#19 異郷
あれから、3日ほどが経った、らしいのじゃが。
らしいというのも、相変わらずこの船の中は、今が何刻かを知るすべがなさ過ぎる。
大体、ここの時刻の読み方が未だ覚えられぬ。子の刻、丑の刻、ではなく、1時、2時という細かな時刻を用いておる上に、それを知る術は、時計というものを見るほかないという。
なんじゃ、ここは寺が鐘を鳴らさぬのか。たまに12時と申す時間にベルを鳴らすところがあるようじゃが、ややこしいことに、それは艦隊標準時と呼ばれる時刻に合わせて鳴らすものであり、妾の時間はそこから6時間ほどずれた時間で生活しているから、あてにならぬという。なんとややこしい。
こんな昼も夜も分からぬところで、レティシア殿やリーナ殿はよく生活できるものじゃ。こやつらの神経が知れぬ。特に夜ともなれば、妾を部屋に閉じ込めて、そのまま甘美なる感触に……いや、なんでもござらぬ。
「トヨヤマ港まで、あと120キロ!」
「速力300、高度3500! 到着まであと40分!」
「了解、進路そのまま」
「はっ! 進路そのまま!」
で、妾は今、0001号艦の艦橋と申す場所に立つ。いつものあの広い船の中と比べたら、ここはなんと狭い船なのじゃ。
その代わりに、大きな窓のおかげで外を直接見ることができる。久しぶりに、日の光を浴びることができた。太陽灯などという偽りの日の光では感じられぬ、この心地よいぬくもりと強い光が、妾の心に安心感を与えてくれる。
と、妾の足元に何かが来る。見れば、リーナ殿の息子、エルネスティであった。妾の着物の裾を引いて、何かを訴えておる。
「エルネスティよ、もしやそなた、抱き上げて欲しいのか?」
何となくその意を察した妾は、エルネスティを抱き上げる。数え1歳、彼らが0歳とするこの童は、妾により高みの目線を得て、辺りを見回しながらも頬を赤らめてその気持ちを現す。無口ではあるがこやつ、なかなか好奇心は旺盛であるな。
「おお、すまぬ。エルネスティめ、マツ殿にすっかり甘えておるな」
と、そこにリーナ殿が現れる。妾にはまったく自覚はないのだが、これはエルネスティに甘えられておるのか? 童というものは、よく分からぬ。
「おう、いい感じに馴染んでるじゃねえか」
「だーっ!」
と、今度はそこに、レティシア殿が現れた。何かと威勢のいい童、ユリシアを抱いてこの窓際に来る。
「なんだユリシア、おめえも降りたいのか?」
「だーっだーっ!」
この童も窓際が好きなようじゃ。レティシア殿が降ろすと、窓ガラスに駆け寄る。
……と思うたら、妾のところに来た。そして、着物の裾につかまる。
何をするのかと思うておったら、じーっと着物の模様を見ておる。なんじゃ、そんなに珍しいか、この着物が。男勝りなレティシア殿のお子だと言うても、やはりそこは女子なのじゃな。
「おう、これはな、着物っていうんだ」
「きももっ!」
「おめえも大きくなったら、こういうのを着せてやるよ」
「だーっ!」
今、この娘は何か言わなんだか? こやつ、言葉を解し始めておるのか。だが、何事もなかったかのようにレティシア殿はユリシアを抱き上げると、窓の外を見る。
「おう、そろそろ見えてくるぜ」
そう言いながら、レティシア殿は窓の外を指差す。
「見えるとは……何が見えるのじゃ?」
「ナゴヤの街だぜ」
といっても、ここはまだ海の水しか見えぬ。この海の先に、そんなに大きな街があると申すか?
ところが、やがて遠く靄の向こうにうっすらと何かが見えてくる。そして下に、地面が現れる。
いや、そこにはところどころ、見たこともない建屋が並び立っておる。その数は徐々に増し、ますます高くなる。
なんじゃ、ここは……
気づけばそこは、針山のように立ち並ぶ櫓が、足の踏み場もないほどびっしりと地面を覆っておる。まさかここは、地獄ではあるまいな?
