001.エピローグ
これは魔王と出会う三日前までの話。
ここは高いアルカス山脈に囲まれた未開の地にあるリノア村。
約40平方キロメートルの森に囲まれている小さな村だ。
隔絶された地にあり、魔物があまり入って来ないので、不便な場所ではあるが平和な場所でもある。
自然あふれる豊かな村とは聞こえが良いが、ようするにド田舎だ。
仕事が少なく働き手のほとんどは出稼ぎで村を出ており、村民は子供と年寄りだけが無駄に多い。
例にもれず過疎化は進み、村の平均年齢はかなりお高めである。
村にはかつて勇者が訪れたという伝承がある。
そして、森の奥地には入口を固く閉ざした勇者の祠まである。
おかげで僻地にも関わらず、物好きな冒険者が時折探索に訪れてくれる。
彼らにより周囲にいる魔物は一掃され、宿屋や消耗品を買ってもらうことで何とか村の生活水準は保たれている。
だが結局、良いお客さんである冒険者は森の中を散々探しまわった挙句、「良い息抜きが出来たよ」などと在り来たりの感想を述べて村を去っていくことになる。
平和な村は冒険者が住みづらいのだ。
ルイスはそんな村で雑貨店を営む夫婦の次男として生まれ育った。
二つ上の兄は父に似て真面目で大人しく、筋肉質な体つきをしているが内向的だ。
雑貨店にはあまり顔を出さず、薬草を育てる畑を父と一緒に耕したりしている。
また、年の離れた妹は甘えん坊で母にベッタリだ。
こちらは母親に似たのか甘いベビーフェイスを引き継いでおり、将来、男性問題で苦労するのかもしれない。
兄妹の間に生まれたルイスはまだまだ十歳になったばかり。
自由奔放に生き、村では珍しいくせ毛のある茶髪はルイスは両親のどちらにもあまり似ていない。
性格も人見知りせず好奇心旺盛だ。
特別、容姿が良いわけではないが、目立つ頭髪のおかげで声をかけられる事も多く、自然と誰とでも仲良くなるのが上手かった。
人懐っこいルイスだったが、村の皆と遊んでいたのはついこの間までの話。
生まれてから感じ続ける違和感は、なぜか現状では満足出来ず次第に独りで行動することが増えた。
最近では村での遊びでは好奇心は満たされず、しだいに森や山へと出掛けるようになっていた。
平和な村とはいえ、森の中は子供にとって危険な場所。
ほとんどの親が村の外で遊ぶ事を良しとしてはいない。
それはルイスの両親であっても同じであった。
ルイスを心配して止めるのだが、両親の気持ちなどお構いなく隠れて村から飛び出していく。
そして当たり前のように汚れて帰って来る日々。
自然に身を守る術を手に入れているようだが、危険であることに変わりはなく、怪我をしないか気が気ではなかったはずだ。
そんな事情を知る冒険者は、森の案内をルイスに頼むようになった。
案内役はルイスにとって天職だった。
当然、両親はルイスが危険な仕事を請け負うことを好ましくは思っていなかったのだが、止めさせるまでには至らなかった。
少なくとも冒険者と一緒の方が安全ではあるし、案内の報酬のほとんどを父に渡すことで家計の一助となっていたからだ。
ルイスは強かだった。
以後、森を探索する楽しみを奪われることは無くなった。
仕事と称して自由に村の外に出られる。
ルイスにとって森の案内は学びの場でもあった。
冒険者は魔物退治に優れており、彼らの戦いを間近で見れる。
例えばこの周辺に出る唯一の魔物ゴブリン。
緑子鬼。
その名の通り、全身緑の体が特徴で、小さな牙の間から唾液を滴らせる森林の魔物。
子鬼とはいえ160cmくらいはあり、ルイスの身長とあまり変わりない。
そして額には鬼の特徴である小さな角を生やしている。
角は魔鉱石の原料となるため鍛冶屋で取引される素材の一つだが、ゴブリンの角は小さく純度も低いので価値が低い。
武器や防具を作るには少なすぎて、精製する手間の割に良い物は期待出来ない。
