#7 風前灯
「申し上げます! 二代様、およびカナダ殿、討死!」
伝令の兵がこの本丸にもたらしたものは、すでに覚悟は決めていたものの、我が城の希望の終わりを知らしめる一言であった。すでに外堀はなく、内堀の傍までトクナガ軍は押し寄せている。それを打開すべく、闇夜に乗じて外曲輪より張り出したカナダ丸より繰り出した、乾坤一擲のトクナガ本陣への突撃。そこに我が父上も参戦していた。
野戦の猛虎と恐れられたカナダ殿をもってしても、あの本陣を破れなかったということか。いや、それよりも、父上が……暫し家臣も妾も、声が出ない。
が、どうにか妾は声を絞り出し、この兵に尋ねる。
「し……して、カナダ殿と父上は、どこまで攻め入ったのであるか……」
「はっ! カナダ殿と赤揃えの騎馬軍団が、蜂矢陣にて突撃、二十一の縦深陣を敷くトクナガ本陣まであと二陣というところまで迫ったものの、そこに待ち伏せた鉄砲隊の一斉射撃に阻まれ、ついに突撃の勢いが停止、四方を大軍に囲まれ、壊滅したのでございます」
「そうか……で、父上はその鉄砲の弾に斃れたと?」
「いえ、包囲下にありながら名刀ナガマサを奮い、多くの敵兵を薙ぎ倒してございます。が、最期には槍兵に囲まれ……」
それ以上は、この兵も言葉にするには耐え難きものであったようだ。そんな包囲下より、よく無事に父上の最期を知らせるためここに辿り着けたものだ。いや、もしかするとこれは、我らの士気を下げるべくトクナガめが謀り、父上の死を知らせるただ一人のみをわざと逃したのではなかろうか?
が、ここにきて、妾は決する。城内に残る1500の手勢を以て、トヨツギ家最期の戦いを指揮する、と。
と、そこに、さらに報がもたらされる。
「申し上げます! 三の丸門に、敵兵が進軍中! 旗印は、六角に桔梗の花! イデ軍と思われます!」
「イデ軍とは……たしか、2万の大軍ではないか!」
「はっ! すでに外堀跡を越え、守備兵と交戦の模様!」
これを聞いて妾は決する。
妾の死に場所は、まさにその三の丸門に定まった、と。
「皆の者! もはや我がトヨツギ家はこれまでであろう! だが、このままトクナガの天下を許すつもりなど毛頭ござらん! 我ら最期の一兵まで奮戦し、後世まで語り継がれる戦さでこのトヨツギ家の名を永遠たらしめるのじゃ!」
「おおーっ!」
ここ本丸に集いし兵士たちは、妾のこの言葉を聞いて大いに鼓舞する。妾は立ち上がり、そして腰帯に脇差を、そして手には薙刀を持つ。長くたなびく髪を後ろで結び、着物にたすきを掛ける。
「出陣じゃ! 城内に残る兵達に知らせよ! 妾、トヨツギ家最期の血筋、マツが出陣すると!」
本丸を出ると、すでに火の手が上がっておる。あれは三の丸の方向、やつらめ、火を放ったのか?
いや、あそこはそう簡単には落ちることはない。先代様が作り上げたこの難攻不落のこのオオヤマ城で、もっとも堅固と言われる三の丸門、そのすぐ脇にあるのは、この本丸まで続く唯一の道。
広く深い内堀に囲まれた廓と外を繋ぐのは、三の丸門にかかる橋のみ。その橋の先には分厚い鉄の門、それを囲むように枡形の虎口が設けられており、たとえ門を突破されても潜入する敵兵を周囲の隅櫓から一斉射撃でその進撃を阻む。
その手前の橋も大きく傾斜しており、敵兵の進みを鈍らせる。そこを三の丸、そして周囲の城郭、矢倉より弓矢と鉄砲により狙い撃つ。門にたどり着くことすら叶わぬであろう。
だが、敵はその三の丸に2万の大軍を差し向ける。ここより攻め入る道はないとは言え、あまりの愚策。兵の屍を並べるだけのことぞ。
いや、トクナガはかつて先代より四大老の一人として仕えた者、このオオヤマの城の堅固さは重々承知のこと。それを知りながら攻め入るとは、何か策があると申すか?
