002.魔王の悩み
魔王は困っていた。
非常に悩んでいた。
下僕がいない。
とても貧乏。
そして、とぉっっっっっても貧弱。
「儂ってホントに魔王か?」
魔王は自分が魔王であることを疑いだしていた。
「儂ってなにすりゃいいんじゃ?」
魔王は目的を見失っていた。
「儂って……いなくてもいんじゃね?」
魔王は…………かなりいじけていた。
――
アルカス山脈の渓谷を抜けると現れるリストア街道。
リノア村とリストア町を結ぶ馬車がギリギリ通れるほどの狭い田舎道だ。
村を繋ぐ唯一の行路となっている。
獣道に毛が生えた程度の道幅だが、人通りがほとんどないのでこれで十分役割を果たしているといえるだろう。
周囲は胸の辺りまで花や雑草が生い茂っていて、風が吹く度に景色が波打つ。
手付かずの原野。
田舎道はそれを南北にほぼ一直線に分かつ白い筋となって視界に映る。
ルイスがこの道を通るのは今日で二度目。
「こんな田舎道を歩いてる奴は、夢を追いかける奇特な冒険者くらいだぞ」
以前、リストア町にルイスを連れて来てくれた父が笑いながら意地悪く言ったのを覚えている。
父は村の外にあまり出ようとしなかったが、ルイスが夢を追いかける手助けはしてくれていた。
そんな事は分かっているけれど、馬鹿にされている気がしてルイスは顔を膨らませた。
「村には何にもないじゃないか。どこが良いんだよ」
「何もないから良いんじゃないか」
父に嫌味で返すと、気にも留めずに村の好きである理由を嬉しそうに話してくれた。
ルイスが考えを改め、村に残ると言うのを期待したのだろうか。
村に帰るまで、父と一日中話をしたのはその日が初めてだった。
話題に交えて魔物に対しての注意なども話してくれていた気がする。
あまり覚えていないから、話した内容に大した事関心はなかったように思う。
日中歩く分にはそれほど強い魔獣は出ない。
それでも村にはいないホブゴブリンが襲ってくることも考えて、腰の短剣には手を添えておくようにと。
前だけでなく後ろから攻撃された時はなど注意すべきだとも言っていた。
父の話は冒険者に教わった事とほぼ同じだったが、心配してくれている気持ちは分かっていたので素直に聞いていた。
今、隣に父はいない。
初めての一人旅。
教えてくれたことが多すぎて、半分も出来ているか分からない。
だから慎重に足を進めた。
「リストア町まであと半刻といったところか」
知らず不安になっているのか、気づけば何かにつけて独り言を呟いてしまう。
歌でも歌いながら歩いてみようか。
などと考えてもみたが、、注意が散漫になってしまうので止めた。
黙々と周囲を注視しつつ歩み続ける。
体力には自信があったが、常に緊張しながらの歩くっていうのは思った以上に疲れる。
「町についたら安い宿を見つけなきゃな」
布袋に入った銀貨を、ここに来るまで何度も手で触り確認した。
この時の為に貯めた当面の資金2000ルピが入っている。
収入がなくとも食事と宿屋である程度は暮らせるだけの金額だ。
落とさないようにしなければ。
不安と言えば、もう一つ。
パーティの問題だ。
冒険者は最初は強いパーティーの下積みから始める方が良いと言っていた。
でも、ルイスは出来れば仲間を見つけて自由に行動したい。
仲間と一緒に経験を積み、学び、装備を整えて宝の眠るダンジョンを目指す。
村にはいなかった喜びを共有できる仲間を見つけたいのだ。
「良い人が見つかれば良いな」
呟きが止まらない。
そんな上手くいくのか。
考えれば考えるほどネガティブになってくる自分がいる。
「弱気になってどうする。大丈夫、きっと上手くいくさ。きっと」
沈黙は不安を呼ぶ。
払拭するために、口を開けば同じことを繰り返していた。
早くリストア町に辿り着きたい。
道を塞ぐ黒い塊を見つけたのは、不安と希望を抱えて向かう先にようやくリストア町が映りだした頃だった。
「ついてないなぁ。町はもうすぐだっていうのに」
戦闘態勢を保ちつつ近づいていく。
ゴブリン数体なら相手できるが、ホブゴブリンは仕留めたことがない。
個の強さより徒党を組んで行動されれば、単純な行動とはならず囲まれる危険性がある。
幸い、嗅覚は良くないため、この叢を使い身を低くして進めば相手から見づらくはなるはずだ。
ホブゴブリンさえ一撃で葬ってしまえば、後はどうにでもなる。
ルイスは黒い塊を目で追いつつ、姿勢を低くして前に進んだ。
動きはほとんどない。
何かを仕留めて食事中のようにも見える。
近づくにつれ、足元に不思議な文様が描かれていることに気づいた。
詳しくはないが魔法陣の類ではない。
乱雑に描かれているが文字ではなさそうだし、道いっぱいに不規則に描かれている。
それは注視する生物へと繋がっており、枝を器用に使い地面を引っ搔いていた跡だった。
「グフフフフフフフフ」
グフフフ?