精度の悪い長剣を作るだけでも1000体単位で倒さなければ作れないそうだ。
だから倒されれば無造作に打ち捨てられる可哀そうな魔物でもある。
リノア村は隔絶した場所である為、ゴブリンはほとんど入ってくることが出来ない。
まして上位種のホブゴブリンは尚更だ。
集団で行動するらしいが、周辺で見かけたことはない。
この森に迷い込むのは群れからはぐれた単独行動中のゴブリンくらいなのだろう。
それでもゴブリンはゴブリン。
気性は攻撃的で、棍棒を引きづりながら歩き回り、獲物を見つけたら一直線に襲ってくる。
ランクFの強さとはいえ、初めの頃はルイスにとって結構な強敵だった。
大きな棍棒が足かせとなって、足の遅いゴブリンに追いつかれることは無かったが、出会えば逃げるしか方法は無かった。
冒険者はそんなゴブリンの対処方法を戦いの中で教えてくれた。
ゴブリンの単純な動きを見切ると棍棒の届かない位置へと素早く回り込む。
棍棒を持っていると動きは遅くなるので、棍棒を持つ手は狙わず直接隙の多い胸や首を剣で切り裂き致命傷を与える。
ルイスも体捌きを教えてもらい、戦いを熟すうちにゴブリンが倒せるまでに成長出来た。
冒険者も筋が良いと褒めてくれるほどに。
強くなると当然問題も発生する。
ゴブリンの返り血を浴びて帰ると母が卒倒したので、汚れないよう外套を着なければいけなくなった。
冒険者と同じ恰好だ。
違和感のない着こなしに、村人でさえルイスと気づかず挨拶を交わす。
その事でルイスは自分が大人になった気になり、ますます冒険者と行動を共にすることに喜びを覚える。
森の案内の仕事は増えていった。
中でも勇者の祠はよく案内を求められ、少し多めの報酬がもらえる美味しい場所だ。
ルイスは此処にくるのが好きになった。
冒険者を案内しない日でも、勇者の祠に出向くことが多くなっていった。
「うわぁ!」
そんなある日、一人で勇者の祠近くを歩いていると地面に片足を取られた。
バランスの悪い斜面の足場が抜けて太ももが捕まると、股を広げた状態で身動きが取れなくなる。
「こんな恥ずかしいとこ見られなくて良かったよ」
小さい村では些細な出来事でも大きく言われがちだ。
話題の少ない村にとってこういった失敗談は楽しみの一つだろうが、進んで貢献したくはない。
ルイスは両手で太ももを持つと思い切り力を込め、勢いよく後ろに転がりながら足を一気に引き抜いた。
改めて自分が片足を突っ込んだ穴を見る。
腰くらいの深さがある空洞だろうか。
穴が狭すぎて、底まで光が届かずよく見えない。
どうなっているか気になって湿った土を手で掻き分け掘って穴を広げてみると、新たに見つけた横に伸びた穴と繋がった。
どうやら元々あった横穴の上を踏み抜いたらしい。
横穴の奥も暗くて見えないが、勇者の祠の方へと真っ直ぐ伸びているようだ。
ルイスは興奮した。
少年の体がなんとか入れるくらいの小さな穴。
踏み抜いた場所と違い、固い岩が剥き出しになっている横穴はこれ以上掻き広げることは出来ないが、ルイスの体ならなんとか入れそうなのだ。
小動物の巣か蛇でも通った後なのだろうか。
思いめぐらすが答えに行きつくことは無かった。
「せっかくのチャンスなのに見ないで帰れるわけないよな」
考える間もなくルイスの頭は暗闇へと吸い込まれていった。
固い岩を避けるように作られた穴は少年の体であっても一苦労するほど狭い。
身体をよじり足を引っかけ、手探りで先へと進む。
時折、口の中に土が入ってきて、そこ等に吐き出す。
もしかすると行き止まりかもしれない。
かなり進んでからそのことに気づき、この態勢だと戻ることも難しいことに焦りが生じたものの、すでに前にしか進めない状態だ。
明かりがないため手探りで方向を探る。
蛇のようにのたうち回った先は行き止まり。
