第17話・・・真価_底なしの悲しみ_『北斗』・・・
愛衣の胴体があった位置を銃剣の刃が一閃。
茅須弥生は表情には出さないが少なからず驚いた。
静動法。
鎮静系特有法技。絶気法の発展形。気配を無くす代わりに自身を纏う気量が減り、攻撃力や防御力が低下するというデメリットがある絶気法とは違う。
静動法は鎮静の気そのものにも気配が無い。どれだけの気量を自身や武器に纏っても、その気そのもに気配が無いので表面的には絶気法と同じ効果が得られる。
士のレベルで精度は違ってくるが、B級以上にもなれば脅威的な法技となる。
音も気配も殺気もなく忍び寄り、背後を取って必殺の一撃。弥生が最短速攻で終わらせる時の決勝パターンだ。
それをこうも鮮やかに回避された。
「今のを躱しますか。予想以上です」
これも『超過演算』という技術か? と弥生は考え、実力を見誤っていたと警戒レベルを上方修正。
(未知の敵に深入りは危険)
弥生は瞬時に愛衣のポテンシャルを見抜き、バックステップで距離を取る。
「逃がすわけないでしょ」
「っ?」
弥生は今度こそ驚愕を表情に露わにした。
愛衣の呟きが原因ではない。
弥生がバックステップで距離を取ろうとした時、十数メートル離れるはずが五メートルもいかずに『何か』に阻まれた。いつの間にかあった『何か』が背中に当たった。
柔らかくて弾力を持つ丸みのある『何か』。湿気もある。
その『何か』は柔らかいのに全く割れない。それに濃密な気も感じる。
弥生はその『何か』と背中で空中で接触し、
「『水泡牢』」
離れられなくなった。否、むしろ引きずり込まれていく。
(この…泡? というよりシャボン玉ですか。これは……非常に危険ですね。これが彼女の司力でしょうか)
無理矢理でも突破すべき。
弥生は両銃剣の引き金を引き、炎を拡散させた。「火」でシャボン玉を蒸発させ、消し去る。そして今度こそ距離を取る。
目論見通りシャボン玉が白い煙を立てて消えた。莫大な熱気の後に若干の冷気を感じる。
「……」
しかし、弥生は違和感を覚えた。
予想よりも簡単にシャボン玉が消えたからだ。不動の山のような威圧を感じたシャボン玉は弥生が技を発動させた瞬間、豆腐を握り潰すように消えた。
「っ」
そして、常に探知法で居場所を確認していた速水愛衣が突然動き出した。B級顔負けの速度だ。
シャボン玉を消し去った直後、一秒も経っていない時。
愛衣は加速法で弥生との距離を一瞬で詰め、渦巻く水を纏ったストローを心臓へ向けて突き刺してくる。
弥生は銃剣の刃で弾き、もう片方の銃剣の銃口を愛衣に向け、発砲する。火を纏った弾丸が幾つも愛衣を付け狙うが、愛衣はまるでそれが来ることが分かっていたように、加速法で前へ進みながら躱す。静動法を施した弾すらも、躱された。
愛衣の全てを見透かしたような眼と弥生の無機質な眼が合う。また一段スピードを上げた愛衣が弥生の懐に入り奇形のストローを突き出してくる。
大した威力は感じられないが、だからといってくらったらまずい。
弥生は一つの司力を発現する。
愛衣の視界が急に歪んだ。幻術に囚われたように、まるで景色を粘土をこねたように。
(……これは)
冷静且つ鋭い愛衣は弥生が何をやったのかをあっさり見抜いた。
(『陽炎空』ね)
陽炎。空気密度が異なることによって生じる現象。主に風と火属性の技だ。
周囲の温度が急激に上がり、視界が歪んだ。結果、距離感が一瞬掴み辛くなり、その一瞬の内に弥生に大きく距離を取られた。
愛衣は敵の対応速度がこの短時間で上がってきていることに細やかな危機感を覚え、追撃を避けた。
(…今ので決められないのは想定内。…本当の私の狙いは、)
(結界、ですか)
弥生は心中で肩を落とす。
愛衣の今の攻撃事態が結界を張る為の時間稼ぎ。愛衣の奇襲では倒せないのも、弥生の攻撃の裏を読んだのも、弥生に最後回避されるのも計算の内。
(これが『超過演算』。……この歳でとは…いやはや恐ろしい)
(でも友梨の方までは構っていられなかったのが悔しいわね)
愛衣はもう感じない友梨の気配に心苦しさを感じながらそう思う。
友梨は既にシャッターを突き破って逃走している。結界の所為でもう分からないが、なかったとしても全開の愛衣でも正確な位置は分からないだろう。
愛衣はキッと視線を尖らせる。
(ひとまず、この女を可能な限り手早く倒さなきゃ、ね)
『麗雅水泡』。
ストローを咥え、ガラス細工のように美しい水の球体を5個以上生み出す。大小様々なシャボン玉だ。
(ここ狭いし、このぐらいかな)
愛衣の背後や両側、頭上などを雲のように漂うシャボン玉を目の当たりにして、弥生がぽつりと呟く。
「シャボン玉の司力ですか。これはまた奇抜ですね」
「そう? こんなの序の口だけど」
(この女は危険。本気で行く!)
