#21 節分
外が、明るい。
チュンチュンと、スズメが鳴く声が聞こえてくる。
そして、僕の横ではスースーと寝息を立てて眠るマツがいる。その横には、リーナとレティシアが寝ている。
昨夜のことは、まあ何というか、はっきりと覚えている。確実に言えることは、マツが名実ともに「3人目」となったことだ。
うう、勢いとはいえ、思わず一線を越えてしまったが、これでよかったのだろうか? 今さらながら考え込むが、もう遅い。
もう覚悟を決める他ない。
「カズキ殿」
マツが目覚める。まるで京人形のように整った髪を流しつつ、透き通るように綺麗な鎖骨の辺りの肌をチラつかせながら、ムクッと起き上がる。
白い寝巻きを身に纏うマツだが、胸が小さいがゆえに、その隙間から何かが見えてきそうだ。いや、昨夜はその奥のものをしっかりと見たから、今さらではあるのだが……いや、それよりも、表情が何やら暗い。今になって急に、不安になったのか? 僕は思わず、マツを抱きしめる。そしてその背中をさする。
少し安心したのだろう。マツも僕の身体に手を回す。互いに抱き合う2人。
「おう、朝か」
と、レティシアが起きる。ムクッと起き上がり、僕とマツの方を見る。するとレティシアのやつ、見る見る顔がにやけ顔へと変わる。
「なんでぇ、朝っぱらから抱き合っちまって。もしかしてカズキ。まだ足りねえのか?」
「いや、そうじゃない。マツが不安そうな顔をしてたから、こうして安心させようとだな……」
「へぇ、そんじゃ俺が不安げな顔の時も、抱きしめてくれるっていうのか?」
「それは、いつもやってるじゃないか」
「ああ、後ろからな。俺がバックハグが苦手なこと、知っててやってるけどな」
何だこいつは、急に突っかかってきたな。まさか僕が、マツを抱きしめているのを見て嫉妬したか? そう察した僕は、レティシアも抱き寄せる。レティシアのやつ、抱きしめた途端、顔の表情が急に緩む。
「……そなたらは、何をやっとるんだ?」
と、さらにリーナが目覚める。
「いや、マツが不安げだったから、少し抱きしめてたらだな、レティシアも起きたのでな、それで……」
「それで2人いっぺんに抱き寄せておったのか。おい、マツよ。ならば私がなだめてやろうぞ」
目覚めたリーナがマツを引き受けるというので、僕はリーナにそっとマツを譲る。まるで抱き枕のようにリーナに抱き寄せられるマツ。で、僕はレティシアを抱き寄せている。
しかし……僕らは朝から、何をやってるんだ?
「おい、カズキ。あそこ行こうぜ」
「なんだ、あそこって……ああ、あそこか」
「そうだ、あそこだ」
レティシアが突然、そう言い出す。朝だからな、あそこと言えばどこのことか、大体想像がつく。
「おいレティシアよ、私はシロノワールだ」
リーナも察しがついたようで、すぐさま反応する。無論、マツには分からない。
「あの、リーナ殿、どこへ参るのじゃ?」
「ああ、モーニングだ」
「も、もーにんぐ?」
いきなりモーニングと言われても、分かるわけがない。そこですかさずレティシアが、マツにこう告げる。
「行きゃあ分かるぜ」
と、いうことで、僕らは起き出して着替え、子供らを起こしてこの宿舎のすぐ下にあるその店へと向かう。
「あれ、カズキじゃない。カズキ達もここでモーニングなんだ」
店に入ると、入り口付近の席にフタバとバルサム殿、そしてミツヤがいた。僕はフタバに応える。
「すぐ真下の店だからな、リーナもシロノワールを食べたがっているし、マツもナゴヤというところを知るにはちょうどいい場所でもあるしな」
「ふうん……」
何やら、いやらしい表情で応えるフタバだが、こいつ、何か妙なことを考えてないか?
