猪鍋
いつの間にか、肉と言えばサンダ、とアジトの中では評判になっていた。褒められると面白いもので、捕まえてきた肉を焼くのも捌くのも、その腕はアジトで一番となった。
いつものように狩りから戻る。今日の夕飯は猪肉である。大振りで力強い、いい猪を捕まえることができた。痺れて動けなくはなっているが、まだしっかりと生きている。調理場の外、風通りのよい低い屋根のしたに、その猪を吊るす。そっと首にナイフの刃を当てると、細い一本の糸のような血が浅黒い地面を濡らした。
狩りの道具の手入れをしているうちに、猪から垂れる血は大人しくなっていた。ぽたぽたと滴となって落ちている。少し経ち、血がほどんど止まるころを見計らうように、調理場から熱々のお湯が運ばれてきた。
タライの中のお湯は、溢れそうなほどの量である。その中に、血抜きの終わった猪をゆっくりと下ろす。その体積の分、お湯は溢れてしまう。
表面を擦ると、血と泥の混ざったものが毛と共に粗く落とされる。黒くなってくると、また新しいお湯が運ばれてきて、ざぶりと一気に注がれる。それを数度繰り返すと、表面の毛は少なくなり、汚れもほとんど落ちた。
それから内臓を取り出し、別の容器に取り分けておく。肉は斧で部位ごとに分け、それぞれ赤い部分がなくなるまでしっかりと火を通す。
香ばしい肉の油の匂いが辺りに広がり、近くを通る人々がつられるように近づいてくる。まだ準備中だと追い返すと、皆残念そうな顔をした。中にはつまみ食いを使用と忍び寄るものもいたが、しっかりとお灸をすえておいた。
内臓の内半分は臭くて食べられたものではないので捨ててしまうのだが、食べられる部分についてはきれいになるまで洗い、新しい湯を鍋に張り、しっかりと熱を通した。山でとれた野菜をその鍋に放り込むと、それが柔らかくなるまで火にかける。一つかみの塩を鍋に振り入れる。
完成した鍋は、油は少なく淡泊な味ではあるのだが、それがまた癖になる美味さであった。
その鍋を手に、アジトの中央、広間に向かう。そこにはマハトを含めた数名がすでに卓を囲んでいた。俺の前に狩りから上がったもの達が各々料理を振舞っている。マハトが、鍋を抱えた俺を見つけ、声をかけてくる。
「お、サンダ。待ちかねたぞ!」
酒が入っているようで、赤ら顔になったマハトを横目に、持ってきた鍋を卓の中央に置く。その周りで、小さな歓声が上がった。近くにいたメディが、人数分の木の椀を持ってきた。それを皆に配る。我先にと鍋に群がる姿を見ながら、残りの肉を持ってくる為に調理場へ戻った。
結局今日も、俺の肉は大盛況だった。俺自身、余りありつくことが出来あかったので、別の卓の干し肉などを貰って食べる羽目になっていた。まったく、困ったものだ。
皆満足したようで、しばらく後方々へ散っていった。俺も部屋に戻ろうかと立ち上がった時、マハトが肩をたたいてきた。
「この後、少し時間をもらっていいか」
その声からは、先ほどまでの酔いは感じられない。何か、重要な事なのだろうと思った。此処最近、大きな出来事はなかった。マハトが格付けの事を俺たちに話してから一つの季節が過ぎ、マハトの思惑通りに、俺の立場は強くなった。そろそろ、動き出す頃なのだろうか。
「どうしたマハト。やけに湿気た顔になってるじゃないか」
「覚えている。あの時、お前を上に立つ人間にすると言った。お前は俺の期待以上に役に立ってくれた。お前は気が付いていないかもしれないが、お前の下に付きたいというものも増えてきている」
俺自身は周りに指示をするような事もなく、自分のやりたいようにやっていたのだが、確かに最近やけに協力的な奴らもいた。そのほとんどは俺の料理をかっぱらっていくだけのものだと思っていたのだが、確かにその割には俺によく懐いているものだと感心していたものだ。
この日の夜、マハトは色々な事を俺に打ち明けた。
冬の間に攫った子供たちは、二つの場所に売られていた。山向こうの隣国であり、国の人間ではないその子たちは、いくら働いても税の対象にもならず、重宝されているという。まあ、働く、というのが何を指すのかはあえて聞かなかったが。
もう一つの売り先は、俺達が脱走してきた研究所だった。国が表向きで集めるにも限界があり、なおかつ研究所ではある程度の記憶を消すことが出来るということで、家出した人間は格好の的だ。特に若い少年少女は、感受性も強く、能力を覚醒させるのにも向いているらしいとのことだった。
これは、この場所を維持するために必要だったのだとマハトは言った。多くの葛藤の上で、行われたことなのだろう。そして、研究所に貢物を止めて時が経ち、あれから何度も催促があったのだとも言った。これ以上は待てない。これ以上遅れるようだと、警備隊と連携の元、アジトの人間を一人残らず実験体として確保するとの脅しがあったのだと、マハトは苦し気に言葉を吐いた。
マハトは人を従わせる能力があるのだという。
少数の戦闘員をこことは別の拠点に移動させ、そこからガルナーレを襲わせる。その中で、自警団の有力なものを攫い、マハトの能力でこちらの戦力として寝返らせた上で、その戦闘員たちへ警備隊を向かわせる。それを数度繰り返し、ある程度の戦力が整ったところで、アジトの残りの人員で研究所を急襲し、再起不能になるまで破壊する。それが、マハトの計画であった。