愛衣の纏う気量が一気に変わった。
本気の愛衣が動き出す。
◆ ◆ ◆
勇士、琉花、紫音の3人は探知法を全開にして走り回っていた。湊、愛衣、友梨を見つけ出す為に。
勇士は走りながら自分の不甲斐なさにイライラしていた。
(くそっ……。構造が複雑過ぎて方向感覚が狂う……ッッ。こうしてる間も敵は俺達を付け狙っているというのに……!)
一刻も早く合流して脱出しなければいけない。3人は必死だった。
「勇士、ここ通ったわよ」
背後を走る琉花から声がかかり、足が止める。
「そこの壁の傷、見覚えがある」
一点を指差して指摘する琉花に勇士は礼と謝罪をした。
「そ、そうか…。すまない。また間違えた」
「焦らないで、勇士」
「そうです。愛衣さん達はきっと無事です」
紫音の言葉は憶測でしかない。3人とも敵が先に見付けてしまっている可能性も低くない。それでも、今は自分が信じたい道を行くしかない。
「ありがとう、琉花、紫音。まずは戻ろう」
琉花と紫音は、落ち着きを取り戻した勇士を見て一安心する。
紫音はふと思った。
(それにしても、嫌という程に静かですね。罠の気配がまるでない。……まるで、もう小細工の必要はなくなったみたいな……)
不安をよそに、3人で来た道を戻ろうとした、
瞬間、異様な気を探知した。
「「「ッッッ!!?」」」
3人の表情が急変する。
(なんだこの悍ましい気は……ッッ!)
(息が……苦しい…)
(一体どこから……?)
紫音は嫌な胸やけを起こしながら辺りを見回す。
後ろを向いた瞬間、紫音の眼前に刃が迫っていた。
気付くこともできず、動くこともできなかった紫音は見た。まるでスローモーションのような世界で、眼前の凶器の持ち主を。
(友梨……さん………)
そこにいたのは探し人の1人、稲葉友梨だった。…しかし、勇士達の知る友梨ではなくなっている。
滲み出る歪んだ気、ふわふわと見てるだけ癒された髪は跡形もなくやつれ、綺麗な瞳は完全に闇に染まってしまっている。
今の友梨には勝てない。殺される。瞬時に紫音はそう悟った。
「紫音ッ!!」
勇士の怒号が紫音の停止した脳に響く。
カキンッ!
甲高い金属音が鳴る。
勇士が紫音を突き飛ばし、友梨の一撃を防いだのだ。
そのまま勇士は力任せに押し返し、友梨を一旦遠ざける。
紫音の元に琉花が駆け寄り、安否を確認してくる。
「紫音、大丈夫?」
「は…はい。勇士さんが守って下さいましたから…」
紫音は改めて友梨を見る。
(…これが『妖具』…。友梨さんとは……いえ、一般人とはとても思えない…)
勇士は友梨の動きに注視しながら琉花と紫音に言った。
「琉花! 紫音! 今すぐここから離れてくれ!」
(今の友梨は危ないっ。それに、紫音に二刀流を見られるのもまずい)
紅華鬼燐流。紫音ならすぐに気付いてしまう。
我がままを言っていられる状況ではないが、これだけは死守しなければならない。
紫音は共に戦うと言ってくれるかもしれないが、多くの意味でそれは無理だ。琉花がうまく誘導してくれるだろうから心配はない………そう思っていたが、事態は勇士の予想を越えて深刻だった。
「ぐッ……」「う……」
琉花と紫音の呻き声が嫌な予感をさせる。
何事かと振り向くと、琉花と紫音は苦しそうに座り込んでいた。立とうとしているが重い荷物でも持っているように立ち上がれていない。なんとか意識は取り止めている状態のようだ。
原因はすぐに分かった。
(『妖具』の……気か!)
