#36 再会
霧のかかる草原の只中に、僕は立っている。
ここは明らかに、宮殿の中庭ではないな。生け垣もないし、衛兵もいない。
が、ただ一人、軍服姿の人物が立っているのが見える。
群青色の、連合の軍服に身を包んだその人物は、蝕緒から大佐級だと分かる。アントネンコ大将ではない。
が、他に人が見当たらないし、相手が連合軍人ならば、警戒する必要もないだろう。僕はその人物のところに向かって歩く。
草原の向こう側を、じっと見つめているその人物に僕は接近する。その風貌から一瞬、退役されたオオシマ艦長かと思ったが、どうも違う。不思議とどこかで会ったことがある気がする人物だ。
「あの、ちょっとお尋ねしたいのですが」
その人物に、僕は声をかける。階級は僕の方が上だが、見る限りでは年齢は明らかにあちらが上だ。
僕の声に呼応したのか、その人物は振り返る。その顔を見た瞬間、僕の脳裏に衝撃が走る。
そう、その人物に僕は、見覚えがある。
だがその人物は今、この世にいないはずの人物だ。
僕は思わず、敬礼する。
『カズキか』
その人物は、短くこう呟く。
「はっ、その通りです、ヤブミ大佐!」
僕はその人物に、こう応える。
そう、その人物は、第4艦隊所属の駆逐艦2330号艦艦長、ヤブミ大佐。
つまり、僕の父親だ。
だが、どうして僕は今、12年以上前に死んだはずの父親の前に立っている?
いや、その理由はなんとなく、分かっている。
そう、父親が僕の前に現れたのではない。死んだ父親の前に、僕が出現した。つまりは、そういうことだ。
それは、現世との決別を意味している。
が、僕の父親は続いて、こう叫びだす。
『おい、カズキ! さっさと起きろ!』
……なんだ、急に口が悪くなったぞ? 僕の父さんって、こんな口が悪かったか?
いや、さっきとは声も違うぞ。なんていうか、そう、声がやや甲高い。女の声だ。しかもこの声に、聞き覚えがある。
『馬鹿野郎! 妻3人と2人の子供を残して、いつまでも死んだふりしてんじゃねえ!』
父さんらしからぬ言葉が続く。だがこの口調、間違いない。この声はやっぱり、あいつだ。
そう、レティシアだ。
僕がそう確信した瞬間。急に父さんが微笑み、頷いた。そして、周囲を取り囲む白い霧が急に光り出す。辺り一帯は、光に包まれた。
で、気づいたら、目の前に明るい電灯が見える。殺風景な天井、そして、その脇には人の顔。
「……なんだ、やっぱりレティシアか」
僕はそう呟いた。するとレティシアがこう応える。
「なんだじゃねぇ! ……お、おう、やっと気づいたのかよ!」
僕の声を聞くなり、急に腕組みして余裕気な態度で応えるレティシア。その脇に、リーナとマツが現れる。
「おお、カズキ殿、気づいたか」
「カズキ殿、妾のことは分かるか?」
僕にそう話しかける二人に、僕は黙って頷く。ふと、辺りを見回す。
白いカーテンと点滴袋が見える。その袋から伸びる管の先は、僕の左腕に刺さっている。間違いないな、ここは病院だ。
つまり僕は刺されて、そのあと病院に運ばれた。そういうことらしい。
「なんでぇ、あの程度の短刀を避けられねえなんて、なっさけねえなぁ」
などとぼやきながら、ミレイラも現れる。そんなミレイラと、腕を組んだままのレティシアを見ながら、リーナがこう呟く。
「よく言うな、カズキ殿が刺されたと聞いて、真っ先に飛び出したのはそなたら2人ではないか」
「そ、そりゃあ俺はカズキの妻だからよ、当然じゃねえか!」
「あ、あたいは、ブイヤベースに死なれると困るんだよ! でなきゃ海賊として処刑されちまうじゃねえか!」
なぜかこの2人、どことなく似ているんだよな。おせっかいというか、世話好きというか、こういう時に照れ隠しで強がるところなんか、ほんとそっくりだ。
「済まない、僕の記憶は、誰かに左わき腹を刺されたと気づいたところで途切れているんだ。その後、何が起きたのか、そして今、どれくらい経ったのか、教えてもらえないか?」
僕がそう切り出すと、リーナが応える。
「うむ、カズキ殿は今から3時間ほど前に、刺客に襲われた」
「刺客?」
「そうだ」
「もしかして、プロの殺し屋とか?」
「分からぬ。衛兵につかまる前に、そいつは自ら毒をあおって死んだ」
