#86 狂戦
「で、フレドリカさん。私がどうやって、この怪異の製造元と、折り合いをつけろというんですか?」
「相変わらず、トゲトゲしてるのね、マリー。それじゃあ恋人なんてできないわよ」
「余計なお世話です!」
なかなか煽るな、この奥さん。でもかつて共に戦った間柄のためか、マリーの性格を心得ているとみえる。
いや、そんなことよりもだ、どうしてこの人は怪異課の警官に嫁いだのか? 僕はそっちの方が気になって仕方がない。
「あの、ちょっとお聞きしてもよろしいですか?」
「はい、閣下。なんなりと」
「お二人は、どういう経緯でご夫婦に?」
「それは決まってるでしょう。だってこの人、魔法少女好きが高じて怪異課にやってきたんだから、最初から魔法少女が狙いだったの。で、特に私に惚れ込んじゃってね」
「おい、なんだって! その話、もうちょっと詳しく聞かせろや!」
あれ、レティシアがこのタイミングで出しゃばってきたぞ。なんでそういう話には首を突っ込むのかなぁ。
「……でね、その時の戦いの後、そのまま私はお持ち帰りされて、それから一晩を過ごしちゃったのが決め手かな」
「へぇ、やるじゃねえか、この警官。カズキといい勝負だなぁ、おい」
なんだ、やっぱり職権濫用だった。赤面する巡査部長殿が、妙に新鮮に映る。
「って、そういうあなたはもしかして、閣下の奥さんの一人の、魔女さんなの?」
「おうよ、俺はカズキの一番目で、レティシアってんだ。で、あそこで大量のピザ食ってるのが2人目のリーナ、俺の隣にいるこの赤い着物を着てるのが、3人目のマツだ」
「うわぁ、3人目、めちゃ可愛いっ! ねえイデオン、これ、持ち帰っちゃダメ?」
「ダメに決まってるだろう」
「にしても、面白いわねぇ。私のことよりも、少将閣下の3人の奥さんの話の方がよっぽど興味あるわ」
何を盛り上がってるのか。いきなり現れた元・魔法少女に頬擦りされて、マツも迷惑そうだ。
「おっと、危うく目的を忘れるところだったわ。マリーね、マリーをなんとかするんだったわ」
大丈夫かな、この人。明るくノリやすい性格で、マリーとは正反対だ。で、マリーに向かって説教でも始めるのかと思いきや、フレドリカさんは想定外の行動に出る。
「ぐえっ!」
いきなり、宙に浮かぶロプトスの両耳を鷲掴みしたかと思うと、それをマリーの前に突き出す。
「な、何を?」
あのマリーが困惑している。そんなマリーに向かって、いきなりこう言い放つ。
「一発殴りなさい」
「えっ?」
「いいから!」
言われるがまま、マリーは拳を握り締め、ロプトスの顔面に一撃、喰らわせる。
「ごふっ!」
顔の形が変わるほどの一撃を喰らったロプトスは、そのまま食堂のテーブルの上の載せられ、身体をヒクヒクさせて失神している。えげつない仕置きの後、フレドリカさんはこう告げる。
「はい、これでもう、許してあげなさい」
それを聞いたマリーは、テーブルを叩いて激怒する。
「ちょっと! いくらフレドリカさんの言葉でも、聞けません!」
「どうして?」
「どうしてって……だって、エイラもレーアも、怪異と戦って殺されたんですよ! なんでその原因であるこいつを、許せるんですか!」
「じゃあ聞くけど、こいつを一生許さなかったら、エイラもレーアも生き返るっていうの?」
「それは……」
「でしょう? それに、誰が創ったにせよ、怪異を倒すことは結果として平穏につながり、誰かの命が助かってるはずなのよ。それを知れば、天国にいるエイラやレーアだって、きっと納得すると思うわ」
「その話、瘴気が人を戦争に駆り立ててるって話だって、どこまで本当かなんて分からないじゃないですか!」