「ところでカズキ殿よ、シロノワールとはなんじゃ? 城に関わる何かか?」
「いや、シロノワールの『シロ』はそう言う意味じゃないぞ。白いクリームに黒、フランス語で『ノワール』なデニッシュを組み合わせているから『シロノワール』と言うんだ。城とは無関係だ」
「ふむ、左様であるか。城がある土地ゆえに、何か関係しておるのかと思うたのじゃが」
マツがシロノワールのことを尋ねてきたが、このたわいもないやりとりから何かを察したフタバは、ますます笑みを浮かべる。そして、こう言い放つ。
「へぇ〜、やっぱり昨夜はお楽しみだったのね」
……おい、どうして分かった? あ、いや、別にお楽しみだったと言うわけではない。おいマツよ、そこで黙ってうつむきながら顔を赤くするんじゃない。
と、言うわけで、僕らはフタバ達の斜めお向かいの席に座ると、早速注文をする。
「んじゃ、リーナにはシロノワールを3つ、そんでアメリカンを4つだ。ああ、全部小倉トーストで」
慣れた口調で注文を通すレティシア。早朝の静かな店内には、数組のカップルや家族がいる。大人が4人もいる席は、ここぐらいのものだな。
などと考えているうちに、トーストとコーヒー、そしてゆで卵が運び込まれる。リーナだけは、シロノワールが3つが追加される。
運ばれてきたトーストとコーヒーを見たマツは、初めて見るであろうその食べ物を、こう表した。
「なんじゃ……この店は、材木と炭水を出すのか?」
そう見えないこともないな。だがこれは当然、材木や炭じゃないぞ。
「んなわけないだろう。まあ、食ってみろ。まずはトーストに、この小倉餡を塗るんだ」
「な、なんじゃこれは? いや、よく見ればこれは餡であるな」
「おう、知ってるんなら話は早え」
小倉餡は知っているらしい。初体験なのは、トーストとコーヒーだけか。いや、ゆで卵というのも初めてのようで、その殻付きの卵を訝しげな顔で眺めている。が、意を決したのか、小倉餡を塗ったトーストをひと齧りする。
目を見開いたその表情で、マツの心情はすぐに察しが付く。よほど美味かったんだろうな。その後、無言でガツガツと齧り続ける。
その横で、リーナはトーストを食べ終えて、一つ目のシロノワールに手を付ける。その様子をじっと見つめるマツ。なお、レティシアが横に座る2人の子供に、柔らかく煮込んだ離乳食のシチューを食べさせながら、時折、アップルジュースを飲ませている。レティシアがトーストに食いつく間は、僕が代わることもある。
こういう時、リーナはひたすら自身の食事に専念しているが、別に母親の自覚がないわけではない。街に出れば今度はリーナが両腕で2人を抱えて歩き、世話役へと回る。なんだかんだとこの2人で、役目をうまく棲み分けている。
で、マツはといえば、別にこの2人が生まれたときから関わっているというわけではないものの、このところは2人の遊び相手になってくれているようだ。家臣の子供らとの関りが多かったと言っていたが、こういうところでそれが発揮されている。
「ところでカズキよ」
と、レティシアが突然、話しかける。
「なんだ?」
「今日は2月3日なんだろ」
「ああ、そうだ」
「てことはよ、昼からあれ、やるんじゃねえか?」
「あれって……節分会か」
「そうだ。せっかくだから、マツを連れて行こうぜ」
そういえば、昨日の焼き鳥屋の店主も言っていたな。節分会か……しばらく行っていないが、マツの文化様式にも近い行事だし、顔を出してみるか。
「んあ? へふふんはいはほ?」
「おいリーナ、ちゃんと食ってから話しかけろよ」
リーナも気になったようで、口いっぱいにシロノワールを加えたまま話しかけてきた。そういえば、リーナは行ったことがないのか。
「ならば行くか、節分会」
「おう、決まりだ」
「な、なんじゃ、節分会とは?」
「行きゃあ分かるぜ」
この手のことをレティシアに尋ねたところで、いつも同じ回答しか返ってこないことをそろそろマツも学んだ方がいいだろう。
「さて、食った食った。では参るか、オオスの街へ」
「だーっ!」
「おう、行くぜ!」
朝食を終えて、僕らは商店街へと歩みを進める。先ほどの2人は、今度はリーナに抱えられている。
さて、マツはといえば、不安の色を隠せない。別に不安など感じる要素はないと思うのだが、何を考えているのだろうか?
◇◇◇
この街の民は皆、着物を着ておらぬ。
着物を着ておるのは、妾だけじゃ。
この姿で、民の集まる街へ行くと申すか?
節分会とやらに妾は連れていかれるが、実に不本意じゃ。何ゆえにかような場所へ足を踏み入れねばならぬのか?
