#20 近文化
思えば、ダルシアさんですらも知ってるくらいだから、母さんがマツ殿のことを聞いているのは当然だろう。これは想像以上に広く知れ渡っているらしい。まあこれは、トヨヤマ港で報道陣に囲まれた時点で察しはついていたが。
「ああ、ごめんなさい、おかしなことを言ったわ。遠路はるばるいらっしゃい。もうフタバ達はもう来てるわよ。さあみんな、上がんなさいな」
「おう、邪魔するぜ」
「うむ、お邪魔する」
この2人は慣れたもので、すぐに上がり込む。マツ殿も草履を脱ぎ、部屋へと上がる。
上がるや否や、その場にて正座し、深々と頭を下げるマツ殿。
「トヨツグ家が一女、マツにございます。此度はヤブミ殿の世話になり申し、罷り越し候、何とぞお見知り置き願いたく……」
「ああ、マツさん、そんな頭を下げなくてもいいのよ。ここはただの庶民の部屋なんだから、気楽にして頂戴」
いきなり低頭平身なマツ殿に慌てる母さん。僕もいきなりで驚いた。
さっきのダルシアさんからのあの「歓迎」ぷりを見せられて、少し覚悟していたのかもしれないな。だが、うちの母さんはあそこまで過激ではない。
「さあ、カズキ。久しぶりの帰還なんだから、お父さんにも挨拶して行きなさい」
「ああ、そうする」
「ヤブミ殿、父上に挨拶とは、確か……」
「ああ、もちろん本人じゃないよ。仏壇にいる」
「仏壇?」
そういえば、マツ殿は我々に近い文化だが、死者を葬いそれを祀る際の風習は、我々と同じなのか、それとも異なるのか?
仏壇を前にして、僕は鈴を鳴らす。そして手を合わせる。チラリと見れば、マツ殿も手を合わせている。どうやら、この辺りの風習は同じらしい。なお、レティシアも手を合わせてるが、リーナは胸に手を当てての独特の「祈り」を捧げている。
「さてと、マツさんにリーナちゃん、レティちゃんにユリシアちゃん、エルネスティちゃん。お菓子あるわよ、食べてって頂戴」
「だーっ!」
と言いながら、リビングに手招きする母さん。そこには、先に着いたフタバとバルサム殿、そして息子のミツヤがいた。
「先に食べてるよ、カズキ」
「ああ、ヤブミ様。やっと辿り着けたのですね」
菓子を貪るフタバらがいるリビングに足を踏み入れるや、リーナがその横に座り、横から奪い取るように菓子をつまみ始める。レティシアも2人の子供らと共に加わる。
「おい、マツもこいよ」
赤い派手な着物姿のマツ殿は、やや及び腰でレティシアの隣に座る。リーナが山と積まれたせんべいに手を伸ばすと、バリバリと音を立てて食べ始める。
「ん~っ、やはりオオスのせんべいは美味い」
そういえば、せんべいというのはマツ殿のところにもあるんだろうか? 恐る恐る手を伸ばすマツ殿だが、それを一口、バリッとかじる。顔の表情が、ぱっと明るくなる。どうやら、味覚にジャストミートしたらしい。
「せんべいもいいが、こっちも美味いぜ」
といってレティシアが勧めるのは、ポテチだ。うーん、さすがにそれは合わないんじゃないか? が、マツ殿は恐る恐る手を伸ばし、しばらくそれをつまんで眺めていたが、パリッと一口、かじる。
まんざらでもなさそうな表情をしている。なんだ、ポテチもOKなのか。別に文化がどうとか、関係ないな。この調子なら、ういろうパフェもいけそうだ。
「でもさ、マツちゃんがポテチって、なんかイメージ会わないよねぇ」
「はぁ? それを言ったら、リーナの方が合わないだろう」
「いや、リーちゃんはいいのよ。なんでも食べるから」
フタバのよく分からない理屈で、リーナはいいことにされてしまった。そういえばマツ殿の故郷には、ジャガイモはすでにもたらされているのだろうか?
