傷だらけの大熊
その日からも、たまに街を抜け出しては瞬間移動の練習をした。夜は、身体能力上昇と合わせて修行をする。一日に数度しか発動出来ないとは言え、少しずつ目標の杭の近くに出現出来るようになってきた。もちろんまだ満足などしてはいないが、実践投入する絵も浮かんでいる。
自警団での見回りや書類仕事などにも少しずつ慣れ、また練習の成果が出ていることで、少しずつ自信は回復していった。それでもまだ、クラフトに折られた天狗の鼻は完全には戻っていない。
そんな日々を過ごしていた時だった。クラフト、アルツと三人で、街の南側を見回りしていると、街のすぐ外から、不穏な気配を感じた。遠くから、低い唸り声のようなものが聞こえる。耳を澄ますとそれは少しずつ近づいてきているようだった。
「おい、ニーロ、気が付いたか」
「ああ、何か聞こえるな。多分これは人間じゃない。山から何か降りてきたのか」
確かめなければと、三人で顔を合わせて頷く。今いる場所は南詰所の付近であり、少し西に進むと街から出るための門がある。唸り声の主もまた、そちらから聞こえるようだ。急いで街の外にでた。そこには、今まで見たこともないような巨大な熊がいた。
通常この辺りで見かける熊の数倍はありそうな体躯である。丸太のよう太い手は、その片腕だけでも大人の男と同じ重さではないだろうか。その手の先の爪は、それ一つで掌ほどの大きさがある。その巨躯を覆う毛は針のように逆立っている。
何かと戦った後なのだろうか、全身傷だらけのそれは、すぐにでも暴れ出してしまわないかと思わせるほどに、明らかに気が立っている様子であった。
その大きさと、大熊が放つ重圧に、一瞬足がすくむ。それは他の二人も同じようだった。これほどの大きさの生物を、見たことはない。
「おい、クラフト、お前動物を従えられるんだろ」
緊張を悟られないように、俺はクラフトへ軽口を叩いた。
「そうは言っても、あの大きさの動物は経験にないよ」
「あれ、街に向かって来てるじゃない。どちらにせよ止めないといけないわね」
先ほど感じていた事は正しかったようで、大熊は確かに真っ直ぐ街へ向けて歩いて来ている。それは空腹から餌を探しに来たのか、はたまた何かにつけられた傷の怒りを晴らすために暴れようとしているのか。何にせよ、街に入れる訳にはいかない。俺達でも怯むほどの敵である。他の自警団員では相手にもならないだろう。
一つ決心したように、クラフトが口を開く。
「分かった。俺の能力を使おう。ものは試しだ。だが、俺の能力で従わせるにも、せめて大人しくさせないと。あんなに目が吊り上がってる動物なんて初めて見た」
従わせ、山へ撃退出来るるのが一番良いが、こちらにも余裕がない。最悪の場合は仕留めなければならない。見れば、熊が負っている怪我はまだ新しいものもあるようで、その足跡に薄く血が残っていた。それが、熊の怒りの火を燃え上がらせ続けているのだろう。
「しかし大きいな。普通の熊の何倍あるんだ」
そう言いながら、一つ思い当たるものがあった。俺の能力である身体強化は、それを使用した際に、一時的に筋肉が肥大する。俺の場合はそれ程大きくないが、もしあの熊が近い能力を暴走させているとしたら、納得がいく。熊の足元の草花は枯れていないことから、俺の能力と全く同じというわけではないようだが、それでも警戒はしなければならない。
「アルツは下がっていてくれ。俺とニーロで撃退する」
「ええ、分かったわ。怪我しないでね」
先ほどから真っ直ぐ門へ向かってきている。熊ももう街には近い。今から援軍を呼んでも間に合わないだろう。アルツには援護に回ってもらい、俺達二人でどうにかするしかない。
クラフトが腰に差した剣を抜く。鋭く光る銀に、陽の光が反射する。その細身の剣は、大熊と正対するには少し頼りなさ気に見えるのだが、それを持つ男の眼光が、そんな不安をかき消すように強く光る。
俺も構え、息を吸う。周辺の空気と共に、足元の草花から生命力を胸に取り込む。血の巡りに合わせて、力が体中を回るように感じた。少しずつ身に着けた感覚。力んだ時の急な爆発のような能力の使い方と違い、腕が、足が、頭が、胴が、一段階強化されたように熱くなる。
クラフトと目を合わせ、頷く。同時に地面を蹴る。クラフトは右から、俺は左から、大熊を挟むように突撃した。熊もまた、さらに毛を逆立てる。唸り声は更に大きくなり、大地が揺れる程に思える。そしてその声の大きさが上昇するのに合わせるように、熊の姿勢は一段低くなる。その眼は、クラフトを捉えている。
熊がクラフトへ飛びかかる。先ほどまで熊がいた場所は、土が吹き飛んだように抉れている。その強靭な一蹴りは、クラフトとの距離を一瞬で縮めるのには十分なものだった。
その速さにはクラフトも虚を突かれたようで、一瞬反応が遅れていた。反撃することも出来ず、大きく横っ飛びをして回避する事が精一杯だったようだ。
態勢を崩して転がるクラフト。熊が追撃をする。小さく舌打ちをして、熊の一撃を止めるべく飛びかかった。振り下ろされる熊の左腕。俺の渾身の右拳が、それを弾き飛ばす。浅い。それでも、その軌道をずらすことには成功した。
クラフトの体、すぐ横の地面が爆発でもしたかのように吹き飛んだ。まともに当たっていれば、胴から上は無くなっていたかもしれない。
クラフトも態勢を立て直し、少し距離を取る。先ほどの俺の攻撃に警戒しているのか、熊はじっとこちらを睨んでいた。