そもそもトクナガもやつめ、大老にまで取り立てた先代の恩を忘れて我がトヨツギ家を裏切り、天下を乗っ取ろうなどとは言語道断。挙句に二代の父上までを亡き者にし、そして今、この城をも落とそうとしておる。なんたる悪逆人か。
いずれにせよ、我がトヨツギがこの劣勢を挽回することはもはや叶わぬ。なれば、無数の屍の山をこの三の丸の前に築き上げ、先代と父上への弔いとする。これが妾の、最期のお役目じゃ。
「姫様! ここは危のうございます! 天守にお引きくだされ!」
薙刀を手に三の丸に向かう妾を、カツモトが引き止める。
「カツモトか。だがすでに妾は討ち死を覚悟しての出陣じゃ。止めるでない」
「そうはまいりませぬ! ここで姫様を敵の刃にかけたとあっては、亡き先代様に顔向けできませぬ!」
「そうは言ってもカツモトよ、三の丸を突破されれば、この城はどうなるのじゃ?」
妾のこの一言に、カツモトは言葉を失う。この先には天守、本丸を守る城郭と二の丸があるが、三の丸ほどの堅固さはない。2万の大軍が押し寄せれば、たちまちのうちに攻め落とされるであろう。
「……このまま、天守の奥に留まり死に怯え滅びを待つよりは、撃って華々しく散る方が本望じゃ。このマツの最期のわがままを、聞いてはもらえぬか?」
三の丸の方からは、鬨の声が上がる。あれはイデ軍2万の兵士らの声であろう。いよいよ最期の戦さが始まったことをそれは知らしめてくれる。いよいよ死期迫る最期の戦さの最中、カツモトは妾をしばらく見つめた後、こう応える。
「……分かりました、姫様。ならばカツモトめは、姫様の死出の旅路のお供を仕りましょうぞ」
「良いのか? 妾の向かう先はおそらく、無限地獄ぞ」
「構いませぬ。先に先代様、二代様がそこに向かわれておるゆえ、すでにそこはトヨツギの天下であろうと存じます。姫様と私も馳せ参じ、いずれ遅れて参上するであろうあの忘恩のトクナガめを地獄の入り口、賽の河原にて迎え撃とうではございませぬか」
なんと罰当たりなことを申すか、この漢は。先代も父上も、地獄で待っておるなどと憚ることなく妾にそう告げる。いや、それはその通りであろう。先代が天下一統を果たすために流された血は、此度の戦さの比ではないからな。
「ならば行くぞ、カツモト。地獄の旅路の始まりじゃ」
「ははーっ!」
悠々と妾はカツモトと数人の手勢を連れ、三の丸へと向かう。二の丸が守る廓をくぐり、火の手を目印に妾達は歩みを進める。
三の丸にたどり着くと、そこはまさに地獄絵図であった。すでに三の丸は炎に覆われ、鉄砲の撃ち合いで大勢の兵達が血まみれになって倒れている。
妾は、城郭に開けられた鉄砲狭間より覗き見る。三の丸門の前の堀を跨ぐ坂道には、こちら側よりも多くの兵の屍が斃れておる。堀の向こうでは木板の盾を並べ、その隙間よりこちらに鉄砲を撃ちかける。時折、その隊列をくぐって突撃するトクナガの兵達。だが、鉄砲狭間から撃ち込まれる鉄砲により、その突撃は阻まれる。屍が、増えるばかりだ。
力押しでどうにかなる城ではない。足の踏み場もないほどの物言わぬ兵達の屍により、かえって自らの進軍を阻むことになるのではないか? イデ殿はトクナガ第一の譜代家臣で、歴戦の強者、戦上手と聞くが、なんという無残な戦いを挑まれるのか?