「……なんという美味、薄いわりに食べ応えのあるこのせんべいは、なんと申すか?」
「ああ、マツちゃん、これはポテチっていうのよ」
「ポテチ?」
「ジャガイモを薄くスライスして、それを揚げたものなんだよ」
「ジャガイモ……つまりこれは、芋の類いと申すか?」
芋というものは知っているようだ。フタバからポテチのレクチャーを受けた後は、せんべいそっちのけで、ポテチばかりを食べるマツ殿。よほど気に入ったらしい。
一方で、リーナはせんべいばかりをバリバリと食べ続けている。思えば、リーナは食べ応えのある分厚いせんべいの方が気に入っている。ポテチでは、あの胃袋の要求に追いつけない。母さんもそれを知って、敢えてせんべいをたくさん盛り付けている。
「そうだ、カズキ殿。マツ殿をオオスに連れて行かないのか?」
「ここにいれば、いずれ行くことになるだろうが……って、リーナよ、どこか連れていきたい場所があるのか?」
「うむ、無論、まずはあそこだ」
「あそこ?」
「味噌カツの店だ。その後はういろうだな」
「いや、マツ殿にいきなり味噌カツか。ひつまぶしの方がいいんじゃないのか?」
「あそこはオオスではないからな。まずは、このオオスで染め上げるのだ」
うーん、どうしてオオスに拘るのかが分からないが、理由は分からんが、リーナにはマツ殿をオオスで染めたいらしい。
「ヤブミ殿、リーナ殿、オオスとはなんじゃ?」
ポテチをつまむマツ殿が、それを聞いてすかさず尋ねる。
「ええとだな、この近くの街で、たくさんのお店が並ぶ商店街があってにぎわっている場所だ」
「うむ、マツ殿も、その雰囲気を気に入ることだろう」
と、応えたが、いまいち腑に落ちていない様子だ。まあ、そうだろうな。レティシアではないが、あそこばかりはとても口では説明できない。実際に行って目にすれば、おのずと分かるだろう。
「ところでカズキ」
「なんだい、母さん?」
「マツさんとは、どういう巡り会わせなんだい?」
まだ硬いお菓子が食べられないユリシアとエルネスティにボーロを一粒づつつまんで渡す母さんが、いきなり僕にそう問いかける。
「もう聞いているとは思うけど、マツ殿は未知の地球のとある島国で、まさに落城寸前の城にいたところを、第8艦隊が救援に向かい、救い出したんだよ。それで……」
まさに攻城戦の最中、崩壊寸前の城にいたマツ殿と1500人の兵士らを救い出した話、その後のトクナガ公との交渉、その結果、マツ殿を引き取ることになったいきさつを話す。
「……なるほどねぇ。テレビじゃそこまで詳しく解説してくれなかったからさ、多分、深い事情があるんじゃないかと思ってね」
母さんは元々は軍人で、砲撃手だった。そのためか、一方的な情報だけで判断することはしない。いや、それ以上に、僕の性格をよく心得ている。だから、何の理由もなく「3人目」を連れてくるなどとは思っていない。
「ということは、お父さんを亡くされた上に、その敵方の大将の政略のダシにされてしまった、ということなんだよね。可愛らしい姿ながら、うちに秘めた悲哀の大きさは、はかりしれないねぇ」
「いや、だけど母さん。まだ3人目と確定したわけでは……」
「どっちにせよ、連れ出して正解だったかもしれないよ。こっちにも似たような歴史があって、その敗けた側の悲惨な末路を知っているからね」
と、ポテチをしずしずと食べるマツ殿を眺めつつ、そう呟く母さん。その「敗れた側」の末路とは、ここではない、オオサカで起こったあの歴史的戦いのことを指しているのは間違いない。確かに、よく似ている。
しかしこの話ぶり、もしかして、これは母さんにもマツ殿のこと、認めてもらえたってことなのか?
いや、何を言ってるんだ。だから3人目じゃなくてだなぁ……
「おい、カズキ、そういえば夕飯はどうするよ?」
と、そこにレティシアが尋ねてくる。
「いや、何も考えちゃいないが」
「それならよ、マツを連れて、あそこ行こうぜ」
「あそこって……どこだよ?」
「焼き鳥の店だよ」
急に焼き鳥の店なんてものが出てきた。どこのことだ、それは?
「ほら、オオスの商店街の手前にあるだろう、こじんまりとした焼き鳥屋が」
「ああ、そういえばあるな。だが、どうしてそこなんだ?」
「ナゴヤコーチンや手羽先があるからな。アンニェリカの店にあるいんちきくせえ手羽先よりかは、よほどか美味えのが食えるぜ」
「なんじゃと? 手羽先があるのか、ここは?」
「まあ、ここは手羽先の本場みてえなところだからな。よし、それじゃ行こうか」
「なんだい、もう行くのかい?」
「おう、おっかさんよ、俺らはしばらくはこっちにいるから、時々遊びに来るわ」
「じゃあねー、レティちゃんにリーちゃん、それにマツちゃん」
「うむ、フタバ殿よ、ではまた会おうぞ」
と、レティシアのやつが突然、焼き鳥屋に行くと言い出した。言い出したら行動するのが、レティシアだ。母さんとバルサム夫妻に別れを告げると、すぐに我々を引き連れて、その焼き鳥屋へと向かう。
「いらっしゃい。あれ? もしかして、ヤブミ閣下じゃありませんか?」
僕も有名人だな。馴染みでもない店の店主から、声をかけられるまでになった。
「おう、鶏が食いたくなったんだ。焼き鳥に、鶏カツに、そうそう、手羽先も出してくれや」
「へい、毎度」
その辺りはレティシアに仕切らせておけばいいだろう。リーナも初めて来たこの店に、ワクワクしている。一方のマツ殿も、この店に興味がある様子だ。
◇◇◇
なんということじゃ、ここには、提灯があるぞ。
おまけにここは、どこか妾の知る雰囲気を持つ店じゃ。暖簾に箸、そして座敷に畳。そこにビールやテレビモニターがあるのは、やや違和感があるが。
あの名古屋城以外は、ビルばかりの殺風景な場所じゃと思うておったが、ところどころ、妾にもなじみのあるものに出会う。なんなのじゃ、この街は?
