#98 覚醒
この戦艦の中は、圧巻だった。
もはやここは、船などと呼べる代物ではない。
ガラス張りの向こう側には、4、5階建ての建造物が等間隔に並ぶ。下を見れば、地面が見える。この最上部から見下ろすと、地面との間に歩道となる床が2層、見える。
「あの女性を160サブメルテと仮定すると、建物の一階部分がその2.5倍。そこから導き出される高さは……」
私は計算尺を取り出し、この地面からここまでの高さを割り出そうととする。その様子を見たヤブミ提督が、私に尋ねる。
「なんだ、それは?」
「何だと申されましても、計算尺です」
「計算尺?」
「ええ、弾道計算から艦の予測進路まで、これを使って計算してるのです」
「ああ、そういえば貴官は駆逐艦に弾頭をぶちあてた、あの弾道計算をした計算士だったな」
あ、しまった。あの艦に砲弾を当てた弾道計算をやらかしたことをまたぶりかえしてしまった。このままでは、軍法会議ものではないのか?
が、ヤブミ提督はそれ以上のことを言わず、計算結果を尋ねてきた。
「で、どうなんだ?」
「な、なにがでしょうか」
「いや、この高さを求めようとしていたじゃないか。その結果は、どうなのかと聞いている」
そんなしょうもないことを尋ねるとは、何やら思惑があるな。私は後ろめたさはあるものの、こう答える。
「およそ150メルテ。そしてここから向こうの壁までの距離は400メルテと推測されます」
「うん、すごいな。よくそんな定規のようなものと目測だけで、そこまで正確に算出できるものだな。正解だ」
なんと、私の計算が正確だと、そう評価してくれた。この口調ならば、私を訴えるつもりはなさそうだな。
「しかし、だ。よくそんなもので、あれほど正確に計算できるものだな。いったい、どういう訓練を受けてきたのだ?」
「どうと申されましても、機械式計算機などは重くて高価なため、中央計算局や海上戦艦くらいにしか置くことができません。飛行船に乗せるなど、重すぎて不可能です」
「だから、計算尺という道具を使うというのか。しかし……うーん、その精度は常軌を逸しているような……」
そんなに私の持っているこの計算尺が珍しいのだろうか。するとヤブミ提督はポケットから、あのスマホとかいう板を取り出した。
「僕だって、技術屋の端くれだ。だから計算することはあるが、その場合はこういうものを使う」
そういって見せてくれたのは、なにやらここの数字が縦横3つに並んだ映像だ。
「例えば、30度の正弦を求めるには、こうやって打ち込む」
そういいながら、「3」と「0」とを押した後に、なにやら妙な文字らしき模様を指で押す。
すると、そこに「0.5」と表示される。
私はまだ、ここの文字は読めない。が、数値だけは教えてもらった。だから、その結果の正しさはわかる。
「簡単な計算ならば、スマホでも可能だ。が、より複雑な計算となれば、艦内の計算機を使うことになる。例えば、星の配置から現在地を割り出す方法や、周囲の惑星や恒星の重力の影響などから進路を予測するなど、こんな計算機だけでは困難だからな」
なんてことだ。このスマホというやつを、あのレティシア殿が使っているのを見ていた。なにやら動画とやらを再生してはゲラゲラと笑っていたが、あの板に計算尺を超えるほどの計算機能が備わっているとは。
ラハナスト先生の唱えていた未来が、ここではすでに実現されている。
しかし、それほどの計算能力を、あんなくだらない映像を見るのにつかうなど、なんという贅沢、なんという傲慢か。
「おい」
と、その時、砲長が現れて私の肩をポンとたたく。
「なんですか」
「お前、今、よからぬことを考えていただろう」
うう、砲長は私の表情から心情を察するのが鋭い。図星すぎる。それを聞いた提督が尋ねる。
「よからぬこととは?」
「ああ、提督。たいしたことではありません。こいつ、計算のこととなると熱くなりやすいんですよ」
「そうなのか。で、よからぬこととは具体的に、どういうことなのか?」
「この計算尺を超えるほどの計算が可能なスマホという道具を、ここにいる人々はなんという無駄な使い方をしているのだと、そんなことでも考えていたのでしょう」
「ああ、なるほど。レティシアあたりがこれほどの計算能力を使い、いつもしょうもない動画を見てるから、それを知って憤りを覚えた、と」
