#40 歴史
大阪城へ、やってきた。
別にオオスが、嫌になったわけではない。
マツが一度、ここを訪れたいと言っていたことを思い出したから、いい機会だと思い連れて行くことにした。ちょうどメイエキから直通の浮遊バスが出ていて、それに乗って30分ほどでオオサカに着く。そこからローカルバスを乗り継ぎ、この城にたどり着いた。
目の前には、絶壁のような石垣がそびえたつ。その上には、大きな天守閣が見える。
が、マツが今、手を合わせているのは、そのふもとにある小さな碑だ。
そこには旧字体で「豊臣秀頼 淀殿ら自刃の地」と書かれている。その下には花が添えられている。
自身も似たような境遇に置かれたことのあるマツだけに、その碑の意味するところを誰よりも感じ入っているはずだ。
『慶長20年、西暦1615年の大坂夏の陣で、徳川軍に追い詰められたトヨトミ ヒデヨリ公とその母ヨド殿が……』
脇に建てられた看板が、およそ880年前にこの場で起きた事件のあらましを、人工音声で語っている。それをじっと聞き入るマツ。
「なんでぇ、ヒデヨリってのは?」
「この城の主だったやつだよ。トクガワってやつに、この場で追い詰められて、自害したらしいぜ」
「へぇ、つまりは敗軍の将じゃねえか。そんなやつのためにわざわざ、こんな立派なもんを立ててるのかよ?」
「いやぁ……おめえ、この場でそういうこと、言わねえほうがいいぞ」
レティシアとミレイラが勝手なことを話しているが、レティシアの言う通り、この地でトヨトミ家のことを悪く言わない方がいい。900年ほど経ったとはいえ、この地でのトヨトミ家の人気度は依然として高い。現に、この碑の建てられた広場にいる人々のミレイラに投げかけられた視線が冷たい。
「おいマツ、いつまでここにいるんだ?」
あまりにこの場を動かないマツに、しびれを切らしたレティシアが声をかける。
「うむ、すまない。思わず見入ってしもうた」
「まあ、気持ちは分かるぜ」
「はぁ? おい魔女、てめえにどうしてこいつの気持ちが分かるんだよ」
「おめえだって、マツのこと聞いただろう……」
ここに来る途中の堀の前にあった出店で売られていたジャンボフランクを食べながら話すこの2人に、やや呆れ顔で視線を送るマツ。
「しかしなんだ、この城は立派だな。石垣の石が大きい。さぞかし名のある主が建てたのであろうな」
と、話すリーナの言葉には素直にうなずくマツだが、こう言っては何だがリーナの方が持っているジャンボフランクの数は多いぞ。近くにあるごみ箱を見つけるや、持っていた数本の串をごそっと捨てている。相変わらずよく食う。
「にしても、この天守もナゴヤ城に負けず、立派なものじゃな」
などと感心するマツだが、僕は答える。
「いやマツ、この天守閣は元々、こういう形ではなかったんだ」
「なんじゃと? ということは、ヒデヨリ殿、ヨド殿の城ではないと申すか」
「もっと正確に言えば、トヨトミ家の頃の天守閣は、あそこにあったらしい」
と、僕は城の前の広場の脇の方を指差す。
「うむむ、ではどうしてここに天守が?」
「ここを攻め落としたトクガワ家がその後、天下を取り、その際に再建された大坂城がここに天守閣を構えたんだ」
「ということは、今、ここにあるのはその後の支配者の建てた城と申すか?」
「いやぁ、ちょっとややこしいんだが……その天守閣自体はずっと昔に火災で焼けてしまい、その後、世が移り天守閣が再建されたんだけど、その際に当時のトヨトミ家由来のものに似た天守閣を建てたそうだ。だからこの天守閣は、厳密にはトヨトミ家のものでも、トクガワ家の時代のものでもない」
複雑な事情に、マツの理解が追い付いていない。が、マツはこう告げる。
「よく分からぬが、つまりはこの地に住む民は、そのトヨトミ家の時代の城を望んだ、そういうことなのじゃな?」