どうもこの場所は、妾の知る何かがあるかと思えば、見知らぬものもある。赤い門や大きな提灯があるかと思えば、南蛮風の服や建屋が並ぶ。何という、雑多な場所じゃ。
屋根で覆われた、店の並ぶ通りを歩く。大勢の民に、色とりどりの服や物を売る店が並ぶ。多くの物は、初めて見るものばかり。食い物なのか、それとも何かの道具なのか、妾の見識では見極められぬものも多い。
リーナ殿が、2人の子供らを抱えたまま、何かの店に立ち寄る。で、何かをくわえて出てくる。あれは食い物を売っておる店じゃと分かる。しかしリーナ殿よ、よく2人を抱えたまま、串に刺さったその食べ物を食べられるものじゃ。
「カズキ殿、あれはなんじゃ!?」
その立ち並ぶ店の中で、妾は何やら同じ空気を感じる店を見つけた。そこには、木の看板と棚に、大きな暖簾があり、その上には桜色や茶色、白の不可思議なものが並べられておる。
「ああ、あれはういろうを売ってる店だよ」
「う……ういろう?」
「なんでぇ、マツはういろうが気になるのか? なら、食ってみるか」
そこにレティシア殿もしゃしゃり出てきた。なんじゃ、あれは食い物なのか? しかし、奇妙な色のものもあるが、あれは食えるのか?
「ほれ、買ってきたぞ。一口ういろうだ。リーナはこれじゃ足りねえから、こっちだ」
妾には、桜色の小さな塊を渡される。リーナ殿には、緑色の長いやつだ。
「うむ、レティシアよ、私に食わせてくれぬか?」
「しょうがねえな、ほれ」
両手で子供らを抱いたまま、その緑色の塊に食らいつくリーナ殿。あれは、食えるのか? 一見すると都の上茶のようにも見えるが……と、妾は手元を見る。
かような色の食い物が、この世にはあるのか。いや、ここやつらと関わってからというもの、奇妙な食い物ばかりに出会っておる。リーナ殿が食えるのじゃから、きっとこれも美味いのであろう。妾は心を決めて、それに食らいつく。
……何と甘い、そして柔らかいのじゃ。これはつまり、菓子の類いのようじゃな。なるほど、リーナ殿が食らいつくわけじゃ。
「ところでお客さん、もしかして、節分会の豆まきをなさるお方で?」
と、店子が妾に尋ねてくる。
「豆まき? なんじゃそれは」
「おう、こいつはこんな形だが、舞台に上がるわけじゃないぜ」
「あら、そうなんですか。綺麗な着物を着てらっしゃるので、てっきり豆まきをなさるのかと」
はて、また言い出したぞ。豆まきとは一体、何のことじゃ? 響きから察するに、豆を蒔く者と思えるが……かような街中で豆など蒔いて、どうするつもりじゃ?
「まだ少し時間があるな」
ういろう売りの店を出て、レティシア殿がそう呟く。
「その節分会とやらは、大須観音でやるのか?」
「おう、そうだぜ」
リーナ殿が、節分会の場所に言及しておる。大須観音と申す場所へ向かうらしい。
「大須観音とは、どこなのじゃ?」
「すぐそこだぜ。ほら、見えてるだろ」
と、レティシア殿が指差す先を妾は見た。
朱色の大きな門構えに、瓦葺の屋根、その脇には石の柵。突如現れた荘厳なる風格の建屋に、妾は歩みを止める。
「これは、仁王門ってやつだな。中に寺の本堂があるんだよ」
「て、寺じゃと!?」
「まあなんだ、行きゃあ分かるぜ」
その荘厳なる門をくぐると、今度は段の上に乗る朱色の瓦葺の建屋が現れる。その脇には、なにやら文字の書かれたのぼり旗が幾本も見える。
その階段の真上あたりには、まるで取ってつけたような舞台があるのが気がかりじゃ。その下には、紅白の暖簾が下がっておる。
「なんだ、あの舞台は? あんなものあったか」
「おう、節分会だからな。今日のために仮設の舞台を作ってるんだよ」
レティシア殿の言によれば、あの取ってつけたような舞台は、やはり仮のものであるようじゃ。普段は、あの奥に見える本堂だけが優々と見えておるのであろう。
「カズキ、まだ始まらねえようだから、せっかくだし参拝していこうぜ」
「えっ? まあ、いいけど……」
「人も増えてるし、早くしねえと、人混みで入れなくなるな。さっさといくぜ」
と、レティシア殿がいきなり本堂に参拝すると言い出した。その仮設の舞台の下をくぐり、階段を登る。
本堂の前に立つと、太い縄に、賽銭箱が見える。その奥には多数の装飾に、像が見える。あれがおそらく、この寺の本尊なのであろう。
カズキ殿が、賽銭箱の前にある小さな四角いものにスマホを当てておる。そして、ぶら下がる綱を振って鰐口を鳴らす。
そして、二礼二拍手し、頭を下げる。妾もそれに倣う。このあたりの作法は、妾のものと変わらぬようだ。
真に妙なところじゃ。見たこともない不可思議な店や品が並んでおるかと思えば、突如、妾に馴染みある建屋と風習に出会う。雑多で、それでいてどこか安堵を覚える、実に不思議な街じゃな、ここは。