リーナから聞かされる事実に、僕は愕然とする。つまり犯人が何者なのか、僕はどうして襲われたのかが分からなくなったことを意味する。
「で、そなたの傷だが、医者によれば出血の割には軽傷で済んだとのことだ。相変わらず、運だけはいいな」
スヤスヤと眠るエルネスティを抱いたリーナが、そう述べる。うん、意外にも僕は大したことはなかったようだ。これを喜んでよいのか、嘆くべきなのかは迷うところではある。
いや、そんなことよりも、あの夢だ。あれは一体、何だったのだ? どうして父さんが、僕の夢の中に現れる? てっきり僕はあの世の境界線に立つほどの重傷を負い、それであの場に死んだ父さんが現れたのではないかと考えたのだが、どうやら違うらしい。
いや、そうともいえないな。もしかすると、父さんがこちらに現れて助けてくれたのかもしれない。成り行きなら、やはり僕は死んでいたんじゃないのか? だからこそ、僕の夢の中に現れた。あれほどの不意打ちで、しかも相手はおそらく素人ではない。にもかかわらず、この程度の傷ですんだ。あまりにも幸運が過ぎる気がする。
「しっかしなんだ、リーナ姐様を妻としながら、短刀ごときに刺されて気絶するなんざ、情けなさ過ぎるんじゃねえか?」
「しゃあねえだろう、ミレイラ。こいつ、運動だけはダメだったらしいからな。軍大学での30キロ行軍訓練では、脱水症状を起こしてリタイヤしたって言ってたぜ」
「リタイヤ!」
それにしても、あの社交界から3時間経っているということは、今はもう真夜中のはずだ。なのにどうしてユリシアはこれほど元気なのだ?
とはいえ、相槌を打ちながらもユリシアは大あくびをしている。とろんとした眼で僕を見るも、徐々にレティシアに寄っかかり、今にも寝落ちしそうではある。
「心配かけてすまない。とりあえず僕は大丈夫だから、皆、ホテルに戻っててくれ。いつまでもエルネスティやユリシアを連れまわしちゃ、可哀そうだしな」
「おう、そうだな。まあカズキが無事とわかりゃ、大人しく帰るとするか」
というレティシアも、早速大あくびをしている。今日はいろいろとあったからな。
「それじゃ、また明日にここへ来る」
「ああ、それじゃ」
リーナとマツ、レティシアとミレイラ、そして2人の子供らは病室を出る。6人を見送った後、僕はベッドに寝転がる。
左脇腹に触れてみる。多少痛みはあるが、それほどでもない。でもこれは多分、点滴に含まれる鎮痛剤のおかげで痛みが和らいでいるだけだろう。
しばらくベッドに横になったまま、ぼーっと今日のことを振り返ってみる。一言で言えば、油断した。いかに宮殿の中とはいえ、あんな罠が仕掛けられているとは思わなかった。大体、手紙などと言うものをあっさりと信用した僕があまりにバカだったな。
などと考えていると、カーテン越しに人影が写る。あれ、レティシアでも戻ってきたのか? そう思ったが、そこにいる人物はレティシアではない。
「ヤブミ少将、いいか?」
男の声だ。しかも、僕のよく知る人物。僕は応える。
「はっ、構いません、アントネンコ大将」
僕の声を聞き、カーテンを開ける大将閣下。僕は慌てて起き上がり、敬礼する。
「怪我人が敬礼なんてせんでいいよ。で、どうなんだ?」
「はぁ、御覧の通り、点滴で痛みを抑えているような状態です」
「うむ、まあ、命があってよかった」
といいながら、アントネンコ大将はベッドわきに置かれた丸椅子に座る。カーテンの向こう側には2人ほど士官がいるが、大将閣下が彼らに軽く手を挙げると、その場を離れる。
「私からの手紙を受け取って会場を出た、と聞いたが、間違いはないか?」
「はい、確かにアントネンコ大将の手紙を受け取りました。で、中庭へと向かったのですが……あれは本当に、大将閣下の手紙だったので?」
「そんなわけがないだろう。大体、貴官と寸前まで話をしていたんだ、そのつもりなら、その場で話すに決まっている」
大将閣下から、やはりあの手紙が偽物だったことを知らされる。つまり僕は、どこの誰かにしてやられた、というわけだ。こんな簡単な罠にかかってしまったことに、ますます悔しさがこみ上げる。
「が、仕方ないだろうな。あの場で私の名前を出されれば、普通は信じざるを得ない」