距離が近づき声が漏れ聞こえてきた。
ようやく見えてきた顔に不敵な笑みを浮かべている。
どうも子供であるらしい。
一心不乱に意味のない絵を完成させようとしているのかこちらに気づきもしない。
――なんだ子供かよ。緊張して損した。
安心はしたが油断せず絵を描く子供を観察する。
町から離れた場所で子供一人は危ないだろう……とは思わなかった。
この子供は危ないから離れた方が良いに決まってると直感が叫んでいた。
関わってはいけない気がする。
子供を動向を直視しつつ、気づかれぬように背後を通り過ぎようとしたのだが、ルイスは足元を疎かにしていた。
「パキッ」
お約束のように踏みしめた枝の音に、不敵な笑みを浮かべた面がゆっくり動いてルイスを視線で捉えた。
…………沈黙が漂う。
「イヒッ」
プレッシャーに負けて、ルイスは作り笑いをしてしまった。
突然、動いた。
蟹のように。
手を横に広げ、ルイスの行く手を遮りように目の前に立ちふさがると、不気味な笑みを間近で見た。
幼女だった。
顔は泥で汚れているが、青髪が似合う小さな女の子。
妹よりは少し年上。
薄気味悪ささえなければ可愛いのかもしれない。
減点して60点てとこか。
「儂は魔王アンジェリークである。お前に儂の下僕になるチャンスを与えてやろう。」
魔王と名乗る幼女は大声で予期せぬ提案を持ちかけてきた。
――季節は春。
陽気な気分がそうさせるんだろうか。
アンジェリークの容姿は幼女のそれで、どう贔屓目にみてもロリータ系だ。
めいいっぱい反らす平胸には、確かに魔王と書かれているこりっぷり。
何故だか知らんが威嚇までしている。
春は怖い季節だ。
村を出てよく知らないが、この町の子供達には流行っているのだろうか。
だとしたら非常に迷惑な話だが。
煩わしい表情を浮かべているにも関わらず、動じる様子はない。
追い払うように手を振ったのだが、反してアンジェリークはさらに顔を近づけてきた。
「い、いまなら儂の右腕になれるビックチャンスキャンペーン中じゃ。どうじゃ嬉しかろう」
「いえ、結構です。幼女からの勧誘は親の遺言でお断りしているので」
「儂の初めて(の下僕)になれるんじゃぞ?」
「なんか言い方が卑猥に聞こえるのですが、幼女を満足させる自信がありませんので、他をお探しください」
アンジェリークは天を仰ぎ見て嘆いた。
さながらオペラ歌手のように口と両手を大きく広げて。
「また断られてしもたわぁあああああ」
絶叫と共にアンジェリークは崩れ落ちた。
でも崩れ落ちたいのはルイスも同じだった。
望みもしないのに新人劇団員の見世物を見なきゃいけないのだから。
――旅芸人なのだろうか。田舎道で芸を見せるとは度胸はあるが場違いな奴だ。
そんなことを思っていると、地面に拳を叩きつけ、諦めきれない目をルイスに向けて食ってかかってきた。
「儂は寂しかったんじゃぁぁぁぁぁ。魔王の中では文句なくトップクラスの長寿なのに下僕0。通りかかった旅人たちは儂を見たとたん石を投げるわ切りかかってくるわ、あげく無慈悲に魔法まで浴びせてきよるし。見ろ!身も心も服もボロボロじゃ。やっと捉まえた人間も儂の誘いを無下に断ってくる始末。」
旅芸人ではないのか。
よく見れば外套や服に焦げ目や継ぎ接ぎの跡。
確かに所々破けて素肌を露出している。
魔王というのは嘘にしても虐待を受けたのは間違いなさそうだ。
もっともその原因が、アンジェリークの虚言癖とコスチュームにあるのは否めないのだが、本人は気づいていないのだろう。
アンジェリークは膝の砂を払いつつ、少し潤んだ目をしつつルイスを見上げ哀願するように口を開いた。
「こんなに上からモノを言ってもダメか?」
「上から言うからダメなんだだって!てか下から言ったってどっちにしろダメだろ!」
限界だった。
アンジェリークは魔法を唱えたかのように、涙を流し周囲に水分を撒き散らす。
「なんでこんなに儂がいじめられなきゃいけなんじゃあ。この世界に神はいないのかぁ」
「魔王が神頼んなよ」
