逃げ出した先
研究所の前。暫く続いた喧噪が、わずかながら静かになっている。
木々の隙間から研究所を覗く。暴れている男たちが見えるが、同時に、先ほどより場が落ち着いているように感じた。
森に響く叫び声もいくらか小さくなっている。暴れつかれたのだろうか。
「……おい、数が減ってないか?」
クラフトが指した先を目で追う。道なき道へ、飛び込む女が見えた。見覚えのある獣道だ。彼女は何所に向かっているのだろうか。
見渡すと、確かに数が減っている。彼女と同じように、方々へと散ったのだろうか。
そんな事を考えていると、後方から声が上がった。
「おい! あいつら、街の方へ向かっているぞ!」
サンダが叫ぶ。俺達が登ってきた道を、暴走した何人かがとてつもない速さで下っている。上体を左右に揺らしながらも、一心不乱といった様子だ。
彼らがどんな能力化はわからない。だからこそ、このまま街に向かわせるわけにはいかない。
そう思った時には、すでにシュネリとヴィテスが走り出していた。恐ろしい速さだ。他の皆もそれに追随するように走り出したが、二人は一瞬のうちに追い付くと、その手はあっさりと相手の首元を捉えていた。
本気を出した二人は、あれほどに早かったのか。そう思った矢先、小さく悲鳴が上がる。シュネリの体が、ふわりと宙に浮くと、強く地面に叩きつけられた。
俺が二人肩車していたとしても、その上を越えてしまうほどの高さに吹き飛ばされたシュネリは、落下の衝撃で気を失ってしまったようで、ピクリとも動かない。
首をつかまれていたはずの男は、その右腕がまるで熊のように肥大化していた。殴られたのか、振り払われたのか。いずれにしても、その腕はただの凶器でしかない。
「シュネリ!」
ヴィテスが叫ぶが、彼もまた、別の者を相手取っている。長い髪、華奢な体。男か女かこの位置からでははっきりしないが、その姿勢や骨格から、男ではないかと思われる。
その男が髪をふわりとなびかせながら、くるりとその場で一回転する。すると、その毛先に触れた草花や木々が舞った。まるで鋭い刃物で切られたかのようであった。
ヴィテスの右肩から血が出ている。細く切られた傷であった。相手の攻撃はもちろん初見である。躱しきれなかったのだろう。
突っ伏したシュネリの元へ駆けつけようにも、長い髪の男が邪魔で動けないようだ。
気を失ったシュネリにとどめを刺さんと近づいてくる剛腕の男の前に、サンダ達が駆けつけていた。短い時間とは言えども、シュネリが止めたからこそ追いついたのだ。
皆が必死で止めに入る中、俺はその場を動けずにいた。頭の片隅で何かが引っかかる。さっき女が入っていった獣道が俺の目線を誘う。
そうだ。思い出した。女が入り込んだ獣道。あの道はローレンとアイシャの家がある道だ。
「なんてことだ……」
完全に出遅れた。あの家まで辿り着かせてはいけない。
「おい、ニーロ! どこへ行くんだ!」
「別の道から山に入った奴がいる! 済まないが、俺はそっちを追う!」
クラフトの返事を待つこともなく、俺は飛び出した。女を追って、細い道を走る。
随分と先へ進んでしまっているようだ。葉が頬を切る。草が手足を傷づける。そんな事お構いなしに、ただひたすらに足を動かした。
どれだけ走っただろうか。見知った家が、目の前に現れた。ローレンとアイシャの家だ。女よ、いてくれるなと願った。二人とも、無事でいてくれと祈った。
しかし、その願いはあっさりと打ち砕かれてしまう。玄関先、ドアの前。先ほどの女がそこに立っていた。
異様なまでに伸びた指。いや、本当に指なのだろうか、嫌に細長い。
女はこちらをチラリと見ると、まるで逃げるように走り出した。この道の先はまずい。このまま逃がしてしまうと、街道へ出てしまう。
必死に追いかける。予想していたより、女の足が速い。このままでは逃がしてしまうと思った。仕方がない。
俺は一つ深呼吸をすると、集中力を極限まで高める。一瞬だ。地面を強く蹴り込むと、力を込めて一歩踏み込む。
成功だ。瞬間移動した先で、女を待ち構える。後ろで馬車が走り出していた。奴が来る前に早く逃げてくれと、心の中で呟く。
暗がりから、女が現れた。俺の姿に驚き怯む。それを見逃さない。
一閃。拳が女の腹を捉える。
痛みに悶絶しているのか、怒声にも悲鳴にも似た唸り声を上げながら、女は転げまわっている。その声は長く続き、声が聞こえなくなったころ、その意識を失っていた。
気絶した女を担いで、元来た道を戻る。ローレンの家の庭。確かこの辺りにロープがあったはずだ。
身動きが取れないよう、しっかりと縛ると、二人の様子を見に、中へ入った。
「ローレン、アイシャ。無事か? 俺だ。ニーロだ」
二人が安心するよう、大きく明るい声を出すよう努めた。しかし、二人からの返事はない。嫌な予感を振り払うように歩を進める。
どうやら、祈りも届かなかったようだ。
女が暴れまわったのだろう。壁や柱の至る所が傷だらけであった。そして、その家にいるはずの二人は、どこをどれだけ探しても、とうとう見つける事が出来なかった。