そう、妾は思っておった。が、すぐにこれが我らの目をあるものから逸らすための策略であったことに気づく。
突如、鉄砲隊を守る木板の盾が、バラバラと脇に寄る。何事かと、妾やカツモト、そして廓を守る兵達がその動きに目を移す。
そこに鉄砲隊はおらぬ。現れたのは、なんと2門の大砲であった。
五貫の弾を撃ち出し、城郭の壁すらも一撃の元に崩すと言われるあの攻城武具を、この三の丸門の前に引っ張り出してきた。
そしてその大砲の傍らに立つ侍大将らしき武人が、采配を振る。赤く燃える松明が、その大砲の尾栓に差し込まれる。
その直後、その大砲が火を噴いた。
猛烈な轟音と共に、辺りを粉塵が覆う。枡形虎口の一つ目の壁を吹き飛ばし、その奥のこの廓の壁までその暴風が押し寄せる。妾はその風に煽られ、地面に叩きつけられる。立て続けにもう一発、砲声が轟く。二枚目の壁も破られ、その衝撃で一瞬、妾の意識は途切れる。
このままこの世に別れを告げるかと思いきや、妾は目覚める。朦朧とする頭を持ち上げて辺りを見れば、壮絶たる光景がそこに広がっておった。
血まみれの兵達、崩れた漆喰の壁、燃える炎。その奥にあったはずの城門はどこかに消え失せ、槍を構えた敵兵らが橋を登ってくる。
数丁の鉄砲が、その槍兵隊に注がれるが、すでに多勢に無勢、押し寄せる無数の兵士を前に、焼けた石に注がれる朝露の如し、その黒き鎧の集団を足止めすることなど叶わない。
妾は立ち上がり、これに最期の戦いを挑もうと薙刀を構えて……いや、手元には薙刀はない。先ほどの暴風で、妾の武器は吹き飛ばされてしまったようだ。そこで妾は帯に携えた脇差しを取り出し、その鞘を抜く。
もはやこれまで、か。
妾は覚悟し、その刃を喉元に向ける。
まさにそれを喉元に刺そうとした瞬間、妾と敵の槍兵らの間に、一筋の稲妻が閃く。
ガガーンという稲妻音と蒼い閃光で、妾は再び吹き飛ばされる。その衝動で、最後に残された短刀すらも失う。
「ひ、姫様!」
そこに、額から血を流した武将が駆け寄る。一瞬、誰かと思うが、それはカツモトであった。
「カツモト! これは、何事か!?」
駆け寄るカツモトに問うが、特にカツモトは何を返すことなく、その刀を抜いて妾を庇う。稲妻の落ちた場所には大きな穴が空いておるが、その穴を避けるように敵兵らがこちらに向かって橋を登ってくる。
天佑かと思われた稲妻であったが、たった一発では敵の進撃を止めることはできなんだ。再びの敵兵の進撃に、カツモトと数人の生き残りらが、妾の前に立つ。そして刀を構える。
が、妾の目の前に、さらなるものが現れる。
それはまるで、天女の如く舞い降りる。いや、天女と呼ぶにはあまりに無骨で大きい。が、鬼と呼ぶには、角はない。十七尺を超えるこの城郭と同じくらいの高さのこの鋼の鎧に身を固めたそれは、未見の化物としか言い表せぬ代物であった。
そんなものが、妾達と敵兵との間に舞い降りる。ズシーンという音と地揺れが、妾らを襲う。
なんじゃこやつは? 妾は突如現れたこの得体の知れぬ化物を前に、ただただ唖然とするほかない。それは、敵兵も同じである。
その鋼の鎧を纏った化物は、右腕を内堀に向ける。と、再びあの稲妻音が響く。
だが、それは空からではない。あの右腕から放たれた蒼い閃光、その光は内堀に張られた水面に落ち、そこから猛烈な水飛沫と湯気が吹き上がる。
「うわーっ!」
その音と飛沫に慄いた敵兵らが、慌てて橋を引き返す。その兵らが橋を降り切ったのを見届けた敵の侍大将が、再び采配を振る。
まさか、あれをまた放つのか? そう思った刹那、黒い大砲が火を噴く。
つんざくような轟音に猛烈な暴風が、再び妾達を襲う。だがあの砲は化物目掛けて放たれた。その化物が風除けとなったおかげか、先ほどよりはその風は弱い。舞い上がる粉塵により、化物の姿が消える。
あの化物の正体は分からぬ。が、あの城郭すら一撃で吹き飛ばすほどの大砲をまともに喰らえば、無事ではいられまい。何のためにここに現れたのかは分からぬ化け物だが、あの大砲の前でこのオオヤマの城の粉塵の内に消えてしまった。
……と、妾はそう思っていたが、なんとその化物は再び姿を現す。
その姿を見て、敵兵らも驚愕の声を発している。なんとあの化物、傷ひとつ負っておらぬ。黒光りするその鎧を揺らしながら、敵兵へと近づく。大砲の一撃を合図に再び突撃した槍隊は、想像を超えたこの化物の堅固さに慄き、槍を構えてその場に止まる。
長槍の何本かが、その化物を突くが、カンカンと音を立ててまるで貫ける気配がない。それはそうだろう。あの大砲の弾ですら貫けぬのだ、槍如きが通じる相手ではないだろう。その突かれた槍に腹を立てたのか、その化物は突如、左腕を上に挙げた。
何が、始まるのか? 妾は化物の左手を見る。が、持っていたのは刀や槍ではなく、どう見てもそれは「扇子」であった。
扇子片手のその化物が、奇妙な声を上げる。
『人間、五十年〜!』
その扇子を前に掲げつつ、一歩踏み出すその化物。敵の兵士らはその奇妙な声と動きに、ジリジリと後退りを始める。が、この化物めの左腕は、今度は横に開く。
『化天の内を比ぶれば〜、夢幻の如くなり〜』
再び足を踏み出し、ズシーンと音を響かせる化物。その奇妙な音に慄いた敵兵は、慌てて橋を下る。それを見て、妾は思う。
まさかとは思うが、これはもしや何かの「舞」ではないのか? しかし、なぜこのような凄惨な戰さ場の只中で、舞など舞うのか?