「儂は……儂は……」
さすがにルイスも少し心が痛んだ。
鼻水と涙で可愛い顔を台無しにし続けるアンジェリークの青髪を撫でてやった。
角はなさそうだが、大量のタンコブが痛々しく並んでいた。
自ら魔王と言い続けるアンジェリークも悪いのだが、ここまで怪我をさせることはないだろう。
イジメ、イクナイ。
大体、魔王が道端を歩いているなんて話、聞いたことがない。
もし本当に魔王だとしたら、思わぬ形で父との約束を破ることになるが、不可抗力だから許してもらうしかないとして。
か弱い幼女が大泣きしているのを見過ごしていけるほど、ルイスは冷たい人種にはなれないのだ。
外套に付いた泥や汚れを払ってやり、手拭を水で濡らして顔を拭いてやった。
やっぱり可愛いじゃないか。
10年後でも下僕はお断りだが、年下じゃなきゃ恋人だって考えたかもしれない。
「これを食べな。俺の村で採れた自慢の薬草だ。これだけ傷ついてちゃ、せっかくの魔王が台無しだぜ。」
サムズアップと笑顔でルイスは慰めてやる。
拭いたさきから涙を流すアンジェリークに薬草を差し出した。
小さな両手で薬草を握りしめると、草食動物さながら口から溢れさせながら草を食む。
素直なアンジェリークに頭をもう一度撫でてやった。
後日、ルイスはこの行動を後悔することになる。
見た目可愛い幼女系じゃなきゃしなかったであろう行為を。
この出会いが悲劇に繋がるとは、ルイスも夢にも思わなかったから責められるべきではないが。
「ゴクリッ」
この世の不思議1。
この世界に医者という職業は存在しない。
怪我をすれば手当てする概念はあるので、包帯を巻いたり傷を押さえたりもする。
だが、それは一時的なもの。
体の部位などが切り落とされない限り、薬草や回復魔法などを使えば自然治癒力で大抵の怪我は治るからだ。
怪我をしたら薬草。
殴られても薬草。
アンジェリークは時間をかけて薬草を腹に収めると、頭のタンコブが少しずつ引っ込んでゆく。
痛みが和らいでゆく。
そして食べ終わる頃には、すっかりタンコブは無くなってしまった。
「テレレレーレ テレレレーレ テレレッレテレーレ……」
いきなり辺りに楽し気な音楽が鳴り響く。
見つめあう二人。
「なんだこの音は。いったい何が起きたんだ?」
「これは!!!!この曲はもしかしてきちゃった?」
この世の不思議2。
イベント事が起こるとどこからか「コーカオン」と呼ばれる音楽がなる奇妙な現象は、未だに解明されてはいない。
だが必要性の有無や現場の雰囲気など一切無視して、条件下では必ずこの法則が実行される。
「コーカオン」自体は無害で何かが起こったことが分かるだけなので気にしない人も多いが、初めて鳴られた者にとってはオナラしたくらい恥ずかしい。
そんな意味では無害では無く、精神的ダメージが大きいとも言える。
周りに人がいなかったから良いようなものの、町中だったらルイスは恥ずかしさのあまり逃げ出したことだろう。
先ほどの泣き顔から一転、アンジェリークは奇声を上げながら訳の分からない踊りを舞っていた。
「コーカオン」が鳴るのは冒険者に聞いていた。
話では強敵が現れた時や特殊な状況下で魔法を使った時、それと…………。
――ハッ!
ルイスは思い出した。
確か仲間になった時は盛大に「コーカオン」がなると、冒険者が言っていた!
初めて聞く曲だが、あの話が本当だとしたら……。
みるみる顔が青ざめた。
ルイスにとって初の旅路、初のイベント、初の仲間。
色々な初物を汚された気がした。
何の冗談だ。
俺が何をした。
ただ困った幼女に薬草をあげただけじゃないか。
本当の意味で困った幼女に。
こっちも困ってしまう。
これから輝かしい未来が待っているのに。
ああ、仲間が欲しいなんて考えながら歩いていたから、こんな罰が当たったのか。
確かに悩んでいたよ。
まだ町にも着いていないし。
でも、幼女じゃないんだ。
なんでこうなっちゃったんだ!
何も始まらない裡から、奇妙な幼女との旅が確定してしまったというのか!