かと思ったが、行く手を塞ぐ岩を押し出すと意外なほど軽く岩壁を崩すことが出来、ルイスの手は勇者の祠の中へと誘われていた。
勇者の祠の中は静寂に包まれていた。
規則正しく組まれた岩の回廊といった感じか。
頑丈な作りをしていて、外からの光が一切入ってこないほど隙間なく詰まっており、入ってきた場所だけがポッカリ穴が開けている。
そんな閉鎖的で真っ暗なはずの回廊にも関わらず、松明などの光源は必要がないほど全体に明るい。
不思議なことに、どの岩もうっすら青白い光を放っており、真っ暗なはずの勇者の祠と泥だらけのルイスの体を照らしているのだ。
汚れに気づき軽く服の土を払い、袖口で顔をぬぐうと辺りを窺った。
辺りに動物など生き物の気配はない。
風はないが冷えた空気が肌に凍みる。
回廊の壁に手を伸ばしてみる。
光る岩肌の冷たさがジンワリと掌に伝わり、滑らかで触り心地が良い。
単に人工的なのではなく、自然が長い時間をかけて研磨されて岩の回廊の状態を保っているのだろう。
すぐ傍に一際大きな岩が勇者の祠の回廊の一方をを塞いでいた。
これは勇者の祠を案内する時、入り口を塞いでいる見慣れた岩肌と同じものだと気が付いた。
ここを抜ければ外に出られるだろうか。
試しに押してみることにする。
やはり動かない。
もしかすると内側からなら開くかもしれないと期待したのだが、子供一人の力で押し出すには無理がありそうだ。
ついでに辺りをベタベタと触ってみたが動かす仕掛けや抜け道も見つかりそうにない。
「祠から出るには、またあの小さな穴から出なきゃいけないのかよ」
入口から堂々と出られれば楽だったのだが、閉じ込められたわけではない。
それに、ここまで来てすぐに出て帰る選択肢はあり得ないだろう。
少なくとも通路の奥を確認してからでも遅くない。
いや、ぜひ奥がどうなっているか見て確かめるべきだ。
「でも、ホント奥に行っちゃっていいのかなぁ」
ルイスは本能のまま奥へ向かって良いのか少しだけ考えてみた。
記憶する限り勇者の祠に入ってはいかんという掟は村にはない。
ついでに言えば今ここでルイスを止める人も遮る物もない。
故に勇者の祠に入って自由に見たとて、誰にも文句を言われることはないはずなのだ。
一定の自己解決を得ると、期待を胸に奥へと進むことに決めた。
もしかするとボスが待ち構えているかもしれない。
武器はたった一つしかなく、手に持つ短剣では心もとない。
光る岩肌は足元までしっかり照らし躓く心配も無いが、周囲を警戒をしつつゆっくりと歩き始めた。
そんな不安を余所に分かれ道もなく、ゴブリンすら襲ってくることもなかった。
岩の回廊を何事もなく道沿いに突き進むと、ルイスは拍子抜けするくらいあっさりと目的地である最奥へと辿り着いた。
そこには円形状の空間が拡がっていた。
目についたのは中央にポツンと残された黒く大きな切株。
小人たちの食卓。
そんな名前がしっくりきそうな部屋に残された雰囲気たっぷりの天然机には、不思議な青白い光が集まり輝いていた。
静寂とした部屋だが、迎え入れるような温かみのある空間。
ルイスは招かれるように歩を進めた。
「ここは……いったい何をする場所なんだろう」
壁や天井など、部屋には絵画などの飾り気のあるものが一切ない。
それどころか宝箱はもちろん、勇者の使った剣や盾など武具関係の物も置かれていないのだ。
歩く度に床に堆積した埃が立ち、住人が長い間不在であることを証明している。
ルイスは道具でも落ちていないかと部屋中を探して回る。
辺りを見渡すが勇者の祠の名前が差すものが見当たらなかった。
切株のテーブルが食卓として使っていたのなら椅子すらないのも謎だ。
目的はどうであれ生活するには全てが足りない部屋だった。
引っ越した後のように何もない。
ルイスにすれば謎は謎で構わないが、勇者の祠に来た土産が欲しかった。