『一度生を享け〜、滅せぬものの、あるべきか〜!』
奇妙な舞は、敵兵が橋を降り切ってからも続く。妾も敵も、何の前触れもなく現れた化物の舞を、ただただ見守るほかなかった。
が、舞を終えたと思われるその化物は、今度はその橋に右腕を向ける。そして、あの稲妻を放つ。
猛烈な稲妻音と粉塵が舞い上がる。堀の向こう側にいるはずの敵の姿が見えなくなる。目の前には、三の丸を焦がす赤い炎が照らしている粉塵のみが見える。
が、やがて粉塵は消え、あの化物も、敵の姿も見えてくる。だが、この城郭へと続くあの橋だけは、すでにそこにはなかった。
あの化物が放った青白い閃光が、橋を吹き飛ばしてしまった。後にはその橋の石垣の跡と、そこに流れ込んだ内堀の水が見えるだけであった。
◇◇◇
『こちらテバサキ、橋脚の破壊に成功。犠牲者なし』
「0001号艦よりテバサキ、了解、こちらでも確認した」
『テバサキより0001号艦、この機の後方に、この城の兵士らと思われる集団を視認。接触を試みることも可能ですが、いかが致しましょう?』
「ヤブミだ。そうだな、いきなり目前でビームを放たれて、混乱しているかも知れないな。経緯説明だけでもしておきたい。接触できるか?」
『了解、やってみます。ところで提督』
「なんだ?」
『……先ほどのあの音楽とダンスですが、あれには何の意味があるのです?』
「いや、ノブナガ公が好んだ舞だということ以外は、僕にもよく分からない。雰囲気的に合うし、なんていうか、恐れ慄いて退避してくれるんじゃないかと思っただけだ」
『はぁ、そうですか……ともかく、おっしゃる通り橋の上の兵は退散し、橋の破壊には成功、城外の兵の進入を阻むことに成功いたしました。ではこれよりテバサキは説得作戦へ移行、破壊された門周辺への増援、および消火班の派遣をお願いいたします』
デネット少佐機からの報告が入る。デネット機がいるのは、ちょうどあの炎のある辺りだろうな。その場所へ降下を続ける0001号艦。
「微速下降、高度600、デネット少佐のテバサキの信号を受信」
「了解、位置補正、前方20、左30!」
「デネット機付近へ、探照灯、照射を開始せよ!」
「了解、探照灯、照射!」
僕はモニターを見る。あの炎のみで照らされていた場所が、こちらのライトの光で照らされる。地上の戦況がどうなっているかはまだ掴めていないが、どうやら落城は免れたようだ。そのまま僕は、この艦の降下を続行する。
◇◇◇
あの化物が、振り返る。
どうやら今度は、こちらに矛先を向けるようだ。カツモトら6人の兵士が、妾を守るべく取り囲む。妾も構えようとするが、先ほどからの衝撃で、すでに手元に武器はない。
ズシン、ズシンと音を立てながら、こちらに歩み寄るあの奇妙な化物。太い脚に、黒光りする腕、首から上はなく、首の辺りから胴まで、びいどろのようなもので覆われている。
そんなものが、妾の前で止まる。カツモトは太刀を掲げ、その化物に向かって叫ぶ。
「な、なにやつか!? 名を名乗られよ!」
するとその化物の、透明なびいどろの覆いが上に開く。中には、丸く白い兜のようなものを被る人の姿がある。
その者は、白い兜を脱ぐ。そして妾達に向けて、こう言い放つ。
「小官は地球001、第8艦隊司令部付き陸戦隊所属の、デネット少佐と申します」
化物から現れたのは、聞いたこともない国号を語る兵士。ただの化物ではないと知った妾達は、笑顔で名を語るその人物の登場に、思わず言葉を失った。