「あれ? ヤブミ提督ではありませんか」
と、不意に背後からカズキ殿を呼ぶ声がする。
「あ、ええと確か、オオス商店街連盟の会長の、サカイさんでしたっけ?」
「おお、覚えておいででしたか、2年ほど前の花魁祭り以来ですな」
仮設の舞台から声をかけてきたその男は、どうやらカズキ殿の知り合いらしい。そのサカイと申す男は妾を見るや、こう言い出す。
「ええと、そちらが噂の3人目の方でしょうか?」
ああ、また「3人目」か。そろそろこの肩書きにも慣れつつあるな。カズキ殿は応える。
「ええ、まあ。これから3人の妻と子供2人に、節分会を見せてやろうかと思ってですね」
「そうでしたか。ちょうどいいタイミングで帰還されましたね」
やはりここが、節分会とやらが行われるところらしい。この大きな舞台も、そのための仕掛けなのであろう。
「あ、そうだ。豆まきの後に山車で巡るんですが、提督達もご一緒に乗りませんか?」
「えっ!?」
サカイと申す男が、なにやら提案をしておる。
「いやあ、あれは七福神が乗るものであって……」
「提督も似たようなものじゃありませんか。しかも、攻城戦で活躍されたという姫もおられるとなれば、ぜひ参加していただきたいですよ」
「おう、俺はいいぜ」
「私もだ」
「ええーっ!?」
急に大事が舞い込んできたと見える。カズキ殿が、また振り回されておる。
「なあ、リーナ殿、何が起きているのじゃ?」
「うむ、我々がこの祭りで街を巡ろうと申しておるようだな」
「えっ? 街を巡るじゃと?」
「そうだ。それにマツ殿が相応しいと、このお方は申している」
「じゃが、妾は着物姿ぞ?」
「私も一度、その姿になって街を巡ったことがある。大変な人気ぶりであったぞ」
なんじゃと? リーナ殿が、着物姿に? そのようなことがあったと申すか。一体、何が起きたというのじゃ。
「そうでしたね、あの時は提督にお願いして、レティシアさんとリーナさんに花魁姿になってもらったんですよね。今でも、この商店街の伝説ですよ」
などとこの男は申しておるが、リーナ殿が着物姿で巡ると、伝説じゃと? ますます何が起きたのか分からぬな。
「となれば、まずは豆まきですよ。その後に山車を出します。豆まきが終わったら、この舞台の下に来てくださいね」
「おう、任せろ」
と、サカイという男はそう告げると、舞台の上に戻っていった。何が始まるのかさっぱり解せぬが、ともかく妾はこの街をこの姿で巡ることになったらしい。
さて、しばらくすると、大勢の人が集まり始めた。不可解なことに皆、なにやら袋のようなものを持っておる。
先ほどまで鳩がこの境内に群れておったが、今やその鳩を上回るほどの人で埋め尽くされておる。それも袋を掲げて。
なんと不可思議なことをする者どもじゃと、妾は訝しげに眺めておったが、やがてあの舞台から大声が響き渡る。
『ふくはーうちーっ!』
その大音行と共に、なにやらパラパラと撒き散らされるものが見える。それと同時に、群衆は袋を広げてそれを掲げ始める。
「おっしゃ、取れたぜ!」
と、同じく袋を掲げていたレティシア殿が、何かを受け取ったようじゃ。
「な、何が取れたのじゃ?」
「豆だよ、豆。ほれ」
といいながら、レティシア殿が見せてくれたのは、確かに豆じゃった。その硬い大豆の粒、おそらくは炒ったものであろう。
『ふくはーうちーっ!』
また大音行が聞こえる。再び豆がバラバラと振ってくる。舞台の上を見ると、神職の装束をした複数の者が、枡の中のものを握ってそれをばら撒いておるのが見える。
いや、よく見ればそこには、異形の者もおる。
赤と緑の、まるで鬼のような姿の者が見える。その異形のやつらも同様に、豆をばら撒いておる。再び、大音行が響く。
『ふくはーうちーっ!』
もしやあれは「福は内」と申しておるのか? じゃがなにゆえに、豆をばら撒いて内と申すか? まるで解せぬその掛け声によって撒かれた豆が、妾の上にも降りかかる。
思わずそれを、手で掴む。取れた豆を、じっと見つめる。ふとリーナ殿を見ると、袋で受け取った豆を、そのまま口に流し込んでおる。やはりこれは、食えるのであろうな。そう思った妾は、それを口に入れた。
うむ、豆じゃな。なんの変哲もない炒った豆の味じゃ。この街に来て、その味に驚かされるものが多かったのじゃが、これは見たままの味じゃった。
にしても、舞台の上にはよく見れば、着物姿の者もおる。鬼に宮司や出仕の類い、それに巫女と着物姿の者もおるようじゃ。着物と申しても、あれは町人がよく着る単衣の振袖じゃな。妾のような重ねたものではない。が、それでも妾の知る着物には違いない。
しかし、今ひとつあの言葉の意が解せぬ。何を言っておるのじゃろうか?