私の心情が、具体的に語られてしまった。もはや、返す言葉もない。
「そんなところです」
「まあ、気持ちが分からないでもない。その能力をいかんなく発揮できているスマホを持ち歩いている者は、ほとんどいないだろうからな」
なぜか、同情された。それはそれで、複雑な気持ちだ。
「おい、カズキ! 荷物おいてきてやったぜ!」
と、そこに例の一人目の奥さんが現れた。私はつい、睨んでしまう。
「なんだよ、おっかねえ目をして」
「いや、なに。計算機の無駄遣いをしてる魔女がいると知って、カルヒネン准尉はやや憤慨しているようだ」
「は? 計算機の無駄遣い? なんのことだ」
しかし、当の本人にはその自覚はない。なんてことだ、ラハナスト先生の唱えた計算機の未来は、かくもだらしのない世界だったとは驚きだ。
もっとも、その後、ヤブミ提督は様々な計算機が陰に陽に活躍していることを私に教えてくれた。惑星の運動や、敵艦隊までの距離、その他、ロボットアームの動き一つもすべて高度な計算の上で成り立っているものだと言う。
街の中にも、動く映像の看板があちらこちらにあるが、あの映像そのものも計算によって生み出されているという。私の計算尺などでは追い付かないほどの膨大な計算によって、この街は動かされている。
くだらないことに高度な計算機が使われていることに憤慨してしまったが、それほどまでに計算機が生活に浸透した世界であるということのようだ。それはそれで、ラハナスト先生が唱えられた未来をはるかに超えた世界が今、私の目の前に広がっている。
「んじゃ、みんなで行くか」
「行くって、どこにだ?」
「決まってるじゃねえか。戦艦オオスとなれば、まずはあそこに向かうしかねえだろう」
「……またあのスウェーデン人の店か。お前、手羽先は飽きたと言ってただろう」
「そりゃそうだけどよ、異星の客人ならばあの味を知っておくべきだろう」
と、レティシアが言うその店とやらに向かうことになった。なんだか、いやな予感しかしない。
「へぇー、計算士なのデスかぁ!?」
「は、はぁ、そうですが」
「つまり、計算が得意ってことなんデスよねぇ!?」
「なんでもよ、定規みてえな不思議な道具で、びっくりするくれえ正確な計算をやって、0001号艦の甲板に砲弾をぶち当てやがったんだ」
「それはスゴいデスねぇ! そんな凄腕の計算ができるなら、この宇宙一の食べ物、手羽先をまずは食べるのデス!」
といって、皿いっぱいに乗せられた奇妙な茶色い食材。見た目は、あまり美味そうには見えない。乾燥しかかった干し肉のような見た目だ。
「こいつは故郷のナゴヤ名物な食い物だぜ。まずはこうやって小骨を取って、こんな感じに食らいついて一気に引き抜くんだよ」
などといって、ずるっとその干し肉もどきに食らいついて引っ張ると、きれいに骨だけが残る。
私も恐る恐る、同じように食らいついてみた。意外に、やわらかい。甘辛いというか、不思議な味だ。それを一気に引き抜く。
うん、鳥肉だな、これは。干し肉などではない。表には衣のようなもので覆われた食べ物といったところか。肉自体は小さいが、やわらかくて食べ応えがある。
リーナ殿はそれを次々に食べている。マツ殿はといえば、またあの緑色の液体に浸された白い粒粒の、その上に載せられた赤いプルーンのようなものを食べている。
まあ、確かに美味い。だが、量が多すぎる。一体、いくつ運ばれてくるんだ? そんなところに、なにやら上に白い泡の載った黄色い液体が運ばれてくる。
「砲長、これは……?」
「生ビールというそうだ。この手羽先という食べ物と、よく合うらしい」
そういって私にそのビールとやらを渡してくる砲長。私は、恐る恐るそれを飲む。うん、黄金のような色合いで気づかなかったが、要するにこれはエールの類いだな。しかし、味が段違いに美味い。これほど冷えて飲みごたえのあるエールは、いまだかつて飲んだことが……
そこで、私の記憶は途切れる。
◇◇◇
「あっはっはっ! いやあ、計算尺さえあれば、ここの駆逐艦の一隻や二隻、簡単にぶち当てて見せますよ!」
さっきまで慎重な態度だったカルヒネン准尉という計算士は、ビールを飲んだあたりから急に態度が変わった。一方のレティシアも、ビールを口にしていた。
「おい、レティシア。お前も、ビールを飲みすぎると大変なことに……」