「そうかしら? でっち上げにしてはちょっと、できが悪い話ね。それに実際、20年前にはたくさんの人が死んだわよ。たった一発の銃弾が飛んできたかどうかという、ほんの些細な武力衝突をきっかけに始まった、何の目的もない戦争。なのに、瞬く間に世界中に飛び火した。しかもたった1年の戦争だったのに、まるで皆、狂ったように殺りくを繰り返した。その結果、全人口の10パーセントほどが亡くなったと言われるほどの未曾有の被害が生じたのよ。そんな戦争が始まって一年経った途端、急にみんな我に返ったように厭戦ムードになり、何も得るもののないまま、なし崩し的に終結した。異常な戦いだったわ。あれを瘴気のせいと言わずして、何だというのかしら?」
どうやらこの人は、ぎりぎり戦争を経験している世代なのだろうな。20年前ならば子供だったかもしれないが、直に経験しているからこその異常さを痛感しているようだ。今の話だけを聞けば、僕でさえもその異常さを感じる。
「それに、今は核兵器なんていう物騒なものまである時代よ。今度あれと同じ規模の戦争が起こったら、確実に人類滅亡ね。そう考えたら魔法少女の果たす役目って、想像以上に大きなものなのよねぇ」
なんて具合に、恐ろしいことをさらりと口走る元・魔法少女。熱核兵器なんてものが実戦化されているのか、この星は。
「だけど、あの大きな怪異をやっつけたことで、瘴気の大半を消滅できたんですってね」
「ええ、まあ」
「なら、この先は安泰よ。当面は戦争の心配なんて、しなくていいのだから」
と、フレドリカさんは随分と楽観的なことを言い出す。そうかな、我々の世界には瘴気などないが、絶えず戦争状態だ。もっとも、いきなり狂気じみた攻撃を加えるようなことはしないから、そういう意味では「正常」なのかもしれない。
が、瘴気ってそれほどまでに理性を失わせる存在なのか? にわかには信じ難い。現にマリーはまだ、使い魔のことを疑っている様子だ。怒りが収まらないのか、テーブルの上で痙攣したまま意識を失っているロプトスの肉球を、指で弾いている。
に、してもだ。瘴気が宇宙から来ているという話が本当だとして、それは一体誰が、何のためにそんなことをしているのだろうか。
いや、それ以上の疑問が、僕の脳裏を掠める。
そもそも、あの白い艦隊はこの星の、何が守りたかったのだろうか? この星の怪異と魔法少女という存在を知れば知るほど、かえってその理由に矛盾が生じる。
白い艦隊が地球1050星系を死守した後に、その理由としてマリカ少佐が立てた仮説がある。それは「人類の存続」のため、というものであった。
人類が生き延びるために、変わった思想を植え付けることによって、その生存確率を上げようとした。それがあの時、マリカ少佐が唱えた仮説である。
が、この星で行われていることは、生存確率を上げるどころか、下げる一方じゃないか。
瘴気というものが本当に人を狂わせる危険要素であるならば、それは生存どころか、元・魔法少女が今述べた通り、人類滅亡に繋がりかねない要素となりうる。
まったくもって、逆だ。
むしろ白い艦隊は、死に向かって瀕している星を守ろうとしていた、ということになってしまうぞ。この矛盾、どう解釈すればいいんだ。
『提督! 大変です、大至急、艦橋へいらしてください!』
僕がこの矛盾点の真意を見出せない中、急に呼び出しがかかる。慌てて僕は、艦橋へと向かう。
が、変だな。もう怪異は発生しないはずだ。現にそれの生みの親である使い魔は今、テーブルの上で気絶している。何が起きたというのか?