「なあ、カズキ殿よ」
「どうした、マツ」
「なにゆえあやつらは『ふくはうち』と申しておるのか?」
「節分というのは、災いをもたらす鬼を追っ払うってことで、福運を呼び寄せるための習わしなんだ。で、鬼を追い払うため、豆を撒くんだ。で、『鬼は外』『福は内』というのが、本来の掛け声だ」
「じゃが、あの者らは『福は内』としか申しておらぬぞ?」
「そうなんだよ、この大須観音節分会では、『鬼は外』と言わないことになってるんだ」
由来を聞いたが、ますます納得がいかぬな。鬼を払いて福を呼び寄せるという習わしならば、妾のところにもあるにはある。が、それは宮司が祓いの儀を行うだけのものであって、わざわざ豆など撒かぬ。
しかも、鬼を払うと言いながら、その鬼が一緒になって豆を撒いておる。この矛盾に、当のカズキ殿も気づいておらぬのであろうか?
やがて、その豆まきも終わる。レティシア殿は豆の入った袋を持って妾に見せる。
「結構取れたな。リーナはどうなんだ?」
「私か。私は空だ」
「なんでぇ、取ったそばから食っちまったのかよ。相変わらずだなぁ、おい」
で、その袋の口を縛ると、レティシア殿は妾にこう告げる。
「んじゃ、次行こうぜ」
「つ、次とは?」
「さっき、会長さんが言ってただろう。山車に乗るんだよ」
そういえば、そのようなことを申しておったな。鬼が鬼払いの儀式をやっておると知って混乱しておったから、すっかり意識の外に行ってしもうたわ。
で、ぞろぞろと境内から立ち去る人々とは逆に、境内の方へと向かう妾達。そこには、先ほどの男がおる。
「では皆さん、参りましょうか」
どこへ連れて行かれるのだろうか? やや心配になってきたが、もはや後戻りはできぬようじゃ。妾は、覚悟を決める。
で、しばらくすると妾は、その山車に乗せられて街を回っておった。
呆れるほど溢れかえる群衆に、レティシア殿もリーナ殿は手を振っておる。子供らも、ユリシアは手を振り、エルネスティは睨みつけておる。で、カズキ殿はといえば、軍服姿に軍帽で、じっと突っ立っておる。
まあ、妾も人のことは言えぬ。あまりの人の多さに、立ち尽くすほかない。
が、妾にはたくさんのスマホを向けられる。あれは、写真というこの姿を写す仕掛けが入っており、妾の姿を残しておるのだぞうじゃ。よほどこの着物が珍しいようで、皆、パシャパシャとこの姿を写しておる。
で、レティシア殿とリーナ殿はと言えば、その群衆に手を振っておる。レティシア殿はいつの間にか振袖姿に、リーナ殿はいつもの騎士装束に身を包む。どれもここらでは珍しい姿。しかし群衆はそれに熱狂しておるようじゃ。
「マツも、手を振ってやれよ」
なんの意味があるのかは解せぬが、すこし右手を上げて、軽く振ってみた。するとますます群衆の熱は高まり、パシャパシャとスマホとやらで妾の姿を捉える。
よく分からぬが、妾が人々に注目され、熱狂されておる。妾がこれほど多くの人の視線を浴びるなど、あのオオヤマの城を出て以来のことじゃ。悪い気はしない。気づけば妾は、微笑みつつ手を振っておった。
雑多で不可思議な、このオオスという街。なんじゃ、妾の居場所はあるではないか。そう認識させられた、この節分会という祭りであった。