長年入口を固く閉ざしていたのだから、きっと何か残っているはず。
出来れば勇者に関するものが一番良いのだが、宝石の類でもこの際構わない。
このままだと、せっかく祠に入ったことを自慢しても、村の連中に嘘つき呼ばわりされるに決まってる。
最悪、そこいらで光ってる石を持って帰ったら信じてくれるかななどと考えていると、テーブルの中央が少し盛り上がっている事に気づいた。
「何かあるのか、な?」
引き寄せられるように天然机に近づくと、光の加減で同化していた一冊の黒い本が目に映った。
手帳サイズの本の表紙には蔦があしらわれた装飾が施されている。
タイトルの書かれていない古びた本だが、汚れはなく傷んでもいない。
この世界で本は貴重品だ。
製本する技術が乏しいため数は少なく、知識の宝庫である本は当然価格は高い上に手に入れることも難しい。
だが日常に必要かと言われればそうではない為、庶民が本を読むことは余りない。
金を持っている貴族でなければ、本を持っているのは物好きなだけと言わざるを得ないのだ。
そしてルイスの家には本がある。
理由はもちろん後者だ。
世界旅行記と魔術師の心得、正しい薬草の知識の三冊の本を所蔵しており、父が昔は冒険者であったことを窺わせる品でもあった。
手垢や染みが所々付いているものの、破れた所もなく文字もしっかりと読めるくらい綺麗に使われていた本。
本の表紙に装飾などもなかったが、父に借りて読むときも必ず大事に扱えと注意され、大金を払って買ったとも聞いている。
そしてこの本だ。
綺麗な装飾がされており、家に置いてある本と比べて丁寧に製本されていると分かる。
この本の価値は内容は読まなければ分からないが、高価な代物であるのは間違いはないだろう。
「うん、これなら小さいし戦利品としては十分だな」
本が好きな父なら喜んでくれる。
もし気に入らなくても、売ればそれなりのお金に変わるだろう。
抜け穴を通る時にも、この大きさであれば苦労はなさそうだ。
ルイスは満足げだった。
内容を確認しようと手に取った本を捲るまでは。
本を開いた最初のページ。
書かれていたのは一行だけだった。
だが、それを見た瞬間、ルイスは凍り付いた。
ルイス・テュラム
黒い本にはルイスのフルネームだけがしっかりと記されていたのだ。
一瞬にして頭が真っ白になる。
誰もいないはずの部屋を再度見回す。
吹くはずもない風がルイスの首筋を舐めた。
首筋に見えない刃物を当てられた感覚がして、手元から本が転げ落ちた。
――なぜ?
名前が書いてあるんだ?
誰かに見られていたのか?
ここに誰か居たのか?
いや、誰もいない、いるはずがないんだ。
たしか何百年も前から…………。
汗が一気に噴き出た。
頭が真っ白になった。
恐怖が背中から襲ってきた。
そこからの記憶はあまりない。
ただ懸命に穴から抜け出て走って。
気が付いたらベットで横になっていた。
見慣れた天井。
すぐに自分の部屋だと分かった。
横を向くと椅子に座る母の姿が目に入り、手を握ってくれていた。
心配したのだろう。
髪が乱れ、傍目にもすぐ判るくらいの疲労と憔悴に顔を青白くくすませている。
だがルイスが目覚めたことに気づくと、安心させるように笑みを浮かべて頭を撫でてくれた。
――殺されるかと思った。
そう声を出そうとして、乾ききった喉がそれを妨げた。
差し出された水を慌てて飲もうとして口からこぼし、それを見た母がコップに手を添えて少しずつ飲ませてくれた。
気遣ってくれる母をさらに心配させてどうする。
手早く袖口で口を拭い、迂闊な言葉を漏らさなくて済んで良かったと乾いた喉に感謝した。
あれから一日眠っていたらしい。
体が震えた。
だが寒気を覚えクシャミをした理由が怖さではなく汗で濡れた服のせいだと気づく。
母に急かされ汚れた服を脱ぐと、用意してくれていた替えの寝間着に着替え、体を温めるため再び布団の中で横になった。