「フフハハハハハハ。待たせたな我が下僕よ。永く他の魔王連中に先を越され続けた日々も今日で終わりじゃ。今この時より魔王アンジェリークの世界征服が始まる。これで世界は儂の好き放題。ゴハンは食べ放題。どんな乗り物だって、乗り放題になるのじゃぁぁぁぁ!」
「待ってねえし。それと大きな声でちょっとしたセレブなら楽に超えられるハードルの低い夢語んな!恥ずかしい」
「照れずとも良い。儂の力が解き放たれた今、世界は恐れおののくことになるのじゃ」
「それは俺が一番おののいたよ!お前を連れて回らなきゃいけない罰を考えたらな!」
おばさんっぽい仕草で口元に手を当て、ニヤニヤするアンジェリークの顔は勝ち誇っていた。
ルイスの抗議は聞こえてないらしい。
「人の話聞かないやつだな。トップに立っちゃいけない人種、じゃなく魔王だぜ。まったく」
燥ぐ姿は見てて微笑ましく思えるが、先行きを考えると落ち込まずにはいられない。
これから仲間は必要だし、見つけなきゃいけないのは間違いない。
しかし仲間集めするにしても、こんな不思議幼女が一番目の仲間なのか。
ってかありえない。
こいつの適正職業ってなんだ?
魔王?戦士?魔法使い?踊り子?お笑い?
ルイスの知るカテゴリーの中で、この幼女に当てはまる職業が見当たらない。
ルイスはアンジェリークを見つめ分析した。
――あれは魔王ではない。幼女でもない。犬だ。しかも小さな子犬だな。さっきから見えない尻尾を左右に振っている感じがする。役に立つだろうか。頭は悪そうだが。あのタンコブを見る限り耐久性はありそうか。いやダメだ。魔物相手だと一撃だな。よし俺が立派な番犬に育てよう。動物飼ったことないが、コーカオンが鳴った俺には躾をする義務がある。
そこまで考えて冷静になれた。
――まてまて。普通に考えれば町から飛び出した幼女だ。当然、親だって町で探しているだろう。コーカオンが鳴ったので焦ったが、探している親に引き渡せば良い。それだけの話だじゃないか。
「魔王ちょっとこい!」
呼びかけても返事がない。
今度は汗を流して熱狂的に踊り続けている。
行動がいちいち疲れる。
何度呼びかけても振り向きもしないアンジェリークに業を煮やし、傍に石を拾って投げつけた。
当てるつもりはなかったので足元で音が鳴っただけだが、アンジェリークは ビクッと身を縮めて震えている。
イジメがトラウマになっているのだろう。
また石を投げられるのかと警戒している。
「ごめんごめん。投げないからこっちにおいで」
しばらくルイスの顔を見て、危険がないと判断したのか駆け寄ってきた。
「下僕め!儂はビビッてはおらん。が、石は投げるな!当たったら痛いじゃ、」
「一つ訂正しておくけどさ」
なにかと面倒くさいお喋りを遮り、人差し指を立てて宣言した。
「ペットというのは、ご主人様からエサをもらって生きているよな」
「う、うむ」
「俺があげた薬草をお前は食べた。薬草を食べたお前の立場やいかに?」
我ながら意地悪だなとは思ったが、効果は抜群だった。
薬草一つで主従関係が決定したわけじゃないのだが、アンジェリークはまた口を大きく開け唇を震わせていた。
卑屈な顔で口に残りついた薬草を一本返そうとする。
ルイスがそんなものは受け取るはずもなく、静かに首を横に振るとアンジェリークは泣きそうになっている。
感情の起伏の激しい奴だ。
「や、薬草ごときで下僕になれというのか?お、お、お前は悪魔じゃ!魔王じゃ!」
「魔王に言われたかねぇよ」
「嫌じゃ嫌じゃ!働きたくないんじゃ!皆に慕われて姫のように扱われたいんじゃ!」
「だから魔王じゃ無理だろ!」
この漫才はいつまで続くのだろう。
地べたにひっくり返り暴れ、せっかく払ってやった服を汚してまで抗議してくる。
「やれやれ」
面倒くさいやつだが嫌いじゃない。
高飛車な態度も反省しただろうし、これ以上イジメても益無い。
ルイスは言葉を続けた。
「じゃあ取り合えずお友達から始めようぜ」
頭を描きつつ手を差し出すと、目を丸くしてアンジェリークはルイスの顔をじっと見た。
顔を赤くしてうつむき手を掴んでくる仕草がなんとも愛らしい。
小さな手だった。
再びルイスに視線を戻し、しっかりと手を握りしめた。
「うん。うんうん!そうしよう!そうすべきじゃ!」
仲間ができてよほど嬉しかったのだろう。
気を良くしたアンジェリークとの握手は、田舎道の真ん中で大きく上下に振られることとなった。
町に着くまでの間だ。
仲良くしてやろう。
そうしよう。
小さな手を繋ぎ、目的地であるリストア町に今度は二人で歩き出した。