いや、見ればその合間を大勢の民が歩いておる。それだけではない。車と申す、牛車から牛を取り払ったような乗り物が、縦横無尽に走り回る。そのすぐ上には、この駆逐艦よりも小さな船が空を舞う。
「ここが僕の故郷である、ナゴヤだ」
と、そこにヤブミ殿が現れ、こう妾に呟く。
「ナゴヤ……と申すのか」
「そうだ。で、あれがこの街の目印でもある」
そうヤブミ殿が指差すその先に見えるものは、一際高い物見櫓じゃった。
「あれは……あの突き出た長槍のような櫓はなんじゃ?」
「ああ、『テレビ塔』と呼ばれる、恒星間通信用のアンテナだ」
何やら奇妙な響きの櫓じゃな。だが、目印というには相応しいものじゃ。これほど高い建屋に覆われたこの大地で、あれだけはどこからでも見える。
「だけど、ナゴヤのシンボルと言えば、こっちが相応しいかな」
と、今度は別の何かを指差すヤブミ殿。その先には、ぽっかりと櫓のない場所、なぜか緑色の木々に覆われた場所があった。
そして、その真ん中にあるものを見ると、妾の心が激しく揺さぶられる。
ウグイス色の屋根瓦を持つ5層の建屋、天辺には、金の鯱のつがいが置かれ、末広がりの石垣に立つそれに、妾の目は釘付けとなる。
「な、なんじゃ、あれは!? 天守ではないか!」
「そうだ。あれがこのナゴヤのシンボル、名古屋城だ」
「な、名古屋城……?」
周りの櫓に比べれば低く、埋もれてしまいそうじゃが、それでもその石垣と瓦葺の屋根、白い漆喰の壁、そして金鯱の放つ威風堂々たる天守、それを守護せんと配置された二の丸らしき建屋と、それらを囲う城郭と堀。
何という神々しい城じゃ。多少の違いはあれど、まさしくあれは、オオヤマ城並みの難攻不落の城であるのは間違い無かろう。
まさかこのような遠く離れた星に来て、あのように堂々たる天守を目の当たりにしようとは思わなんだ。このナゴヤという地は、侮れぬ。
徐々に離れゆくその城が視野から離れてしまうまでの間、妾はそれを目で追い続ける。やがてそれは、霞の奥に消えていった。
「両舷停止! トヨヤマ港、第7ドック上空に到着!」
「よし、船体、微速降下!」
何やらずらりと船が並ぶ場所に着いた。海ではないが、ここは港だと言う。徐々に下がり、やがて大きな衝撃音が響く。
「繋留ロック、船体固定よし! 機関停止!」
どうやら大地に降りたようじゃ。ようやく、日の光の下に出られる。この昼夜も分からぬ暮らしから抜けられる。
「そいじゃ、行こうか」
「うむ、行こう。まずは食堂だな」
「いきなり食い物かよ。おめえ、よく食うな」
レティシア殿とリーナ殿が、童を抱えながら会話しておる。この艦橋にいる20ほどの兵達も立ち上がり、各々の持ち場を離れて出入口の方へと歩き始めておる。
「よし、じゃあリーナの言う通り、まずはいつものレストランから行こうか」
「なんだよ、カズキも食堂派かよ」
「ちょうど昼食時だ。第一、リーナが何も食べずに宇宙港を出られないことは分かってるだろう」
食欲旺盛なるリーナ殿に合わせることになる、怪力な魔女と10万の兵の将。いずれかの星の国のどこかのご息女だとは聞いておったが、この方の前では魔女も将軍も敵わぬと見えるな。さすがはリーナ殿である。
ガラスをふんだんに使った建屋に入り、広い廊下を進む。するとその向こうに、黒い人だかりが見えた。
「あ、ヤブミ少将だ!」
その者らは、ヤブミ殿を見るや一斉に駆け寄る。手には太い鉄砲、つまり大筒のようなものを、あるいは毛でおおわれた棍棒か槍の類いを抱えておる。何事か、もしや奇襲か? 妾は警戒する。
が、その者らはその棍棒や槍のようなものをヤブミ殿の前に突き立てて、肩に背負った大きな大筒を向けて、かように言い出す。
「今度の遠征では、3人目ができたと伺ったのですが!」
なんじゃ? また「3人目」と言うておる。それは無論、妾のことであろう。しかしなぜ皆は妾のことを「3人目」とばかり呼ぶのじゃ? 別に構わぬのだが、いささかおかしな響きじゃな。
「あの、こちらのマツ殿はですね、戦争の渦中から身の安全を保障するために預かったという方でして、3人目というわけでは……」
と、ヤブミ殿が彼らへ説得を試みるが、その棍棒と槍の先が、今度は妾に向く。
「あの、ヤブミ少将についてどう思われますか!?」
「この星に降り立ち、ご感想を一言!」
「ほかの2人について、どう思われますか!?」
いきなり、これじゃ。槍と棍棒で脅しながら聞くことか? にしても、何から応えてよいのやら……そこで妾はただ一言、こう応える。
「妾は、トヨツグ家が一女、マツと申す。オオヤマの城、いや、天下の安穏のため、妾は身を引き、ここでお世話になることと相成ったまでのこと。天下の民のため、最後まで忠義を誓った家臣のためであれば、我が命をささげる覚悟である」
この妾の覚悟に臆したか、一瞬、静まり返る。その矛先を今度はリーナ殿やレティシア殿に向けて、何かを聞き始めておった。
にしてもあの大筒はなんじゃ? さっきからパシャパシャという音と、奇妙な光を放っておる。妾も何度かむけられた。どうやら鉄砲の類いではないらしい。あの棍棒や槍にしても、別に突いたり叩いたりしておるわけでもなく、ただ向けておるだけじゃ。あれは一体、なんじゃ?