そうしてようやく冷静さを取り戻すことが出来たのだ。
無我夢中で走ったあと、いったいどうなったんだろうかとルイスが問うと、母は少しずつ語ってくれたのだった。
どうやら夕飯の用意をしていた母の前に、突然ルイスが汗と泥まみれで現れたらしい。
何かに怯えていたようだが、母の顔を見るなり目の前で倒れたんだとか。
皆でベットに運んだりと大変だったのよと、笑い話にしようとして失敗した母の目に涙が浮かんでいた。
傷だらけの顔を拭いてくれたのだろう。
手に握りしめていた血の付いたタオルで目元を押さえる母の笑みに、ルイスは心を痛めた。
母を悲しませてしまった。
一人で何でも出来ると思いあがっていたが、自分はまだ子供なんだと感じずにはいられなかった。
そう思うと、あの勇者の祠の事は話すべきではないと思った。
叱られる。
そんな気持ちがなかったわけではないが、それ以上に心配をかけたくないと言うのが本音だ。
ましてルイスには不可解な現象だっただけに、思い出しただけで体が震える。
母にしつこく何があったのか聞かれたが、固く口を閉ざす事に決めた。
やがて両親もルイスの意思を尊重し深く追求はしなかった。
あの日から、あまり案内役の仕事を受ける事は少なくなった。
単純に勇者の祠には近づきたくなかったからだ。
あれだけ好きだった場所だけど、初めて恐怖を感じた場所だから。
その代わり父の店を手伝う日が増えていった。
薬草を売り続けて三十年。
父の営む雑貨屋は薬草を中心とした消耗品を扱っているので、村を訪れた冒険者は必ずといっていいほど立ち寄る。
冒険者は当たり前のように珍しい道具や装備品を持っており自慢げに見せてくれる。
炎を噴き出す剣や暗闇を照らすために光の精霊を呼び出すスクロールなど。
中でも冑に付けたキメラが出す羽根は一人前の冒険者としての証だそうだ。
誇らしげに見せる羽根を見て、ルイスはカッコいいと思った。
村にとっては必要でないものなので父は買い取ることは無かったが、ルイスは単純に手に入れたいと心に決めた。
これらの多くはダンジョンで見つかる物らしく、決まって冒険談とセットで話をしてくれルイスを楽しませてくれるのだ。
一時期、気持ちが落ち込んだルイスだが、冒険者との繋がりが再び好奇心を高めていくことになる。
話を聞くほどに、外の世界はとても広いことが分かった。
本にも書かれていない冒険者からの話。
なんでもっと早く彼らと深く話をしなかったんだろうか。
ルイスは後悔しつつも、時間の許す限り語られる言葉に耳を傾ける。
冒険者たちの見解は時折違うが、概ね次のような世界情勢を話してくれた。
世界の覇権をかけて人族は鬼族や魔族といった種族と争っていること。
この村だけを見ればとても平和に見えるが、世界には魔王が蔓延り人々を困らせていること。
増え続ける魔獣や魔物の討伐を二の次にし、利権を巡る人同士が各地で争い戦争を起こしていることなど。
彼らが異口同音に伝えてくることは、今も剣や魔法が戦場を飛び交う乱世である村の外の世界の惨状。
そして、その切っ掛けとなった昔話。
この動乱の始まりに活躍した英雄、そして冒険者が生まれるまでの話。
ルイスはこの話を聞くとひどく興奮した。
話はその昔、全世界を統べた一人の男から始まる。
世界を蹂躙し種族を問わず恐れられた伝説の大魔王の名はヴィルジール・デュラフォア。
種族、出生は不明だが、どこからともなく魔王を従えて現れたという。
少数ながら危険と感じた時の権力者は、彼を排除しようと兵を送り込んだ。
だが彼に立ち向かった者たちは、名だたる戦士であれ魔術師であれ自分の無力さを思い知ることになる。
全身を覆う緑の鱗は刃を通さぬほど固く、魔法に抵抗がありながら自然回復に優れた体を持つヴィルジール・デュラフォアは、燃えるような赤い髪をなびかせ、どんな敵であれ身にまとう武具共々一撃で葬り去ってしまう。
