歳の離れたオッサンを初対面で信用出来るわけ無いじゃん」
さらっととんでもないことを言われて驚く俺に対し、牧は悪びれる様子もなく平然と言った。あんなに仲良く話をしていたのに騙された気分だ。流石に少し落ち込んでしまう。
「あぁ、落ち込まない、落ち込まない。今は信用してないわけじゃないから。話をしてみて悪い人じゃないなって分かったけど、今更連絡先変えるのも面倒いっしょ?だから、別に改めて教えなくてもいいかなって」
「まぁ、アプリで通話もメッセージのやり取りも出来るから連絡は困らないけど……。ただやっぱりショックだわぁ。何だったらその件については教えてくれないほうが良かった」
「あ、でも桑田さんは別だよ。私は今でも狙ってるから。連絡先交換してくれるならいつでもスマホ渡すよ。桑田さんって最近ドラマに出てたあの俳優に似てるよね。私あの人のファンなんだよね。ま、他にも好きな俳優はたくさんいるけど」
そう言って何名か俳優の名前を挙げる。探偵の顔が浮かべるがさっき挙げられた俳優達とそんなに似ているとは思えない。
「アイツは依頼人とは距離を取るし、性格的に学生と付き合うことはないと思うけどな」
「それじゃあ、獅子尾さんは学生と付き合いのは別に構わないんだぁ〜?」
言葉尻を捕らえて、意地悪そうな笑みを浮かべる牧。いい大人なのだからそんなことはない……と思いたい。このままだとずっとこの話をされそうだ。二人が行っている動画投稿の話題に変える。
「ところで動画を撮るのは本当に俺で良かったのか?確かに動画に映りたくないと言ったのは俺だけど、さすがに急というか……。撮り方とかは簡単に教えてもらったけど、素人の撮影じゃ使い物にならないんじゃない?」
「大丈夫だよ。いくら人が多いからと言ってもそんな格好で私達に黙って付いてきたら、獅子尾さんが警察のお世話になるかもしれないしね。撮影役をしてくれた方がまだ多少は怪しさが薄れるでしょ。それに動画は後で修正したりするから何とかなるし」
「動画の編集も自分達でやってるんだろ?どうやって編集の勉強をしたの?」
包み紙を短くして残ったクレープを食べやすくしながら、牧は説明を始める。
「編集自体はアプリとかソフトを使えば簡単に出来るよ。ネットで調べれば使い方のハウツーとかもいっぱいあるしね。どちらかと言うと、どういう動画を作るかっていう企画の段階が大変。予算の問題もあるけど、なにより難しいのは自分達のやりたいことと視聴者の見たいものをすり合わせる作業なの。だって、私達がしたいことだけをまとめた動画なんかじゃ視聴者が置いてきぼりになっちゃうし、逆に視聴者の要望だけに従ってたら今度は私達のメンタルが持たないからね」
牧はさっきまでふざけていたとは思えないほど真面目に説明をしている。軽い気持ちで質問しただけだったが、牧の顔つきに俺もちゃちゃを入れずに話を聞く。
「そうやって企画が決まったら、次は台本とかストーリーボードを作って動画の大まかな流れを決める作業。簡単に言えば脚本だね。あくまでこの時点では大雑把な内容だから動画を撮影する段階で変更になる場合もあるけど、骨組みがちゃんとしてないと撮影や編集も行きあたりばったりになっちゃうから、テレビとか他の人の動画とか見て勉強したかな。後はそれに沿って動画を撮影して、編集するだけって感じ」
「今の話を聞くと事前準備が一番時間がかかりそうだな。じゃあ今日撮影した動画もすぐに編集して投稿するんだ?」
「いやぁ、一週間位はかかるかな?ソフトを使うから編集は簡単って言ったけど、編集の仕方によっては意図しない内容に受け取られちゃって、見る人の気分を悪くさせちゃうこともあるからね。それにテロップ一つ入れるのだって、見やすいテロップと見づらいテロップがあるから、そういうところも気をつける必要があるし」
「確かに、二人が依頼に来たのをキッカケに他の投稿者も含めて何個か動画見てみたけど、投稿者によって動画の見やすさは違ったな。それで?企画と編集とかの役割はどうやって分担してるの?」
今の話を聞く限りでは一つの動画を作るだけでも結構な手間がかかっている。二人は数日おきに動画を投稿しているから役割を決めて負担を分散しているのだろうと思ったが、牧から帰ってきた言葉はその予想とは違った。