かような連中に囲まれた後に、ようやく再び歩みを進める。思わぬ刺客の相手に疲れてしもうた。はよう、食事と参りたい。
と思っておった、その矢先じゃ。
今度は、女子が一人、我らの前で、まるで鬼の形相でそこに立っておった。
◇◇◇
「ちょっと、カズキさん! 3人目とはどういうことですか!」
ようやく報道陣のインタビュー攻めを抜けたかと思ったら、より厄介な相手が現れた。レティシアの母親、ダルシアさんだ。
「あのですねお義母さん、こちらは3人目ではなくてですね……」
「なんということです!! 今度という今度は、本当に許しませんよ!! こうなったらあなたを倒して、レティシアを引き取ります!!」
「おいおっかあ、ちょっとは話を聞けよ……って、何しやがるんだ!」
ところが、である。ダルシアさんは突如、脇に置かれていた彫像に触れたかと思うと、なんとそれを持ち上げた。
そしてそれを頭上に掲げて、まさに僕に襲い掛かろうとしていた。
そういえば、ダルシアさんが魔女としての能力を見せたのは、初めてのことだ。なんとダルシアさんも、怪力魔女だったのか。
などと悠長なことを考えている場合じゃない。僕に重さ数百キロはあろうと思われる彫像が、正に迫っていた。
「ちょっと待て、おっかあよ!」
「どきなさい、レティシア!!」
レティシアが止めに入る。レティシアが彫像に触れて、僕に振り下ろされる寸前で止まった。まさに、間一髪。だが、レティシアの魔力をもってしても、びくともしない。つまり、レティシアといい勝負の力の持ち主だ、ということだ。
そのままレティシアとダルシアさんの間では、力競べが続く。まずい、何とかしなければ。
ところがである。その僕と2人の間に、マツ殿が入る。
「我が名はマツ! トヨツグ家の最後の一人として、太平を望むものである!」
何を言い出すのか、マツ殿は。さっきからこの武家の娘は覚悟だの天下だのと、言うことがいちいち大袈裟である。
が、その娘の懐から、物騒なものが飛び出した。
いわゆる、短刀というやつだ。あんなもの、いつの間に忍ばせていたのか?
そしてその鞘を抜いて通路の床に投げると、その刃先をなんと自身の喉に突き立てる。
「その太平の乱れの原因が妾というなら、この場にて自害し、取り除こうではないか!」
いきなりの切腹劇である。これにはさすがの2人も慌てた。彫像を放り投げて、2人はマツ殿を抑えにかかる。
「おい待て、マツ!」
「ちょ、ちょっと、何よこの娘は!?」
「マツ殿よ、待たれよ!」
リーナまで駆け寄ってきたぞ。3人がなんとか振りほどいた短刀を、僕は通路の向こうに蹴飛ばした。
「まさか、この娘が3人目っていうんじゃないでしょうね」
「はあ? そうに決まってるだろう。おっかあ、ニュースみてねえのか?」
「いえ、ヤブミ少将に3人目って文字を見て駆け付けてきたから、誰とまでは知らないわ」
この大人の騒ぎに、ユリシアとエルネスティはただ茫然と見守るしかなかった。
ここに、レティシアの父親であるアキラさんとも合流し、そのままレストランへと向かう。
「はぁ~、どうしてカズキさんには、こんな女ばかりが集まるのかしら」
などとぼやくダルシアさんだが、「こんな」の中にはリーナだけでなく、レティシアも含まれるんだが。
「うう、妾の覚悟を示す機会であったというに……」
などと残念がるマツ殿だが、そんなことくらいで死ぬ覚悟を実行されても困る。
「ともかくだ、3人目だと言って、私やレティシアをないがしろにしているわけではない。この通り、我々も受け入れているのだ。問題なかろう」
だからリーナよ、勝手に既成事実にしないで欲しいなぁ。まだ3人目と決まったわけではないのだし。
「ふうん……にしても、和装とは珍しいわね。それに、なんだか可愛らしいというか、京人形のようね」
「だろ? だから俺とリーナが気に入っちゃってよ」
「そうなのね、でもどうしてこの娘、こんなに胸が小さいのかしら……」
「いや、待たれよ……ちょ、そこは……」
「何を言われるか、ダルシア殿よ。なればこそ、いいのではないか」
などと言いながら、ダルシアさんはマツ殿を遠慮なくいじり始める。しかし、何を盛り上がっているのだ、この3人は。
で、僕はユリシアに幼児食を与えながら、やってきたハンバーグステーキを頂く。リーナはマツ殿の胸の辺りをいじりながら、エルネスティに食事を与えながら自分もハンバーグステーキを食べる。器用なものだ。
「そうか、今度は攻城戦に出くわしたのか」
「はい、そうですよ、お義父さん」
「うーん、燃えるねぇ。大坂夏の陣のようだな、うらやましい」
いや、アキラさん、あの硝煙の香り漂う戦場に足を踏み入れるのは、それほど気軽なものではないですよ。いつ砲弾や銃弾、矢が飛んでくるかも分からない城の中にいるのは、あまり心地いいものではない。ましてや民間人が、あの緊張の渦中に長時間滞在して、耐えられるのだろうか?
