クラフトとマハト
結局は詰所の中で気を抜いたまま空を見上げているだけだった。まあ、こんな朝早くからやることなど無いなと自嘲気味に笑う。気が付けば、空は明るくなっていた。もうしばらくすれば、街も穏やかな活力が伸びてくるだろう。
流れる雲を見ていた時に、ふと視線を落とした。窓の外に、明らかにこちらを見ている男がいる。じりじりと近づいてくるその男。その目線ははっきりと真っ直ぐに俺に向けられている。
小柄で、若い男だ。この街であれ程に黒く染まった髪は珍しい。もしも見たことがあるならば覚えているだろう。恐らくは、この街の人間じゃない。そして、その男の瞳に映る熱量は、決して気持ちの良いものではなかった。
ゆっくりと立ち上がる。精一杯警戒する素振りを見せる。今ここは俺一人しかいないとはいえ、真正面からこの街に挑んできたのだ。それなりの規模になりつつある自警団である。この街について知らないか、もしくはよほどの馬鹿か。
男の歩みは、そのどちらでもないことを伺わせる。自信があり、勝算があるからこそ真正面から来ているのだろう。小さく息を吸うと、少しずつ力を蓄える。
詰所から一歩出る。朝の柔らかい風が吹き抜けていく。相手はどんな能力などはわからない。が、もう少しで瞬間移動を狙える範囲に入る。どんな相手であろうが、不意を突いて一撃を決めさえすれば勝てる。その自信もある。
じりじりと間合いを詰める。そして、入った。この位置ならば、確実に懐に潜り込めるだろう。発動する。その時だった。背後、頭のほんのすぐ後ろから、風を切る音が聞こえた。
振り返る。瞬間移動に意識を集中させすぎていた。こんなにも近くに、別の男がいようとは。そして、その男には見覚えがある。その握りしめた鉄の棒には見覚えがあるのだ。
男が腕を振り下ろしている。それは、まるで停止しているかの如くゆっくりとしたものに見える。振り返る時に俺は態勢を崩していたが、能力に引っ張られるように、自分の意識の外で体が跳ねた。
その体は、小柄な黒髪の男のすぐ目の前まで移動した。ほとんど密着する程の至近距離である。黒髪の男より一回り大きい俺がいきなり目の前に現れたのだから、急に視界が真っ暗になるような気分だろう。
腹に一撃。馬にでも撥ねられたようにその小柄な体は吹き飛び、壁に激突する。奇襲に動揺していた俺は、その加減が出来ていなかった。男がぶつかった壁は、特にその両手の部分が大きくへこんでおり、その衝撃から大きな音が響いた。
振り返り、もう一人の男をみる。細身の体に、弾けるような金色の髪。あの日、アイシャを襲ったあの男に間違いない。
「焦った。もう一人いたとはね」
出来るだけ余裕を見せる。虚勢を張る。先ほどの攻撃を避けることが出来たのは、正直運が良かった。瞬間移動の発動前であれば、間違いなく頭部を殴打されていただろう。
それに気づかれる訳にはいかない。奇襲が失敗して、相手は動揺しているだろう。まだ他にも仲間が隠れているのかもしれない中で、こちらの弱みを見せるわけにはいかないのだ。
「化け物め……」
金髪の男から、苦々し気な声が漏れ聞こえてきた。こちらを殊更警戒した様子で、小さく後退っている。仲間が一瞬でやられたのだから、それも仕方がない事だろう。しかし、もう瞬間移動は半日は使えない。他に隠れているだろう敵が襲ってくる前に、どうにか近づけないだろうか。
にらみ合っていると、周囲の家々から、住民が顔をのぞかせた。先ほどの激突音が響いたのだろう。その住民の中の一人に、俺は目を奪われた。
ティーレン先生。鉄門を開いて、ゆっくりとした足取りで外に出てくる。少し前まで病床に伏せっていたはずだ。アルツの看病によって回復したらしい。それでもまだ、その足取りは少しだけふらついている。
そして、金髪の男が、俺と同じく先生を見ていることに気が付いた。まさか。そう思った時には遅かった。男は地面を蹴り、先生に手を伸ばしている。俺の位置からでは、間に合わない。
やめてくれ、と叫んだ時、ティーレン先生の家の中からもう一つの影が飛び出してきた。その影は、男と先生の間に割り込む。先生を守るために、男を止めるために飛び込んだその時、男の両の掌から、火花のようなものが飛んだように見える。ざまあみろ、叫ぶ男の声。転がる影を見て、男は驚きの表情を見せていた。
俺もまた、飛び込んだ男の顔を見て、愕然とした。病み上がりだったはずだ。もしかすると、アルツが来られない今、ティーレン先生の様子を見に来てくれていたのかもしれない。その倒れた影は、まさしくクラフトであった。
暫く体が固まっていた。状況が整理出来ていなかった。金髪の男がクラフトを抱えて走り出す。追おうと足に力を込めたとき、背後で誰かが動く気配がした。先ほど吹き飛ばした小柄な男だろうか。
振り返ると、確かにその男は目を覚ましていた。そしてその横に、昨晩見た記憶のある、束なった髪の毛をもつ女性がいた。そして彼女は、確かに昨日の昼にクラフトと話していたその人であった。
「彼がどうなってもいいの?」
女はクラフトを指さして笑う。見ると、クラフトの首は、金髪の男によって握られている。あの状態で、男の能力を使われてしまえば、クラフトの息は無いだろう。
「大丈夫よ。私たちを逃がしてくれるなら、彼は街外れにでも置いておくわ」
そんな事を言いながら、金髪の男と黒髪の男、そして髪を束ねた女の三人は、クラフトを連れたまま門の方へと逃げて行った。