敗者に服従を求める訳でもなく、ただ強者だけを求めて制圧する事に喜びを覚える理不尽な支配者となり、立ち向かう者がいなくなると魔王を残して去っていくのだ。
瞬く間に東のアンガス、西のイングレス、南のユーラジア大陸と三大大陸を次々と蹂躙し続けると、抵抗力を失わせた時の権力者に代わり魔王が支配する世界へと変貌していった。
地上に溢れた悪魔たちは数を増やし、ヴィルジール・デュラフォアに代わり世界を焦土と化していく。
残された者たちは彼らの力の届かない場所へと逃げるしかなかった術はなかった。
膨大な力を持つヴィルジール・デュラフォアは世界が悪魔で埋め尽くされるのを見届けると、やがて大陸の中央に位置する孤島に居城を構える。
その後、孤島から出てくることは無かった。
まるで強者のいない世界に興味がないかのように。
ヴィルジール・デュラフォアがいなくなっても世界の地獄は変わらないでいた。
悪魔が我が物顔で大陸にのさばり続けているのだから心安らぐことは出来ない。
恐怖におびえる毎日。
永く続いた世界の脅威、その間人族は何もしなかった訳では無かった。
有力な若者は早々に身を潜め、魔族の猛攻に耐えながら只管力を貯めていたのだ。
若者は剣の腕を磨き、備蓄し、魔術を研磨する。
そして脅威を打ち払うべく、満を持して人族が決起することとなる。
バルタザール、カスパ、メルキオ。
彼に立ち向かい大魔王を倒したのは三人の英雄たちであった。
英雄はまず奪われた三大大陸で住まう魔王を退けることに全力を注ぐ。
それと同時に二度と奪われないよう要害を選び王国の基礎となる城塞作りに着手すると、人族の希望の地にすべく多くの人を集めた。
彼らは一致団結して人々が安住出来る地である城壁の建設に心血を注いだのだ。
各国は城壁という万全の防備を手に入れ非戦闘員の安全を確保すると再び集結、英雄が率いる数万人規模の軍隊が、未だ脅威となる孤島のヴィルジール・デュラフォアの元へ攻め入ることとなった。
ヴィルジール・デュラフォアはそんな彼らの動向を静観しつつ、孤島に精鋭千名を集結させて迎撃態勢を整えていた。
数の上では十倍以上の差があり、誰もが孤島攻略を楽観視する傾向すらあった。
だが始まった孤島上陸作戦は苛烈を極めた。
三か所から居城を包囲する形での進軍はゲリラ作戦を行うヴィルジール・デュラフォア側によりあらゆる場所で猛攻を受け、一進一退の激戦が繰り広げられることとなった。
孤島に集結したのは魔王をもうち滅ぼした強者たちにも関わらず、進軍による死傷者の数は約三割にも上る。
だが犠牲を払いつつも砦を築き、確実にヴィルジール・デュラフォア側を追い詰めていき、ついには戦列を整え数を頼りに軍を進めること数週間、居城へとたどり着くことが出来たのだ。
居城には待ち構えるヴィルジール・デュラフォア側の精鋭は消え去り、ただ一人、ヴィルジール・デュラフォア本人だけがその姿を現した。
一対数万。
この無謀ともいえる数の差だったのだが、戦いが始まると世界を蹂躙し続けた恐怖の大魔王の名は誇張でないことを思い知らされた。
不敵な笑みを浮かべ腕を振った直後に起きた大爆発。
彼らを襲ったものが魔法なのか剣技なのか理解出来ないまま死んでいくこととなった。
たった一人が繰り出す攻撃に死傷者の数だけを増やす。
強者は存在する。
戦いを制するのは数ではないと示す戦いともなった。
戦線は崩れかけた。
そんな一方的にも思える戦いで、軍の士気が持ち直せたのは前線に立った英雄たちのお陰であった。
危険を顧みず、渾身の一撃を繰り出す英雄たち。
ヴィルジール・デュラフォアはそんな彼らに容赦なく致命傷となる一撃を降り注ぐ。
その後方では、彼らの戦いに直接参加出来ない者たちが補助魔法、回復魔法、対消滅魔法など、ヴィルジール・デュラフォアに対し魔法の詠唱が繰り返された。