「はい、ですが、結果的に油断しました」
「いや、そういう私も油断していた。人のことは言えまい」
「えっ、閣下も油断? てことはまさか、刺されたので?」
「そうではないが、私も呼び出されたのだ」
そうだ、そういえばアントネンコ大将もあの会場にいなかった。だからこそ僕は、手紙に従って外に出た。もしアントネンコ大将が会場にいたならば、わざわざ外に出たりはしない。
「で、大将閣下はなんと呼び出されたのです?」
「宰相閣下が、宮殿のロビーで待っていると衛兵から聞かされたのだ。それで私は、ロビーへと向かった」
「あれ? 宰相閣下ならばあの会場にはいなかったのですか?」
「さあな。私は宰相閣下の顔など知らぬ。だから、その場にいるかどうかなんて分からない。だからロビーへと向かったのだ」
「で、実際に誰かいたのですか?」
「いや、いない。しばらく待ったが、いたのは衛兵と、出入りする貴族ばかりだ。そこで何人かに尋ねたが、宰相閣下らしき人物は現れなかった」
奇妙な話だな。だが、アントネンコ大将は刺客に襲われることはなかったようだ。となると、アントネンコ大将を狙ったわけではない、ということになる。
つまり、僕を狙うためにわざわざ手の込んだ仕掛けをした、ということになる。
「そうだ、貴官を刺した犯人だが、その人物の名は分かった」
「えっ? しかし閣下、その犯人はすでに亡くなったのでは?」
「そうだが、我々をなめてもらっては困る。遺体からの生体情報、監視カメラ画像、その他、あらゆる状況証拠を分析して、そいつの素性を暴いた」
アントネンコ大将の話は続く。で、その犯人とは、ヘルクシンキの下の階層に住む者だという。
ヘルクシンキの下の階層と言えば、魔物によって国を追われた亡命者が多数住む街だ。その犯人も、隣の王国からここに逃れた者の一人で、魔物討伐によって国土が取り返されたものの、そのままヘルクシンキに住み続けていたという。
貧民街とはいえ、宇宙港の建設やその関連の仕事によって、それなりに収入を得るようになった人々が多いと聞く。実際、その男もこのヘルクシンキで仕事を得て暮らしていたようだ。
「……なのだが、どういうわけかその男は誰かに雇われ、この宮殿の中庭に潜んだ。そして、手紙で呼び出した貴官に狙いを定めた、というわけだ」
「ですが、どうして下の階層に住むその男が刺客として選ばれたんですか?」
「さあな。別にその男が剣の達人だったとか、そういうわけでもなさそうだしな。何か、弱みでも握られていたのではないか?」
「はぁ、そんな理由だけで刺客にされて、しかも毒をあおって死ぬなんて」
「貴官の殺害に失敗し、しかも衛兵に感づかれてしまった。この皇国において、宮殿内での殺傷など大罪中の大罪。捕まれば、死よりも酷いことが待っている。それを知ってのことだろうな」
なるほど、それならば納得だ。いや、そうなのか?
「しかしですよ。いくら何でも陛下がご臨席される宮殿の中に、刺客など送り込めるのですか?」
「そこだ。そこが一番引っかかっている。さらに言えば、衛兵まで動かせる相手、ということにもなる」
「でも、衛兵に見つかって捕まりそうになったんですよね? いくらなんでも、衛兵は無関係ではないですか」
「いや、ある衛兵がその刺客を引き入れたと思われる映像も残っている」
「そうなのですか? だったら、その衛兵を尋問して……」
「いや、そうもいかない」
「なぜですか? 証拠はあるのでしょう?」
「証拠があるからと言って、この国の宮殿の衛兵を引き渡せとまでは言えない。向こうが拒否すれば当然、それ以上のことはできない」
「と、おっしゃるからには、宮殿側に拒否されたというのですか?」
「そうだ、だからこそ、主犯の目星はついた」
「えっ! ほんとですか!?」
「当然だ。しかも貴官もおそらくよく知る人物だ。十中八九、間違いないだろう」
皇国貴族の中に、主犯が? しかし、僕が知る貴族なんて、ほんの一握りしかいない。しかも僕を亡き者に使用などと考えるような人物。うーん、思い当たらないなぁ。
だが、アントネンコ大将は思わぬ人物の名を口にする。
「で、誰なのですか、その主犯とは?」
「インマヌエル皇子だ」
それを聞いた瞬間、僕の頭に衝撃が襲う。