「ヴァルモーテン少佐、何が起こった?」
「大変です、提督! 隣国より、飛翔体を多数感知!」
「えっ、飛翔体!?」
「かつて地球001の旧世紀に存在した、大陸間弾道ミサイルとほぼ同等の性能のものが発射された模様! 数、24(ふたじゅうよん)、高度200! ロフテッド軌道を描きつつ、こちらに向かいつつあるとのことです! 着弾予想時間、65分後!」
僕はこの報告に、耳を疑う。それってつまり、予告なしに隣国が戦争をしかけてきたようなものじゃないか。しかも、この星にはすでに熱核兵器が存在すると言っていた。ということはあれは……この異常事態に僕は、すぐさま動く。
「このウィスビー上空に展開する戦隊は!?」
「はっ! エルナンデス隊200隻!」
「エルナンデス准将に連絡! 直ちに飛翔体を迎撃せよ、と」
「はっ!」
あれが核弾頭であるとは限らないが、可能性は排除できない。そもそも、こちらに撃ってくる時点で正気ではない。狂気じみたあの所業に、僕はさっきのフレドリカさんの話を思い出す。
もしかしてあれは、瘴気の仕業か?
だが、おかしい。瘴気はむしろ、我々と魔法少女らによって消滅させられたはずだ。にもかかわらず、なぜ急にこんなことが起こる。
「何が、起きているの!?」
艦橋には、マリーを始め3人の魔法少女らがやってくる。いや、それどころかオースブリンク巡査部長にその奥さん、そして少し遅れて、ダールストレーム少尉もやってきた。
「大変です、ヤブミ少将閣下! シャイナ合同王国から、弾道弾の発射を確認しました!」
「こちらでも捉えている。今、迎撃体制に入った。ところで少尉」
「はっ!」
「隣国から何か、宣戦布告などは?」
「いえ、何も。何の前触れもなく、いきなりの攻撃開始です。軍も今、総力を上げて事実関係を確認中です」
宣戦布告なしの攻撃か。ますますきな臭い。しかし、きっかけとなることはないはずだ。そんな兆候があれば、我々が捉えている。
それゆえに、この軍事行動はあまりにも唐突すぎる。
これを説明できるのは、あの瘴気だけだ。
「そんな馬鹿な! 瘴気は昨日、ほとんど消えたはずだよ!」
そこに遅れて、あの使い魔がやってきた。意識を取り戻したようだが、この事態を瘴気の仕業だと断定している節がある。
「ロプトス、これは一体、どういうことか?」
「ボクにもわからないよ。だってボクは確かに瘴気をかき集めて怪異を創り出し、全部消し去ったと思ってたんだよ」
「見逃しただけじゃないのか?」
「そんなはずないよ。でも、ありうるとしたら、一つだけだよ」
「なんだ、その一つとは」
「一気に大量の瘴気が送られてきた。それもこの地球上の、どこか一箇所に」
物騒なことを言い出した使い魔だが、あり得ない話ではない。が、それはつまり、瘴気を送り込む相手には何らかの意思があることを示している。
まさか、白い艦隊か?