「ふえ? 大変なこと? まあ、ええやれえか」
ダメだ、すでに相当飲んでいる。こりゃあ持ち帰るのが大変だな。リーナと一緒に連れて行くしかない。
「ところで、マンテュマー大尉。彼女はいつも、あの調子なのか?」
「その通りですよ、閣下。そのうち、俺に絡んできますから」
「……なるほど、それで貴官は、あの計算士と行動を共に」
「ちょっと、アウリス! 何こそこそと提督と話してるんです!?」
「誰もこそこそとはしてないだろう」
「いーや、してました! そうやって私のこと、また見捨てるつもりだったんですかぁ!? だったらもう、計算してあげませんよ!」
「誰もそんなこと言ってないだろう、本当に酒癖が悪いな」
「私の計算によれば、アウリスが嘘をついている確率は0.87と出ましたね。ダメですよ、私に隠し事なんて、できないんですから」
「おい、どういう計算をしてるんだ、お前は……」
「はぁ!? 計算士ですよ、計算士! 勲章持ちの計算士なんですから、なーんだって計算できちゃう……ふぎゃ!」
「わかったわかった、もうその辺でやめておけ、帰るぞ!」
「ちょ、ちょっと、アウリス! まだ手羽先残ってますよ!」
どうやら、酒が入るとどうにも手が付けられないらしい。が、マンテュマー大尉は手慣れたものだ。この態度が急変した相手を、軽くあしらっている。
で、しまいにはホテルまで、大尉の腕にしがみついたまま帰っていく。ちなみに、マンテュマー大尉によれば、カルヒネン准尉は飲んでいる間の記憶が全くないとのことだ。あれだけ暴れまわっておいて、一つも覚えていないとは……にわかには信じられないな。
一方のレティシアはといえば、酔うとフラフラになるタイプだ。そのおかげで僕とリーナで怪力魔女を抱えて、どうにかホテルにたどり着く。そのままスカーッと寝てしまうレティシア。その脇に、ユリシアも寄り添いつつ寝る。
「やれやれ、酒癖が悪いのが2人も出たな。こんなこと、珍しいのではないか?」
「そうじゃな。妾はさすがに今は飲めぬからダメじゃが、ビールごときでこれほどまでだらしない態度にはならぬぞ」
リーナとマツも呆れ顔だ。いや、それ以上にあのカルヒネン准尉という軍人の変わりようには、さすがの僕も驚いた。
「やれやれ、レティシアがこのざまで、マツは妊婦だからな、そうなると……」
「おい、まさかお前、今夜は私だけで相手をしろというのか!?」
僕がリーナをじーっと見つめていると、ややうんざりした顔でこちらを見るリーナ。もっとも、さすがはかつて兵を率いて魔剣を握り、魔物らとの戦いを潜り抜けた歴戦の勇者だ。なんやかんやと、僕の相手をしてくれる。
そういえば、カルヒネン准尉は砲長のマンテュマー大尉と共にホテルに向かっていったな。夫婦ではないと言っていたが、あの二人は今ごろ、何をしている?
◇◇◇
目が覚める。ふと、時計を見る。あれ、私は確か、あの手羽先とかいう料理を食べて、金色のビールを飲んでいたはずなのだが……いつの間にか、ふんわりとした柔らかな布団の上、服も着ないで全裸のまま、寝かされていた。
やはりというか、当然のように砲長が隣にいる。部屋は真っ暗だ。明かりをつけない限り、ここはずっと暗いままの場所だ。窓がないからな。いや、あったところで、真っ暗な空間の只中だったな、ここは。
にしても、昨日――といっても、今が昼か夜かも分からないが――は衝撃的だった。4階層からなる、高さ150メルテ、400メルテ四方の街に、およそ2万人の住人と、ヤブミ提督率いる第8艦隊1000隻もの艦艇で、ここに補給に訪れた乗員らで昼夜を問わずあふれている。
飲食、書籍、服、そして見たことのない機械を売る店……それだけならばともかく、中には物を売らない店もある。画面越しに娯楽を提供する店に熱中する人々もいる。なんなのだ、あの街は。
「なんだ、起きていたのか」
パチッと音がして、明かりが点く。私はさっと大事なところを計算尺で隠しつつ、砲長に尋ねる。
「一つ、お聞きしてよろしいでしょうか?」
「ああ、構わない」
「やはり、私はやらかしていたのでしょうか?」
「いつもよりは、やらかしてない方じゃないか」
うーん、記憶にないから、いつもがどれくらいなのかもわからないし、当然、昨日も何をしたのかを全く覚えていない。どうして私は、これほどお酒に弱いんだ?
