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視線と態度

 家に着く頃には、腕の中で小さな寝息が聞こえてきた。先ほどまでは両手を胸に結んでいたのだが、いつの間にか右手で口元を押さえている。寝癖なのだろうか。少し足を止めて寝顔をのぞき込む。目の周りが少し赤くなっていた。安堵からか、軽く揺らした程度では起きなさそうだ。


 体制を立て直し、ゆっくりとドアに手をかける。フィーアの足がぶつかってしまわないよう、気を遣う。そのままベッドへ運ぶと、靴だけ脱がして毛布をかけた。


 ソファに座り、一つ息を吐く。咄嗟のことだとは言え、初めて人を殴った。今になって、右こぶしが痛くなってきた。思えば、小さいころから216(ニーロ)に守られてきたのだろうと思う。


 体の小さかった僕は、僕より一回り大きく兄貴肌だった216の後をついて行くばかりだった。同い年ではあったが、あの広い背中に憧れていたのだ。離れてからたいして時は経っていないが、もう随分と懐かしく思えてしまう。


 また会いたいな、などと思いながら、そのままソファに横になった。いつの間にか、小さな屋根の下、寝息は二つになっていた。


 翌朝、カーテンの隙間から差し込む日の光で目が覚めた。ソファでの就寝にも慣れてしまった。初めの数日は体が痛くなったのだが、人間、どうにかなるものだなと思った。


 トーストの香ばしい匂いが鼻をくすぐる。どうやら、フィーアは先に起きているようだ。キッチンに向かい、手伝おうかと声をかける。ありがとうと返してきたその顔には、昨日の恐怖は映っていなかった。


 フィーアお得意の野菜のスープとこんがり焼けたトースト。朝は大体このペアが定番となっていた。胃をやさしく温めてくれるそれは、気分をリフレッシュしてくれる。


 食事を済ませ、二人で後片付けをしていると、そろそろいい時間になっていた。今日から、僕もフィーアに着いて町まで行こう。雑貨屋に着いてしまえばよほどのことは起きないだろうが、行きと帰りは隣に居たい。そのことをフィーアに告げると、少し申し訳なさそうにしながら了承してくれた。


 悪漢に襲われたのは彼女のせいではないのだから気に病む必要などないのだが、意識してしまうのだろう。やさしい子だ。空っぽになる家に僅かばかりの別れを伝えると、二人で町に向かった。


 朝もまだ早いのだが、以前と同様に町は賑やかなものだった。カフェなどの一部の店はすでに開店しており、朝からくつろぐ人の姿も見える。しかし、何か気になる。何か違和感を覚える。何だろうと周囲を見渡すと、人々の視線がこちらを向いていることに気が付いた。こちら、というよりも、僕の体を通してフィーアに視線が集まっている。


 恐らくは昨日のことだろう。僕が男を殴り飛ばしたり、抱きかかえてフィーアを運んだりしていたところを見られていたに違いない。あの時は冷静ではなかったが、今思えばそれは不自然な光景だったと思う。あれはそれなりに遅い時間だったにもかかわらず、ある程度広まってしまっているようだ。時間が経つにつれて、町中に噂が届くだろう。変に目立ってしまうかもしれない。


 しかし、視線が集まっている以上に気にかかるのは、その中にあまり良くない感情を抱いている様子がうかがえるからだ。特に、老人たちからの視線が厳しいように思える。悪者を撃退したのだから、称賛されてもおかしくはないと思うのだが、何か思うところがあるようだ。


 そういった視線は、雑貨屋に着くまで続いた。中には話しかけてくる子供たちいて、英雄でも見るかのようにきらきらと目を光らせていた。それにフィーアが挨拶を返すと、その子供の母親らしき女性が現れて、さっさと連れて行ってしまった。母親はまるで腫物でも触るかのような苦い表情で、気持ちのいいものではない。店に着くまで、そんなことが数度あった。その露骨な態度に、フィーアは気を落とし、僕は腹を立てていた。


 雑貨屋のドアの前でハロルドが待っている。昨日の件を気にしているのか、ぎこちない笑顔でフィーアを迎える。あまりに窮屈なその表情に、二人とも思わず吹き出してしまった。


 先ほどまでの沈んだ気持ちがいくらか軽くなったように思える。なんだよ、と照れた顔を隠すように、さっさと雑貨屋の中に入って行ってしまったので、急いで後に続いて店に入った。


 開店準備にあくせくと働く二人の邪魔にならないようにと、休憩室の端に腰を下ろす。しばらくすると、作業が一段落したのか、二人とも休憩室に戻ってきた。いつもと変わらない表情のフィーアとは対照的に、ハロルドは何か緊張しているように感じる。


「なあ、フィーア、今朝は何かおかしなことは無かったか? 町の人の態度とか……」


 ハロルドの言葉に、フィーアの顔が少し曇った。あの冷たい目線の正体を、ハロルドは知っているのだろうか。


「私、嫌われちゃったのかな」


 そっと目を伏せるフィーア。やはり、町の人々の露骨な態度に傷ついていた。そうか、とハロルドが小さく呟く。しばらくの間、しばらくの沈黙の後、それについてハロルドは語りだした。茶色の髭が揺れる。

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