「うん、まあ、そういうことだ」
「ならば、先ほどの地で自刃し果てたヒデヨリ殿、ヨド殿も浮かばれたことであろうな」
再び目を閉じ、手を合わせるマツ。この城の話をした時から、ヒデヨリ公やヨド殿のことをしきりに調べていたからな。その地に触れてなお、2人の最期と自身の経験を重ねているようだ。
「辛気臭えやつだなぁ、おい。いつまでも、死んだやつのことばっかり考えてもしょうがねえだろう」
ずけずけと無神経な発言をマツに投げかけるのは、ミレイラだ。
「何を申すか、死んだ者といえど、この地をさまようておるかもしれぬではないか」
「だったらなおのことだ。死んだやつらは、この世だろうがあの世だろうが、安住の地と思うところに居座るんだよ。この世をさまよってるなら、そっとしておいてやるのが人情ってもんだぜ」
とミレイラは答えるが、妙なことを言う。この世をさまようやつが、安住しているって? いや、これはミレイラのいた星の死生観なのかもしれない。とはいえ、我々の感覚からすれば変なことを言うやつだ。
「そうだぜ、昔のことばかりこだわってねえで、何か食っていこうぜ」
「うむ、ここオオサカは食の街だと聞いたぞ。あそこに何やら石造りの建物が見えるが、きっとあそこには美味いものがあるのではないか?」
「なんじゃ、リーナ殿はこの街に、食い物にしか期待しておらぬのか?」
「そんなことはないぞ。ここの茶も美味い」
「なんだよリーナ、茶は飲み物だぞ。食い物と大差ないじゃねえか」
「おいレティシア、ここまで来たらまずは天守閣に入るんじゃないのか?」
「っせーな、ブイヤベース。リーナ姐様が食べ物を求めている時に、水を差すんじゃねえよ」
「そうだぜ、カズキ。天守閣なんてどうせ逃げるもんじゃねえし、あとでもいいだろう」
「しかしなぁ、さっきジャンボフランクを食べたばかりじゃ……」
「おお! カズキ殿、ここのうどんは安いぞ! なんと、たったの3ユニバーサルドルではないか!」
「金箔ソフトクリームまで売ってるぜ、まるでナゴヤ城とおんなじだなぁ、おい」
「しっかしなんだ、古臭え建物だなぁ。なんだ、この微妙な石造りの建物はよ」
皆、勝手なことばかり話しながら、天守閣から少し離れた場所にある石造りの建物に入る。リーナは食べ物に目が眩んでいるようだが、一方のユリシアはその手前の売店に置かれている大きなぬいぐるみに、そしてエルネスティはといえば、その奥に置かれた模造刀に興味を示しているのが分かる。
で、各々がそこで飲み食いし、ユリシアはぬいぐるみを買ってもらう。そしてリーナが買った模造刀に目を輝かせるエルネスティ。思うのだが、この息子、少し危なくないか?
そしてそのまま一行は、天守閣へと向かう。
「おお、カズキ殿! 馬上の武将や足軽らが大勢並んでおるぞ!」
天守閣に入り、その中にあるジオラマ風の展示物の出迎えを受ける。大坂夏の陣の合戦をイメージしたミニチュアフィギュアを見て、興奮するマツ。奥の屏風絵にも興味津々だ。だけどマツよ、これはまさにヒデヨリ公とヨド殿が追い詰められ、斃れた戦いの図なんだが。
「なあブイヤベースよ、どうしてこんなところに趣の違う城の絵があるんだ?」
一方、ミレイラはといえばその近くにある城の写真に見入っている。見ればそれは、オオサカ城と提携する洋城の写真だ。
「ああ、これは国外の城だ。遠くヨーロッパの城と提携しているんだよ」
「左様です。なお、この写真に写っているのはオーストリアのエッゲンベルグ城と申しまして、中にはオオサカの屏風絵が使われた部屋があるのですよ」
ああ、そうなのか。知らなかった。四隅に塔が建てられた真四角な屋敷のような城には、そんなつながりがあるのかと……いや、待て。今のは誰だ?