味方の詠唱魔法が英雄を襲う瀕死の傷をも一瞬で回復させるのだが、そんな捨て身の一撃でもヴィルジール・デュラフォアに対して有効なダメージを与えることが出来ない。
対して一振りで地が裂けるほどの剣撃は、その衝撃で居城は崩れ、地形は瞬く間に形を変えていくほど。
鶴翼の陣を引き、被害を最小限に抑えるものの、すでに半数が地に伏している状況だ。
だが時を追うごとに無敵と言われたヴィルジール・デュラフォアは力を弱め、思うような効果を発揮出来なくなっていった。
徐々に蓄積するダメージと減ることのない敵の数にヴィルジール・デュラフォアも苛立ちを隠せない。
そして英雄の剣が緑色の鱗を切り裂くことに成功すると、ついにヴィルジール・デュラフォアの体から血が流れ出した。
怒りの雄たけびをあげ、更に攻撃の速度を増すヴィルジール・デュラフォア。
その動きは長くは続かず、英雄たちの冷静な判断によって繰り出された剣によって、ヴィルジール・デュラフォアは愚策の代償に片腕を失った。
回復の余地を与えることなく、後方に放り投げられた腕はすぐさま回収と封印が施される。
そこからの戦いは旗色が悪くなる一方だった。
片腕を失ったヴィルジール・デュラフォアは攻撃、あるいは防御の一方しか行動出来なくなり、英雄の剣が全身を切り刻んでいく。
回復する力が衰え、血を流し続けることで体力を失い動きが鈍る。
ヴィルジール・デュラフォアは次に片足を失った。
バランスを崩しつつ、尚もヴィルジール・デュラフォアが繰り出す攻撃は、後方で魔法を唱える者たちに死を与える。
英雄たちはこの化け物に油断はしなかった。
確実に、止めを刺すべく力を奪っていく。
そして四肢全てを分断し封印を施すと、ヴィルジール・デュラフォアの体は形を失うほど切り刻まれ壮絶な最期を遂げたのだ。
長かった大魔王の時代は終わった。
英雄たちはその後、各々が受け持った大陸で国を立ち上げ、元の平和を取り戻すべく尽力する。
その際、四肢はのちに各国で保管する義務を担うことになった。
ただヴィルジールが持っていたはずの伝説の武具は最後まで見つかることが無かった。
本来の力を発揮出来なかったのは、英雄との戦いの前に武具が失われていたためとも言われている。
見つからない事は不幸でもあり幸運だったとも言えるだろう。
もし伝説の武具を持ち本来の力を発揮出来ていたならば、地に伏していたのは英雄だったに違いないのだ。
それほどまでに力を秘めた伝説の武具。
世界中の強者が欲して止まないのも当然だが、力ある者が武具を手に入れて第二のヴィルジール・デュラフォアにならないとは限らない。
現在でも王国は血眼になって捜索隊を送り出しており、伝説の武具は今もなお探し続けられている。
ヴィルジールの脅威は取り除かれたが、魔族はその後も消えることは無く、世界の混乱も同じく消えることは無かった。
英雄に追われた魔族は洞窟に住まい、居城を構え、外敵となって人に災いをもたらし続けることになったのだ。
それを受け、各国が騎士を派遣し魔族退治を行うも、広範囲に散る魔族を殲滅していくことは難しかった。
そして冒険者と呼ばれる職業が誕生し始めたのもこの頃だ。
世間では勘違いしがちだが、冒険者の考えでは魔族の存在全てが必ずしも悪というわけではない。
一例をあげれば、今では当たり前だが火の魔鉱石が無ければ食事の用意をするのも一苦労するだろう。
魔族が持つ魔道具などは人の生活に便利なものが多くあるのだ。
彼らと手を結び、あるいは狩ることで便利な道具を得る生業が成り立つ。
冒険者はそういった交渉や討伐をする代行者なのだ。
ハイリスクハイリターン。
未踏の地に残るお宝を求めて、冒険者は自ら命と引き換えに一獲千金を目指し世界を旅している。
ルイスが冒険者に憧れるのは当然の成り行きだった。
