孤児院の裏、金髪の少女
木の扉は、取っ手が黒ずんでいる。ノブを回して引くと、ぎぎぎと軋む。足元から響くその音は、まるで俺を歓迎してくれているようだ。その音は少しだけ大きく鳴り、思い出の中のそれと一致した。
中に入り見上げると、褪せた天井が目に映る。あの左上にある小さな穴は、215が張り切って天井を掃除していた際に、誤ってモップで突き破ったものだ。
壁の沁み、窓の汚れ。元々古い建物ではあったが、当時ほどの手入れがされていないようで、少しだけ歳をとったように感じさせる。それでも、テーブルに、椅子に、床にと、あの頃のままである。
「今日から、ここが君の家だ。好きな部屋を一つ選ぶといい。団長には伝えておく」
「……有難うございます。それなら、二階の奥の部屋、通路から見て左の部屋にします。以前、友達と一緒に寝泊まりしていた部屋なんです」
「そうか、分かった。うん、伝えておくよ」
ゆっくり休むと良い、と言い残し、クラフトとアルツは去っていった。俺も、荷物を置くために二階に上がる。ミシミシと軋む階段は、如何にも不安にさせるな、と笑いながら話したことを思い出した。
俺が選んだ部屋は、最奥の部屋ということで、仮眠室としてもほとんど利用されていなかったようだ。皆階段を上がったすぐ向かいの部屋を使う事が多いらしく、先ほど扉の前を通った時も、誰かのイビキが聞こえていた。
「本当に、帰って来たんだな」
閉め切った窓の外は、すぐ目の前に隣の家の壁。窓を開けてもたいして風など入ってこない。窓際に置かれた小さなデスクや、頭と足が少しはみ出すほどのベッド。そこに微かに積もる埃を除いては、確かに俺の知っている部屋であった。今日何度目になるかわからないが、鼻の頭がツンと痛む。
あの頃のまま、何もない部屋だ。廊下に荷物をドサリと置くと、小さな窓を全開にする。ベッドの上のシーツを引っ張り、バタバタと風を起こして、積もった埃を出来るだけ外にだした。細かい掃除はまたするとして、今日寝るだけなら、これでも気にならないだろう。
テーブルに一つだけ備え付けられている引き出しに、持ってきた荷物を入れる。鍵は、あの時隠したデスクの裏側にあった。
元宿屋である自警団宿所を出てぶらり、街を散策した。目に着いたところ、変化があったところ、色々なところを見て回った。少しだけ日が傾いたころ、やはり、あの場所に足が向いた。
孤児院の裏の茶黒く汚れた壁。ローレンの家にいた頃、いつか夢で見た想いでの場所。あの夢の中でも、このくらいの時間だった気がする。院の中からは子供たちの声が聞こえてくる。この時間は、夕ご飯の時間だったと思う。
そうだ、あの日は215の嫌いなレーズンが食卓にでて、駄々をこねたあいつが拗ねているのを呼びに来たんだ。あいつは隠れているつもりだったらしいが、裏戸のすぐ脇の壁だから、簡単に見つけることが出来た。その後どうしたかは、ちょっと思い出せない。
そう、この先を曲がった所の壁だ。そう思いながら、角から顔を出す。そこには、見知らぬ一人の少女がいた。少女もまた、俺に気が付いたのか、こちらを向いて笑顔を見せる。
その小柄な少女は、金色の髪をふわりと揺らす。歳のところは良く分からないが、顔や背格好の割には、フリルの入った緩いスカートという、少し幼い恰好をしている。しかしそれは、柔らかな微笑みと合わさり、まるで童話から出てきた妖精のように、温かな雰囲気に包まれていた。
「あら、お兄さん、初めまして。あなたはこの孤児院の方?」
「いや、昔ここでお世話になっていてね。最近またこの街に戻ってきたんだ」
「私はここに、お使いで品物を届けに着たの。馬車に揺られて半日よ。お尻が痛くなっちゃう」
クスリと笑う少女をみて、俺の頬もつられて緩む。馬車で半日ということは、タイニーヴァルトから来ているのだろう。まだ幼く見えるようだが、二、三歳下くらいなのだろうか。
「私はフィーア。よろしくね」
「ああ、俺は……」
言いかけたとき、フィーアの背後の扉、孤児院の裏戸が開く。そこから現れた顔は、俺の知らない人物だった。あれから何年も経っているのだから当たり前ではあるのだが、少しだけ、寂しい気持ちになった。
「フィーアちゃん。ありがとう。借りてたカゴ返すよ」
「まあ、ギルバートさん。……はい、確かに。お預かりしました」
「待たせて済まなかったね。そろそろ駅に行かないと、夜までに帰れないよ」
「あら、いけない。お馬さんたちも遅くまで働かせたら可哀想だものね」
そう言いながら、ギルバートと呼ばれた男からカゴを受け取ると、フィーアはテトテトと走り去っていった。去り際に、大きな声でまたねと手を振っていたので、俺もギルバートもそれに手を振り返した。見送りながら、不思議と笑顔になっていた。
「おや、君は……?」
フィーアを見送って、ギルバートはようやく俺に気が付いたようだ。
「俺は昔ここでお世話になっていたものです。ティーレン先生はいらっしゃいますか。出来れば、もう一度お会いしたいのです」
「おや、そうかい。ティーレンさんの……済まない。彼女はもうここでは働いていないんだ。彼女ももうお歳でね。昨年隠居されたよ」
「そうですか……」
また来ます、とだけ言い残し、俺は孤児院を去った。恩師に会えなかったのは残念だったが、懐かしい景色を見ることが出来た。
宿所に戻ると、一階の酒場で数人が飲んでいた。その中にはクラフトやアルツ、グスタフ団長の姿が見られた。俺を見つけると、待ってましたとばかりに手招きする。どうやら、主役抜きでの歓迎会をしていたらしい。その夜はたらふく飲まされて、気絶するように眠った。そして、その日から俺と彼らの距離が一つ、確かに縮まった。




