日常の非日常的な私の話
味気のない春だ。
郵便局からでて空を見上げようとすると、建設中の高架橋に遮られていた。
ガスとタバコの入り混じった汚い空気と色のない白黒の人間たち
都会にきてから私も彼らのように色褪せているように感じた。
地獄に落ちたかのような絶望があるわけでもないのに胸にいつも大きな穴が空いてる。
この穴の埋め方を探していたけれど、この世にはないと気づいてしまった。
大きな人たちは声を揃えて「生きてるうちに見つかる」と言ったけど、
私は何となくで生きてることが苦しかった。
考えなしに生きていけない私は、考えることがなくなれば自殺しようと思っていた。
そして、考えることがなくなった。
だから死ぬ。
でも、せっかく死ぬなら面白いことをしてみたいな。
今はSNSが流行の鍵だから、自分が自殺するまでの日記でも投稿してみようかな。
別に共感して欲しいとか、慰めて欲しいとかじゃなくて、
今まで人間が死ぬまでの日記なんてもの読んだことないから私がやってみるのもいいかなって
私が死ぬまでの話
それだけ。
1日目
書きたいことは山ほどある、例えば人生観や生い立ち、自己紹介とかもしないとなって思ったけれど、
書くことがなくなった日にでも書こうかな。
だから今日は今日の話をしよう。
趣味で音楽をしているけれど今日は一段と喉の調子がダメだった。
昔は大声出しても元気いっぱいだった声帯が今では全く使い物にならない。
恐らく健康面の問題だろう、わかりきっていることだ。
1日一食か食べないか、一人暮らしをし始めた時からずっとこの生活リズムだ。
食べることが嫌いとかじゃなくて単純に食欲が湧かない、お腹が空くって感覚があんまりないっていうのもあるけれど何も気にしていなければ寝る前に「あ、今日食べてないや」って気づく。
そのせいで体重は平均体重の-15kgくらいだっけな、流石に何か食べないとと思って
お湯にもやしと豆腐、それに鶏がらスープの素入れて食べた。
いつものように家を出て両耳をイヤホンで塞いで私の好きなアーティストの音楽を聴きながら夜道を歩いた。
雨で濡れた地面とどんよりとした空、虚しい空気の中女性の弱々しくそれでいて心臓を掴むような歌声が聞こえる。
単純でわかりやすい歌詞を自分の人生に照らし合わせて誰もいない公園で時間がすぎるのをただ待っていたが、
ふと「死にたい」って思った。
病んだとか、ストレス過多とかじゃなくて、ちゃんと死ぬことに向き合わなきゃなって思って死んでみることにした。
人生一度きりってよく言われるけど、どれだけ逃げてもいつかは死ぬんだしそれが今か50年後かの話。
いつ死ぬかわからないまま生きるくらいなら自分で余命を決めてそこまでは絶対に死なない、その日には死ぬ!
って決めた方が面白いなと思った。
正直、自殺することを決めたからといって絶対に死ねるかなんてわからないけれど、
死ぬことを決めた人間なら何かしら頑張るんじゃないかなって。他人事だけど。
今日はここら辺であとは明日。
あと2ヶ月と29日