やがて、皿がいくつも出てくる。手羽先は分かるが、串に刺されたこま切れ肉に、なにやら童が履くわらじのようなものがいくつも載せられておる。
「何ボーっとしてんだ、マツ?」
レティシア殿が妾に話しかけてくる。
「いや、このわらじのようなものは何であろうかと……」
「ああ、それは鶏カツだ。んで、この味噌ダレをかけるんだよ」
といって、どぼどぼと黒いタレをかけてくる。
うむ、これは本当に食えるのか? わらじにしか見えぬが……ともかく、妾はそれをかじりついた。
うむ、美味いではないか。なんと歯ごたえの良いわらじか。しかもこのわらじ、中から柔らかな鶏肉が出てきおった。外にかかった黒いタレは、なにやら味噌のような味がする。
リーナ殿は横で、手羽先をガツガツと食べ始めておる。妾も一つ、それをつまんで口にする。
うん、なんというか、あの戦艦の街で食べたそれとは格段に違う。こちらの方が柔らかく、そして味が深い。
「うむ、やはり戦艦オオスのあの店よりは、こちらの方が本場だけに、美味いな」
リーナ殿がそう申しておるが、妾もそれには同意ぞ。確かにここの料理は一味違う。
「明日は、この先にあるオオスの商店街に行くぜ」
「オオスの商店街?」
「まあ、行きゃあ分かるぜ」
そういえば、オオスという名を何度も聞くな。さらに言えば、妾が乗っておったあの船の名も、オオスと言うておった。よほどこの地にこだわりがあるのじゃろう。
だが、食べる物をみればその場所の文化と技術の深さが分かるというものじゃ。妾も何度か都には出向いたが、ここはそれ以上の場所じゃと察した。すでに庶民が食べておる食べ物で、都の貴族のそれを超えておる。もしかすると、帝の召されておるものすらも超えておるのではないか? なにやら恐ろしい気がしてきた。
このオオスは、侮れぬ。
「ところでヤブミ閣下、閣下も明日の節分会には出られるんで?」
「えっ? 節分会って……ああ、そうか。そういえば今日は、2月2日だな」
「いえ、着物姿のお方を伴っておいでなので、もしやと……あ、そういえば、噂の3人目では……いえ、なんでもありません」
この店主、妾を3人目と呼ぼうとしておったようじゃが、それにしても「セツブンカイ」とはなんじゃ?
「レティシア殿、セツブンカイとは何のことじゃ?」
「ああ、節分か。豆をまくんだよ」
「豆? なんじゃ、この街にはどこか畑でもあるのでござるか?」
「いや、そうじゃねえよ。鬼に向かって豆をまくんだ」
もはや、何を言うておるのか分からぬな。どうして鬼などに豆をまくんじゃ?
「はぁ、食った食った」
と言いながら、再び宿舎のある場所へと向かう一行。すっかり日は暮れて、辺りは暗くなり……と思うたが、意外に明るいな、ここは。
あたりには牛無しの牛車がひっきりなしに走り回り、人も多い。風は冷たいが、行きかう人々も多く、まだ活気がある。
そんな街の中を、皆で歩く。ユリシアは両手を振り回して喜びを表し、エルネスティは相変わらずしかめっ面で辺りを見回しておる。が、どうやら2人ともその表情から、この街のことが気に入ってるようじゃ。短い付き合いじゃが、この子らの考えが徐々に読めるようになってきた。
夜なのに、夜を知らぬこの不可思議なる街を巡り、宿舎へとたどり着く。
で、たどり着いたのじゃが、そういえば今宵から妾は、リーナ殿やレティシア殿と共に、あの男とも寝ることとなる。
「おう、マツ、分かってるんだろうな!?」
などと、オオヤマ城を囲んでおった足軽共よりもおっかない顔で迫るレティシア殿。
「な、なんじゃ!?」
「なんじゃ、じゃねえよ。ほれ、行くぞ」
と、妾は強引にベッドの方に連れていかれる。
もっとも、妾も覚悟はしておった。いずれ、このような日が来るであろうことを。心を決めねばなるまい。
ところが、である。
「えっ!? マツ殿と一緒!?」
何ということか、この男の方が、妾以上に覚悟が足りぬ。しかも妾の白い長襦袢を着て現れるや、この様である。
「おい、ヤブミ殿! それはどういうことじゃ!?」
思わず、妾は詰め寄る。
「いや、どうって……」
「もしやそなた、妾に見るべきものがないと申すか!?」
「ええ〜っ!? いや、そういうわけじゃなくてだな」
「では、どういうわけじゃ! これでは覚悟を決めた妾が、ただの道化ではないか! そなたが覚悟を決めぬとあらば、妾はこの場にて腹を切るぞ!」
などと言いながら、妾はヤブミ殿をベッドに追い込む。無論、レティシア殿やリーナ殿も、妾の支援に回る。
で、その結果。
うん、妾はヤブミ殿の底力を、身をもって思い知る。なるほど、こやつがすべての元凶か。レティシア殿やリーナ殿が、ああなるわけじゃな。