枯れた枝から落ちる雪
もう一度、もう一度と力を込める。岩は少しずつ道の先に進む。幾度かの後、道の両脇の木々の間にすっぽりと収まった。心など無いであろうが、久方ぶりに人を通せる道としては、晴れやかな気持ちだろう。頂上への上り坂。そちらもまた草で荒れているようだ。
先ほどまで岩にせき止められていた風が駆け抜ける。枝に残った雪がどさりと落ちる。爽やかに揺れる森の木々とは正反対に、俺の心は沈んでいた。駆け抜ける風に舞う葉や草は、色が褪せている。冬の寒さで確かに植物は生き生きとしてはいないだろうが、先ほどまでの通り道を考えてもここまで枯れたものでは無かったはずだ。
岩を押す時、確かに思っている以上に力が入った。いや、強まったといっていいだろう。その度に、周囲から色が一つ失われていく。生命力のようなものを俺が吸い取っているのだろう。押している間必死だった俺は、周囲の変化に気づけていなかった。
岩を押す中で、何度か力の入れ具合を確認した。ある段階から急に力が加速する。それを繰り返す中で、なんとなくだが加減が分かってきた。岩を動かしきるころには、おおよそ感覚が掴めていた。
額の汗をぬぐう。肩で息をする。波打つ心臓を落ち着けようと大きく息を吸うと、周りの景色が目に留まり、枯れた木々や茶色く変わった足元の草が目に入ってしまった。その時初めて、自分の能力が何であるかがわかってしまった。
これは、どれだけの相手から生命力を奪ってしまうのだろう。不安が頭の中を駆け巡る。使い方を間違えると、とても危険なものだろう。研究所から逃げるとき、この能力で研究者たちの力を奪ってきたのかもしれない。いや、それどころか命すら奪っているかもしれない。
確かにその時の記憶は無いが、だからこそ強い不安を感じてしまう。俺は化け物になってしまったのかもしれない。
またドサリと雪が落ちる。すぐ目の先、枝が雪の重さに耐えられずに折れてしまったようだ。ゆっくりと近づき、折れた枝を拾う。それは指二本ほどの太さの枝であり、落ちた雪の塊を見ても、およそ耐えられないようには思えない程度のものではあった。掴んだ指に軽く力を込める。
それはあまりにも簡単に折れた。いや、砕けた、と言ってもいいかもしれない。これが、俺の能力の代償なのだろうと思った。他を犠牲にする能力。これからどのように生きていくべきなのだろう。
この能力はよほど力を振り絞らなければ発動しないようではあるが、もしアイシャやローレンから奪ってしまうようなことがあったらどうすればよいだろうか。再会した215に何か危害を加えてしまったらどうすればよいか。苦しみの表情をしたアイシャが、胸を押さえうずくまるローレンが、そして雪の上に突っ伏している215の姿が脳裏をよぎる。いやなイメージばかりが浮かぶ。
視界にあるのは雪の白と足元の茶色と遠くに僅かな木々の緑。山頂まで見通せる道の上を、冬の風は心身に冷たく吹き抜けていく。
元の道を戻ったのか、先へ進んだのかすらも記憶になかった。気が付くと、アイシャ達が待つ家の前にたどり着いていた。お帰りなさいと笑顔を向けるアイシャに薄い笑顔を返すと、汗を流すために風呂へ向かった。
着ていたものを脱ぎ、頭から水をかぶる。痛みにも似た感覚が肌を打つ。俺は、ひどい顔をしていただろう。アイシャもきっと気づいただろう。両手で頭を押さえて俯く。じっとうずくまった。涙が頬を伝う。情けない。こんなことでは215を助け出すなど夢のまた夢ではないか。
幼い日を思い出した。215と二人、孤児院の庭で遊んでいる。働いている人の姿などは、もうぼんやりとしたもので顔も思い出せないが、院の裏の茶黒く汚れた壁の色は今も覚えている。もう一度、この景色を見に行かねばならない。なぜだか分からないが、そう思った。それが、とても大切なものに感じた。
ばしり、と両の頬を叩いた。二度、三度と打つ。胸に閊えていたものが少し取れた気がした。涙はいつの間にか止まっていた。もう一度、水を頭からかぶる。頬が少しだけ沁みた。
体を拭き、替えの衣服を身に着ける。脱衣所を出ると、アイシャが驚いた顔で俺を見た。
「頬が赤くなっているわ、一体どうされましたの? ニーロ」
「いや、森の中を走っているときに草花で皮膚を切ってしまったみたいでね。痒さを紛らわせようとしていたら、ひどいことになってしまったよ」
「まったく、余り道から外れたところを走ってはいけませんわ。この辺りは熊だって出るんですから、お気をつけてください」
いや、すまない、と笑う。今度は自然な笑顔になっただろう。いつの間にか、日は高く昇っていた。アイシャが昼飯を用意していた。肉と野菜が、油でいためられている。その隣には鶏肉の浮いたスープが並べてあった。研究所時代の飯はたいして美味くはなかった。
この数日も病み上がりということで、粥だけを食べていたのだが、これが家庭の味なのだろうと思う。山でとれたものなのだろう、わずかに残る獣の香りが、生き物を食しているのだろうと感じさせた。
「美味いな。本当にいい味がついている。長い間忘れていた、家庭の味を思い出させてくれるよ」
思わず、言葉が並んだ。本心だ。もう、とアイシャは照れるように笑う。その横でローレンも負けじと料理をほめだした。アイシャは顔を真っ赤にしながら、野菜を口に運んでいた。