能天気なお義父さんの話を聞きながら、すっかり意気投合しているダルシアさんと他の3人を見て、僕の気持ちは複雑だ。僕はついさっき、その中心にいるマツ殿のおかげで、まさに彫像で叩き殺されかけたんだが。そんな出来事などなかったかのように和んでいられるのはなぜだ?
「4人目はないからね! 分かりましたか、カズキさん!」
と言い残して、早々にヨコハマへと帰るダルシアさん。うーん、僕だって別に、増やしたくて増やしているわけではないのだが。
「おう、よかったじゃねえか、これでおっかあにも許されたぞ」
されたのか? あれで。いや、その前に僕がまだ何も認めていないんだが。どうして周囲は、マツ殿を3人目にしたがるんだ。本人抜きにして。
しかし、マツ殿はおとなしいな。初めて食べたハンバーグステーキの味には舌鼓を打っていたマツ殿だが、この空中バスの中では静かに座る。
しかし、窓の外にあれが見えてきた途端、興奮する。
「ヤブミ殿! 名古屋城が!」
そういえばこのバスは、あの城の天守閣のそばを通る。高度的には、ちょうど真横に鯱を捉えることができる。席から立ち上がって、あのナゴヤのシンボルに見入るマツ殿。
やがて、メイエキに到達する。マツ殿はといえば、国際バスターミナル前に溢れ返る人混みに目を奪われる。
「なんじゃここは……戦さでも始まっているのか?」
いや、そんなわけないだろう。レティシアが応える。
「何言ってるんだよ。これがナゴヤの普通だぜ」
「なんじゃと!? ナゴヤでは戦さが普通と申すか!」
「だから、戦さじゃねえって」
「いや、ある意味で戦いの最中であろう。彼らは皆、戦士であり、日々家族のため、己が属する組織のため、あのように駆け回っているのだから」
上手いこと言うリーナだが、今はむしろ誤解を深めただけではないのか? 降下するバスの中で、マツ殿が怖がっているぞ。
リーナが余計なことを言うから、群衆に恐れをなして、バスから恐る恐る降りるマツ殿。
なんとも落ち着きのないマツ殿だ。辺りをキョロキョロと見回している。リーナが余計なことを言ったからだろうな。
ともかく、どのみちこの雰囲気に慣れてもらうしかなかろう。ここは、そういうところだ。周りの人々が無害と分かれば、マツ殿も落ち着くことだろう。
◇◇◇
武器は、持っておらぬようだな。戦いを繰り広げているわけではないことは、すぐに察する。
が、自ずと別の問題が沸き起こる。
ここでは、着物姿をしておるのは妾だけではないか。皆、さっぱりとした簡素な色と見た目の服ばかり。派手な色の着物を着る妾は、何気に目立つ。
恥ずかしいというか、ともかく目立つのは困る。こんなことであれば、あの戦艦オオスの街にて、無難な服を選んでおけばよかった。今さらにして、後悔致す。
街道を素早く走る牛のいない牛車は、あの街でもよく見かけたが、ここはその数が違う。道の広さも尋常ではない。やはり大地の上なれば、何もかもが大きい。
「さてと、まずは宿舎に向かうか」
「おう、いよいよマツも、カズキと同じ屋根の下か」
「はぁ!? いや、別の宿舎を用意してもらってるはずだが……」
「何言ってんだ。今夜から一緒に決まってるだろう」
「だーっ!」
何やら、妾の住処について、ヤブミ殿とレティシア殿の間で揉めておるようだ。だが、宿舎とはなんだ?
