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⑶『書く概念が崩れ、現実に対象を求める狂い』・・・終わりに

『書く概念が崩れ、現実に対象を求める狂い』


  ・・・終わりに



些か評論的になった今回の狂いであるが、単純に考えれば、こういった狂いも、執筆段階における、一時的な狂いなんだろうと思う。崩れたことを、現実に求め、その対象が崩れたこと、という論理で運んだ訳だから、もうそのこと自体が狂っている。

狂いとは、その刹那を見れば、確かに美しくもある。儚さとは、儚いが故に美しいが、儚いという現象の中にいるときは、美しいだなどとは考えている暇などなく、現実に縋りつくことに必死であろうから、儚さの美しさとは、現象以後の状態のことを指すだろう。



もういろいろと書いてきて、それでも狂いという現象を考える時、狂いとは何だろうと思うことは多々ある。自分が述べてきた狂いにも、様々な形を持っているが、小説に狂っている時は、確かに精神が昇華されていくという、不思議な体験をするものである。

そしてまた、タイトルにある、現実に対象を求める狂いも、やはり、現実を小説化するという狂いなのであるから、現実に狂っているともいえる。それは、身体が狂うのではなく、現実が狂っているのを、身体が小説に具現化するということなのだ。



誰もが、狂いたい訳ではないのだが、自分は何度も述べてきたが、狂うという現象に、ある種の美的欲求を見ている。それは、生きる上で、一つの経験値となると思うからである。周りが見えないほどに狂うことは、狂えるというセンスが必要だろう。

今の自分は、まだ書く概念が崩れているとは思わないが、いつ崩れてもおかしくないという論理は、人間はいつ死ぬかわからない、という論理と同一だ。やがて、生きていくうえで、書く概念が崩れた時、現実に書く対象を求めて、大衆文学的なものすら、純文学的に見れるような、第三のフォームのことを考えていたいし、狂っていたい。

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