決意の夕暮れ
朝食を済ませ一息つく。食器を洗い終えたフィーアは、自室へ戻り何か準備をしている。これから仕事に向かうと言っていたので、その準備だろう。
小さなバッグを片手に持ち、玄関で僕に向けて小さく手を振るフィーアに、ソファに座ったまま笑顔を返した。フィーアは行ってくるわと言い残し、家を出て行った。
家の中に一人。さて、僕はどうしようか。この小さな家に、フィーアは一人で住んでいるという。どのくらい昔からなのかは聞いていないが、棚の上の写真以外に飾りらしい飾りもなく、そこに映るフィーアの姿も赤ちゃんなのだから、かなり幼いころに離れ離れになっているのではないだろうか。
もしかすると、両親はすでに他界しているのかもしれない。きっと彼女は、一人で過ごす寂しさを、僕なんかよりよっぽど知っているのだろう。
それでも、あれだけ明るいのだ。彼女の明るさは、周りを照らしてくれるほどだ。長く一人で暮らしているだろうに、その辛さや寂しさが影ほども見えない。僕を見つけてくれたのが、彼女でよかったと心の底から思う。
しかし、フィーア以外とは話すことも出来ないというのは、本当に困った。このままではいけないだろう。フィーアにずっと迷惑をかけ続けるわけにはいかない。正直なところ、自分に起きている事についてはまだ良く分かっていない。それでも、目指すべきものははっきりしている。
体を、取り戻す。
食事は出来ているし、物を運ぶこともできているのだから、きっと体はあるのだろうと思う。それが見えないように消えてしまっているだけのはずだ。その昔、宿屋で働いていたころに聞いたことがある。
色々な能力の中に、空間を一瞬で移動する魔法のようなものがあると。僕の透明化も、それに近い能力なのかもしれない。
フィーアだって、幽霊を見ることが出来るようだし、僕に触れることもできるのだ。研究所で起きた事故の中で、僕の能力が暴走しているのかもしれない。
本来は何かのきっかけで一時的に透明化するはずが、それがすっと続いているような状態なのだろうと思う。その能力を解除できれば、またこちらの世界に姿を見せられるかもしれないのだ。
方法などは見当もつかないが、可能性が有るならば、それに賭けてみたい。僕自身の能力であるのならば、それをものに出来れば良いのだから。
研究所の中でも、訓練で能力強化に成功している人を見たことがある。僕たちはまだ覚醒前だったのでそのやり方などは気にしていなかったが、それをこんなに後悔することになるとは思っていなかった。
フィーアに救われたのだから、諦めるわけにはいかない。それに、もう一つ、僕は親友の彼に、216にはまだ恩を返せていない。小さいころから守られ続けてきたんだ。きっと216もあの事故に巻き込まれたはず。強い216であれば大丈夫だと信じているが、それでもやはり、もう一度会いたい。
僕の能力がこうなってしまっているのだから、彼の能力も暴走してしまっているかもしれない。そうであるならば、僕が助けなければいけない。僕はまだフィーアに救ってもらえたが、216はまだ一人で寂しくしているかもしれないのだから。
よし、と気合を入れて、立ち上がる。いや、立ち上がろうとした。どかりとソファに倒れ込むように座った。全身が痛い。まだ昨日の疲れがとり切れていないようだ。本当に、自分が思っている以上に体は傷だらけだ。こんなにボロボロになるまで必死な行動をしたのは初めてだった。
自傷気味な笑いが出る。僕はこんなにも、一人では駄目だったのか。どれほど皆に支えられていたのだろう。この痛みが一時的なことだとはわかっているのだが、悲しみと悔しさ胸の中ににじみ出る。これではいけないと首を振り、まずは体を癒やす必要があることを悟った。
フィーアに頼んでみよう。図々しいかもしれないが、もう少しだけ、この家にいたい。その中で、少しずつでもフィーアに恩返ししよう。僕に出来ることはなんだってやろう。
彼女はきっと、微笑んで頷いてくれるだろう。彼女はやさしい。そのやさしさに甘えるようで、少し心が痛い。そして、その甘えた考えを話しても、彼女はきっと微笑みを返してくれるのだろう。
動かない体でソファにぐったり体重をかける。色々なことを考えているうちに窓の外は橙色に染まっていた。もうこんな時間かと上体を起こす。ちょうど、フィーアが帰ってきた。今日は少し早めに仕事を切り上げたらしい。わざわざ、僕の様子を見に戻ってくれたのだ。
僕は、彼女に話した。研究所の事、216の事、そして、しばらくこの家において欲しいということ。彼女の返事は、思っていた通りだった。
「もちろん、いいわよ。あなたに名前を付けてくれたお友達よね。そんな大事な人ですもの。ちゃんともう一度会わなければいけないわ」
私も何か協力するわ、とフィーア。やはり、笑顔が帰ってきた。今は、この笑顔の中にいよう。僕は幸せ者なのだ。216を見つけたとき、この幸せがきっと支えになってくれるだろう。
少し早い夕食の準備に向かうフィーアの後をついて行く。何か手伝えることもあるだろう。体中が痛み、きしむ音が聞こえるようだった。手伝うどころか、足を引っ張りかねないなとまた小さく笑ってしまった。