「い、インマヌエル皇子って……まさか」
「そうだ、皇太子、つまり次期皇帝陛下とされる人物のことだ」
「いえ、それは分かります。ですがどうして僕なんかを狙うのです?」
「そいつはかつて、リーナ殿を亡き者にしようとしたのだろう? おそらくは、それと同じ理由だろう」
「ですが、小官はこの星に在住する者ではなく、ましてや皇位継承などとは無縁ですよ?」
「時代が変わったからだろう。このフィルディランド皇国もいずれは皇帝陛下はお飾りとなり、実質的には民主制政治へと移行する。特に現皇帝陛下が急速に近代化を進めている。となれば、多くの地球で一般的にとられている政治体制に移行すると考えるのが当然だ」
「それはそうかもしれませんが、それと僕が殺されそうになることと、どうつながるのです?」
「分からんか? 貴官はこの星ではかなりの人気者だぞ。皇帝陛下の覚えもよく、さらに魔物討伐を先導し、あのクロノスをも倒した稀代の英雄。それがこの星での貴官の評価だ」
「ええと、その人気者であることが、どうして消される理由になるのでしょうか?」
「軍大学首席卒業のくせして、鈍いやつだな。つまり、人気があるやつが政治の実権を握ることを民衆が望むと、その皇子の立場はどうなる? それはつまり、未来の為政者にとっては脅威以外の何物でもない。そういうことだ」
ああ、そういうことか。つまりインマヌエル皇子は、僕がいずれこの星の政界に進出し、そこで為政者になることを恐れたというわけか。確かに、リーナが謀殺されそうになった理由でもあるな。
「こういうことは、貴官がどう考えているかということとは無関係だ。皇子にとって、貴官は将来の脅威だと認識された。だから、命を狙われた。聞けばあの宮殿の衛兵は、皇族以外の指図は受けない決まりだというから、その内通者というのは間違いなく皇族だ。なればこそ、その内通者である衛兵は、皇族の誰かの指図を受けたものと考えられる」
「は、はぁ……なるほど」
「まさか皇帝陛下が娘婿である貴官を殺傷するとは考えられないし、他の皇族も同様だ。唯一、貴官を狙う理由がインマヌエル皇子にはある。分かっているのは、それだけだ」
「りょ、了解しました。で、僕はこの後、どうすればよいのですか?」
「追って連絡する。とりあえず今、この病院の周りは我が第4艦隊の陸戦隊で固めてある。貴官の家族にも護衛をつけた。皇族とはいえ、手出しはできんよ」
なるほど、だからアントネンコ大将がここに乗り込んできたというわけか。言われてみれば、あの会場に僕とアントネンコ大将が事前に参加することを知っている人物となれば、貴族でも限られた数しかいない。が、皇族ならば可能だ。
「ところで閣下。これは、大将閣下には話しておくべきかと思いまして」
「なんだ、話とは?」
「僕が刺されて、目覚める直前に見た夢の話です」
「夢? どんな夢だ」
「夢の中で出会ったのですよ、僕の父親、すなわち12年前に亡くなった、第4艦隊所属の駆逐艦2330号艦の、ヤブミ艦長に」
それを聞いた途端、アントネンコ大将の眉がぴくっと動いた。そりゃあアントネンコ大将は、同じ第4艦隊の、それも総司令官だからな。もしかしたらご存知なのかと僕は思った。
「……その頃は、私はまだ司令官ではなかったな。戦隊長をしていた」
「ええ、そうですよね。ですがもしや、父を?」
「ああ知っているぞ、貴官の父親を」
「やはり、顔見知りだったのですか?」
「いや、私の戦隊100隻の中にいた、艦長の一人というだけだ。ちょうど貴官とエルナンデス准将の関係のようなものだな」
「その父親がですね、僕の夢に現れたのです。それが、どういう意味なのかを考えてまして」
「まだこっちに来るなと言っていたのだろう。ヤブミ大佐らしいじゃないか。そうか、そういうことがあったのか……ではそろそろ、私は戻る」
そう告げると、アントネンコ大将は立ち上がり、敬礼する。僕も返礼にて応える。
さらっと言ってのけたが、アントネンコ大将と父さんが知り合いだったとは知らなかったな。あの口ぶりだと、父さんの性格まで承知していたようだ。
ともかく僕は、ベッドに横になる。少し痛みがある脇腹をさすりながら、その日は眠りについた。