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救護テント

 あの研究所から脱走して七日、いや八日は経っただろうか。雪の中をがむしゃらに走っていた俺は、ここの主に拾われた。主は狩りの最中だったようで、出会ったのは本当に偶然だった。もし出会わなければ野垂れ死には確実だっただろう。それまで昼夜を置かずに逃げ続けていたのだ。丸二日は彷徨っていたと思う。とうに体力の限界は超えていた。


 アジトの主は、マハトと呼ばれていた。マハトは、俺にいくつもの施しを与えてくれた。俺も、素直にそれを受け取った。空いた腹には葡萄酒も肉も沁みたし、藁の敷かれた寝床では、久方ぶりに温かい眠りにつけた。幸せだった。こんな俺にもまだ生きる意味があるのだと感じさせられた。しかし、それは罠だった。


 マハトには、不思議な魅力があった。施しを受け、それに負い目を感じているのか、マハトの言葉には逆らうことが出来なくなっていた。そして、マハトからの命令は、子供を攫ってこいというものだったのだ。もちろんそんな事はしたくない。しかし、断れば居場所が無くなってしまうという恐怖があった。


 彼は攫った子供たちを、どこかに売りつけているようだった。深いところを詮索するつもりもないが、まだ一人も連れてこれていない俺にとっては、このアジトの中は肩身が狭い。


 このアジトにいる殆どは新参者である。マハト自体、この場所に居を構えたのは去年の春だったと言っていた。俺が脱走した日、研究所の壁が破壊され、何人もの脱走者がいた。俺もそれに紛れた形なのだが、同じようにここに流れ着いたものは多いようだった。殆どのものは能力に覚醒しており、俺もまた、その中の一人だった。


 俺の能力は、掌でつかんだものを痺れさせるというものだ。その際、バチバチと光が発せられる。原理は良く分からないが、昔から冬場は金属に触るたびにバチリと指先が痛くなったものだ。


 それが増幅でもされたものなのだろう。触れるだけで発することは出来るのだが、こちらの掌にもかなりの痛みがあるので、中々使い道がわからなかった。


 この能力で子供を捕まえるにしても、気絶させた後に痛んだ両手でアジトまで運べる気がしなかった。そんな事を言い訳にして、ここ数日はアジトの周りをぶらついているだけで過ごしていた。


 ある日、鉄の棒を手にしたときに、それを介して相手にぶつけると、こちらの手はあまり痛くない事に気づいた。能力の使い方がわかった気がして、やっと、マハトの命令を遂行する決心がついた。


 そして、マハトに用意してもらった鉄の棒を片手に、意気揚々と出かけた結果、ズタボロにされてしまったというわけだ。クソッタレ、どうしろというのだ。俺は足取り重く、救護テントへ向かう事にした。


「おい、薬ヤロウはいるか?」


 テントの入口から、仮名を覗き込む。中には女が一人、三割ほどが白くなった髪をくしゃくしゃに掻きながら、大きなあくびを一つ。随分と暇そうだ。俺の声が聞こえているのかいないのか、こちらを見る気配はない。


「おい、薬ヤロウ。いるなら返事しろや」

「あいにく、私はヤロウじゃないんでね。……で? 一体何の用だい」

「ここに来る理由なんて一つしかないだろ。さっさと治療してくれ」

「はっ、見ての通り忙しいんでね。一昨日来なよ」


 うるせえ、と一蹴してテントに入る。上着を脱いで怪我の場所を見せると、薬ヤロウことメディは呆れた顔をした。


「なんだい、大したことないじゃないか。こんなの一晩寝れば治るだろ」

「うるせえな。痛みで落ち着けねぇんだよ」


 やれやれと肩をすくめ、メディは棚から小さな布といくつかの薬草を取り出す。その薬草をメディは口に含むと、しばらく租借して布に吐き出した。それを、晴れた頬に張り付ける。


 強く押し付けられたためか、その薬の効能か、何かを突き刺したかのような激痛が頬を襲った。その激痛から逃げようにも、メディががっちりと頭を押さえている。


「ちょっとしみる位我慢しなよ。すぐ治るんだから」


 にやけながら、メディは言う。恨みを込めた目で睨むが、まったく意に介していないようだ。しばらくはその激痛にバタバタとあがいていたのだが、不意に痛みがすーっと消えた。腫れが完全に引いたわけではないが、先ほどに比べて随分と楽になった。その変化に気が付いてか、メディが頭の拘束を解く。


 これが、彼女の能力だ。細かいことは知らないが、彼女の唾液や汗が傷口に触れると、そこの治癒が大幅に早くなるらしい。大変痛いので、あまりお世話になりたくないのが本音だ。


「どうだい、良くなったかい?」


 聞きながら、メディはまた別の薬草を口に食む。


「ああ、助かったよ。それじゃ……いっ!」


 テントを出ようと入口へ向きかえった時、後ろから抱き着くように手が伸びてきた。先ほどの薬草が、腹に叩きつけられる。


「逃げるんじゃないよ。あんた、腹もやられてるでしょ」


 気づかれていた。逃げるにも、痛みで足に力が入らない。膝から崩れ落ちる。結局、四つん這いで腹を抑えられるという屈辱的な形になってしまった。どこまでも、今日はついていない。


 救護テントを出るころには、すっかり体に痛みはなくなっていた。一応、礼を言うと、さっさと寝床にむかう。マハトへの報告は明日にしよう。そして、明日こそはノルマを達成しよう。そう思いながら、俺は頭をカリカリと掻いた。

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