第15話・・・紅井勇士&四月朔日紫音_蔵坂鳩菜(カキツバタ)_交渉の果てに・・・
勇士は加速法で一気に蔵坂鳩菜との距離を詰めに掛かる。
鳩菜は瞬時に銃口を向け、放つ。そして弾丸を勇士の手前で炸裂させる。雷の迸る音と共に盛大な爆音が響いた。
しかし、荒れる雷の中からダンッと勇士が姿を見せた。勇士の体を膨大な量の気が纏ってある。強化した防硬法だけで防いだのだ。
「いきますよ!」
勇士が炎の刀を下に構え、最後の数メートルを縮めんと走る。
鳩菜がもう一度勇士へ銃を構える。勇士はその銃口を瞬きせずに見詰めた。どれだけ速い弾丸が放たれても対処できるように。
しかし。
(『陽光源』!)
「ぐぁっ!?」
その銃口から放たれたのは眩い光だった。雷の応用技、光。
(しまった!)
予想外の手に勇士は強引に足を止め、横へ跳んだ。探知法で弾丸が放たれたということだけは感知したからだ。
勇士のいた場所を弾丸が通り抜け、炸裂する。
まだ目は見えないが、勇士は探知法で居場所を把握している鳩菜へ火の斬撃を飛ばした。
鳩菜の気配が遠ざかるのが分かった。それだけで躱されたことも。
鳩菜は隣を過ぎる火の斬撃を確認し、改めて銃口を向ける。一瞬の陽光源とはいえ、勇士の視力は完全には戻り切っていない。
(ここで紅井勇士を倒すわけにはいかないけど、まだ時間はある。私との戦闘で深手を負った後、夜まで身を隠して回復に専念してもらおっか)
鳩菜がそう考えた時、勇士もまた、ぽつりと、口角を吊り上げながら思った。
(予測はずれたけど……、しっかり誘い込んだよ)
「…ッ!?」
勇士へ弾丸を撃ち込もうとしたその時、鳩菜は感じ取った。
足下の……マンホールの下から、刺すような気を。
(あ、やば)
次の瞬間、マンホールの下から豪大な量の雷が噴き出た。
※ ※ ※
マンホールの下には、紫音がいた。先に蔵坂鳩菜を発見したので、紫音は他のマンホールから回り込んでいたのだ。手にはレイピアが握られている。
今となってはマンホールは壊れており、大きな穴が空いている。その跡は巨大で獰猛な生物が暴れて這い上がったようなものだった。紫音はそこから少し距離を置いたところで、壁に手を付いている。
湿気とくぐもった空気が入り混じり下水道で、紫音は呼吸を荒げていた。どれだけ気分の悪くなる空気だろうと、今は酸素が必要だった。
今の不意打ちに気の大半をつぎ込んだからだ。
(美人で守られ役としての印象が強い蔵坂先生だけど、その実力はB級相当! リミッター付けていても私より確実に強い…。不意打ちとはいえ、これが直撃などということはないでしょう…けど、ダメージはかなり与えたはず…。…それよりも私も早く上に上がって加勢を…)
紫音の考えはほぼ正解だった。
(今のは危なかった~)
あの時、鳩菜は咄嗟に加速法で跳んで直撃は回避していた。しかし、気付いたタイミングが一拍遅かった所為で、左腕と左足と左腹の部分が淑女にあるまじき光景となっている。
服はビリビリに破れ、腕と足と横腹には多数の切り傷が刻まれている。紫音による雷とレイピアの協調だ。
(やっぱり油断かな。リミッター付けまくってるとはいえ、四月朔日紫音相手なら、マンホールの下にいても気付けたはずなのよね。…今の私では紅井勇士と正面衝突したら勝てないから神経を集中してたから周りが疎かになるの仕方ないっちゃ仕方ないんだけど…、こんなこと隊長には言えないなー)
とりあえず、と鳩菜は表情に出さず、心の中で笑った。
(四月朔日紫音がマンホールの下。このチャンスは逃せないよねぇ)
鳩菜は銃口をマンホールへと向ける。
湊から言い渡されていたことがあった。
『わたぬきさんと勇士を最終局面までにはリタイアさせず、分断しておきたい。既に手は考えてあるからカキツは心配しなくていいけど、チャンスがあればやれ。お前が適確に判断を下せば愛衣も気付かない』
(マンホールの下にいる。これなら分断を狙ってもおかしくない)
注意すべきは分断が成功した後。例えば勇士を戦いながら別場所へと引き離すような見る人が見ればあからさまな真似をしなければ良い。そのような真似も問題ないと思うところもあるが、教師として参加した体面に影響を与えかねない。リスクは徹底的に避ける。
(その辺はクロー隊長に伝えれば上手くやってくれるだろうから、いっちゃおうかな)
鳩菜が半壊したマンホールへと銃を構える。
「させません!」
しかし撃つ隙を与えず勇士が地を蹴って鳩菜へと突っ込む。勇士でさえも鳩菜が分断を狙うと予測できるのだ。
鳩菜は悪意の欠片も感じ取れない笑みを浮かべる。
陽光源!