「おい、ヴァルモーテン少佐。どうしてここに?」
「提督、ここはオオサカ城ですよ。小官の故郷からほど近いオーストリアの城と提携する城を訪れるのは、当たり前ではありませんか?」
いや、そうか? なぜこいつはドイツ出身のくせに、やたらとこの辺りの事情に詳しすぎないか? しかも、いつの間にここにいたんだ。こいつがいるということは当然、もう一人もいるのだろうな。
「ああ、提督もオオサカにいらしたのですか」
そう、ヴァルモーテン少佐の夫にして、兵站担当のブルンベルヘン少佐もやはり同行していた。それほど趣味も性格も合う二人とは思えないが、いつ見ても仲がいい。
「そうだ。マツがここに一度来たいと言っていたから、連れてきたんだ」
「ああ、3人目の奥方様の要望だったんですね。3人も奥様がいて皆を等しく大事にされるとは、さすがは提督です」
いや、ヴァルモーテン少佐のようなやつを妻にする方が、よっぽどか度量があると僕は思うぞ。
「ところでランス、上にはヒデヨシ公が大事にしていたとされる茶器が展示されてるようです! 早く行きましょう!」
「おーい、カズキ。こっちになんか、おもしれえ絵があるぞ」
「カズキ殿、この城の石垣の大石は遠くから船を使って運ばれたと書かれておるが、真か!?」
「カズキ殿、さっき入り口で買った土産の菓子を、ここで食べてもよいか?」
「おいブイヤベース、男同士で、なにこそこそと話をしてるんだよ」
で、5人の女らは皆、好き勝手に男を振り回してくる。内、3人は僕の妻なのだが。うーん、こうしてこの3人の好き勝手な振る舞いを見ると、案外僕って度量ある方の人間なのだろうかと思う。
で、そのまま天守閣の最上階に登る。そこからは内堀とそこを行き来する遊覧船、さらに遠くに目をやると、高層ビル街が見える。
「うむ、思ったよりこの城は低いのじゃな」
「あったりめえだろう。昔の建物だぜ? 今どきの高層ビルと肩を並べるほど高いわけじゃねえぜ。名古屋城もそうだっただろうが」
「そうであったか?」
「おい、カズキ殿! 手元の菓子がなくなってしまったぞ! 下まで買いに行って良いか!?」
「リーナ姐様よ、ちょっとくらい我慢できないんですかぁ?」
天守閣の一番てっぺんにまで来て、勝手なことばかりのたまうこの連中に、僕は頭を抱える。眺めを楽しまないのか、眺めを。
ただ、マツは一人、その天守閣から堀のあたりを見渡している。この光景が、自身の籠城戦の記憶を呼び覚ましているのだろうか。寂しげな表情を浮かべているところを見ると、僕のこの直感はおおよそ当たっている気がする。
で、ほどなく僕らは天守閣を出る。
「あーあ、疲れたぜ」
「おい海賊、おめえ何にもしてねえだろうが。どこに疲れる要素があるんだよ?」
「だよっ!」
「っせーな魔女! 気疲れってやつだよ、あたいだってこれでも気ぃ遣ってんだよ!」
「カズキ殿、堀の向こうに何やら美味そうなものを売ってそうな店が見えたぞ」
「リーナよ、お前、さっきから食ってばかりじゃ……」
まったく、オオサカまで来てすることはオオスとあまり変わらないというのはどうなんだ? わざわざ来る意味があったのか。などと思い始めていた、その時だ。
「おい、カズキよ! 大変だ!」
レティシアのこの一言で、場が急に緊迫する。
「マツのやつが、見当たらねえんだよ!」