いや、そんなものがいたら、我々が捕捉しているはずだ。しかし、5つの戦隊をつかって探索しているのに、現れる気配すらない。
いや、そんなことよりだ、今は目の前に迫る脅威を取り除かなくてはならない。
「0001号艦、直ちに発進せよ。弾道ミサイルの迎撃に備える」
「はっ!」
一応、主砲を大気圏内で発射することは厳禁とされている。エルナンデス隊も、弾道弾が頂点に達して落下に転じる前の、大気圏外を飛翔している間に迎撃するよう伝達している。が、もしかしたら撃ち漏らしがあるかも知れない。
それに備えて、僕はこの旗艦を動かすことにした。
「高度37000! まもなく、規定高度!」
緊急発進により、通常とは異なり機関出力を上げての上昇を行う。あっというまに高度は3万を超え、大気圏離脱時の規定高度である4万メートル近くに達しつつあった。
「エルナンデス隊より通信! 飛翔体に対し砲撃を敢行、全弾を消滅! 以上です!」
さすがはエルナンデス准将だ。普段は大口を叩いているだけに、こういう時はきっちり仕事をしてくれる。
「レーダー圏内に、飛翔体などは?」
「はっ! 現在のところ、新たな飛翔体はありません」
「了解、監視を続けよ」
幸いにも、大事になる前にことなきを得た。あれがもし一発でもこちらに当たっていたら、大変な被害が生じていた。
それだけには止まらないだろう。報復が報復を呼ぶ、とんでもない事態が連鎖的に発生する可能性だってあった。そうなれば間違いなく人類の滅亡だ。それらは未然に防がれた。
と、思うのだが、なぜか僕は、さっきから胸騒ぎが止まらない。
ふと、僕の横の司令官席にはマツが座っている。そのマツが、僕の袖を引っ張る。
「どうした、マツ」
「カズキ殿、何か来るぞ! 正面に備えよ!」
これを聞いて、ハッとする。マツが何かを捉えた。それはつまり、なんらかの不意打ちだ。
「指向性レーダー、照射!」
「はっ! 指向性レーダー、照射!」
僕はレーダー士に命じて、特殊なレーダーを作動させる。理由はわからないが、何か捉えられないものが迫っている。そう直感した僕は、探索性と分解能を高めた指向性レーダーの照射を命じる。
そしてそれは、物体を捉える。
「前方より飛翔体! 単発、速力は毎秒4000! 急速接近中、接触まであと10秒!」
なんだって、あと10秒!? 想像以上に時間がない。ジラティワット艦長が命じる。
「バリア展開、急げ!」
主砲を装填する暇はない、ならば、こちらの防御兵器であれを受け止めるしか方法はない。そう思ったジラティワット艦長は、艦を飛翔体へと向けた。
「だんちゃーく、今!」
間髪入れずに、その飛翔体は到達する。観測員の弾着の号令と同時に、猛烈な轟音と、真っ白な炎がこの艦を襲う。周囲が、真っ白に染まる。
紛れもなくこれは熱核兵器だ。だが、高エネルギービーム粒子ですらも弾き返すバリアシステムを前に、その爆発は全て塞がれてしまう。幸いこの程度の攻撃では、この艦は無傷だ。
だが僕は同時に、背筋が凍る。
もしもマツが例の御守りでこれを感知しなかったら、どうなっていたのか? おそらくはウィスビー市を狙って放たれたこのミサイルによる被害は、数万人どころでは済まなかっただろう。
「熱核兵器、消滅! 被害なし!」
どうにか上空で食い止めた熱核兵器だが、その想定被害の大きさに、今ごろになって僕は手が震え始める。
それ以上に僕は、瘴気というものの恐ろしさを目の当たりにした。
「くそっ、一体どこから瘴気が飛んできたというんだ?」
ロプトスが正しければ、まとまった瘴気が隣国に放たれて、その結果、狂気に満ちた戦いの火蓋が切られたことになる。が、その素を辿らなければ、再び同じ事態を引き起こすことになりかねない。
この見えない戦いに戦慄を覚えている時に、僕に通信が入る。
「提督、メルシエ准将より通信です」
未曾有の事態を未然に防いでいる最中に、今度はメルシエ准将からの通信が入る。何事だ、こんな時に。
「メルシエ准将に返信せよ、今、それどころではないと」
「いえ提督、直接通信が入っております。大至急、連絡したいとのことです」
なんだ、白い艦隊でも現れたか? そう思った僕は、通信機へと向かう。
「ヤブミ少将だ」
目の前には、メルシエ准将が敬礼している。僕は返礼で応えつつ、少し不機嫌な声をあげる。
が、そんなメルシエ准将から、思わぬ知らせがもたらされる。
『提督、つい先ほど、ここ星系外縁部から地球1051方向に向かって、大量のエネルギー体が放射されたのを確認いたしました』
メルシエ准将からのこの報告に、僕の中で何かがつながったように感じた。