「ぁ!?」
再び、鳩菜の銃口から光が放出される。勇士の動きがガクンと鈍った。
「二度も同じ手に引っ掛かっちゃダメよ」
鳩菜はその場で跳躍し、地上約十メートルの空中に歩空法で立つ。
カチャ、と銃を下へ、マンホールへ向ける。
勇士に光を放ってからコンマ5秒も経っていない。先程の全力全開の大出力攻撃の後では、まだ下水道で体を休めているだろう。
「『落雷爆弾』」
鳩菜の銃口から雷の塊が連続して撃ち放たれた。
「かあああああああああぁぁぁぁあああああ!」
開かない瞼を無理矢理こじ開けた勇士が、刀を振るい、燃え盛る火の斬撃を飛ばす。
しかし、膨大な雷を纏った鳩菜の弾丸は今までとは威力が段違いであり、爆発音と共に幾つかの弾丸を消し飛ばすが、結果的には降り注ぐ弾丸をほとんど排除できなかった。
「紫音! 奥へ逃げろ!」
その勇士の大声を、下水道の中で休んでいた紫音は、失敗ですか、と策の甘さを呻きながらその場を後退した。次の瞬間、紫音の背後で爆音と瓦礫の崩れる音が響き、辺りが暗くなる。
マンホールの穴から入れてた唯一の光を失ったのだ。
※ ※ ※
鳩菜は肩で息を整えながら、発砲を止める。
(気少し使い過ぎちゃったかな…。でも、これできっちり分断できた)
「ごめんね、紅井くん。先生のこと嫌いになった?」
苦虫を噛み潰したような顔で勇士が鳩菜を見上げる。その背後には道が凹むように、マンホール(今は形も残ってないが)周辺が瓦礫と化している。
「嫌いにはなりませんよ。…ただ、先生のことかなり見くびっていたようです。その点を深く反省しています。…本当に申し訳ありませんでした」
どこまでいっても勇士は誠実だ、そう思った。ちなみに勇士の目はもう回復している。
「さて、先生としてはもうこの辺でお暇したい気分だけど、どうでしょう? 交渉と行きましょう。私は気を消耗し過ぎたようなので疲れを癒したい。紅井くんは四月朔日さんとすぐにでも合流したい。マンホールなんてすぐ近くにいくらでもあるから全く難しいことじゃない」
(まあ、クロー隊長がそうはさせないけどね)
鳩菜は地上に降り、目線を合わせて提案する。
「どうでしょう? ここはお互いに剣を引くということで」
これを観戦している生徒達は悪くない提案だと思った。
お互いの利害は一致している。ここで無理に戦う必要性は感じられない。
勇士も深く考えさせられた。
(…どうすればいい? おそらく、ここで提案を呑むのが賢い選択だが…そんな簡単なものではない気がする…)
これは一種の試しだと勇士は捉えている。鳩菜なりに成長のチャンスを与えてくれている。
交渉、と聞いて勇士の脳裏を掠めたのはとある苦い記憶。多摩木要次の研究所で、終盤に現れた茅須弥生に『妖具・泣落』を奪われた時のこと。
あの時は感情的になり過ぎていたこもあるが、それでも我ながら目を覆いたくなる結果だった。
紅蓮奏華本家からも『共にいた漣湊や速水愛衣に任せるべきだったのでは』と非難された。
その後、二段ベッドで横たわりながら、上段の湊に聞いたことがある。
『交渉のコツねぇ。その時々によるけど、やっぱり相手が何を求めてるか、ていうことじゃない?』
『何を求めてるか、か…』
『自分の損益も大切だけど、取引を成立させなきゃ何の意味もない。自分よりも相手を考えるんだよ。…相手の真に求める物を微妙に反らして提案すると、頑張って相手が誘導しようとするのが面白いんだよね』
『なるほど…。ていうか、湊ってそんな交渉の経験とかあるの?』
『…アメリカでちょっとね』
湊の言葉を今一度思い返す勇士。
(相手が、求めている物…)
そこで先程までの自分の考えが間違っていたことに気付く。
勇士は自分の利だけを考えて、相手の鳩菜の利を深くは考えなかった。
(正直、リミッター付けた状態の蔵坂先生に負ける気はしない。先生がここで退きたがる理由も分かる。…けど、もし他にも、先生が言ったことよりも大きな利点があるとしたら…?)
