初めの一歩
暫くして、部屋にローレン達が戻ってきた。アイシャの足の怪我を見た216は驚いていた。アイシャは大丈夫と気丈ではあったが、無理をするなとたしなめられていた。
話によると、216の知り合いに薬に詳しいものがいるらしい。この街に一緒に来ているということで、明日の朝に診て貰えるよう伝えておくとのことだった。
「それじゃあ、そろそろ戻るとするよ。さっきからずっと、窓の外からうちの団長の声が聞こえてくるもんでね。止めないと際限なく飲むからな、あの人」
窓の外からは、グスタフの名を大声で連呼する街の人々の様子が窺える。よほど気に入られているのか、祭り上げられているのか。確かに、先ほど見た大柄な男であれば、いくらでも酒を飲めそうだ。
「私たちも帰りましょう、ハロルド」
「そうだな。ダン、助かった、ありがとな」
「気にするなよ」
そうして僕たちは帰路についた。街は浮かれた様子だったが、ハロルドは尚も心配だと言い、結局フィーアの家まで見送りに来た。
この辺りまで離れてしまうと、街の音から解放される。216はまだ、あの輪の中で騒がしくしているのだろうか。
家に入り、ソファにどっかりと座ると、疲れからか瞼が重くなる。意識が遠のく中で、今日という一日を思い返していた。
朝から不穏な空気だったり、フィーアが襲われたり、暴れる相手を倒したり。何より、216に再開できたり。色々な事がありすぎて、まどろみの中、これは夢だったのではないかとも思えた。
そうして、僕の意識は更に深く沈んでいった。フィーアが僕の顔を覗いてクスクスと笑う姿が、薄ぼんやりと見えた気がした。
翌朝、窓から注ぎ込む日の光で目が覚めた。起き上がろうと手に力を入れた時に、ずきりと痛みが走った。そうだ、僕の両手はボロボロのままだった。
歯を食いしばって体を起こす。一息つくと、何やらいい匂いが辺りに立ち込めていた。空っぽの胃がクウとなる。フィーアが料理を作っているのだろう。昨日あんな事があったというのに、無理をしていなければいいが。
手伝おうと立ち上がった時、キッチンからフィーアがひょっこりと顔をのぞかせた。
「あら、お目覚めかしら。ちょっと待ってて。朝ごはんにしましょう」
「僕も運ぶのを手伝うよ」
まだ拳を握ると痛みが走る。その痛みは、昨日の事が現実だったと感じさせた。
痛む手をじっと見つめ、ふぅと息を吐く。大丈夫だ。
野菜のスープとサンドイッチが、すっかり空っぽの胃を満たす。
「あれからお料理は随分上達した気がするわ。やっぱり、誰かに食べてもらうっていうのが大事なのかしらね」
「僕は初めから、ずっと美味しいと思っているけれどね」
照れるフィーアに、これもおいしいよ微笑みながら、三つ目のとサンドイッチに手を伸ばした。
朝食を済ませ一息つく。食器を洗い終えたフィーアは、自室へ戻り準備をしている。216やローレン、アイシャの様子を見に行くのだ。昨日の今日で店を開くのは難しいとハロルドは言っていた。雑貨屋は臨時休業だ。
お気に入りらしい小さなバッグを片手に、フィーアが部屋から出てきた。
「それじゃあ、行こうか」
声をかけて、庭に出る。振り向くと、フィーアは玄関でじっと家の中を見つめていた。
「行ってきます……」
いつもとは違う雰囲気だった。行ってきますの後に何か続けていたが、僕の位置からは聞き取れない。振り返ったフィーアの顔には、いつもの笑顔が浮かんでいた。
「さあ、行きましょう! ニーゴ」
そうして、僕たちは街に向かった。
門の周りでは、警備隊がせわしなく働いている。何しろ、建物も何もかもが傷つけられているのだ。復旧には時を擁するだろう。
ともあれ、ダンの家に向かうと、すでに216やハロルドも集まっていた。
「あれ? アイシャちゃん、包帯はいいの?」
見ると、アイシャの足からは包帯がとれ、怪我など無かったかのように平然と歩いていた。216の言っていた治療が済んだらしいが、何をしたのかは二人とも教えてくれなかった。
その後、ダンはローレンとアイシャを家に送るために馬車を出し、ハロルドは力作業の手伝いでと連れ出されていった。216とフィーアと僕。三人だけが残った。
「そういえば、君の家は街の外にあるんだろう? 近くにあるとは聞いていたが、ここに来る途中、そんなものは無かったように思えるんだけど、どの辺りにあるんだい?」
「私の家は、私が招いた人しか見えないように、おまじないがかけられているの」
「へえ、それが君の能力なのか」
「いいえ、違うわ。パパとママが、私のために残してくれたものなの」
「君のご両親が……それにしても、家を見えなくしているし、君の意思でしか干渉できないなんで、ニーゴと同じような状態なんだね」
言いながら、はっと目を見開いた。何やら思いついたようで、腕を組んで考え込んでいる。
「もしかしたら、君のご両親のことを調べれば、ニーゴが元に戻る手がかりになるんじゃないかな? 昔からこの辺りに住んでいる人なら、何か知っているかもしれない」
その言葉に、ふと懐かしい人の顔が浮かんだ。孤児院時代、随分とお世話になった覚えがある。ぼそりと、その人の名前が口からこぼれた。
「ティーレン先生……? って何所かで聞いた事がある気がするけど……」
その名前を聞いて、フィーアが不思議そうに聞き返した。その隣で、216はにやりと笑う。
「やっぱり、ニーゴもそう思うか」
フィーアはよく分からないと首をかしげていたが、善は急げと、僕たちは、ガルナーレと向かう事にした。駅は人でごった返していて、次に乗れる馬車が来るまで、しばらく時間がかかりそうだ。ぽかぽかとした陽だまりの中、僕たち三人はゆっくりと待った。
消えた体を取り戻す。
まるで雲を掴むようで、途方もない旅になるかもしれない。それでも僕たちは、三人集まったこの陽だまりから、初めの一歩を踏み出すのだった。