「ところで砲長、ここはどこなのでしょう?」
「あの街の壁際がホテルになっていて、そのホテルの一室にいる」
そういえばそうだった。この大型艦の艦橋から長いエレベーターがあって、そこからまず最初に降り立った場所がそのホテルのロビーだった。その反対側には、ガラス越しに街が広がっている。
「そういえば、この街で使えるお金、というやつをいただいた。1万ユニバーサルドルあると言っていたが、どれくらいの価値なのかは皆目、見当もつかない」
「あの……どう見てもただの板切れにしか見えないのですが」
「そんなことはない。これを店で当ててやれば、中に記録された金額が引かれていく、そういう仕組みのものらしい」
「えっ、そうなんですか?」
「試しに、もらったスマホとやらにかざすと、この通りだ」
そのスマホに板切れをかざすと、ピッと音がして、確かに数値が表示される。そこには1万という数が書かれている。本当にこの中に、お金が記録されているようだ。ラハナルト先生が使っていた磁気テープの、もっと発展したものなのだろうか?
と、そこでこのユニバーサルドルというお金の価値が気になる。
「そういえば、あのお店でのエールビールや手羽先とかいう肉は、いくらくらいなのですか?」
「あれが30本、一皿でだいたい36ユニバーサルドル、ビールは一杯で3ドルだと言っていたな」
「と、いうことは、うちで言えばトナカイ肉のソテー一皿分と同じだと考えて、それがだいたい24クロナーレで、さらにエールが一杯1クロナーレだから……」
計算尺を使うまでもない。この2つの金額から導かれるのは、おおよそ2ユニバーサルドルで1クロナーレ、ということだ。
つまり今、砲長の手元にあるのは5000クロナーレということになる。
これは中佐か大佐級の月収に相当する。それだけの金額を、ポンと渡されたということか。
「ちょ、ちょっと、数日滞在するには、結構な金額ではありませんか?」
「まあ、そうだろうな。ともかくユリシーナ、俺は腹が減った。これから街に出て何か食べに行かないか?」
と、そう砲長がおっしゃるので、私は軍服を着てついていく。
「にしても、何が売られてるのか分からん店ばかりだな」
「文字がまだ、読めませんからね」
「読めたところで、内容が理解できるものとは限らない。うーん、どうしたものか……おい、あそこならば、どうか?」
「なんというか、喫茶風の店ですね」
「あそこにしよう」
「えっ、朝から喫茶ですか?」
「なんだ、おかしいか?」
「いえ、おかしいというわけではないですが。朝食を食べに来たんですよね?」
まあとりあえず、我々はその店に入る。すると、何やら得体のしれない食べ物の写真ばかりが見える。
「……よく、分からんな。とりあえず、コーヒーを頼むか」
と、砲長が言うので、私も同意する。正直、昨日たくさん食べ過ぎて、それほどおなかが減っているというわけでもない。まずは眠気覚ましをしてから、と考えた。
が、二人ともコーヒーだけを注文したというのに、なぜかパンと卵が出てきた。
「あの、我々はコーヒーだけを注文したはずですが」
「今はちょうど、モーニングの時間帯なのです。ですから、トーストとゆで卵が付きます。では、ごゆっくり」
なんだって? そのモーニングというのがよくわからない言葉だが、ともかくある時間帯では、コーヒーだけを注文したら、それとは別に焼いたパンとゆでた卵が出てくるのだという。信じられない仕組みだ。
しかもこのパン、表面がこんがりと焼けていて、とても美味い。一緒についてきたバターを塗って食べるとなおよい。ゆで卵も、殻を割ってそばに置かれた塩をつけて食べると、実に歯ごたえのある食感に塩味がよく合う。
しかし、これが宇宙の常識なのだろうか? それとも、この戦艦オオスというところだけの独自の文化なのだろうか? 昨日のあの手羽先という食べ物といい、イーサルミ王国ではまずみられない食習慣だ。
◇◇◇
「なんだって、それは本当か!」
「はっ、マリカ少佐からの、緊急連絡です! すぐに射撃場横の研究施設へ来てくださいとのことです!」
通信士が僕に、マリカ少佐からの連絡を伝えてきた。僕は慌ててその研究施設へと向かうことにする。
「なんだよカズキ、何かあったのか?」
「あったから行くんだ」
「なんだと!? とんでもないことでも起きたのではあるまいな!?」
「妾も気になるのじゃ」
レティシアにリーナ、マツまでついてこようとする。この3人も気になるらしい。が、あまりにも危険すぎると判断し、この3人は置いていくことにした。
マリカ少佐からの連絡とは、次のようなものであった。
あの冷凍装置にいた獣人だが、解凍に成功し、目を覚ましたというのだ。