「二人で一緒に投稿を始めたばかりの頃はほとんどみなみに任せて私はネタ出し位だったけど、今はそれぞれ企画とかを考えて自分の企画は自分で編集してアップロードするようにしてる」
「役割分担をしたり二人で一緒に動画を作るんじゃなくて、自分で企画して自分で編集するの?それじゃあ、動画毎に見栄えが変わったりするんじゃないのか?」
「一人で出せる考えなんて限りがあるし、全部一人でやるわけじゃないよ。お互い相談したりして動画は作成してるし、手伝いだって全然するしね。それでも、私とみなみで動画の内容も結構違うから、同じチャンネルなのに動画によって温度差がありすぎるとかファンからもツッコまれたりはしてる。まぁ、でも、私もみなみも好きでやってることだし、私達のチャンネルの特色として楽しんでもらえればって感じかな」
そう言っても結構な時間をかけているはずだ。しかも、元々動画投稿していたみなみと違って、牧は後から参加しているのだから、その分ノウハウを積むのだって大変なことは簡単に想像出来る。なんでそこまでして動画を投稿しているのだろうか。頭に浮かんだ疑問を牧にぶつけてみる。
「そもそもなんで動画を投稿するようになったんだ?元々、みなみちゃんが動画投稿していたところに、後から牧ちゃんが加わったって聞いたけど」
「私が投稿を始めた理由?う〜ん、元々暇つぶしに見るくらい動画に興味は有ったけど、一番はやっぱり面白かったからかな?私、こんな見た目と性格だからさ、中学の時はクラスとか部活から浮いてて不登校になっちゃったんだよね」
その話は初耳だった。牧は気にせず話を続ける。
「周りとの空気感が違いすぎて疎外感を感じたら学校行き辛くなっちゃって。それで一時期不登校になったんだけど、その頃暇つぶしにネットでいろんな人の動画見たりしてたらなんだか元気が出てさ。当時の私に近い環境の人とかが動画に出てて、周りの人との違いなんか気にせず活躍してる姿を見たら勇気が湧いてきたんだよね。そして思ったわけ。この環境を変えるためには、誰かが動いてくれるのを待ってるんじゃなくて、この人達みたいにまず自分から動かなきゃ駄目だって。それからはちゃんと学校に通って勉強も部活も頑張って、無事中学卒業して高校にも入学出来たよ。それで、高校に入った一年の冬頃に中学から友達だったみなみと動画の話をしてたら、その場の流れでみなみのチャンネルの配信に出てみることになったの。最初は何したら良いか分からなかったけど、昔不登校だった自分が勇気付けられたのと同じように画面の向こうの人たちを元気にしたいと思って出来る限りのことをやってみたら、思いの外反応が良くてさ。それから何回か動画とか配信に出たんだけど、動画の反応を確認したり、配信で視聴者とやり取りをしたりするのが楽しくていつの間にかハマってた、って感じ」
そこまで言うと牧はクレープを食べるのを再開した。さっきまでの真剣な表情とは打って変わって、年相応の笑顔を浮かべている。家族関係で鬱憤が溜まり動画に自分の場所を見出したみなみと違い、普段のノリの良さからただ流れに乗っただけか視聴者からちやほやされたいだけかと思っていたので、牧がここまでしっかりと考えて動画投稿に取り組んでいるのは正直に言って意外だった。
「なんか…苦労してたんだな」
牧は俺の言葉にわざとらしく怒った顔をする
「あ、もしかして何も考えてないただの陽キャだとか思ってた?失礼だなぁ。人を見た目とかで判断しないでもらえますかぁ」
「ごめんごめん。悪気はなかったんだけど、想像していたよりもしっかりとした考えで動画とかについて真面目に取り組んでいたから、つい」
「まぁ、こんな遊んでそうな見た目じゃそう思わないよね。前になんかの本で読んだけど、その人の印象って見た目の第一印象でほとんど決まるらしいから、そう思うのもしょうがないよね。その点で言うと、獅子尾さんの第一印象は怪しさしかなかったけど」
さっきまでの真面目な表情や年相応の表情から、今度は数年来の悪友のように顔をニヤリとさせながら、俺の格好をいじってくる。