書物に記されていたのを思い出す勇士。『妖具』の気は負の感情をダイレクトに吸収しているため、健常者はその気に中てられるだけで気分が悪くなる。
今の友梨に力で劣ってしまう琉花と紫音は耐えられなかったということか。
(こうなったら俺が直接遠くへ……)
そんなことは許されなかった。
背後に悍ましい殺気。
直後にカキン!とまた金属音が響き渡る。
友梨の細い腕から考えられない莫大な力で振り下ろしてきた包丁を勇士がなんとか受け止めている。そして横に受け流し、刀を横に一閃する。
仕留めるつもりはない。牽制のつもりで目的は友梨をまた一旦遠ざけることだった。
しかし、友梨は後ろに回避することなく、包丁を持たない素手で刀を受け止めたのだ。
「な……ッ!?」
血がぼたぼたと落ちる。防硬法で切断はされていないが、ぱっくり切れてしまっている。見ているだけで痛い。
友梨は表情一つ変えず、勇士が怯んだ隙に包丁を振り上げた。
「ッッ!?」
真っすぐな線を描いた包丁を勇士は間一髪のところでかわす。…しかし完璧ではなく、右頬が縦に切られた。
刀の火力を強め、友梨の力を弱まらせてから距離と取る。すぐに態勢を立て直そうとして、勇士の様子がおかしくなった。
「……ッッ!?」
気分が悪くなってきた。唐突な吐き気と頭のぐらつきが勇士を苦しめる。
(そうか……『妖具』に切られて…ッ)
『妖具』の気にあてられただけでダウンしてしまう場合もあるのだ。それが平気だとしても、禍々しい気を発する『妖具』に切られて体が汚染され掛けているのだろう。
(しかもっ…なんだ……これ…。痛いとか苦しいじゃない。…………これは…、悲しみ?)
そう悟った瞬間、勇士から涙が零れた。
悲しい。そう、悲しいのだ。何がなんだか分からないが、とにかく悲しい。
そしてこれは間違いなく……、友梨の感情だ。
勇士が怯む隙を躊躇なく攻撃してくる友梨。それを受け止める勇士。
目の前の変わり果てた少女は、ずっとこんな悲しみを抱えているのか?
勇士は歯を食い縛って刀を振るい、友梨を転倒させて遠ざける。その間に自身の体に入り込んだ『妖具』の気を無理矢理体から追い出し、底なしの悲しみから解き放たれる。
ちらっと琉花と紫音を一瞥する。2人とも悲しいというより苦しいという様子だ。間接的では友梨の本当の感情は伝導しないらしい。
勇士は改めて友梨を見詰める。
漂う気全てが悲しみの象徴なのか。
いつも傍で笑う友梨の笑顔の裏にはそれほどの悲しみが隠されていたのか。
それほどの悲しみを抱えていたのか。
手に持つ刀の火力を更に強める。
「待っててくれ、稲葉。今すぐ解放する」
◆ ◆ ◆
独立策動隊『聖』。
総本部。
「瑠璃様。どうやら『御劔』が動き出したようです」
赤茶色の髪を左にかきわけた女性、スカーレットが手元のタブレットを見ながら伝える。
伝えられた相手、青みがかかった黒髪ロングヘアの女性、西園寺瑠璃が「へー」と呟く。ちなみに今、チェリーはいない。
この部屋には2人だけだ。
「『御劔』がね。それはクローくんのことで?」
「はい。『二十改剣』の1人が直々にライトガーデン社に出向くようです」
数十分前、獅童学園に潜入中のカキツバタからクロッカス含める6人の生徒が転移法による誘拐が起きたとの連絡があった。
狙われたのは稲葉友梨。クロッカスの見立てでは稲葉は『妖具』の保持者らしい。彼の見解なら間違いないだろう。
スカーレットはタブレットをスライドさせ、
「そして、それについてなのですが、どうやら『御劔』の裏で動いてるのは……」
「『北斗』、でしょ?」
瑠璃の言葉にスカーレットは一礼する。
「その通りです。『陽天十二神座』第八席、秘匿強行探偵事務所『北斗』。どうやら『御劔』へ秘密裏に情報を提供して動いてもらっているようです」
「やっぱりね。ここで『北斗』が出てくるってことは、」
「例の女子、速水愛衣の正体も見えてきましたね」