眩しい一撃
遅い時間だ。物音を立てないようにと気を付けていた。しかし、床に下ろされたダンが壁にもたれかかろうとしたとき急に身じろいだ。ダンの腕が壁にしたたかに叩きつけられる。痛そうだと思うと同時に、予想より大きな音がしてしまったことに驚く。
家の奥から物音がした。廊下の先、ドアノブがカチャリと回る。開いたドアの隙間から、緊張にこわばった女性の顔が浮かぶ。
「あなた、帰ったの?」
不安交じりに女性が問いかける。目が合うと、その顔がほころんだ。マリーだ。酔いつぶれた旦那とその友人の姿を確認して、ほっと胸をなで下ろしたようだった。小さな足音を鳴らしながら、マリーは玄関まで出てくる。
寝る直前だったのか、薄い青色のネグリジェのようなものを着ていた。短い金髪が揺れる。耳に掛かる髪を掻き上げたとき、少しこけた頬がのぞいた。
「すまないな、マリー。こいつ、酔い潰れてしまってな」
「いいえ、ダンを送ってくれてありがとう、ハロルド。久しぶりね」
こうして直接話したのは半年ぶりだろうか。いや、もっと前だったかもしれない。以前はもっと暗い顔をしていた。目の周りの隈もかなり薄くなっているように思える。
それから何度か見かける機会はあったが、どんな言葉をかければいいかわからなかった。その回復ぶりを見るに、ダンの献身ぶりが窺える。
マリーの言葉に、久しぶり、と返す。そんなやり取りをしている間でも、ダンは目を覚ます様子はない。しょうがないので寝室まで担いでやることにする。流石にマリーに任せるというわけにはいかない。
この幸せそうにイビキをかいている妻思いの男をベッドに放り投げると、マリーと一言二言交わす。じゃあもう遅いから、と家を後にする。マリーは玄関まで見送りに来てくれた。久しぶりに笑顔を見ることが出来た。それだけでも、ダンの愚痴を聞いた甲斐があったというものだ。
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朝だ。昨日の酒が残っているのか、少し頭が痛い。カーテンを開けるが、この家は路地の奥まったところにあるため、日の光は満足には降り注がない。とは言え、明るくなった空を眺めると、気分がリフレッシュする。
俺の家は雑貨屋の向かいにある。簡単な朝飯を済ませると、壁にかけてあるキーケースを手に取った。そろそろフィーアが来る頃だ。先に店の鍵を開けておかなければと、重たい体を引きずるように部屋を出る。
「ハロルドさん、おはようございます!」
路地の向こう、少し離れたところから元気の良い声がした。フィーアが手を振りながらこちらに向かってくる。トコトコと走ってきていたので、鍵を開けたときにはすぐ隣にいた。おはようと小さく返すと、ハイ! とまた元気のいい返事が返ってきた。
フィーアと二人、店の掃除と品出しを終わらせると、ドアノブにかけてあるクローズの看板をひっくり返す。流石に、開店と同時に店を訪れる客はいない。最初にこの店のドアをたたくのは、決まって新聞屋だ。朝刊を受け取ると、パラパラとめくる。
国の情勢がなんだと色々書かれているが、俺はあまり政治とやらに興味がない。大体は暇つぶし程度のために目を通しているに過ぎない。特に午前中はゆっくりと過ごしていることが多い。
フィーアはもっと細かいところまで掃除しているようだ。ハタキでパタパタと棚の埃を落としている。昼頃になると、いくつか注文を受けていたものを配達するのだが、その間、店はフィーアに任せることになる。バッグに商品を詰め込むと、フィーアに見送られながら店を出た。
配達物は、主に日用品だ。三日に一度ほど、町をぐるりと回っている。足の悪い老人や、日中に店を離れられない自営業などが依頼してくる。ダンの八百屋もその一つだ。町を一周する頃には、夕方になってしまう。ただいま、と店に戻ると、フィーアが笑顔で迎えてくれる。
今日の客は八人だったそうだ。仕入れの際に、フィーアが絶対売れると熱弁をしていたアロマキャンドルが、二本売れたと喜んでいた。
配達で売れたものを台帳につけると、休憩室にどかりと腰を下ろした。店を閉めるまではまだ少し時間があるが、今日はフィーアに任せよう。歳のせいか、半日も歩いているとへとへとになってしまう。まだまだ若いつもりでいるが、四十を過ぎると、中々どうして体が言うことを聞かないものだ。
その後、店を閉める時間までは客は来なかった。お疲れさまでした、とフィーアは帰っていった。路地を歩くフィーアの後姿を見送っていると、昨日のダンの言葉が頭に浮かぶ。やはり、心配である。
戸締りをしていると、休憩室の椅子に小さなバッグが置かれていた。フィーアの忘れ物だろうか。これを届けるついでに、家まで送ってやろうと思った。フィーアの足であれば、町を出るころには追いつくだろう。ドアに鍵を閉めると、薄暗くなった路地を、フィーアの後を追う。
追いついたのは、やはり街道に出たときだった。少し先、細い横道への曲がり角のところにいる。と、その向こうから男が一人近づいてきていることが見えた。何か、棒のようなものを持っている。フードをかぶったその男は、見るからに怪しい風貌であった。まさか、こいつが噂の人攫いなのか。
「フィーア!」
気づいてくれと声を上げる。俺の叫び声に、フィーアだけでなく男も反応した。焦ったように、棒を振り上げる。バチリと振り上げた男の棒が光った。俺の位置からでは間に合わない。夜の街道だ、周りに人もいない。逃げろ! ともう一度大声を上げる。男が腕を鋭く振り下ろす。ああ、心配が、現実のものになってしまった。
また鋭い光が棒から放たれる。その光に思わず目を細めてしまった。その薄く開いた視界の先で、何かが吹き飛ぶ様子が見えた。光が収まり、フィーアがいた場所に目を凝らす。頭を抱えてうずくまるフィーア。どうやら怪我をしている様子はないようだ。そして、その少し離れたところ、大の字で伸びているフードの男が見えた。