ヤブミ殿は、牛車の一つを止める。中に乗り込むヤブミ殿とレティシア殿、リーナ殿、そして子供ら。妾も手招きされて、恐る恐る乗り込む。扉がぷしゅーと音を立てて閉まると、すぐに走り出す。
「着いたらよ、まずはカズキのおっかさんに会いに行こうぜ」
「いや、それはいいが、明日でも良くないか?」
「何言ってるんだよ。うちのおっかあにマツのこと認めてもらったのに、おめえのおっかさんに会わせないでどうすんだよ」
「まあ、それはそうだが……」
「俺の予想だが、ぜっていおっかさんは気にいると思うぜ」
「うう……そういう問題じゃないんだが」
そうか、考えてみればヤブミ殿にもご両親がいらっしゃるのだ。かような関わりとなれば、無視するわけにもいくまい。
物見櫓よりも高い、ビルと申す建屋の間を牛無しの牛車で走り抜けると、やがて大きな建屋の前で停まる。牛車から降りると、レティシア殿がその建屋に駆け寄る。
この建屋、ビルとは違って横に広い。窓が幾つも並んでおり、まるで城のようでもある。
「ん? どうしたマツ。なんか気になることでもあるんか?」
「城……ここは城でござるか?」
「は? んなわけねえだろ。ここは高層アパートだぜ」
「高層……アパート?」
「要するに、人の住処だ。ここの一室に、俺らは住んでいるんだよ」
なるほど、住処か。ヤブミ殿は武人であるから、住処も当然、堅固な城なのは当然か。
「さてと、荷物置いたら、すぐにおっかさんのところに行こうぜ」
「ああ、それは構わないが」
「うむ、そうであるな。ついでにカズキ殿の母上と共に、下の喫茶店に行こうではないか」
「なんだよ、もう食うのか……」
と、レティシア殿はぶつぶつと言いながらも、皆の荷物を抱えてエレベーターの方へと向かう。リーナ殿は、2人の子供を抱えて乗り込み、ヤブミ殿がそれに続く。
「ほれ、ここが俺らの部屋だぜ」
「ここが……」
「大所帯になっちまったからな、ちょっと狭いが、まあ何とかなるだろう」
外から見れば城壁と鉄砲櫓を兼ねたような城に見えるが、中はこじんまりとした質素な感じの部屋があるだけじゃった。
が、窓の外の眺めがよい。凛々しく立ち並ぶ物見櫓の街の碁盤目状の路地の合間を、人や牛車がひしめいているのが小さく見える。
思えば、おかしなところに来てしもうたものじゃ。妾にとってなじみのあるものなどほとんどない。ここに来る途中に見えた、あの名古屋城と申す城だけが、妾にとって親近感ある建屋であった。
「そいじゃ、おっかさんのところに行くか」
「ああ、そうだな」
ついに、ヤブミ殿の母上の元へ参ることになった。が、妾はそこで違和感を感じる。そこで妾は、ヤブミ殿に尋ねる。
「つかぬことを伺うが、ヤブミ殿の父上はどうされたのじゃ?」
「ああ、僕の父親はずっと昔に亡くなったんだ」
「なんじゃと!? まさか、戦さか!」
「そうだね、艦隊戦で艦ごと消滅した」
「それは……知らぬこととはいえ、余計なことを申した」
「いや、どのみち母さんに会えば分かることだし。それにもう、昔のことだからね。ま、そういう事情もあって、この軍の宿舎に母さんは住み続けていられるんだ」
なんと、ヤブミ殿も戦さで父上を亡くしておったとは。飄々とした態度ゆえに、さぞかし幸せを謳歌しておるものと思うておったが、意外な過去を抱えておることを知る。見かけだけでは、その者の闇の部分を伺い知ることはできぬということか。
「ええと、それじゃこのままおっかさんのところへ行くぜ」
と言いつつ、今度はエレベーターを下って、同じ建屋の別の階層にて降りる。回廊を歩き、ある扉の前で立ち止まる。
「おう、おっかさん。俺だ、レティシアだぜ」
『あら、そろそろ来るとは思ってたけど。ちょっと待っててね』
壁にある立札のようなものから女子の声がする。その直後、扉が開く。
中から出てきたのは、やや老けた女子が一人。そやつが妾の方に目を移すと、こう言い出しおった。
「ああ、こちらがカズキの3人目さんね」
またもや妾は「3人目」と呼ばれてしもうた。