「見た目で判断しないでって言葉をそっくりそのまま返させてもらおうか。俺だって好き好んでこんな格好しているわけじゃない」
「そうは言っても、こんな暑い日でも素肌を見せないとか怪しさしかないけどね。でも見た目である程度判断されるのはしょうがないよ。内面がどうかなんて、その人と話したり長時間接してみたりしないと分からないし。だったら、第一印象の良い人から優先して人間関係を築いていくしかないよね」
牧は面食いだというみなみの言葉を思い出す。確かにさっき上がった俳優も皆顔がカッコいい。アイツがそのラインナップに入っていることは気に食わないが。
「理にかなった考え方ではあるかな。俺だって、こんな格好の人間がいたら自分から話しかけようとは思わないだろうし」
俺の言葉に一瞬笑ったあと、牧は突然視線を落とした。
「さっき私が動画投稿に真面目に取り組んでるって言ってたけど、今はちょっと違うかも」
「違う?真面目に取り組んでいないってこと?今日の撮影中の様子とかも見る限りそうは思えないけど」
「うーん、言葉にするのは難しいんだけど、最近はこないだの特集の影響で視聴者も増えているから、その期待に応えなきゃって気持ちの方が大きくなってきちゃって。企画についてみなみとも話をしてるんだけど、新規を飽きさせないためにも私達が普段からやっていたことなんかじゃなく、インパクトの大きいことをどんどんやっていかないといけないなぁって話になってるんだよね。でも、学生だから私達で出来ることなんて限られているし、それにそんな無理してまで何かをやることが本当に正しいのかなって……」
牧にしては歯切れの悪い言い方だ。
「動画のことはよくわからないからあくまで一般論になるけど、期待に応え続けていると周りからのハードルがどんどん高くなるのは当然だよ。上がり続けるそのハードルを飛び越えようとするのも良いけど、無理をすればその反動が返ってくるし、無理をし続ければ返ってくるその反動も大きくなる。一度立ち止まって自分に合ったラインまで下げることだって時には大事だと俺は思うな」
その言葉に牧は深く考え込んでいる。一体何をそんなに考えているのだろうか。疑問を浮かべながら見ていると、牧は何か納得した様子で小さく頷き口を開こうとした。
「獅子尾さん……、実は言っておかなきゃならないことが……」
しかし、俺はその言葉の先を聞けなかった。どこかから視線を感じたからだ。周りを見渡すと、ちょうどみなみがスマホを片手にトイレから戻ってくる姿が見えた。みなみの視線かと思って胸を撫で下ろそうとした時、歩いてくるみなみから数メートル離れた物陰で、誰かがじっと彼女を眺めているのに気づいた。俺が急に立ち上がると牧はびっくりして喋っていた言葉を止める。
「え!?ちょっ、どうしたの?」
「ちょっと気になることがある。俺が見てくるから、君はここでみなみちゃんと待っていて」
そう言って手に持ったみなみのクレープを牧に渡すと、こちらに歩いてくるみなみ越しに物陰に隠れている人物へ近づこうとした。すると俺が近づいてくることに気づいたのか、その人物は物陰の奥へと隠れたので、俺は急いで走り始める。すれ違うみなみに牧と一緒にいるよう指示を出す。影が隠れた方へ向かうとそこは施設の出入り口だった。周りの目を気にせず走って施設を出たが、すぐ外は交差点となっており多くの人々が行き交っている。この中で先程の人物を探すことなど出来るはずもない。あの影が何か落としていないか先程来た道を注意深く観察しながら、二人が待っているフードコートに戻った。
「さっきはあんなに慌ててどうしたんですか?牧に理由を聞いても、話をしていたら突然立ち上がって何か見てくると言われたと言っていますけど」
「気になることって何?何かあったの?」
二人から質問攻めにあう。両手を前に出して宥めると車のキーを取り出した。
「二人共、楽しんでいるところ申し訳ないけど帰る準備をして。ここに来る時に約束したことは覚えているだろ?異変があったらすぐに帰るって約束。残念だけど異変が起きてしまった」
「異変?」
「あぁ」
みなみの問いかけに応える。こんなことになるとは俺も思っていなかった。
「誰かが二人のことを監視している」