勇士は今までの人生ないベクトルに脳を回転させる。何の根拠もないが、今ここが成長のチャンスだと、直感する。
(先生の利点…利益……求めるもの…。…………待て、そもそも先生がここにいるという時点でイレギュラーなんだ。本家の話ではこの試験内容変更は紅蓮奏華へのアプローチかその前段階。試験に参加する5人の教師の内猪本先生と何人かは武者小路の手の者だと本家は予想していた。…つまり、蔵坂先生もその一員であり、武者小路家の都合で俺に今はリタイアして欲しくないということか…?)
勇士なりに頭を捻って出した答え。
はっきり言って、自信は全くない。
押し寄せる不安がこの仮説の薄っぺらさを暗に伝えてくる。鳩菜が武者小路側の人間という点は勇士自身でも中々いい線行ってると思うのだが、なんというか、妙な違和感があるのだ。担任として築かれた信頼もあるが、もっと不確かであやふやな…とどのつまり、ただの直感で違うと思うのだ。
だけど。
「申し訳ありません。蔵坂先生」
思考の海から戻って、まだ一分も経っていないことに気付く。初めての体験に心臓の鼓動を早めながらも、勇士は鳩菜としっかり向かい合った。
「その提案は呑めません」
鳩菜は肩を落としながら苦笑をする。
「……少し意外ね。なんだかんだ受けてくれると思ったのに。理由を聞いても?」
「…色々と考えたのですが、最終的には、直感で決めました」
「直感?」
「はい。…この提案を受けるなと、ここで先生を倒せと、どこかから忠告されてるような気がするんです…。こんな理由で申し訳ありません」
鳩菜は少し呆気に取られたような顔をしたが、すぐに破顔する。
(……へー。凄いわー。ちょこっと評価を上方修正)
「そう。それなら自分の直感を信じてみなさい」
「はい!」
誠意の籠った返事に鳩菜は罪悪感を覚えたわけではないが、表面上の礼儀として言葉を返す。
「そんな真っすぐな紅井くんに言っておきましょう。…今の私は少し気を使い過ぎて休みたい気分です。だから紅井くんがなんと言おうと、私は逃げるつもりです。…さすがに何度も陽光源による攪乱が効くとも思えないから、取引を成立させて安全に戦線離脱したかったのだけど、そうもいかなくなったなら、私も腹を括って全力で逃げる」
鳩菜の視線が細められる。
「紅井くんは今、倒すと言ったけど、私が逃げても変わらないのかなぁ?」
「はい! 変わりません!」
そこに関して迷いはない。
鳩菜は素直にその心を褒めた。
「そう。…なら、捕まえてみなさい」
瞬間、鳩菜の銃から気弾が撃ちだされ、勇士は火の斬撃を飛ばして自分の元まで到達する前に炸裂させる。
勇士は加速法で急接近を測る。鳩菜が咄嗟に『雷の壁』で進路を塞ぐが、勇士は気にせず火の刀で雷の壁を切り裂きながら、割って入ってくる。
しかしその先に鳩菜はいない。探知法を発動させていた勇士はその場所がすぐに分かった。
「上!」
「わ!」
勇士は振り向かず、真上で火の斬撃を飛ばす。態勢もほとんど変えないままだったので、筋肉が少し痛む。
しかし無理の甲斐はあったようで、おそらく真上の中空へ上がって頭上という位置をもう一度確保しようとしていた鳩菜にダメージは与えたようだ。
態勢を崩した鳩菜がなんとか地上に着陸する。
勇士は心を落ち着けながら、手応えを感じる。
(よし。このまま油断せずに行けばいい。…同じ質とはいえ、あのカキツバタじゃない………ん……………だ………か…………ああ……?)
そのなんてことない心の言葉に、発信主である勇士自身が固まる。
(なん……だ………こ、この………え…?)
それは、決して論理の元に組み立てられた結論ではない。
奇跡と言っても過言ではない程の、偶然。
神がかった、超運。
突如、勇士が先程更新した以上の、思考回転を発揮する。
(同じ質? 炸裂系雷属性なんて大量にいる。珍しくともなんともない。でも、だ。『聖』の第四策動隊は隠密、潜入のスペシャリスト。あいつらは姿勢、動作、癖、呼吸まで無意識レベルではあるが、二重人格と言ってもいい程に表と裏で違う。それはあの『超過演算』があっても見破れない程に、だ。……だから。…だから………仮に蔵坂…先生が…か、かかかかか、かき、カキツバ…タであったとしても……今のまま見破ることは……ふ、不可能…)
不可能。不可能だ。しかしつまり……、
(しかしつまり、蔵坂先生が…カキツバタという証拠も、そうではないという証拠も、……………ない)
ないんだ。
(ないけど……、なんで………なんで…。さっきまで拭えなかったもやもやした違和感が……消えてるんだ……?)
(……あら?)