面白おかしく話す内容の多くは成功例である。
訪れる冒険者も魅力的で便利なものを多く持ち見せてくれた。
外の世界は人や物に溢れ、なんと華々しいのだろうか。
ルイスは早く村から出たい、出なければいけないと感じた。
こんな村で一生を無為に過ごす理由が見つからないし、根拠はないが村を出れば何かを成し遂げられる自信だけはあった。
そして目指すなら伝説の武具を手に入れてみたい。
こうなっては両親がいくら止めても無駄だった。
無理に冒険者になることをやめさせようとすればすぐにでも家を飛びして、どこかで野垂れ死にするのは目に見えている。
先走ろうとするルイスと話し合った結果、父は三つの約束を守れば村を出ることを許すと告げた。
十五歳までは我慢すること。
その間、剣や魔法など冒険者としての訓練を欠かさず行うこと。
旅に出てからは危ない場所、特に魔王の住む地域などにはなるべく近づかないこと。
せめてもの親心がどれだけ通じたのか、元冒険者の父に習いルイスは五年間真面目に棒を振り回して剣術の腕を磨くことになった。
ただ、魔法だけはどれほど練習をしても火の玉すら出すことが出来なかった。
「どんな才能の無い奴でも燃えカスくらいは出るんだが、何も出ないとは不思議だな。しかし突然できるやもしれん。気長に練習すれば良いさ」
体の中を巡って何かが外に出ていく感覚はあるのだが、目に見えて何かが起こることは無かった。
繰り返せば体力ではなく集中力が切れそうになるほど疲れ、やりすぎてその場に倒れてしまったこともあるほどだ。
それ以来、寝る前に魔法を唱え続けて寝るのが日課としたが、村にいる間で効果を得ることは無かった。
そして本日、ようやく十五歳の誕生日を迎え、ルイスは晴れて旅立つ権利を手に入れたのだ。
「旅人の服よ――し。薬草よ――し」
「ほんとに行くのかい?もう少し考え直してみる気はないのかい?」
「忘れ物な――し。未練な――し」
心配する母を余所に軽口を叩いて目線も合わさず荷物をリュックに詰め短剣を腰に差す。
この日のために準備してきたことだが、少しでも母の涙を見てしまえば決心が揺るぎそうで怖い。
この村が嫌いなわけじゃない。
むしろ最近では一緒に育った幼馴染が可愛く見え、恋が芽生え始めていたりと心残りでもある。
しかし未知なる場所への旅路は、それ以上にルイスの探求心を揺さぶり続けてきたのだ。
なによりこの世界で生きていることへの違和感がぬぐい切れないでいた。
一年ほど前に、意を決して勇者の祠に行ってみたことがある。
あの時感じた恐怖は勘違いではなかったか。
自分の名前が書かれていたことを考えれば、むしろ大事な啓示を知らせようとしていたのでは。
冒険者としてここを去る前に、村の最後の謎を解明しておきたい。
そんな思いで黒い本を取りに行こうとしたのだが駄目だった。
成長期のルイスの体は大きくなりすぎて、抜け穴に入らなかったのだ。
「それでは行ってきます」
言葉短く言うとルイスは戸口で振り向きざまに両親を見た。
すでに中年の域に入った両親は少し白髪が混じり始め皺も増えてきている。
ルイスを見守る二人の顔がとても寂しく映った。
生真面目に任せておけと目で訴えかける兄とその横で何も分からず眠い目を擦る妹。
この場面の一瞬を写真のように切り取り脳裏に刻む。
――今までありがとう。
素直に声にして両親への感謝を言えなかった。
「いつでも帰ってこい」
「たまには手紙をよこすんだよ」
たまらず背を向けて歩き出すルイスに父と母は優しい言葉で送り出してくれた。
振り返らない。
冒険者としての第一歩が踏み出されたのだ。
初めて越えるあの山脈の向こうには新しい人生が待っている。
ルイスは期待と不安を抱きつつ、村から続く山道へと歩きだした。
初めての小説です。
稚拙な文章になりがちですがご容赦ください。